林秀貞宅にて
織田家支配下のとある城下町。
大通りから少し外れた一軒家。
その引き戸を歳の頃50台の僧が叩く。
佐久間信盛その人である。
「林殿、お見舞いに参った。信盛じゃ」
返事がないのでもう一度戸をトントンと鳴らす。
しばらくしてそっと家主が顔を出して驚きの声を上げた。
「おおっ?その顔は?
いやしかし声は確かに佐久間殿?!」
ワシの顔や風体が様変わりしてるので戸惑った顔をしているが、林貞秀は声でワシと認識したようだ。
「すっかり痩せられたの、佐久間殿」
「お互い様じゃろう?」
二人して苦笑いを漏らした後、貞秀は信盛を入れると戸口から辺りを伺いそっと戸を閉めた。
「付けられては居らんよな?」
「おうっ!山に身代わりも置いて来たしな」
「まぁ、今更老いぼれ2人を気に掛けるものも居らんか」
「フフン……」
「よいしょっ」と小声でつぶやき土間から居間へ上がると林殿はワシを手招きする。
(やれやれ、60才を超えると動作の一々が爺臭い)
応じてワシも居間に上がりドッカと座り込む。
「して、日陰者の所にわざわざ今日は何用かの?」
「なぁに、林殿が織田家より追放されて1ヶ月程であろう。
気落ちしてポックリ逝く前に、お互い愚痴でも言い合いたいと思うての」
そう行って持参した酒瓶をトンと置く。
応じるように林殿は卓袱台の上に伏せてあった湯のみを2つ並べる。
お互いに酌み交わし、ワシがクッと杯を空けるに合わせて林殿も飲み干す。
以降はそれぞれ手酌である。
「誰にも知らせず逃げるように隠れておったのだが、よくここが分かったのぅ?」
「ワシは高野山に上っておったからな。
色々と耳には入って来るのよ。」
「おおぅ、あの山は高貴な方々の避難場所であったの」
「うむ、半年も寺におって暇だったからな、あちこちの大名家や公家衆の家督争いに負けた者やらと情報交換しておったのよ。
そしたらお主も追放されたと聞いて驚いてなぁ。方々に聞き込んで探し当てた訳よ」
「そうであったか、ワシもお主が追放と聞いて吃驚した口じゃよ。
こうして会えるとは思ってもいなかったがの」
「フフン、ワシのほうが半年ばかり先輩じゃがな!
ついでに追放ではなく出奔じゃ」
「ハハハ、そこで先輩面するとはな。
で、お主は何故に上様に詫びをいれなんだ?」
この爺、早速核心に踏み込んでくる。
さすが上様の元右筆(秘書官)、上司と似ている。
「ワシ宛の上様の折檻状のことは聞いておるか?」
「ああ、大凡はな」
「一つ一つは申し開きも詫びもできたんじゃがな、信栄の事ばかりは武将としては図星過ぎてな。
上様の嫡男・信忠様と比べられているかに思えての。
信栄もワシの期待に応えようと無理して頑張っていたのも知っていたでな。
ついカッとなって余計に引くに引けなくなったのよ。
で、領地も何もかもぶん投げてとっとと高野山に上ったんじゃ」
「なんと、そのような流れであったか。
だが信忠様と比べられると厳しいな。」
「若様は天下人の跡取りとしては上出来すぎる。
比べるなら信雄殿や今川氏真殿にして欲しいわ!」
「信栄殿はおおらかで人柄はよいからの。
息子のことを悪しざまに言われれば、頭に来るのは分かるがな。
だが言うては何だが、信栄殿は確かに武士っぽくはないな。いや、悪く取らんでくれ。
大領地の跡取りの割りにはそれを笠に着るでもなく、町衆にも腰が低くてまるで商人の様に見えてな。」
「それは貶してるのではないか!?」
「いやいや、武士としては侮られがちだが、金持ち喧嘩せずと言うではないか。
茶道の腕前も上々と聞くし、戦国の世が終われば有能の士であろうよ」
盛「嬉しいことを云うてくれるの。
ただ我が佐久間家は……同族の盛重殿が居ったろう?
