天啓
「400年後にカステラが自由に……」
その想いと共に一挙に空から落とされた感覚。
そして腹を貫く激痛が走る。「ウグォォォゥ!!!」
「信盛殿?」
「ググゥ……」呻くだけで痛みの波が増幅する。身体の一部を動かそうとするだけで波が押し寄せる。一呼吸を入れるだけで腹と背中の筋肉が痛む。必然、息は浅く長くなる。虫の息状態。
くしゃみ一つで全身に激痛が走る。目尻から汗とも涙とも分からん滴が零れる。
全身が汗ばんでいる。
額に絞った布が置かれる。熱を吸い取って和らぐ。最も痛む腹に手を当てる。
傷口周りの肉が動かぬように当てた手の熱が心地良い。
熱いのか寒いのかよく分からん状態じゃ……
薄目を開けると見知った顔が次々覗く。
ここは蔵屋敷か……
それぞれが何か口にするが返事をするにも口も頭も動かぬ。眼を閉じて浅い呼吸と共に引いては寄せる痛みの中で、徐々に意識が落ちていく……
薄暗がりの中、虫の音と鳥のさえずりが聞こえる。そっと明かりの指す方へ首を向ける。ムクリと身体を起こそうとすると全身の強ばりが襲ってくる。
「いつっ……」
「信盛殿!お目覚めになられましたか!」
声のする方に眼を向ける。助介が濡れた手拭いを絞っておる。手足の先を少しずつ動かしつつワシは尋ねる。
「ワシは何日寝ておった?」声が掠れる。
助介がワシの首や額に手を当てながら応える。
「上様と話されてから二晩にござる」
二晩か……それなら大して遅れにはならぬ。肘膝を曲げ伸ばししつつ身体の痛み具合を確かめる。少しずつ動かすなら痛みは一挙に襲って来ぬようだ。
ワシの身体の上に被さっておった衣類を払い除けて、首を起こそうとする。助介の手が背中に延びる。介添えを受けて上体を起こす。腹に当てていた手を離す。
血を流す傷口は無かった……
腹を擦りつつ思う。やはり夢であったのか……
が指先に違和感がある。なにやら指触りが明らかに違う。縁を指でなぞると小さい円になる。そこを見遣ると指の太さの周りと色合いが少し違う円。
ワシは助介の手を借りて更に身体を起こし腿をはだける。
血気盛んな若き頃に受けた流れ矢の傷跡を見つける。すぐに従者が手際良く処置してくれた故、治りも良かった。1ヶ月程でゆっくり歩けるようになったか。
その後は寒い日に疼いてその存在を思い出させる位であったが。
腿の矢傷と腹の傷跡を見比べ、指先で触り比べる。
全く同じじゃ……
矢が己の腹に吸い込まれて矢の羽の回転が止まる情景が思い出される。これは助からぬ……そう思った。腹を貫通されたから。
左手を背中に回し違和感を探り当てる。指先ぐらいの円を。
「助介、背中に傷跡は見えるか?」
「見えまする。腿と腹の傷と同様の物が……信盛殿は腹に矢傷を受けたことがござるか?」
応えるか一瞬躊躇う。
「いや、無い。腹を貫かれて生き延びた者も見た事は無いの」
改めて身体を捻って上体を回してみる。
全身に筋肉痛が残るが腹部が特に痛むわけでもない。直接背中の傷を見ようとするが首が回らぬ。肩越しに見えるは自分の尻くらいじゃ。
助介が大きな鏡と小さな手鏡を持ってきた。大きな鏡を助介が背中から少し離して持ち、渡された手鏡でワシが角度を合わせる。背骨の少し左にそれはあった。腿の矢傷と同じ、腹の傷跡と同じ。
つまりは左脇腹から入った矢が身体の中心に向けて進み、背骨近くを突き抜けたということじゃ。腸を確実にやられている角度。
あの悪夢は実際に有ったかのように我が身に降り掛かり、痛みと傷跡は残したものの命を取るには至らなかった……
「寝ている間にワシは血を流したか?」
「いえ、血は流しておりませんが、大量の汗が全身から噴き出しておりました。まるで熱病か矢傷を受けたかの如く」
「他に変わった事は有ったか?」
「『400年後にカステラが自由になるのかよ』と」
400年後! そう言えばそんな先の場面も見た覚えが!
