第68話「暴食の再来」(2)
「そんなんで、死ぬわけないだろ‼︎」
ベルは即座にアローシャの魔法陣を展開し、腐炎を吸収する準備をする。ルナトでの戦いでベルは腐炎を大量に消費した。ここらでそのストックを増やすつもりなのだろう。
「アローシャの力をまともに使いこなせないお前に、勝てるかな?」
ベルゼバブの口から吐き出された腐炎は同じ場所で留まり、渦巻いている。やがて腐炎は巨大なハエを象った。茶色い炎で形成されたそのハエは、ベルの身体を容易く飲み込んでしまうほどの大きさがある。
茶色いハエは大きな羽を広げて、ベルに向かって飛び立った。
「………………」
ベルはそれに動じることなく、無言のまま右手を正面に突き出している。その掌からは、真っ赤に輝く魔法陣が展開され、巨大な茶色いハエが来るのを待っていた。
「何だ⁉︎」
その瞬間、ベルの予想だにしない事態が発生した。右掌から展開されていた魔法陣が忽然と姿を消したのだ。腐炎のハエがベルの目前に迫ったその時、ベルが最も頼りにしていた武器が姿を消した。
「くっ………‼︎」
迫る腐炎のハエを前にベルは何度も魔法陣を展開しようとするが、不思議なことに魔法陣は一向に現れない。右掌の炎の印は赤く輝くことなく、腐炎に呑み込まれるのをただ待っている。
腐炎のハエが迫る直前まで魔法陣を展開しようと足掻いていたベルだったが、ついにそれを諦めた。
ベルはリリとアレンの手を引っ張って、すぐさまこの場から逃れようと走り出す。
「アローシャの機嫌が良くないようだな。お前は逃げたりしないんじゃなかったか?」
必死に逃れようとするベルの様子を見て、ベルゼバブはニヤリと笑う。暴食の悪魔は蛇のような舌で、その緑色の唇を舐め回している。勝利を確信したベルゼバブは、ベルのオーブが自分の胃の中に収まった時のことを想像しているのだろう。
茶色い腐炎のハエはどんどん加速して、3人を追い詰めていく。腐臭を蔓延させながら、悪魔の胃の中から出てきた炎は、本物のハエのように素早い身のこなしを見せていた。
「ハァハァ……ヤバい!」
やがて腐炎がベルの背中に追いつこうとしたその時、薄暗い森の中に眩いばかりの光が差し込んだ。その光は暗闇を温かく照らし、森中に広がっていった。
「クソォ……次はこうはいかんぞ」
すでにベルたちのいる辺りは、温かい光に包み込まれていた。ベルゼバブはその光から身を守るように深くフードを被る。そして光に呑み込まれてしまった腐炎のハエは、そのまま溶けるように消滅してしまった。
その刹那、ローブで光を遮ろうとしていたベルゼバブにも光が届く。眩い光に包まれたベルゼバブは、腐炎のハエと同様に、光に溶け込んで消え去った。
「は?」
「消えた?」
ベルを含め、その場にいた全員が何が起こったのか分からずにいた。決して、ベルが何かしらの黒魔術を使ったわけではない。
辺りを見回してみると、さっきまでにそこにあったはずの呪いの椅子まで、綺麗さっぱり無くなっているではないか。
「どういうことだ?」
もはやこの暗黒の森は、光溢れる美しい森となっていた。キョロキョロと視線を動かしていると、木々の先に何やら道のようなものが見えて来た。
どうやら3人は、この森の出口までたどり着いたらしい。
なぜベルゼバブは突然現れて、間も無く姿を消したのだろうか。ベルにはあれが幻だとは、到底思えなかった。
「何とかここを出られるみたいだな」
ベルはリリとアレンの姿を確認すると、森の外へ向かって歩き出す。
「さっきのどういうこと?」
「お兄ちゃん、怖かったぁぁ!」
ベルゼバブの出現は、ベルだけでなくリリとアレンにも混乱と恐怖を与えていた。さっき現れたのが本物のベルゼバブだとすれば、忽然と姿を消してしまったのが不可解だ。無防備なベルに腐炎を当てる寸前であったにも関わらず、暴食の悪魔は消えてしまった。
「……………」
