第62話「夜明けの炎」(1)
窮地に陥ったベル。ルナト最終決戦を制す者とは⁉︎
改稿(2020/09/22)
ベルは屋上の端に掴まり、教皇はそのベルを落とそうと近づいて来る。その様子を見ているエミリアは、何もする事が出来ないでいた。ベルは圧倒的不利な状況に陥っており、このままでは教皇を倒すどころか、屋上から落ちて死んでしまう。
「呆気ないものだな。さっきまでの威勢はどこに行った?」
ついにベルの左手の前にたどり着いた教皇が、余裕たっぷりに口を開く。もはや決着はついたも同然。圧倒的有利な状況にいる教皇は、ゆっくりとベルの左手を踏みつけた。
「ぐぅっ!」
刺すような痛みが、ベルの左手に走る。ベルは全身の力を左手に込めていた。全神経を集中している左手を踏みつけられたら、感じる痛みは計り知れない。踏みつけられている時間が長くなればなるほど、ベルが左手に込める力は弱まっていく。ベルの左手はひどく出血していた。
「そのまま死ねブラック・サーティーン。死ねばその悪魔からも解放されるだろう」
勝利を確信した教皇は、ベルの左手を踏みつける足に込める力を、一気に強めた。
「うぐっ!」
この一撃がベルにトドメを刺した。その痛みに耐えかねたベルは、ついに左手を放してしまった。教皇の勝利と言う形で、この戦いは終わりを迎えようとしている。
「?」
その時、何かが赤い輝きと共に教皇の頭上を通り過ぎていった。
ゆっくりと教皇が後ろを振り返ると、そこにはベルの姿があった。教皇はベルが屋上から落ちる瞬間を目撃していたが、彼の姿は確かに目の前にある。教皇の動揺する顔を見て、ベルは笑っていた。
「何が起こったか分かってないみたいだな。ちょっとした手品の応用さ」
あの瞬間、左手を放したベルは、ある行動に出た。自由の効く右手を自身の腹の下に移動させ、掌を上向きにする。
そして、ベルは魔法陣から炎を発動させたのだ。
それはただの魔法陣ではなく、幾重にも重なったバーニング・ショット用の魔法陣だった。ベルは一か八かの覚悟で、自分自身に腐炎によるバーニング・ショットを放ったのだ。
バーニング・ショットの勢いを利用して、ベルはそのまま屋上に身体を戻そうと考えた。結果として、その試みは成功した。勢いよく噴きあげる噴水に押し上げられるように、ベルは屋上に舞い戻った。
「………少しはやるようだな」
教皇は苦い顔をしている。勝利を確信して決め台詞まで吐いた教皇は、虫の居所が悪いようだ。
「ブラック・サーティーンを舐めてもらっちゃ困るぜ」
「大口を叩いていられるのも今のうちだ」
「それはどうかな?」
教皇はさっきと打って変わって、本気の殺意を込めた眼差しをベルに送っていたのだが、当の本人はそれに気づいていない。
「ワシ直々に殺してやろう。死ぬがよい」
教皇は携える杖を天高く掲げた。杖の先についた三日月十字のオブジェが夜空に溶け込む。
すると、まるで夜空が集まるかのように、三日月十字の上に、紫色の輝く液体が生成された。
その液体はしばらく球状に形を保ったが、無数の粒に分かれると、放射状に飛び散った。紫の液体は、ベル目掛けて飛んでいく。
「…………………」
その液体の正体を知らないベルは、ひとまず腐炎を使い、向かって来た液体を蒸発させた。正体が何にせよ、この紫色の液体に触れる事は避けた方がいい。それだけはベルも分かっていた。
ベルが攻撃を防いだその直後、教皇が再び同じ行動に出る。三日月十字の上に生成された紫の液体は、再び放射状に飛散した。その様子を、ベルは溜め息をつきながら見ていた。何度同じことをされても、ベルは腐炎で防ぐのみ。
しかしベルは、途端に冷静でいられなくなる。飛散した液体の1粒が、エミリアを狙っていたのだ。この時ベルは思い知ることとなる。これは単なる1対1の戦いではない。ベルは、エミリアを護りながら戦わなければならないのだ。
急いでエミリアの前に駆けつけたベルは、瞬時に魔法陣を展開し、腐炎で紫の液体をかき消した。
