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モンゴルと黄禍論と布団

「それから、エウロパの日本への理解と偏見を事前に少なくできればと」

「他国に比べて法を守り清潔であると聞き及ぶが」


「はい。ですがエウロパは過去に2度、東方からの侵攻に苦しんでおります。

1度目は遊牧民が東から大量に流入し、当時のローマ帝国を崩壊させた要因です」


(※紀元前200年頃、漢の初代皇帝劉邦は攻めてきた匈奴軍に大敗した。以降漢は匈奴に毎年頁物を送る弱腰外交を続ける。

紀元前119年に漢の将軍衛青と霍去病の騎兵主体の遠征軍に匈奴は大敗した。両国の関係は徐々に逆転、漢は西に広がり、追われるように匈奴はさらに西へと向かう。

遊牧民族の大移動の起点である。

この余波は400年ほどかけて西方のローマに到達した。度重なる蛮族の侵入に、西ローマ帝国は首都はおろか全土を略奪され荒廃し、エウロパは分裂した)


「2度めはげん、いや大本のモンゴルか」


「左様にございます。1200年頃からモンゴルが統一され外部に侵攻し、エウロパ連合自慢の重騎兵を軽装の弓騎兵で打ち破り、度々略奪して回ったとか。

ロシアの辺りはその後永く、支配下に置かれたそうにございます」


(※モンゴルの侵攻に降伏した東エウロパの地域は、モンゴルに多大な税を収めたが、税の徴収人を請け負ったのがモスクワ大公である。

その優位性を活かして周辺諸侯を従えていく。モンゴルの退潮に併せて、その後にロシア帝国として台頭した)



「それは危険視するだろうな、しかしそれは遊牧民族のことだろう?」

「それがエウロパは自分たちの東側は一括してアジアと呼んで、あまり区別していない様子」


「つまりは日本は大陸とは全く別物であると喧伝しろということか?」

「はい、日本自体もモンゴルに1274と1281年の2度に渡って襲来され、どちらも武士の力で撃退したという事。これをエウロパ人にも知らしめる必要があるかと」


「坊主どもは盛んに自分たちが加持祈祷をし、台風を招き寄せて勝たせたと喧伝しとるがの」

「防衛戦で恩賞を出す余裕のなかった幕府がその話に乗ったと見るべきかと」


「多大な貢献をした九州の大にが恩賞が少なく、代償にに倭寇として海賊行為で損失を補填したのだったな」

「流れがわかれば当たり前の行為ですが、それを知らぬ国には日本は野蛮な国との印象を持たせます」


「そうだな」

「あと、源義経公が日本を脱してモンゴルに渡りチンギスカンになったという逸話ですが」


「物語としては面白いがの。モンゴルのもたらした損害を日本に押し付けられては堪らんと言う事か」

「その通りです。できれば義経公の墓所を見つけ、正式に祀るべきかと」


「見つかれば良いがな」

「はい、それと日本が西に勢力を伸ばした場合、過去2度の東方からのエウロパへの侵入を思い返して警戒を強める可能性が高いかと」


「そうさせぬ様、日本は略奪などせず、交易を求めるものだと示せと言うことか」

「御意にございます」


「分かった。特に費用が掛かる事でも無いしな。さて今日はこの辺りでよいか?」

「ハッ」


「もう遅いで、今晩はここに泊まっていけ」

「ハハッ」


「あと信盛、お主は地球儀の複製を作ったそうじゃな」

「ハッ、誠に簡略なものですが」


「そこの地球儀を与えるで100個ほど作れるか?出来たものは全て余が買い取ろう」

「分解しても構いませんか?」


「余の居城各々に置いてるで、問題ないな」

「了解しました」


「では今宵はゆっくり眠るが良い」

「ハッ」


部屋を退出し助介の案内で寝所へ向かう。もう夕方でこれから出歩く訳にもいかない。大人しく部屋へ入ると、なんと綿入りの布団がおいてあった。

年寄りへの上様なりの配慮であろう。


(※当時の綿入り布団は高級品で平民の年収程の値段)


「布団はお二方共持って行って良いと伺ってござる」

「布団とは有り難い。これからの季節どうしようかと

思っておった所よ」と林殿。


「林殿も使って居られたか」

「寒さは老身には応えるでな。これで目一杯働けるわい」


ワシも自宅に布団を置いてきてしまったが、許可もあるし複数取り寄せよう。客人に提供するにも使えるでな。


「さて、明日から某は京都所司代へ、信盛殿は堺の蔵屋敷と分かれることになるな」

「まぁ近いで何かあれば書状を出すなり相談に出向くまでよ」


「そうじゃな。明日からは家族にも会えるかもな」

「林殿はまず火葬があろう?」


「そうであったな」

などと話しているとお膳で晩御飯が届られた。

助介の分もある。


「助介は織田家に人質として入っていたのか?」

「一時はそうでしたが側仕えも経験してござる」


「なるほど、それで信用されているのか」

見れば助介の布団もある。大事にされているのだろう。


「林殿と面識は無かったようだが」

「林殿が上様の側使えで居たのは5年程前、拙者はその後に側使えとなったでござる」


「お主が一族の出世頭として率いていくのだろうな」

「ゆくゆくはそうなるやもでござる」


「そうか、では改めて今後色々頼む。よろしくな」

「某もよろくしじゃ」

「よろしくでござる」


さてと、後のことは堺に到着してから考えよう。灯台の火を消し、布団へ潜り込む。ジワジワ温まり極楽である。


程よい疲れもあって意識は直ぐに途切れた。

黄禍論自体は1894年に日清戦争で日本が大陸へ進出した際に、それを警戒するロシア・ドイツ・フランスから出て来た言葉です。


ですが蛮族の大移動とモンゴル帝国による被害が根底に有ります。早期に日本が海外進出した場合、警戒心で出てくると想定して使っています。

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