ベルは頭の中の整理がつかないまま歩いていた。彼が森の中で見たものはベルゼバブだけではない。恐怖の記憶だけではないのだ。それが、さらにベルを混乱させるのだった。
「おぉ何と!君たち、まさかこの森を抜けて来たとでも言うのかね?」
すると、突然森の出口付近にいた老人がベルたちに声をかけてきた。老人は流れるように真っ直ぐに伸びた白い髭を蓄えていて、ベルゼバブのようにフード付きのローブを着ている。フードと髭のせいで、その表情はよく見えない。
「…………そうですけど」
「こりゃたまげたわい。わしはこの森の管理人をしておる者じゃ。悪魔の呪いが掛かったこの森に足を踏み入れて無事に出てくるとは、大したたまじゃわい!」
戸惑うベルを見て、老人は大げさに驚いて見せた。一体この森には、どんな呪いが掛かっていると言うのだろうか。
「悪魔の呪い?その悪魔ってもしかしてベルゼバブですか?」
「いいや違う。その悪魔ではないのは確かなのだが、肝心の悪魔の名前が分からんのだよ。この森の所有者からは、悪魔の呪いが掛かっているとしか聞いておらん。この森は“幻惑の森”と言ってな、侵入者に幻影を見せるんじゃ。幻を見せて人を恐怖に陥れ、惑わせる」
「幻影?」
「そうじゃ。この森では、侵入者の記憶から幻影が作られる」
これではっきりした。森の中でベルたちが見たものは、すべて幻だったのだ。
しかしベルには引っ掛かる点があった。
「でも俺が見た幻影は、俺の知らないはずの知識を喋ってました」
「ほう、それは興味深い。この森の幻影は、侵入者の記憶からのみ形成される。知らないはずの知識を与える幻影……呪いは眠った記憶を掘り起こすのかもしれん。君はその幻を見た時、1人だったかね?」
「いえ、3人一緒でした」
「ふむ、それなら話は変わって来る。君たちが見た幻影は、君たち3人の記憶から作られた。それなら誰かが知らない知識を喋るのも、十分あり得るだろう。他に可能性があるとすれば、1つの身体に2つの魂を宿している場合かのぉ」
「……………」
老人の言う通り、ベルという1人の少年の身体は、2つの存在が共有している。幻影のベルゼバブがベルと問題なく会話していたことを考えると、その記憶の源がアローシャであった可能性も考えられる。
「ふむ……心当たりがあるようじゃな。まあ、そういうことじゃ」
管理人は、それ以上ベルを追求することはなかった。まるでベルの素性を知っているかのようだ。
「……………」
何かを知っている素振りを見せる管理人を、ベルは警戒した。
「ほっほっほ。そんな目で見らんでも、わしが君を脅して、どうにかしようなんてことはない。先を急ぎなさい」
管理人は疑いの目を向けるベルを笑い飛ばす。ベルの想像通り、この老人はベル・クイール・ファウストについて少なからず知っているようだ。
「……………………ありがとうございます」
ベルは居心地の悪さを感じながら管理人に対して一礼すると、森の先へ続く道へと一歩踏み出した。それに続いて、リリとアレンも管理人におじぎして、歩き出す。
「よし!あとはエリクセスに行くだけだな!」
「ベル、ここがエリクセス方面の道だって確証はあるの?」
数多の困難を乗り越えてようやくエリクセスへの道を歩む3人だったが、リリはふと疑問を抱いた。何とか幻惑の森を抜けることが出来たが、今いるこの場所がエリクセス方面に通じる道だという確証ははい。
もしかしたらルナト方面の道に逆戻りしている可能性だって、十分にあり得る。
「………………ないっ‼︎」
あまりにも自信たっぷりに断言するベルを見て、リリは思わずズッコケそうになる。
これはこの先が思いやられる。リリは天を仰いで、この男について来たことを軽く後悔するのだった。彼女の心配事など知る由もないアレンは、笑顔を振りまきながら、2人について行く。
最後まで読んでいただき、ありがとうござます!
結局ベルゼバブは幻でした笑
ベルたちは無事にエリクセスにたどり着けるのか⁉︎




