7
しばらく、静かな時が流れた。
アリアが考え事をしながら窓の外を見て、ユリウスは隣で黙々と本を読む。二人はしばらくそうしていたが、ふとした拍子にアリアが口を開いた。
「あのさ、ユリウス」
それを聞いてユリウスは本から目を離すと、アリアの方を向いた。
「ユリウスは、魔術、使えるの?」
アリアはそんなわかりきった質問をした。この世界の住民は誰しも、左目に特殊な力を宿して生まれてくる。世界の書き換えを魔術式に従って行う力、即ち魔術を扱う力だ。アリアのように右目に魔術式を構築する力を持って生まれてくるものはごく希少だが、左目の力を持たずに生まれてこないものなど聞いたことがない。だからこんなことを聞く必要は本当はないはずなのだが、アリアはこの質問には意味があると感じていた。何故なら……
「うん、使えないよ」
普通であればあり得ない返答が返ってきたにも関わらず、アリアはさして驚かなかった。アリアは薄々気づいていたのだ。ユリウスの光を失ったかのように濁った左目、先程の戦闘で魔力の供給を受けられず霧散した魔術陣。彼は既に左目に宿した力をなくしている。この結論にたどり着くのは、アリアでなくても容易だっただろう。実は、ユリウスのように左目の負傷により魔術が使えないものはそこまで珍しいものではない。魔術師同士の戦闘において、相手を殺すことの次に重要なことは左目を潰すことなのだ。魔術の発動中に魔術陣に魔力を流し込み、発動者に逆流させれば簡単に目をオーバーヒートさせ、永遠に魔術を使えなくすることができる。もちろん、魔力のコントロールに多くの集中力と何より才能が必要なので、『簡単に』というほど簡単ではないのだが、魔術のように相手に当てる必要がないことと、呪文などの予備動作がないことから、相手が長い呪文の詠唱に入った時などの隙を狙うことができる状況であれば、眼を負傷させて魔術を使えなくすることは一番の有効策なのだ。よって元軍人に左目を負傷しているものは多いのだが、そこで一つの疑問が生まれてくる。どうしてユリウスがそんな怪我を負っているのか、ということだ。ユリウスの年齢は高く見積もっても二十代半ば。帝国では一般的に早くても16歳での入隊となる。もしユリウスがかつて軍人出会ったとしても、十年近く大きな戦闘がなかったこの国において、入隊して数年の隊員が前線へ赴き、あのような傷を負う可能性は極めて低い。いったい彼に何があったのだろうか。アリアはそんな疑問を感じていた。
「どうして?きみは軍人じゃないだろう」
ユリウスはその言葉に、黙り込んで下を向く。
「そうだね……これは俺の罪の証だから」
ゆっくりと己に刻み込むような言葉は、アリアの胸の中にも鉛のように流れ込んできた。今まで感じたことのない重みに、アリアの言葉が詰まって出てこなくなる。
「きみは、いったい何を……」
ユリウスはふっと笑ってアリアの質問を止めた。そこに絶対的な拒絶を感じ取り、出てこなかった言葉が完全に力を失って消えてしまう。
ユリウスはそんなアリアを見て、なにかを振り払うように小さく頭を振って口を開いた。
「それより、お前はこんなところで寝てていいのか?何かやらなきゃいけないことがあるんだろ」
アリアはその問いにユリウスへの警戒心を一気に引き上げた。初めて会った時からユリウスは只者ではないと思っていたが、本当に自分にとって危険人物だったかもしれない。助けてもらったのはありがたいが、もし敵であるのなら容赦はしない。自分はここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
「どういう意味? 特に理由はないってさっき言ったと思うけど」
アリアはすぐにでも相手を倒せるよう密かに手を腰元の魔術石に近づけつつ、そう問い返す。ユリウスはそんなアリアを見て、驚いたように目を丸くする。相手が窮鼠のように予想外な行動に出ないようにぎりぎりの圧をかけるだけにおさめておこうと気をつけていたのだが、抑えきれなかった殺気が伝わってしまったかもしれない。アリアは後悔しつつ、ユリウスの次の行動を警戒した。すると、何故かユリウスは考え込むようにして下を向いた。そしてまたなにかを振り払うように頭を振ると、顔を上げる。
「幻術かけてあるだろう。ただ町に来るだけじゃ、自分の素性を隠す必要はないもんな」
「っ!わかってたの!? 」
アリアは咄嗟に跳ねてユリウスと間合いを取ると、ポケットから一つの青い魔術石を取り出す。石が光を放ち、アリアの手に小さなナイフを出現させる。やはりもうばれていたいたのだ。アリアはそう思い、すぐにこの場から逃げられるようにユリウスの喉元にナイフを突きつける。これでアリアがナイフに仕込まれた魔術を発動すれば、ユリウスは気絶し、自分は逃げられる。アリアにとって圧倒的に有利な状況だった。
「そう怒るな。俺は別にお前とことを構えるつもりはないんだ」
