第63話「吸血鬼の涙」(1)
塔の上の決戦を終えたベルは、礼拝堂に戻る。
主人を失った月衛隊、そして全てを曝け出した吸血鬼の少女の末路とは……
改稿(2020/09/23)
Episode 6 : The Ruined Wedding/破られた婚儀
礼拝堂の扉は大きな音を立てながら、ゆっくりと開かれる。扉の奥にいた者たちの視線は、入り口に集まった。バーバラたちも、月衛隊も、誰もがベルとエミリアの姿を目の当たりにする。
月衛隊の戦士たちは大多数が負傷し、ベンジャミンだけがランバートらと交戦している状態だった。月衛隊が大きなダメージを負っているように、無神論者の同志たちも苦戦を強いられていた。
バーバラは左脚を切り落とされ、動く事すらままならない。リリはバーバラに付きっ切りになっていて、とても戦力にはならない。
手持ちの爆弾がなくなってしまったアレンは為す術もなく、物陰に隠れている。バートは脚の傷が広がり、何とかベンジャミンに抵抗している状態。まともにベンジャミンと戦っているのは、ランバートだけだった。
「⁉︎」
しばらくランバートとの戦闘に意識を集中していたベンジャミンだったが、すぐにベルの存在に気づいた。
ベルが教皇のもとへ向かうのを、ベンジャミンは横目に確認していた。そんなベルがほぼ無傷で、エミリアを連れて礼拝堂に戻って来ている。
「全員撤退!」
ベンジャミンはランバートたちの前から身を引き、月衛隊全体に指示を出した。逸る気持ちを抑えられなかったのだ。
教皇に何かが起きている。一刻も早く教皇の無事を確認しなくては。その想いだけが、彼を突き動かした。負傷した月衛隊が次々と礼拝堂を飛び出して行く中、ベンジャミンは2人の月衛隊を呼び止める。
「待て。我々は最上階へ向かう」
ベンジャミンが呼び止めたのは、ジム・コリーと、もう1人。フードで顔を隠した正体不明の月衛隊。
彼らはベルとエミリアに構う事なく、焦りを隠せない様子で階段を駆け上がっていった。
「…………どうやら、ひとまず落ち着いたみたいだね」
バーバラが重い口を開く。さっきまで激しい戦いが繰り広げられていたのが嘘のように、礼拝堂内は静まり返っている。
この場には、何とも言えない虚しさが広がっていた。バーバラやレイリー。この場には多くの負傷者がいる。
「我々も退散しよう。一旦退いて次の戦いに備えるべきだ。
…………それにしても、アイツらはまだなのか」
負傷者を抱え、戦力も大幅に削られてしまった今は、逃げるのが得策。ランバートは最善の指示を出した。
「チッ、仕方ないね。アンタの言う通りだ」
常に司令塔として、誰よりも先に指示を出して来たバーバラは、素直にランバートの提案を呑んだ。
ベルとランバートは、すぐにバーバラの両肩を支えた。片脚を失った彼女は、1人で歩く事が出来ない。
「ほら、アンタらもボサッとしてないで、さっさと帰るよ!」
近くに座り込んでいるリリと、礼拝堂の隅に座り込んでいたアレン、そして近くで呆然としているバートは、バーバラの声により、ようやく動き出した。
これを機に、同志たちも一斉に礼拝堂を後にする。無神論者の同志、月衛隊の去った礼拝堂は、さらに静まり返った。
礼拝堂を去る間際、エミリアは後ろを振り返った。そこには、倒れて動かないレイリーの姿がある。未だにレイリーのことを友達だと思っているエミリアは、一瞬そこで立ち止まった。
しばらくレイリーの姿を見ていると、仰向けに倒れた彼女の胸部が微かに上下しているのが確認出来た。レイリーは生きている。それを確認したエミリアは、どんどん礼拝堂から遠ざかっていく仲間たちの背中を追いかける。
「後で迎えに来るから……」
