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アリアたちがやって来たのはリセルフィアのアジトのある古ぼけた建物だ。アリアが襲われた場所よりさらに町外れに裏町の中を進んだ先にあるこの辺りは、裏町の中でも特に有力な裏組織が居を構える最も治安が悪い区画だ。その危険さといえば憲兵隊も迂闊に立ち寄れないほどで、アリアのような少女がここまでたどり着けたことが奇跡のように思えるほどである。おそらくユリウスが隣で眼を光らせていなかったら途中で攫われるなり殺されるなりしていただろう。
「で、君たちはどうゆう要件で来たのかな?」
棟梁と思しき男がアリアたちにそう問いかける。
先日暗殺集団の頭領と一悶着あったこともあって、やはりアリアたちは顧客としてでなく外敵として受け止められているようだ。周りの屈強な男たちからあからさまな敵意と殺意が飛んでくる。そんな中、10メートルほど先に、大きなソファーに腰かけた組織の棟梁、つまり目当ての男がいる。
「決まってるでしょ?仕事の依頼をしに来たんだよ」
そんなプレッシャーにも怯まず、アリアは堂々と要件を告げる。普段から周りの大人たちの策略と謀略に晒されて、時には命まで狙われながら生きてきたアリアにとって、この程度の圧力が跳ね返せないわけがなかった。
「仕事?面白い冗談だね、お嬢ちゃん。さっきまで殺りやってたやつと仕事しろっていうのか」
男はふざけたような表情で乾いた笑いをもらす。
「また、でもこっちも商売だからな。正当な報酬が払えるのであれば、君に協力しよう。で、いくら払えるんだ?」
男はそう言って手を叩くと、隣にいた手下に一枚の板を持って来させる。手下はアリアの元にそれを差し出した。その板には契約用の魔術式が仕込まれていて、契約内容が完了するまで契約者を追尾する術式が刻まれている。その板に払える金額を書き込み、契約する双方が魔力を流し込めば、契約は成立し、術式が効力を発揮するようになる。何か重要な契約をする上での一般的な手順である。にもかかわらず、アリアはその板を押し返した。アリアの予想外の行動に手下が怪訝そうな顔をし、すぐに表情を険しくする。
「今すぐ払える金はない。けど、ぼくの目的が成功したら、必ず誰よりも高い報酬を約束しよう」
棟梁の男はそれを聞いて驚いたように目を丸くすると、いきなり高笑いを始めた。男の笑い声が薄暗い室内に反響する。
「はっははは!お嬢ちゃん、こういう裏の世界では料金の先払いは基本だよ。そんなこともわからないようじゃ、君との契約は難しそうだ」
当然と言うべきか、棟梁の男の返答は拒絶であった。しかし、アリアはそんな男を見ても特に驚かず、むしろ最初からわかっていたかのような冷静さを保っていた。
「そう、じゃあ依頼は受けてもらえないんだね」
「うん。残念だけど、こっちも慈善事業じゃないんだ」
アリアはそれを聞いて覚悟を決めたかのように一度力強く頷く。
「なら、無理矢理でも受けてもらわなきゃね」
その瞬間、アリアの周りに魔術陣が浮かび上がった。その魔術陣は魔力の供給を受けられず霧散しようとするが、そこにアリアが魔力を注ぎ込む。
消えかけた魔術陣が再び形を成し、周りに雷を生成した。雷は荒れ狂う龍のように放射状に迸り、アリアの周りにいた男たちをなぎ倒す。
なんと発動しやすい魔術式だろうか。魔術の発動に神経をとがらせつつ、僅かにできた余裕から、アリアはそんなことを思った。大したことでは無いように聞こえるが、実のところ他人が使う魔術式を組み立てるというのは相当高度な、むしろ不可能に近い所業なのだ。