「⁉︎」
その直後、ベルは左手に何かが当たったのを感じた。謎の液体の1粒だ。ベルが恐る恐る左手を見ると、その手は紫に染まっていた。ベルは、何かが傷口から侵入して来るような、気持ちの悪さを感じていた。
「よそ見しているからだ。それが何だか分かるか?」
「何だ?」
「毒だよ。左手の傷口から入った毒は、お前の身体を侵していく。貴様が死ぬのは時間の問題だ」
教皇の口から、紫色の液体の正体が明かされた。衝撃波や洗脳に加え、教皇は毒までも操ることが出来る。
「クソ………」
ベルは、すでに毒が身体に回り始めているのを感じていた。それでも、教皇と戦わなければならない。
エミリアの肩を抱いたベルは、レイリーと戦った時と同じ要領で、炎の盾を作った。今度は腐炎の盾だ。
足元に2人を包む大きな魔法陣を展開し、天に掲げた右手から展開した魔法陣で、頭上も守る。四方八方に拡散する有効範囲の広い毒の攻撃に対処する方法は、これしかなかった。
それはベルにとって最強の盾。毒が全身に回ってしまう前に、腐炎の盾で教皇を倒さなければならない。
「実に便利な黒魔術だ。だが、いつまで持つかな?」
教皇は、容赦なく攻撃を続ける。ベルの体内にはすでに、毒が侵入している。教皇はそのうちベルが力尽きる事を予測し、絶え間なく攻撃を続けた。
「俺はまだピンピンしてるぜ?俺が倒れるのが先か、アンタが俺に殺されるのが先か」
ベルはこの期に及んでも、余裕を見せつける。それがベルの戦い方だった。本当は少しずつ身体が重くなって来ているのを感じていたが、彼は決してそれを表に出さなかった。
「威勢だけは良いな。お前に余裕がない事くらい、術者であるワシが1番よく分かっておる。大人しく死ね!」
ベルの態度は、教皇の癇に障った。毒を食らっても大口を叩き続けるベルを見て、教皇はさらに攻撃の勢いを強める。
毒の雨降りしきる中、ベルはエミリアをかばいながらゆっくりと教皇に近づいた。
紫の雨粒は、腐炎の盾の前に虚しく消え去る。毒の雨は超高温に熱せられて、蒸発していった。腐炎の圧倒的な威力を見せつけるベルだが、その身体は確実に弱ってきている。
「もう……ちょっと……」
死に物狂いで教皇のいる場所を目指すベルは、息が上がっていた。足を運ぶ速度もどんどん遅くなり、今ではもうほとんど進んでいない。
そんなベルの様子を見て、教皇の笑いは止まらなかった。どれだけ威勢が良かろうと、身体は嘘をつかない。
「うっ………」
そして、ついにベルはバランスが取れなくなり、体勢を崩す。今まで支えられていたエミリアが、今度は反対にベルを支える。
ベルが倒れてしまった事で、彼らを包む腐炎の盾はすっかり姿を消してしまった。もはや絶体絶命だ。このままでは毒の雨を浴びて、死に急ぐのみ。
「…………離れてろ」
エミリアを護る力さえもなくなってしまったベルは、彼女を右手で突き放した。体力もほとんど残されていない状況下で、仲間を1人かばいながら戦う事は不可能だった。
エミリアはもう1度ベルを支えようとしたが、ベルの真剣な目つきを見て、その場に留まった。このままではエミリアまでもが、毒の雨の危険に晒されてしまう事になる。
今のベルは攻撃を回避する事より、一刻も早く教皇に勝つ事を考えていた。勝ちさえすれば、星空の雫を使って後で回復すれば良い。絶え間ない猛攻を受けている今は、その回復さえままならない状況だ。
「どうやら、お前が倒れるのが先のようだな」
腐炎の盾を失ったベルを見て、教皇は勝ち誇った様子で笑顔を見せる。それから杖を頭上に掲げるのをやめ、三日月十字のオブジェをまっすぐベルの方へと向けた。
これはベルにとって結果オーライだった。教皇は攻撃の対象をベルだけに絞った。エミリアのことを考える必要のなくなったベルは、安堵する。
「その哀れな人生、終わらせてやろう!」
そう叫んだ教皇は再び毒の猛攻を始めた。今まで上空から降り注いでいた毒の雨は、真正面からベルに飛んで来る。
