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第一話 死を覚悟して

「……お姉さま、いつまで歩けばいいの? 馬は? 馬車は?」


 妹のか細い訴えは辛うじて荒野の風に打ち消されず私の耳に届いた。だけど聞こえない訳じゃないのに私はその問いに答えることはできなかった。

 不安に揺れる瞳を見てもどうしてやることもできず、ただ繋いだ手に力を込める。

 ……本当に、どうして私達がこんな目に遭わなくてはいけないのか。普段からろくに祈りを捧げたことはない神を強く呪ったものの返答はない。無駄な思考をしてしまった事に後悔しつつひたすらに足を動かし行き先の知れない荒野を進んだ。


 私は大陸の西部に存在する小国、エクシジル王国の貴族の生まれだ。辺境伯として土地を治め境界を守り、無口だけど誠実で王国への忠誠心に篤い父と穏やかで優しい母の元、辺境で伸び伸びと育てられた。

 母は私が十歳の時に妹を産んで帰らぬ人となってしまったけれど、妹……ジュリアはとても可愛くて多忙な父と母がいなくなった寂しさを埋めてくれる存在だった。私が構うだけ妹も同じだけ慕ってくれて、自然豊かな領地で過ごす日々は毎日が充実していて。私は、とても幸せだった。

 ついこの間までは……


…………


『アイリーン・シエル・ハースウィル、ジュリア・セリン・ハースウィル。両名を斬首の刑と処す』


 ある日突然領地の屋敷に王国所属の騎士団が押しかけてきて私と妹は揃って捕縛された。

 抵抗しようにも王国の正式な任命を受けてのものだと取り合ってもくれない。怯えるジュリアを何とか宥めながら私の内心は恐怖で一杯だった。私達を罪人のように扱う騎士に連れてこられた王宮で宣告されたのがあの言葉で、罪人扱いも何も向こうは最初からそのつもりだったのだ。

 当然私は訴えた。身に覚えのないことでどうして私達が処刑されなくてはいけないのかと。そこから告げられた言葉は私を絶望へと叩き落とす。


『ハースウィル家は他国と通じ機密を漏洩ろうえいしあまつさえ謀反むほんを企んでいた嫌疑が掛けられている。王国への忠誠を失くし他国と共謀し王家へ反意を持つ者に辺境の要となる地を任せておくことなど出来るものか。よってハースウィル家は断絶、当主とその血族は私財を没収の上処刑となる』


 そんな馬鹿な! 父はずっと真面目に役目を果たしてきたのに。辺境の境界を守る役目にある事を何よりも誇りに思っていて、よく私に聞かせてくれていたのに! そんな父が謀反だなんて絶対に冤罪えんざいに決まっている!

 そう必死になって訴える私を周囲は見苦しいとくすくす笑う。きっとこの中に父に罪を着せた犯人がいるはずなのに手出しできない状況がもどかしい。それどころか今はそんな者達相手に這いつくばって頭を下げ救いを求めるしかない。自分の力の無さに雫が零れて絨毯を濡らした。

 このまま私とジュリアも父と共に死ぬしかないのだろうか。せめて妹だけは……諦めかけたその時。柔らかな女性の声が辺りに響き渡った。


『お待ちください』


 下げた頭を上げると国教である創生教の神殿で使われる衣装を纏った少女がその場の一同を見渡している。ここにいるのは王宮の重臣など役職を持った貴族ばかりであるはずなのにとてもそうは見えない少女はここで最も場違いな存在だった。だけど私を断罪する国王もせせら笑う貴族も誰も彼女を咎めようとせず言葉を紡ぐまま任せている。


『罪人の血族であることを理由に罪なき者の命が失われるようなことを神はお許しになられません』


 それは私にとって救いの言葉だった。少女が何者か分からなくても助けてくれる可能性の前には些細なこと。期待を込めた瞳で見上げると視線が合い、優しく微笑んでくれた。


『しかし生かしておいては後の災いの種ともなりかねません。即刻処刑すべきです!』

『その通りです! いかな聖女様であろうと秩序を乱しかねない発言はご遠慮ください』


 聖女と称された少女は飛び出してくる反論に耳を傾けるとしばし考え込む姿勢を見せ、改めて言葉を発した。


『……では、国外追放ではいかがでしょう』


…………


 私達への刑が国外追放と決まった時は安堵した。貴族ではいられないが少なくとも命は助かるのだと。妹を育てる為なら平民として働くことも厭わない。私があの子の唯一の家族なんだから私がしっかりしないと。不安を誤魔化すようにこれからの生活に思いを馳せていたら護送の馬車が止まる。それと同時に乱暴に車から引き下ろされ全く想像していなかった光景を前に私は言葉を失った。


「ここは一体……」


 そこは見渡す限りの荒野。人も街も動物も、道すら存在しない。そんな場所だというのに馬車はここから動く様子が全くない。絞り出した言葉は騎士の馬鹿にした笑いと共に返される。


「貴様らは国外追放の刑が執行されている。しかし他国と通じた疑惑のある者をみすみす他国へと野放しにする事はできん。そこでだ、西の荒野へと送り出すと決まったのだ」

「ほら、さっさと行け! 売国奴が二度と我が国に足を踏み入れるなよ」


 呆然と立つ私の背を突き飛ばしたかと思うとあっという間に騎士達は馬車に乗り込み来た道を戻る。残されたのは僅かな水と食料と着の身着のままの私達姉妹。


「……そういうこと」


 王国は最初から私達を生かしておく気なんてなかったんだ。じわじわと弱って死ぬのを想像して楽しむつもりで……!

