第65話「星屑の泉」(1)
危なっかしいリリの運転で王都エリクセスを目指すベルは、とある記憶を思い出していた。
改稿(2020/09/25)
Episode 7: The Mark of Fire/炎の印
乾いた日差しが照りつけている。大きな砂利の転がる悪路を、1台の軍用車が走り抜けた。その車体は大きく跳ね、時にはまるで飲酒運転をしているかのように蛇行する。そんな深緑色の車を運転しているのは、リリだ。
「お前、ホントは車の運転の仕方なんて分からないんじゃないか?」
「わ、分かるわよ!………昔お父さんが運転してるのを助手席から見てたから……」
それは運転の仕方を知らないも同前だろとベルがツッコミを入れようとした時、車体が大きく揺れる。
「おい、もっと優しく運転出来ねーのか?」
リリの乱暴な運転に、ベルは何度も身体のあらゆる部分を車内にぶつけていた。彼らの乗る車内は決して広いわけではない。ただでさえ狭いのに、眼帯をしたアレンが海賊気取りで手足を伸ばして遊んでいる。
「優しくしてる余裕なんてないの!集中してるんだから、話しかけないでよね!」
車の運転に意識を集中していたリリは、ベルに話しかけられてイライラしている。急アクセル・急ブレーキに蛇行運転。お世辞にも上手とは言えない運転だが、当の本人は真剣そのもの。
「…………………」
この先が思いやられる。ベルはそう言いたかったが、敢えて口には出さなかった。リリの運転する車に乗って、車酔いしないのが不思議なくらいだ。しばらくして、危なっかしい運転をする車は森の中へと入って行った。
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背の高い木々が立ち並び、辺りを照らしていた日差しが遮られる。森の中を進んで行くと、まだ昼なのに、夜のように真っ暗な光景が広がっていた。
森の中に入っても、車内が落ち着くことはなかった。リリの運転する車は、まるで遊園地のアトラクションのように激しく揺れ、ベルの気が休まることはない。
少しでも気を紛らわせたかったベルは、少し前のある体験を思い出していた。
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それは1年前のことだった。
アローシャとベルゼバブの手によって、ラビトニーの監獄を抜け出したベルは、広大なアムニス砂漠にたどり着いていた。リミア連邦とセルトリア王国を結ぶ果てしない砂漠。賢い人間なら、絶対に足を踏み入れない危険な領域。
当時右も左も分からなかったベルは、険しい砂漠に足を踏み入れてしまった。一心不乱に監獄町から逃げて来たベルの視界は、曇っていた。この時の彼の目には、何も見えていなかったのだ。
「ここどこだ…………?」
砂漠に侵入して数時間ほど経って、ようやくベルは自分が砂漠にいることに気がついた。灰色の囚人服に身を包んだベルだけが、ただ1人砂漠にいる。
辺り一面に広がるのは、代わり映えのしない黄色い大地。黄色い大地は、まるで絵の具で塗りつぶしたかのように見渡す限りどこまでも広がっていた。
「俺、何してるんだ?」
誰もいない、だだっ広い大地にただ1人佇むベルは頭が真っ白になっていた。この時の彼は、ベルゼバブから衝撃的な事実を告げられた直後。自分が脱獄して人間を殺した。あまりにもショッキングなその言葉を聞いたベルは、一時的な記憶喪失になっていた。
「俺は…………誰なんだ」
あまりに大きいショックが、ベルの記憶を奪った。一時的ではあるものの、今の彼は自分の名前すら思い出せない。いわば空っぽの状態だ。
空っぽのベルは、あてもなくただひたすら砂漠を歩き続ける。脱獄直後でまともな食事も取っていない16歳の少年が、たった1人で過酷な砂漠をゆっくりと進む。屈強な大人たちでも、決して足を踏み入れることのないアムニス砂漠。
この場所には人智を超えた化け物が潜んでいると言う者もいるが、人々が避ける1番の原因は、その環境にあった。乾燥しきった砂漠では、昼間は焼けるように暑く、夜は凍えるように寒い。
十分な食料も持たずにこの砂漠に侵入してしまえば、あっという間に死んでしまう。加えてこの砂漠はアドフォード全土より遥かに広い。たとえ十分な食料を持参していても、吹きすさぶ砂塵と、どこまでも変わらない景色のせいで、簡単に目的地にたどり着くことは叶わない。
