第三話 緊迫のお茶会
女性の先導で連れられたのは私が寝かされていた部屋だった。よく見ると続き部屋になっていて部屋に入るなりそこから色とりどりの服を運んでくる。金糸や銀糸を使った刺繍に徐々に色合いの変わる濃淡の美しい布地。装飾品も多種多様で首飾りや耳飾りの他額飾りなんてものまである。
国を追放される前でもここまで豪華なものは見たことが無いくらいだ。元々着飾ることは苦手意識があったけど綺麗な物を見るのは嫌いじゃないからそれらに胸がときめく。
「……お嬢様の淡い髪色に合わせて、衣装は濃い目のものを。淡い色は帯などに遣う方がよろしゅうございますね。本当に、珍しい髪色ですこと」
私を姿見の前に立たせて肌に布を当てながら手早く選別をしていく手付きは慣れたものだ。私の背丈ほどある姿見に映るのは金の髪と青い瞳の、生国ではありふれた色合い。三日間の苦労でやつれてしまったかと思えば意外な程に肌艶が損なわれていない。眠っている間に手を掛けてくれたのだろうか。
衣装が決まると次は本体だと言わんばかりに足の泥は落とされ、髪に櫛を入れて結い始める。
「我が国の結い方となりますがご容赦ください」
「えっと……シュメイ、さん?」
「わたくしの事はどうか朱明とお呼びください」
慌ただしく動き回っていた女性、シュメイがようやく停止したので恐る恐る耳にした名で呼び掛けるときちんと応えてくれた。ただその間も手は忙しなく動き続けている。
無視されなかったのでこの機に気になる事を少しでも聞いておこうと思った。
「ではシュメイ、ここは何という国なんですか? エクシジル王国とは違いますよね?」
私の知識にあるのは広大な大陸の西側の一部。生まれた国から外へ出た事も無い為東側ではこんな独特の衣装や建築が普通なのかもしれないと思い、尋ねてみる。私からの問いにシュメイは顔色一つ変えず手を動かしながら答えた。
「ここは、玄栁国にございます」
聞いたことのない国だ。姿見の中の私の顔が分かっていないとシュメイに訴えかけている。それを見て続けて私の疑問に答えるように口を開いた。
「玄栁国は古に伝えられる竜人の国。遥か昔、偉大なる竜が人と交わり子を成し、その子らがこの地に流れ着いたのが国の始まりとされています」
「竜って……あのおとぎ話の?」
思いも寄らない内容に開いた口が塞がらない。竜なんて本当に存在したかも怪しい物語だけの生き物だ。私のいた国では乙女が竜を従えて世直しの旅に出る、なんて話を聞いたことがある。シュメイはそんな私の反応に大いに不満を持ったようで更に饒舌に喋り出す。
「竜は物語だけの存在ではありません。この国の民は皆黒い髪色ですがこれこそ黒竜の血を引いた証でありお嬢様のような髪の者は誰一人存在しておりません。またこの国を治める王家の方々の中には極稀に『先祖帰り』と称しまして、遠い祖先である竜の姿そのままに変化する力を有しているのでございます」
「へ、へぇ……よく分かりました。ありがとうございます」
突飛すぎてにわかに信じられない話だ。けどこれ以上詳しく語られても頭に入りそうにないので一応納得した振りだけはしておいた。丁度髪結いの作業も終わったらしい。軽く化粧も施されて身支度はおしまいだ。
最後にシュメイが部屋を出る前にもう一つだけ質問した。
「さっきの、ヤツキとコウマって人達なんですけど。あの二人は一体どういう立場のどういう身分の方なんですか?」
「……第四十一代目玄栁国国王、八帰様と王弟殿下、紅真様であらせられます」
シュメイはそれが大したことでもないように答え部屋から出て行く。残された私はあの二人が想像以上の大物だったことに驚きが隠せず一人うろたえていた。
「国王と、その弟って……えーっ……」
とんでもない所へ連れてこられてしまった。ふとあの聖女の言葉を思い出す。