そちらの家系に武の血を吸い上げられた残りカスの様な気がしての」
林「佐久間盛重殿か。柴田勝家殿が上様に味方する以前からの譜代の武の柱であったな。
桶狭間の戦いで討ち死にされなければ、お主や柴田殿以上の筆頭家老であったろうな」
盛「間違いない。さすればワシは手頃な領地の内政に
専念できたろうに。
じゃが実際は散らばった領地を与えられて、その管理に人員を割く必要があるしな。
石高に見合った兵を出してあちこちの戦場に呼ばれてと、領地が増えても面倒なだけだったわ」
「ハハハ、加増されて迷惑とはな。
じゃが大和国の宿敵同士の松永久秀と筒井順慶をなだめすかして治めておったのも、確かお主だったな」
「それよ。何かあると両方から相手の非を鳴らす書状が届いてなぁ。調停が大変だったわ。
面倒な領地ばかり加増されても疲れるだけだわい。
領地管理や戦に振り回されて、気付いたら信栄は芸事に夢中でなぁ。
なんとかワシの眼が黒いうちに一廉の武将に育て直そうとしてる間に、領地の返納と家督相続が遅れてなぁ」
「なんと!自ら返納する気だったのか?」
盛「うむ、若様が独り立ちするまで領地の面倒を頼む
と上様に言われておったからな。
それにワシは熱田や堺を間近に見続けておったし。
石高などよりも交易路よ」
信盛は石山本願寺包囲の間、すぐ傍の堺の防衛を
担う役割もあり、堺の豪商達と夜更けまで
話し込むほど気を合わせていた。
元より尾張時代から商業都市・熱田との縁も強く、
交易と銭の力や町衆との付き合いを重視して
いた信盛であったからこそ出来たことである。
「うーむ、上様と全く同じ考えじゃの。
そして領地にもあまり未練も無い。
拗れる理由がそもそも無い様に思えるが?
実際はどのように拗れていったのじゃ?」
「石山本願寺が降伏して退去した後に寺が全焼してな。
間の悪いことに、上様が公家衆と連れ立ってそこに視察旅行に行っててなぁ。
全焼事件が知れ渡って、公家衆の前で上様の面子を潰す形になってな。
折檻状はその直後に届いてるんだわ」
「なんと!上様の怒りが石山の責任者のお主に飛び火したようなもんじゃ。
お主の失脚狙いの放火の可能性も出て来たな。
全くきな臭い!誰ぞに謀られたのではないか?」
「まぁ有り得る話よな。
織田家中がゴタ付けば、敵対する大名家には儲けモノだろうしの」
「石山本願寺に兵糧を入れていた毛利家は特に怪しいな!」
「見知っている土地だけに尚更そうだな」
「石高の多さだけを見て、お主の苦労を知らぬ織田家中の嫉妬した者が讒言の可能性もあるぞ?」
「持ってても面倒なだけだぞ?」
「持たざる者には持てる者の苦労なぞわからんさ」
「そうかも知れんが、全て終わった事よ」
「だがお主は良くても信栄殿は如何する?」
「そのことよ。奴に武将としての才は残念ながら無い。
だがな、高野山に上る時、付き合わせるのも悪くて『スマンな』と言ったら、あ奴め、
『むしろ領地の柵から解き放たれてスッキリしました』だと!
奴の良さに気付いてやれなくてと思うとまた切なくてな」
「潔く器が大きいと来たか。ほんに良い息子を持ったの。
先ほどのな、『茶道の腕前も上々で戦国の世が終われば有能の士』との言葉だがな、若様よりのものよ」
「若様が其のように観てくれていたと!?(グスッ)
しかしてそれは伝聞か?」
「ワシの最後のご奉公は若様のお側ぞ。直に聞いた話よ。
ただ筆頭家老の嫡男を配下に欲しいとは中々言い出せなかった様ではあったな」
「家中から離れることで気づける事も有るものだな」
「で先ほど問うたことじゃが、お主の方から上様に詫びを入れる気にはならんのか?」
「引き継ぎもせず出奔した所為で方々に迷惑も掛けているしな」
「そのことなら上様の右筆共がボヤいておったぞ。
お主の配下の者全てに不安が出ぬように
徹夜続きで書状を出したとな!」
「フフン、少しはワシの味わって居った苦労をしれと言う所じゃ!」
「まぁ、その時分はワシは若様について居ったから、後輩共の苦労は高みの見物であったがな!」
「じゃが、ワシとまとめてお主までも追放されたのではと、少しお主には申し訳なく思っておるのじゃ」
「なんの、隠居の申し出が遅れただけよ」
「上様がお主に隠居を命ずるだけでよかろうよ。
わざわざ追放などと大事にする意味が分からん」
林「そうさのう」
そこでウーンと腰を伸ばし、唸りを上げる林殿。
長話で腰に来たようだ。