魔術の使えない人々は、先日の棟梁の男のように魔術石と呼ばれる道具に込められた魔術式を読み取って魔術を発動する。一方、魔術師は自力で魔術式を組み立てるのだが、その際自分の魔力の質や魔力を魔術式に流し込む時のくせに合わせ、無意識に自分にあった式を組み立てている。だから魔術師はその自分に最適化された魔術式で、一般の人々が魔術石を使って発動するものよりもはるかに強力な魔術を発動することができるのだ。しかし他人の作った魔術式を発動するとなると、もちろんそれは発動者でなく魔術式を製作したものの個性に合わせて作られているため威力が落ちる。それどころか、魔術式が一般化されている分魔術石の方が発動しやすいかもしれない。にも関わらず、ユリウスの魔術式はしっかりアリアの魔力の性質に合致していた。驚くべきことだが、ユリウスは魔術師が感覚で行うものを、頭脳を使って計算し行なっているのだ。一体どれほどの集中力と計算力、そして才能を必要とすることか。
「っ!お嬢ちゃん、いつの間にこんな魔術式を覚えたんだ!」
棟梁の男は回避行動をとりつつ驚いた表情を浮かべ、すぐ結論に至ったのかはっとした表情に変わった。
「この魔術式はお前のか!」
男はユリウスの方を向き、猛スピードで迫る。しかし、あともう少しというところで、アリアの雷が再び男を襲った。男はその攻撃をバックステップで回避するが、ユリウスとの間合いが開いてしまう。その隙を見逃さず、ユリウスは自身も後方へと跳んで男と距離をとった。
「行かせないよ。君はぼくとお話ししなきゃ」
再び距離を詰めようとする男に、アリアは体当たりを仕掛ける。本来であれば軽々と避けられてしまうであろうアリアの突進が、ユリウスの魔術式の力で視認できない速さまで加速する。
「くっ!」
すかさず防御をする男は、アリアとともに建物の外へと吹き飛んでいった。
・・・
壁や裏路地のゴミを吹き飛ばしながら、二人は少し広めの建物に囲まれた広場まで飛ばされ、そこで停止する。そのままの状態でいた時間はほんの僅かで、すぐに双方が後ろに飛んでお互いが距離をとって向かい合う。
「どうするんだ、こんなとこまで来て。ここじゃあの男の魔術式も届かないだろう」
アリアは答えずにじっと男を見続ける。
「あいつなしに勝てるのかい?」
アリアはその問いに首を振って答えた。
「多分無理。でも、君をアジトから遠ざけたのは君に勝ちたかったからじゃない」
男はその問いに怪訝そうな顔をした。
「ぼくは、君と二人きりになって話したいことがあったんだ」
そう言うと、アリアは首の後ろの髪の毛に隠れているところに人差し指で触れた。男が、アリアがなにかを仕掛けてくるのかと警戒して身構える。そんな男の目の前で、アリアの身体は首筋から溢れた光で覆われていく。その光は、アリアのありきたりな金髪と金の瞳を鮮血のような真紅に変えていった。驚く男の前で、アリアは先ほどまでとはがらりと変わった雰囲気を身に纏い、覇気のある声で告げる。
「わたしはシャスパ帝国第5属国カルンストルム王国第58代国王アリアレカエラ・レルクトール・カルンストルムです」
「おいおい冗談だろ」
男は呆れ果てた顔でアリアを見る。アリアはそんな男に、自らの手の甲を見せた。すると、そこに白い光の紋章が浮かび上がる。血のような液体で満たされた杯の絵は紛れもなくカルンストルム家の紋章である『勝利の聖杯』だ。そしてその紋章は鈍い光を放ち、男にアリアがカルンストルムの後継者であることを直感でわからせた。
これは世界三大古代魔術の一つである精神操作魔術、『王位継承権譲渡魔術』である。この魔術は王位を保持したものが退位した際、後継者と定めたものに自動的に魔術陣が受け継がれるようになっている。そしてこの魔術陣は、それを見たものにその者が王であることを認識させる精神操作魔術を発動する。未だに原理が解明されていない、古代から受け継がれている魔術の一つだ。この魔術によって、シャスパ帝国にある十個の属国では、継承権争いはほとんど起こらないし、正統な王を騙る族が現れることもないのだ。
「確かに、冗談じゃないみたいだな」
男は信じられないといった表情でアリアを見る。アリアは男が信じてくれたことを確信して腕を下ろした。アリアの手の甲の紋章が光るのをやめて薄くなり、やがて消えていく。