私に「これから」はあったけどそこに果たして幸はあるのか、これから先がどうなるか不安だらけの始まりだった。
…………
あの後しばらくして再びシュメイがやって来た。茶会の用意が整ったらしく別の部屋へと案内される。着せられた衣装は長くゆったりした袖と足首より下まで届く長い裾で短い距離を歩くのも一苦労だ。私が恐る恐る歩いているのを見かねてシュメイが介添えしてくれた。さっきから何から何まで世話になりっぱなしである。
通された部屋にはヤツキとコウマ、そしてジュリアの三人が既に席に着いており思い思いにお茶を飲んでいたり食べ物をつまんでいる。テーブルに並んだ料理やお菓子は見たことがないものばかりだけどふわりと漂う香りに食欲が刺激され、再び盛大な腹の虫を鳴らせてしまった。
「わぁ、お姉さま素敵!」
「ああ、やっと来たか。古い衣装の割にはよく映える」
「世話する必要のある女なんて長いこといなかったのに、朱明はよくもここまで化けさせたものだな」
私を一目見た感想を述べてくれたけどまともに褒めてくれたのはジュリアだけで後は褒めているのかけなしているのか微妙な言葉とシュメイへの称賛だった。
「女官長の役職を頂いている身としましては、いついかなる時でも陛下の要請に応えるのが当然だと考えておりますので。……できれば八帰様の正妃となられる方へこの腕を振るいたいものですが」
シュメイの冷静な切り返しにヤツキがそっと目を逸らす。あれ、確かさっきは国王だって言ってたよね……臣下にあたる彼女から突っ込まれても無礼だと叱責するでもなく言い返せていない。
「……その話はまた別の機会にとして、そなたも座るといい。簡易な物ばかりですまないが好きに選んでくれ」
話題を変えたいのが丸わかりの様子で私に椅子を勧めてくる。
……好きに選べと言われても私にはどれがどんな料理かも、作法も分からない。この国の最高権力者を前にみっともない姿ばかり見せているのだから今からでも挽回したい。そう考えてなかなか手を付けられずにいるとコウマが鋭い瞳で私を見ている。
「……まさか毒でも警戒しているのか?」
「え? そんな事は決して……」
「だとしたら無駄なことだ。お前がこの席に着くまでの間、両の手で足りない程には殺せる機会はいくらでもあった。それなのにわざわざ手間を掛けて毒殺なんてするか、馬鹿が」
言われた言葉は確かに筋が通っていて納得できるものだ。だからって馬鹿はないでしょう馬鹿は!
ムッとしてとりあえず取っ手の無い白い器に注がれた茶に口を付ける。口に含んだ瞬間に花の香りが喉から鼻腔を通り抜けていくようだ。味わいは渋味もなくほのかな甘みもあって飲みやすい。器の分を一気に飲み干すとジュリアが大きめの匙を私の前に突き出している。
「お姉さま、これとってもおいしいです」
満面の笑みで向けられる「私に喜んでほしい」という妹の気持ちは無下にはできない。仕方なしに身を乗り出して匙の中身、透明な液体の中に浮かぶ白い何かを口に運ぶ。一度味わったそれは衝撃だった。
「おいしい……」
液体は果物を漬けこんで香りを移したシロップだ。何も食べていなかった身体に甘味が染みわたっていく。白い何かはゼリーよりも固めの触感で喉をつるりと通って苦も無く飲み込める。一匙じゃ足りなくてもっと食べたい。そう思ったらシュメイが小皿に取り分けて私の前に置いてくれた。……流石は女官長、気配りがすごい。
それからは気負うことなく色々な料理を楽しむことができた。ただその間気になったのは何故かジュリアがヤツキの膝の上に居座り続けていること。時々お互いに食べさせ合うようなことをしている。
ヤツキの外見は二十代後半程で、黒髪と赤い目は弟であるコウマとの血縁を感じさせた。そんな年代の男性が一体どうしてここまで面倒見がいいのか不思議なくらいだ。
