カエサルと光秀
「そうじゃ、カエサルのガリア戦記の事は聞いておるか?」
「ローマ帝国の開祖が大功をあげた遠征記でしたかな。『来た、見た、勝った』とか」
「何じゃ知って居るのではないか」
「いえ、少し聞きかじったのみです。上様は翻訳された本を読まれたので?」
「翻訳はまだ半分よ。昔の地名やら名前が出てくるで難しいらしいの。終わったら貸してやろう」
「是非お願いします!」
「ウム、余も要点だけ先に翻訳させたのじゃ。でカエサルが最終的に敵の大将を追い詰めて城を包囲したんじゃが、逆に敵の援軍のほうが数が多くてな」
「普通なら負ける前に撤退する場面ですな」
「そうじゃな、じゃがカエサルは内側の城を柵で囲って包囲しながら、援軍の到着前に自分達の外側も柵で囲い、内外を防ぎきって食料の切れた内側の大将を降した様じゃ」
「正しく天才ですな、ワシには無理な話ですが……」
「相手の行動を読めれば出来るやもとは思うがの。お前の場合は謀略に囲まれて目に見えぬとなれば、対処し辛ったろうな」
「ワシは光秀殿に恨まれていたのでしょうか?」
「比叡山の時が事か?」
京と東国・北国をつなぐ交通の要所である比叡山を上様が包囲した時、光秀の部隊は坊主のなで切りと全山の焼き討ちを行わんばかりに激しく攻めたてた。
同じく包囲に参加していたワシはこれを諌めて、上様に伝え光秀の行動は止まった。
当時の敵対勢力である浅井朝倉を受け入れる比叡山の勢力の排除と、交通の要地を押さえる目的がある。がやりすぎては上様の威光に傷がつく。
そう考えての諌止であった。全山を織田軍が焼き討ちした訳では無いが、内情を知らない者は上様の意向を曲解した。(全山焼き討ちと日記に記述する公家もいた)
織田家全体の事を考え同僚や上様に嫌われても諫言をしたが、それが家老としての役割とワシも思っていた。損な役回りじゃ。
「はい、ワシが光秀殿を諌止した形となりましたので」
「光秀も寺には厳しく当たるでな」
光秀は京都奉行をしていた時期があるが、その際に寺領の横領を度々行った。
正親町天皇から返還するようにと、2度も勅使が送られた。
「光秀にはお主の石山包囲が手温く見えたやもな」
「……」
「余が取り立てた者たちはな、余の命令を第一と考えて我武者羅に働いて良いのだが、やり過ぎも多くてな」
秀吉や勝家も領地の国人と、悶着を幾度も起こした。
「まさに戦の世の申し子と言えましょう」
「ウム、もう一働きしてもらうがな」
「そのことですが、船の宛がつき、大砲も揃い小田原城攻めの見通しがつきましたら、各方面軍は戦で攻めとるのでなく、調略を重視しては如何でしょう?」
「重臣に功を上げさせ過ぎるなという話じゃな。しかし兵を遊ばせておく訳に行くまい?」
「前線で堅城に入れて圧力はかけ続け、後方で港や街道の整備に充てては如何でしょうか?」
「まぁ、状況次第じゃが考えておこう。着実に進めて行こうぞ。他に何かあるか?」




