第56話「泥土の花道」【挿絵あり】
ついに、結婚式の日が訪れる。
改稿(2020/04/27)
Episode 4: The Unwanted Wedding/結婚式
ルナトの上空には、真っ黒な雲が広がっていた。すでに雨も降り始めている。
この日、この町では重要な儀式が行われる。教皇の結婚式だ。ルナト教を信じる者にも、バーバラたちにとっても非常に重要な日。この時、ベルとレイリーがベンジャミンと戦ってから、すでに3日が経過していた。
薄暗いルナトの町は、セント・ルナト・タワーに向かう人々で埋め尽くされている。ルナト教信者にとって神に等しい教皇の結婚は、誰もが見たくてたまらないもの。民間人にその姿を見せることはほとんどない教皇が、この日公の場に姿を表す。町中の関心が集まる重要な儀式だ。
そんな中、町の中央の道を歩く2人の人物がいた。1人は月衛隊のマントに身を包んだベル。
そしてその腕に支えられているのは、ウェディング・ドレスに身を包んだエミリアだった。彼女はヴェールで顔を隠しており、辛うじてその表情が確認出来る。花嫁は浮かない顔をしている。
絶対にエミリアを教皇と結婚させない。それがバーバラたち全員に共通した意志。
しかし、哀しみの花嫁は、今こうして花嫁姿で月の塔を目指している。この3日の間に何が起きたと言うのだろうか。
赤、白、黄、ピンク、緑、青。 ルナトの中央道は色とりどりの花で飾り付けられている。それは、ルナト一幸福な花嫁のために用意された花道だった。町民から祝福され、美しいドレスを着て、美しい道を歩く花嫁。その顔もまた美しい。
だが、どれだけ美しくても、その顔には憂いが見て取れる。
花嫁のための花道。この道は、町の中央道から月の塔へと続いている。教皇と結婚する者は、この花道を歩かなければならないようだ。教皇の結婚式を今まで1度も経験したことのない町民には分からないことだが、そういう伝統があるらしい。
その花嫁を誘導するのは、月衛隊であるベル。ベルに連れられて花道を歩くエミリアの表情は、空と同じように曇っていた。
「騎士様、私怖いですわ」
エミリアは不安を口にする。花嫁は雨の中、花道を歩いている。2人が歩くのはぬかるんだ泥土の花道。純白のドレスの裾は、飛び跳ねた泥土で汚れている。それは、この先の不吉な運命を暗示しているようでもあった。
「心配するな」
そう言うベルの顔に浮かぶのは、不自然な笑顔だった。なぜだかベルの笑顔は引きつっている。
その理由は彼にしか分からない。一体彼は何を考えているのだろうか。
哀しみの花嫁は、盛大な祝福を受けながら花道を進んで行く。泥道を歩くエミリアは終始俯いていた。エミリアやバーバラ、同志たちにとって望まない結果がこの先に待ち受けているのだろうか。
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さかのぼること3日前…
「俺がスパイになります」
月の塔に戻ったベルは、ベンジャミンにそう言った。
「スパイだと?」
「はい、スパイです。俺が反抗勢力の中に潜入して、ミス・ランバートの居所を掴みます。それが分かれば、月衛隊を総動員して彼女を連れて行けばいい」
ベルは空虚な作戦を語り始める。もちろんこれは、全て出まかせ。
「それで上手く行くのか?」
「俺は月衛隊になってまだ日が浅いです。奴らから疑われる可能性は低いと思います」
この嘘の作戦は、ベルが1人で考えたものではなかった。バーバラが発案者で、皆で練った作戦だった。そのため、踏み込んだ質問をされても、簡単にボロが出ることはない。
「そうだとしても、残りわずかな時間でミス・ランバートの居所を掴むことは、本当に出来るんだろうな?」
「…………約束は出来ません。だから、他の月衛隊を総動員して町中を探してください。全員で探せば、残り少ない時間でも、何か掴めるはずです!」
ベルの発言は、反抗勢力にとって不利な話にも思える。月衛隊を総動員して町を探されては困るはずだ。
しかし、その点はバーバラが考えていた。エミリアが身を潜めているのはレイリーの家。ベルとレイリーどちらかではなく、2人とも月衛隊に潜入出来た事実は、バーバラたちにとって非常に有利に働いている。
「しかし………」
ベンジャミンは言葉を詰まらせた。
「どうしたんですか?」
「月衛隊全員が民の前に姿を晒すことは避けたいのだ。月衛隊は秘密主義であり、その全貌を一般人に知られてはならない」
「そんな事を気にしている場合ですか‼︎月衛隊は教皇様のためにあるものなんじゃないんですか?」
バーバラたちが月衛隊の情報をなかなか得られなかったのは、この秘密主義のせい。ベルの言葉はベンジャミンを後押しした。
「………………確かにそうだ。教皇様のためならば、どんな手段も厭わない」