「でも、どうしてそんなお姫様がこんなところに?確か今この国は8年前のクーデターで……」
「はい、残念ながら現在は実権をクーデターの首謀者であるミラル公が握っており、わたしはこの国の君主となってから8年間、公の専横を止める有効な手を打てずにいます」
アリアは悲しそうに眉を寄せながら言う。男はその顔を見て何かを察したようだった。
「なるほど、それで俺たちに仕事を依頼しようってことだったんだな。それはすぐに報酬が払えないわけだ」
男は笑いながらアリアに問いかける。
「はい、わかっていただけて幸いです」
アリアもそんな男に柔らかな笑みで返す。
「で、報酬はいくらいただけるんだい?お姫様」
「そうですね、わたしの相談役の者がいないので確約はできませんが……」
アリアは少し考える仕草をする。そして先ほどのような笑みを浮かべて言った。
「軽く一億レンツほどでどうですか?」
その答えに男が唖然とした表情で固まる。一億レンツといえば現在のカルンストルムの一年分の国家予算の5%を占めるほどの金額だ。
「本当に払えるのか? そんな金額」
「え? ああ、大丈夫です。理由も理由なので、正規ルートが使えないと思いますが、裏ルートを経由して10年をめどに払っていきますから。もし心配なら契約魔術を交わしましょうか? 」
アリアはなぜそんなことを聞くのか疑問に思ったが、よく考えれば闇組織である彼らにどうやって政府が金を渡すのかは疑問に思って当然だと思う。料金未払いとなるならまだ良い方だが、最悪この依頼自体が高額報酬で犯罪者を釣る罠である可能性もある。アリアはそうした疑心を解くため将来の具体的な支払い方法を話したのだった。
男はその問いを聞いてもう一度目を見開くと、大口を開けて大胆に笑った。
「はっはっは! 確かに払えそうだね! 結構結構」
なぜ男が笑うのか理解できずにいるアリアに、男は手を差し出す。
「俺はカレヴァ・ブリッガル。コードネームはルイって言うんだ。仕事仲間としてよろしく頼むよ、鮮血姫さん」
アリアはいきなり差し出された手に困惑していたが、挨拶のためだと分かると、力強く握り返した。
「こちらこそ宜しく、ルイ。期待していますよ、我が国屈指の暗殺者さん」
こうして、アリアの『作戦』は遂に実行段階を迎えたのである。
・・・
「おつかれ、ユリウス! こっちはもう終わったよ」
話の終わったアリアとルイは、ユリウス達の元へ戻ってきた。アリアはもう一度幻術を発動し、金の髪と瞳に戻っていた。それと同時に、口調も12歳の少女らしい無邪気なものになっている。話しかけられたユリウスはルイの仲間と思われる少女と戦闘していが、戻ってきたルイを見た少女がユリウスへの攻撃をやめたため、ユリウスも追撃を止めてアリアの方を見た。
「いきなり戻ってきてどうしたの?そこの人、敵? 」
ユリウスと戦っていた少女はアリアを指差しながらルイにそう問いかける。ルイは首を振ると、「どうやらお代を払う目処があるそうだから、依頼に乗ることにした」と答えた。少女は首をかしげて不思議そうな顔をしていたが、一応アリアが敵でないということは理解したらしく、アリアに「いらっしゃいませ」と言って頭を下げる。
「アリア、一体どうやってあいつを説得したんだ?」
ユリウスはアリアの下まで駆け寄ると、そう口にした。
「えー。そりゃもちろん僕の持つカリスマ性と人望ゆえだよ! 」
ユリウスにまで自分の正体を明かす気は無いので、アリアは適当にごまかした返答をする。ユリウスは明らかに信じていない顔をしていたが、これ以上聞いても答えてはくれないだろうと二度は聞かなかった。
「それじゃあ、人も揃ったことだし、いっちょ旗揚げしますか! 」
アリアはそう言って腕を高らかに挙げた。これからの道のりを思えば消して楽では無いが、今だけはアリアの胸中は自由への期待で満ちていた。この日、アリアの人生は8年の時を経て再び動き始め、誰もが予想できない方向へと転がりだしたのだった。