 ぐっと拳を握る。悔しくて目の前が歪んで見える。それでも現実は何一つ変わらない。

『西の荒野』、別名は果て無き荒野。

 エクシジル王国はいくつかの国と隣り合う場所に存在する……西側の一点を除いて。

 西の荒野の先に何があるのか、どこまで続いているのか誰も知らない。歴史の中では何人もの挑戦者が存在したけれど成果なしのままの帰還か行方不明になるかのどちらかだ。

 この先がどうなっているか誰も知らないのに何故か国境と定められているのも長い間の謎だ。そのせいで『国外追放』の名の下にここが処刑の場として選ばれたのだろう。


「お姉さま……」


 握り込んだ拳に手が添えられ、掛けられた声で正気に戻った。そうだ、私だけじゃないジュリアがいるんだからここで諦めちゃいけない。もしかしたら荒野に住み着く人間がいて助けてもらえるかもしれないし。


「ごめんね、もう大丈夫だから」


 一体何が大丈夫なのかは私にも分からないけどこの言葉でジュリアの顔に安心した笑みが浮かぶ。言葉も話せない頃からずっとそう呼び掛けてきたジュリアを宥める時の定番の台詞だ。だから状況が分かっていないとはいえジュリアも私を信じてくれているし私も私自身を信じられるような気がする。

 妹の手を取って荒野へを足を踏み入れた。


…………


 私の考えが甘かった。歩き出して三日程になるが行けども行けども先は見えない。もう出発地点に引き返す事も出来ず機械的に足を前に出すしか可能性を見いだせなかった。

 けどそんな事情は幼い子供が知る筈もなく、もうずっとぐずっている。


「お姉さま、わたしもう歩きたくない……」

「そうだよね疲れたもんね、でも歩かないとここを抜けられないから」

「お姉さまはずっとそればっかり! もういやなの!!」


 指摘された言葉はまさにその通りで返答に詰まる。ジュリアは最初は機嫌よく歩いていても一時間もすれば駄々をこねて足を止める。私はそれを宥め、時には声を上げて叱って今この時まで歩かせた。泣き止ませる為数少ない食料を多めに食べさせてあげたこともあった。そうやって騙し騙しでやって来ていたつけが遂にこの場で噴出したようだ。


「きれいなお布団で眠りたい! お腹減った! お着替えしたい!」


 全身を使って訴えるそれは何一つ叶えてあげられない。苛立ちを抑え機嫌を治すよう思いつく限りの楽しい未来を語った。きっとこの荒野を抜けるとそこに誰も見たことのない素敵な国があると。そこには美しく優しい王子様がいて、お姫様に選ばれて綺麗な衣装を着て美味しい物を食べて暮らせるよと。子供は単純だからそれをあっさり信じ一旦涙が止まる。

 だけどそこからのジュリアの問い掛けに、張り詰めた糸が切れたような感覚に襲われた。


「……お父さまもそこにいる?」


 私は父がどうなったか知っている。結局父は捏造された山ほどの証拠と証言によって罪が確定し処刑されてしまった。地位も名誉も財産も全てを失ったことを知らせてきたのはあの聖女とかいう少女だった。

 彼女は私に向かって言うのだ。

『罪人の娘であってもやり直すことは可能です。あなたのこれからに幸あらんことをお祈りします』と。

 あの時点ではまだ命を助けてもらった感謝もあり、慈愛溢れる言葉に感激の涙すらこぼした。今にして思えば「これから」が私に存在しないと知っていてあんな言葉を口にした聖女が憎い。憎くても何もできないことが追い打ちとなって私の気力が奪われていく。


「お父様は……国に残っているから」

「そっかぁ。早く来れたらいいね」


 嘘ではないけど真実でもない言葉を絞り出すのがやっとだ。それを無邪気に信じているジュリアに胸が痛む。いつまで誤魔化せるかそれを考える余裕すらない。ただこの瞬間さえ乗り切れればいい、それだけだった。


「お姉さま、わたし歩けない」

「……仕方ないなぁ、ほらおいで」


 再度の訴えに腰を下ろして背中を向けるとずしりと重さが掛かる。ジュリアがしっかり掴まったのを確認して歩き出した。

 けどそれも少しの間だけ。

 元々妹を優先していたからこの三日間まともに食べていない。そこに歩き詰めの疲労と遮るものの無い荒野の日差し、乾いた空気が私を苦しめる。おぼつかない足取りは小石を避ける事も出来ず足を掛けて転んでしまった。


「ジュリア!」


 背中の妹だけは放り出さずに済んだことに安堵する。静かだと思っていたら眠っているようで死んだんじゃないかと一瞬ヒヤリとした。うつ伏せの状態から腕に力を込め起き上がろうとしたら違和感に気付く。


「……あれ?」


 おかしい。力が入らない。何度地面を押そうとしても身体は一向に持ち上がらず時間ばかりが過ぎていく。

 今の私にはもう立ち上がる体力すら残っていない現実を突きつけられるとふっと全身の力が抜けた。


「もう……いいや」


 ここまで頑張ってきたけど流石に限界のようだ。誰もいないから独り言のように呟く言葉は止まることはない。


「ごめんなさい、お父様……お母様……約束、守れませんでした……」


 約束を破ってもそれを咎める者はもういないのに謝らずにはいられない。そこから脳裏に浮かぶのはかつて過ごした日々。

 両親がいて一人娘として大切にされていた幼少期。妹が生まれて母を亡くした時の悲しみ。妹と共に育った思い出。全てがまざまざと蘇る。


「……ん」


 ふと気が付くと辺り一帯の様子が変わっている。強い日差しで照らされた地面は暗く影に覆われている。雨でも降るのだろうか。暑いのは嫌だけど濡れるのも嫌だな、そう考えたところで私の意識は暗闇に飲み込まれた。

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