周囲はそれを当然のような顔で流していてかつジュリア自身が嫌がっていないからこの穏やかな雰囲気を壊してまで引き離せない。
結局茶会が終わるまで一人悶々と悩み続けていたのだった。
…………
「さて、問うべき事柄はまとまったか」
ヤツキが残った茶の最期の一口を飲み干し器を置くなり私の方へ声を掛けた。急に言われてもすぐには言葉にできずしどろもどろになってしまう。私のそんな姿を見てヤツキは微笑ましいものを見るように、コウマは馬鹿にしたように笑っていた。
「そういえばまだ互いに名乗りすらしていなかったか」
するとそれまで彼が纏っていた穏やかな雰囲気が一変、張り詰めたものとなる。静かな堂室に低音のよく通る声が響いた。
「我が名は八帰。玄栁国国王にして竜の力を継ぐ者なり」
「……紅真だ」
威厳ある態度のヤツキとは違ってコウマは非常に素っ気ない。彼らが名乗るのに合わせて私もはっきりと自分の名を口にした。
「アイリーン・シエル・ハースウィルと申します。エクシジル王国より参りました」
「ジュリア・セリン・ハースウィルともうします。七歳になりました!」
私が名乗ると真似したがりなのか既に認知されている筈のジュリアも同じように口上を述べる。自国の作法で習った形で礼を取り敬意を払うことで敵意が無いことを示してみた。
「エクシジル王国……」
「兄上?」
自分でも申し分のない淑女の挨拶だと思ったのに何かが引っ掛かるのか、ヤツキは国の名を小さく呟いている。同じように感じたコウマが声を掛けるとハッとした後軽く首を左右に振った。
「いや、荒野を越えた先にそのような国があったと思い出しただけだ」
すぐに気を取り直し落ち着いた態度に戻った彼だったが、それよりも荒野を越えた先という言葉は聞き逃せなかった。まさか本当にあの荒野の先に国があったなんて! 世紀の大発見とも言える事実にもう少し詳しく聞きたくて改めて問いかける。
「荒野は私達のいた国から見ると大陸の西側にあるのですが、この国は更に西側にあるということでよろしいのでしょうか」
「ああ。ただし人間が望んでこの地へ辿り着く事は不可能と言っていいくらいだがな」
え、と思う間もなく畳みかけるように説明される。
「玄栁国は古の竜の血を引く人間達が隠れ住んだところから始まっている。始祖たる黒竜はこの地の守護として『竜の許し』無き者には辿り着けぬよう術を施した。それ故国の名を『幻の竜の国』『玄き竜の国』にて玄栁国という」
「その辺りのお話はシュメイが聞かせてくれました。国王陛下も……」
「八帰、と名呼びで構わん。それと本来の話し方でよかろう……慣れぬ言葉で取り繕う様が痛々しい」
相手が国王という地位なので、一応元貴族らしく敬意を持って話していたら見透かされていた。横ではコウマが苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「……そう簡単に気安い態度を許すのはどうかと」
「誰が咎め立てようとこの国では私の言葉が最優先される、違うか」
権力を持ち出されたら誰も反対はできない。つまり堅苦しくしなくてもいいという私への言葉も。……もしかして彼は日々権力を盾に好き勝手に振る舞う暴君なのかもしれない。今は気まぐれに親切にしていても機嫌を損ねたらいつ手の平返しを喰らうか知れたものじゃない。……用心しよう。
「……まぁ今の言葉は冗談として、目に余るようなものでなければ好きにしてもらっていて構わない。どうせこの宮殿にいるのはそなた達姉妹だけなのだから」
「そういえばこの宮殿は全然使っていないみたいなんですが……どういうところなんですか?」
どれだけ貧しい国だって国家元首の周囲にここまで人がいないなんてまずあり得ない。政務に関わる場所でもないだろう。あと考えられるとしたら……
「後宮だ」