飛んで来る毒に対し、ベルは腐炎を放って対抗した。教皇のもとへたどり着くまでは、同じ手段を取るしかない。ブラッディ・レインを使って攻撃を仕掛ける事も出来るが、体力がもうほとんど残っていないベルにとって、そのような大技を仕掛けるのは不可能に近かった。
「⁉︎」
前方から飛んで来た毒を一通りかき消したと思っていたベルは、突然背中に衝撃を感じる。教皇に視線を移すと、彼の右手はベルの方を向いている。
どうやら、礼拝堂でエミリアに使ったのと同じように、ベルを引き寄せたようだ。衝撃波によって、ベルは一気に教皇に接近させられた。
「ふざけんな!」
教皇は再び毒の雨を放つ。それに対してベルは腐炎で防御するのみ。毒の雨を前方から浴びせ続けられたベルはどんどん押し戻されて、再び同じ位置に戻された。
ニヤ……
教皇が背筋の凍るような笑みを浮かべると、またも同じ事が起こる。
ベルは衝撃波により教皇の前に吹き飛ばされ、吹き飛ばされた先で、毒の猛攻に押されて同じ位置に戻る。その間ベルは、必死に毒を炎でかき消す。
このような事が十数回繰り返され、すでにベルの体力は限界を超えていた。
「ハァハァ…………」
ベルは膝から崩れおち、床に這いつくばった。身体は自由が効かなくなり、視線を上げて教皇を睨みつけるのが精一杯になっていた。もはや、指1本動かすことすら難しい。毒の浸透速度は速く、確実にベルの身体を蝕んでいた。
「ハハハハハハハハ‼︎貴様は本当に愚かだな。簡単な仕掛けにも気づかぬとは」
教皇は高笑いしながら、倒れたベルに近づく。
「…………何のことだ?」
毒はベルの頭まで曇らせてしまう。いつものように考えを巡らせる事が出来ず、ベルはただ教皇を睨みつける事しか出来ない。
「気化毒だよ。お前が焼き消し蒸発させたところで、ワシの毒は気化して残り続ける。頭上で蒸発しても、空気より重いワシの毒は、沈下する」
「⁉︎」
その言葉を聞いた途端、ベルはエミリアの方を振り返ろうとするが、身体が言う事を聞かない。
「安心しろ。エミリアはワシの花嫁だ。傷つけるつもりは最初からない」
「ふざ…けんな………」
ベルは教皇の計画的な攻撃を前に、倒れてしまう。最後まで教皇を睨みつけていたベルだったが、次第に瞼は重くなり、ついに意識が途絶えてしまった。教皇に勝つ術は、もはやないのか。
「騎士様‼︎」
動かなくなったベルを見て、エミリアが叫ぶ。その声は恐怖に震え、その瞳には涙が湛えられている。
「ハハハハハハハハ‼︎」
静かな屋上に、教皇の笑い声だけが響き渡る。その余韻は悲しさを孕んでいた。
この瞬間、同志たちの希望を一身に背負ったベルは敗北した。希望となるはずだったレイリーは仲間を裏切り、他の仲間たちも、月衛隊の相手をするのに手一杯。もはや教皇を止める者はいない。
「ハハハハハ………あ?」
完璧なる勝利の余韻に浸り、高笑いを続ける教皇だったが、しばらくするとその声がぴたりと止む。
次の瞬間、教皇の目に飛び込んで来たのは、真っ赤な輝きだった。
「一体どうなっている⁉︎」
教皇は動揺を隠せない。倒したはずの敵が目の前で立ち上がっているではないか。毒の黒魔術に倒れたはずだったベルは、深紅の炎を身にまとって、立ち上がっていた。確かに、教皇はベルにトドメを刺したはずだった。
「人間というものはつくづく馬鹿な生き物だ。私の炎を何だと思っている?」
再び開かれたベルの両の瞳は真っ赤に染まり、顔つきも、普段の彼とは似ても似つかない。そこにいるのは外見こそベル・クイール・ファウストのようであっても、彼ではない。彼の中に眠る悪魔アローシャだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ベルは教皇の毒に倒れ、アローシャが目を覚ます。
教皇VS悪魔アローシャ。悪魔のような人間と、全てを焼き尽くす悪魔の戦いが始まる!