しかし、そんな状況でもユリウスは動じずにアリアの目を見つめている。いったいどうしてそんなに落ち着いていられるのかがアリアには分からず、より警戒心を強くする。そこでふと、先日危険を顧みず敵の前に姿を表したユリウスの姿が浮かんだ。この人はなにを考えているのだろうか。ユリウスの言葉の真意が知りたくなり、アリアは少し揺さぶりをかけてみることにした。
「つまり、何が言いたいんだい?」
アリアはすぐにでもユリウスの喉を貫ける位置を確保しつつ、今度はなるべく威圧的に問い詰めた。そんなアリアの様子に、ユリウスは再び考え込んだ表情になる。
「ほんとに、よっぽど知られたくない理由があるんだな。俺が言いたいのは、お前にはここへ来た目的があって、それが達成できなくなってるんじゃないかってことだ」
的を射た指摘に、アリアは一瞬言葉に詰まる。
「ふーん、別にないけど……って言っても、君には信じてもらえそうにないね」
残念ながら誤魔化すことは不可能そうだ。そう悟ったアリアは、最低限の情報を相手に渡すことにした。ユリウスが安心して持っている情報を話しやすい状況を作るために、アリアはひとまず首元に突きつけたナイフを下ろす。もちろんすぐに元の体制に戻れるような位置はキープしてあるが、アリアは薄々ユリウスが敵対行動を取る気がないということを感じ取っていた。
「詳しくは言えないんだけど、ぼくはある目的を達成するために、自由に使える人材が必要だったんだ」
「人材?それなら街の中央に傭兵団があるじゃないか。そこじゃダメなのか?」
アリアの提示した情報にユリウスはそう質問した。確かに、普通に考えれば何か荒事の依頼をするのなら傭兵団に頼むのが最も堅実だ。傭兵といっても、その実態は金で動く何でも家という側面が強く、莫大な金を払えばどんな仕事でもこなしてくれる。この国の傭兵団は、国が有事の際に協力する義務が課せられる代わりに、皇族や王族、貴族以外のどんな命令、法律にも従わなくていいという特権を与えられた、言うなれば「国家公認の犯罪集団」なのだ。よって、ユリウスが何かよからぬことを企んでいるアリアに傭兵団を進めることはごく普通である。だか、
「たしかに傭兵団に行けば間違いはないけど、傭兵団に依頼するには、身元を明らかにしなきゃならないんだよね…… 」
「なるほど。正体を明かすわけにはいかない理由があるんだな」
「うん、そういうこと」
アリアはユリウスと話しているうちに、失敗したという事実が重石のようにのっかかってくるのを感じた。これから挽回しなければ、そういう思いが焦りとなってアリアを急き立てる。
「とりあえず、そんなわけで足のつかない協力者を探してたんだけど、これじゃ八方塞がりだなぁって」
こんなところで無駄話をしている場合ではない。そう思ったアリアは話を切り上げると、素早く立ち上がった。結局ユリウスがなにを考えているかはわからなかったが、これ以上話していても有益な情報を得られることはないと判断し、アリアは好奇心より早急に果たすべき義務を優先することを決めたのだ。アリアは窓の方へ向くと、そのまま外に出ようとする。
「まあ、ここにいてもどうしようもないわけだし。ぼくは行くよ」
「待て、裏町はお前が一人で行って無事で済むようなところじゃない。またあの男が現れるかもしれないし、現れなかったとしても同じくらいの実力者は何人もいる。また殺されるのがおちだ」
ユリウスにそう言われ、アリアは少し驚いて目を開く。たしかに、ユリウスの言うことは正しい。アリアの中に「このままここにいる」という選択肢がなかったので、指摘されるまでもう一度裏町にいくことの危険と無意味さに気づいていなかったのだ。たしかに無意味だな、そう考えたアリアは、しかし口元に笑みが浮かぶのを感じていた。無理だとか不可能だとかは関係ない。自分は昨日あの塔を飛び降りてから、止まることができないと決まっているのだから。
「関係ないよ。もしこのまま止まるぐらいだったら、ぼくに生きている意味なんてない。もし死んでしまうとしても、止まらないことがぼくの生きる意味なら、ぼくは進み続ける」
そう言ってアリアはユリウスに背を向けた。これからブラフィルドとも合流しなければならない。幸いユリウスには自分をどうこうするつもりはないみたいなので、何もせずに立ち去ることができそうだ。アリアは目的を遂行するために、裏町の探索に戻ろうとした。ユリウスはそんなアリアを見て、なにかを言いかけ、言い淀んで下を向く。アリアは一度振り返ると、「じゃあ」と言ってもう一度背を向け、そのまま歩き続けた。
「待て」
突然後ろから自分を静止する声が聞こえて、アリアは静止する。
「どうして?ぼくはもう行かなきゃ行けないんだよ。申し訳無いけど、エーヴィへの言い訳はきみに任せる」
「いや、そういう訳じゃない」
ユリウスは静かに椅子から立ち上がり、アリアの目を見て言った。
「俺が力になろう」