ベンジャミンは拳を握りしめた。ベルのこの言葉は、作戦を悪い方向へと導いてしまっている可能性さえあった。このまま無事に、エミリアの安全を守ることは出来るのだろうか。
「俺も全力を尽くします。最後の最後まで粘って、必ずやミス・ランバートを月の塔にお連れします!」
ベルは力強く宣言した。
おそらく、他の月衛隊はエミリアを連れ出すことはおろか、見つけることさえ出来ないだろう。
このベルの発言も作戦のうちか、それとも他の思惑があるのか。真意は不明だが、これによりベルがバーバラたちの所にいても不自然ではなくなった。
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結婚式当日、ベルはエミリアを連れて花道を進んでいる。
この3日の間、もちろん月衛隊がエミリアの居場所を掴むことはなかった。ベンジャミンは今もなお、不安で仕方がないだろう。きっと月の塔でベルがエミリアを連れて来るのを心待ちにしているはずだ。
仮に作戦が上手く行っていたとするなら、なぜわざわざエミリアを月の塔へ向かわせる必要があるのだろうか。安全な場所に匿われていたエミリアを、敵地に向かわせる利点はどこにもないはずだ。
一体ベルは何を考えているのだろうか。
ベルとエミリアは口数の少ないまま、ゆっくりと花道を進んで行く。エミリアが顔を上げることはなく、ベルはエミリアと顔を合わせることはなかった。
やはり、さっきからベルの表情が変だ。なぜだか顔が引きつっている。そこにはどんな理由があるのだろうか。
2人が月の塔に近づくに連れて、雨脚が強くなって来た。雨に濡れようと、泥に汚れようと、2人は花道を進む。
やがてベルの視界には、荘厳な月の塔が飛び込んで来た。天にも届きそうなほど高いセント・ルナト・タワー。その塔の頂上から手を伸ばせば、雲さえ触ることが出来そうだ。
月の塔は雨に濡れ、怪しい輝きをまとっているようにも見える。これから、結婚式が開かれるこの塔には、町中の人々が続々と詰め掛けていた。ベルとエミリアは一切言葉を発さず、着々と歩みを進める。
花道の終点にある大きな扉の先には、まだ見ぬ教皇が待っている。
町の人々は、結婚式を祝うためと言うより、教皇の姿をその目に焼き付けるために月の塔へ向かっていた。
そんな人々の中には、違う目的を持った者たちもいた。無神論者の同志たちだ。バーバラを含んだ彼らは、信者たちに紛れて結婚式場に向かっている。
バーバラ、ランバート、バート、アレンまでもが月の塔へ向かっていた。そこにレイリーの姿はなかった。おそらく月衛隊としてすでに月の塔の中にいるのだろう。
エミリアを結婚式場に連れて行くベル、同じく月の塔へと向かう仲間たち。どうやらベルはバーバラの計画通りに動いているようだ。
彼らは結婚式で何か大きな行動を起こそうとしているのだろうか。祝賀ムードに包まれるこの町で、無神論者の動きに気づく者は誰ひとりとしていなかった。
しばらく経って、ようやくベルとエミリアが扉の前に立つ。
扉の周りには、すでに数えきれないほどの人間が集まっていた。誰もが扉の先にいる教皇の姿が見たくて堪らないのだ。月の塔の周りに集まった人々は、我先にと押し合っている。
「新婦入場‼︎」
ほどなくして、誰もが待ち望んだ瞬間が訪れた。
大きな掛け声と共に、大きな扉がゆっくりと開かれる。立派で荘厳な扉が、音を立ててゆっくり開かれる。開かれた扉のその先を、誰もが覗き込んだ。
扉から祭壇まではある程度の距離があり、祭壇に立っているはずの教皇の姿はよく見えない。ただ、確かにそこに人が立っているのは分かる。
新郎にふさわしく、全身白い衣服に身を包んだ人物が祭壇の前に佇んでいるが、彼の顔はこれまた真っ白な布で隠されていた。その布には、月と十字架をモチーフにしたルナト教の紋章が刻まれている。
彼の衣服は聖職者のようであり、その右手には長い杖が握られている。その杖は真っ黒で、てっぺんには立体的に造られたルナト教の紋章がついていた。
その顔は見ることが出来ないものの、顔以外の全てが、彼が教皇であることを物語っていた。町民の視線は、教皇らしき人物に釘付けになっていた。
ところが、その教皇らしき人物の顔は、誰も確認することが出来ない。これに彼らは少し落胆するが、教皇をその目で見たと言う事実は、それを忘れさせるほど彼らを興奮させた。
「…………行くぞ」
ベルの小さなその声に、エミリアがこくりと頷くと、2人は祭壇の前にいる教皇の元へと歩き始めた。
今この瞬間、祭壇の前まで続くヴァージン・ロードに哀しみの花嫁が足を踏み入れた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ついに結婚式が始まりました。教皇らしき人物も登場し、ルナト編はクライマックスに向けて突き進んでいきます‼︎