それだけではない。アムニス砂漠には、迷い込んだ者を狙う盗賊も潜んでいる。砂漠を知り尽くした彼らは、特定の短い時間だけ砂漠に姿を現しては、旅の者を狙う。食料を持っていても、彼らに奪われては意味がない。
様々な危険性を秘めているアムニス砂漠。後先考えず逃げ続けるベルのような人間しか、この地に足を踏み入れることはない。
ベルはすでに、半日以上アムニス砂漠の中を歩いていた。約10年間を牢獄の中で過ごして来たベル。特にここ最近は、まともに食事を取っていなかった。体力的にもすでに限界を迎えているベルだったが、本能的な生への執着が、彼の身体を突き動かしていた。
「……………………」
ベルの身体が限界を迎えるのに、そう時間は掛からなかった。数時間もしないうちにベルは足を動かすことが出来なくなり、砂地に膝をつく。ついた膝は、深い砂に埋もれていく。
ベルは本能的に、自分が死ぬことを理解していた。
死の瀬戸際になっても、ベルの記憶は取り戻されないまま。
自分が何者で、なぜここにいるのかさえも分からないまま、ベルは気を失った。
死を間近に感じていても、何も思い出せないベルに恐怖はなかった。
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「おぉ、気がついたか」
どれだけの時間が経ったのかは分からないが、目を覚ましたベルの耳に誰かの声が届く。
ベルの目前に広がるのは、息を呑むほど美しい光景。青々と茂る草木が視界を埋め尽くし、頭上には真っ青な空が澄み渡っている。ベルを囲む草木は色取り取りの花を咲かせ、見ているだけで幸せな気分になれるかのようだ。
視線を下に動かせばそこには透き通った水が見える。それは青空をそっくりそのまま映したかのように、真っ青な水溜まり。どうやら小さな泉のようなものが、そこにはあるらしい。
それは1度は話に聞いた砂漠のオアシスのような光景だが、そのあまりに美しい光景に、ベルは自分が死んでしまったものだと思っていた。ここは天国か何かなのだと。
「ほれほれ、こっちじゃ」
ベルが辺りの景色に目を奪われていると、突然後頭部に痛みを感じる。
「………………」
その痛みに、ベルは思わず振り返る。
振り返った先には、こちらに突きつけられた木製の杖があった。その杖は先がコブのようになっていて、偉大な魔法使いや仙人が持っているそれのようだった。
杖には透き通った青い球がついていて、コブの中心にも何やら青く輝くものがあった。水晶のようなものを巻き込むように、木が渦巻いている。その杖は、神秘的な雰囲気をまとっていた。
そこにいたのは、無造作に生えた白髪と、白い髭に顔を覆われた老人だった。長く真っ白な眉毛に覆われていて、ベルは彼の瞳を見ることが出来ない。
そして、謎の老人は茶色いローブに身を包んでいた。
それは、1年後ベルが初めてアドフォードを訪れた時に着ていたものと全く同じだった。砂のような色をしたローブに、不思議な模様が施されている。
何より特徴的だったのは、彼の頭にツノが生えていたこと。彼の頭部には、真っ直ぐに伸びる一対の太いツノが生えていた。それはまるでヤギのようだった。顔が真っ白な毛に覆われているため、なおさら彼はヤギのように見える。
「…………ヤギ?」
自分は死んだものだと思っているベルは、思わず考えていたことをそのまま口に出してしまう。
コツン!
「バカモン!わしはヤギではない!ブルーセと言うちゃんとした名前がある!」
気分を害したブルーセは、持っていた杖でベルの頭を叩く。
「ブルーセ……俺は誰なんだ?」
「お前さんが何者か。それを語る前に、色々と説明せねばな。この場所についても、色々と教えてやろう。お前さんが何者かと言う答え以外をな」
ブルーセは、ベルには到底理解出来ないことを口にした。なぜ彼は質問に答えようとしないのか。そもそも、彼はベルのことを知っているのだろうか。
「この地は幻の地。人々はこの地を噂するが、実際に見たことのある者はほとんどおらん」
ブルーセはベルの目の前に座り込んで、話を始める。それを見たベルは、ブルーセの真似をして座り込んだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
アドフォードを訪れる前、ベルは不思議な体験をしていた。突如現れたオアシスと謎の老人。彼がベルにもたらすものとは……