「他に何か言うて無かったか?」
「『外様を疲弊させて身内を肥えさせるとは、奴のやりそうな事じゃ』とか、気になりましたので書き留めてござる」
そう言ってつらつらと書き連ねた書面を渡してくる。
何やらボヤきの様な言葉が多い。他人には訳が分からぬ言葉達。だが一連の流れの中でワシがこぼしたボヤきが拾い上げられた。そのままだと風に散ってしまいそうな言の葉を。
「出来した、助介よ!」
「大事な事だったでござるな。紙の無駄とならず助かりました」
ワシが寝ている間に起きた事を確認した。今日にも船が揚がるとの事。
「大潮も近づき干満の差も大きくなり、船台などの準備も整い頃合いにござる」
「予定より早いようじゃな」
「馬廻衆が音頭をとっても越えられぬ難所はござりました。が上様が音頭を取ると不思議と綱の引手の息が揃いましてな。また見物客も飛び入りで参加するやらで、もう浜辺近くに来てござります」
やはり上様が音頭を取られたか……
戦場の怒声の飛び交う中、どんな屈強な男よりも上様の甲高い声は皆に響き渡った。混乱する戦場でも下知がすぐ行き届く。前線で我武者羅に戦う者に届く激励。遠くからでも見ているという安心感。
上様の一番の能力はあの声かも知れんと思う。
が気になるは警備状況じゃ。
上様の周りにも船の警護にも常時100人程付くと言う。
ならば残る気掛かりはパティオの警護である。こちらも建築が始まっていて、警護の手を増やすように伝える。
「それと昨日弟殿が参られてござる」
「なんと信辰が!ではすぐ呼んで貰えるか」
「会う前に汗を拭いて体裁を整えるでござる」
「ウム、そうじゃな」ワシは受け取った濡れ布巾で顔腕胸腹を拭っていく。助介が背中を拭いてくれる。
足を拭こうとした所、褌から半透明の管がぶら下がっておる。その先を目で追っていくと段差の下の壺に繋がる。
やけに目線が高いと思ったが、どうやら寝台の上で寝ていたらしい。
「もう寝台が出来ておったのじゃな」
「船員達が最初の一台は是非信盛殿にという事でしたので、また床と段差があって丁度良かったでござる」
「あー、それでその管の先の壺は……」
「小便壺でござる。動物の腸を丁寧に乾して管にして被せておるので布団が汚れないでござる」
ワシは管がワシの先端に被さっている状態を目で確認した。
意識したのと朝の寒気で身震いし尿意を覚える。
「小便しても漏れんかの?」
「大丈夫にござる」
とはいえ一挙に尿意解放は恐ろしいで、ソロソロと開放する。
壺の中でポトンポトンと音がする。残りの尿意もゆっくり開放する。チョロチョロと音がする。高級布団の中で尿意の解放! 何やら禁断の扉を開いたような気がするが、今更な気もする。
全身の筋肉痛はまだ残っているので今日は寝台の上で過ごそう。
足も拭き終わって寝台に横になる。
「何から何まで世話になるの……」
「何を今更、同じ船に乗る者同士。遠慮は無用にござる」
「……そうよの、今後も色々頼む。で早速だが喉が乾いた。何か有るか?」
「では冷やですが甘酒は如何でござる?」
「ウム、貰おう」
一口舐める。程よい甘さで粒が無い。ゴクゴク一気に飲み干す。
「美味いな。身体に染み渡るようじゃ」
「血を多く流した者や風邪・疫病に掛かった者に、里では飲ませます。直ぐ血に成るのか治りが良いでござる」
「そうかもな。しかし濾している分飲みやすかったが、贅沢な造りじゃな」
「搾りかすは魚の漬け込みに使ってござる。食欲があれば焼いて持ってきますが」
「粕漬けか、それは美味そうじゃな。出来れば船員達にも食わせてやってくれ。ゴンサロに言えば魚も人数分買ってこよう」
「承知」
「信辰はまだ寝ているか」
「昨夕に到着して夜遅くまで看病してござった。お昼頃に会われるのが良きかと」
「そうじゃな、ワシも一眠りするかの」
甘酒は夏の季語です。飲む点滴と呼ばれるほどに、点滴の栄養成分を満たし体内吸収がよい飲み物です。夏バテでも飲めます。
(炊飯器での作り方メモ)
米2合に3合分の水を入れておかゆモードでスイッチオン。
おかゆが出来たら温度60℃ぐらいに冷ます。
(蓋を開けて10分待つ、水を適量入れる等色々方法有り)
米麹1.5〜2合(お好みで)を入れてよく混ぜて蓋をし保温OFF。
3時間後によくかき混ぜて保温ONにして3時間で出来上がり。
(米の糖化適温が55℃〜65℃なのでそこを守れば作り方色々)
1L牛乳パックに入れて1週間で使い切る。
水や牛乳で薄めて飲んだり、魚を漬け込んだり利用方法は色々。