エミリアは、敢えてこの場でレイリーを連れ帰らなかった。同志たちは皆、レイリーが裏切り者である事を知っている。実際に話を聞いたのはベルとエミリアだけだが、ベルとレイリーが戦っている所は、誰もが見ていたはず。
余計な混乱を招かないためにも、エミリアはレイリーを連れ帰る前に、皆に説明しようと考えていた。
完全なる静けさに包まれた礼拝堂に残されたのは、レイリーただ1人。彼女がベルに敗れて、しばらく時間が経った。あの時は目を見開いて倒れていたレイリーだったが、今やその目は閉じかけている。
「………………」
ほんの少しだけ回復したレイリーは、ゆっくりと時間をかけて首を動かした。血の呪いによる負荷のせいで、彼女は自由に身体を動かせなくなっていた。
やっとの思いで首を動かせば、その先に広がるのは誰もいない礼拝堂。ベルとの戦いに敗れた後、月衛隊とバーバラたちの戦いがどうなったのか、彼女には知る由もなかった。
レイリーは、ベルが塔の上に向かい、無事に帰って来た事を知らない。エミリアが帰って来た事さえも知らなかった。
「私は間違っていたの……?」
レイリーはほとんど聞き取れないほど、かすれた声で囁いた。この時彼女の頭の中では、走馬灯のように様々な記憶が思い返されていた。
両親から捨てられた記憶、ベンジャミンから育てられた記憶、ベルたちと過ごした記憶。
彼女を拾ったのは、教皇の指示を受けたベンジャミン。
そして、ベンジャミンは教皇の指示で、レイリーの面倒を見て来た。レイリーを育て上げたのはベンジャミンであり、決して教皇ではなかった。彼女にとっての父親は、紛れも無くベンジャミンだった。
「楽しかったな………」
様々な記憶が思い起こされる中、彼女の頭の中で何度も再生される記憶があった。
それは最も新しい記憶。バーバラ、エミリア、バート、ベルやリリと過ごした偽りの日々。教皇に刃向かう黒魔術士の町娘としての記憶。眠りの呪いについて調べたり、エミリアとコイバナをしたり、ビースト・ロードに挑戦したり、ベンジャミンと戦ったり、偽の情報をバーバラに報告したり。
偽りの自分を演じていたはずだったのに、レイリーは気づかぬうちにそれを楽しんでいた。もしかしたら、ベルたちと過ごしたレイリーこそが、本当の彼女だったのかもしれない。
月衛隊としてのレイリーは、常に自分を救ってくれた教皇に恩を返すために行動をして来た。そこに楽しさは微塵もなかった。
しかし、偽りの日々は彼女に楽しさを与えた。
そして、彼女の心に疑心をも生じさせていた。
それまでレイリーは教皇とルナト教を絶対的な存在として信じて、疑う事はなかった。
ところが、いざ無神論者として生活してみれば、教皇やルナト教に対して疑問を抱く事が多くなっていった。教皇のため、ベルに全力で挑んだレイリーだったが、その胸中は非常に複雑だった。
真実を打ち明け教皇に尽くす者として様々な発言をした彼女だったが、口を開く度に、自分自身の言葉に疑問を抱いていた。
本当に教皇は自分の命を救ってくれた、神のような存在なのだろうか。ルナト教は人々の心の拠り所となっているのだろうか。果たしてそれは、命を賭けてまで守るべきものだったのだろうか。そこに、呪いを背負うほどの価値はあったのだろうか。
今や、彼女の疑心は確信に変わりつつあった。
「ごめんなさい、エミリア……バート」
レイリーの目からは、涙が溢れていた。その真意は不明だが、エミリアに血の呪いを背負わせてしまった事への後悔と謝意だろう。
エミリアの名前だけでなく、レイリーはバートの名前も口にした。つまり、バートまでもが吸血鬼のコピーだったと言うことだろうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
満身創痍でこれまでの出来事を振り返るレイリー。思い返せば思い返すほど、彼女の中で後悔の念が膨れ上がった。




