第55話「顔なき騎士」(2)
「よかろう。お前たちが何者であろうと、邪魔をする者は排除するのみ」
意思の疎通を諦めたベンジャミンは、ついに戦闘態勢に入る。その様子を見ていたジムは、頼りなさそうに構える。
「⁉︎」
戦闘態勢に入ったベンジャミンは、一瞬にして後方に突き飛ばされる。すでに超化の黒魔術を発動していたレイリーが、強烈な打撃を浴びせたのだ。
ところが、ベンジャミンの身体はビースト・ロードのガーゴイルのように粉砕されることはなかった。レイリーが手加減しているのか、それともベンジャミンの身体が丈夫なだけなのか。
「ひぃ〜っ!」
対してベルは、明らかに怯えているジムに向かって刃を振るう。
しかしその切っ先がジムの身体をかすめることはなかった。ベルは決して手加減していたわけではなく、ジムは的確にその攻撃をかわしていた。ただ運が良いだけなのか、それとも何らかの黒魔術を使っているのか。
ベルはこれに驚いた。思い返せば、ビースト・ロードにおいてジムは魔獣の猛攻をことごとく避けていた。ジムは単に運が良いのではない。確実に黒魔術を使って攻撃をかわしている。ベルはそれを確信していた。まだベルの黒魔術に関する知識は浅いが、ジムが超化の類の黒魔術を使っているのは確実だ。
「今のは効いたぞ。面白い。このような者がまだこの町にいたとはな」
ベンジャミンはレイリーの強さに驚いている。彼はベルとレイリーが、バーバラが送り込んだスパイだとは夢にも思っていない。 レイリーは黒魔術発動の瞬間を見せていない。ベンジャミンは、正体を隠したレイリーをただの屈強な戦士だと思っているらしい。
「では、反撃させてもらう!」
レイリーの重い一撃を受けたベンジャミンだったが、何事もなかったかのように立ち上がり、レイリーに向かって突進する。ベンジャミンはそのまま拳を繰り出す。それを黙って見ていたレイリーは、彼と同じように拳を繰り出した。
そして拳と拳がぶつかる。どちらかが押し負けるわけではなく、2つの拳はピタリと動きを止めた。それは、2人の打撃の威力が拮抗していることを意味していた。屈強な肉体に、レイリーと張り合うその力。彼もまた、超化の使い手なのだろうか。
「面白い。だが、まだ甘い!」
感心したのも束の間、ベンジャミンは更なる一撃を繰り出す。その拳は真っ直ぐにレイリーの腹部に直撃する。その拳は、深くレイリーの腹に食い込んだ。
「ぐはっ……」
あまりにも重いその一撃に、レイリーは声を出さずにはいられなかった。レイリーは黒魔術で力を強化するだけ。身体の防御力を高めることは出来ない。レイリーと同等の威力を持ったその一撃は、レイリーを苦しめた。
彼女はそのまま床に倒れこみ、うずくまってしまう。身体が粉砕されることはなくても、骨が折れたり、内臓にダメージを受けている可能性は大いにあった。
「脆い。だから黒魔術に頼っていては駄目なのだ」
レイリーは言葉を失う。ベンジャミンは目の前の敵が黒魔術を使う場面を見ていないはずなのに、まるでレイリーが黒魔術を使ったことを知っているかのような物言いをする。レイリーは自分の正体がバレてしまったのかと動揺するが、真実は違った。
ベンジャミンと同程度の力を持っているのに、その身体は鍛えられておらず、ベンジャミンの一撃に倒れた。単に肉体的に強い戦士であれば、今の一撃で倒れることはない。身体は弱いのに、力は強い。ベンジャミンは残った可能性から、それを導き出した。
“マジかよ……”
ベンジャミンの一撃でレイリーが倒れる瞬間を目撃していたベルもまた、動揺を隠せなかった。ジムは逃げるばかりで一向に攻撃して来ない。ベルはジムを気にしつつ、2人の戦闘を見ていた。
ベルとレイリーはスパイとして月衛隊に潜入した。
しかし、彼らに関する深い情報は何も得られていないのが事実。彼らの動きを先読みして行動することは出来るが、彼らの実力は一切分からない。ベンジャミンの実力は、ベルたちの予想を遥かに超えていた。
“やるしかねぇ!”
そしてベルの標的はベンジャミンにシフトした。一向に攻撃して来ない敵よりも、仲間を一撃で倒してしまう敵を止めなければならない。ベルが持っている剣はさっきまで普通の刃だったが、気づけばその刃は真っ赤に変化していた。刃の周囲は歪んで見える。どうやら刃は超高温に熱されているらしい。恐らく、ベルが密かに黒魔術を使っていたのだろう。
赤い刃を携えたベルはベンジャミンに近づく。
「お前も黒魔術士か?私は黒魔術士には負けん」
ベンジャミンは、その赤い刃を見て目の前にいるのが黒魔術士だと判断した。ベルはベンジャミンの出方を伺って、攻撃を控えた。一方のベンジャミンもベルの様子を伺っている。2人の間の空気は張り詰めていた。両者ともに動くことなく、ただ時間だけが過ぎて行く。
「そういうつもりなら、敢えてこちらから行かせてもらおうか」
ベルが自分から攻撃を仕掛ける気がないことを察したベンジャミンが先手を打つ。ベルにはベンジャミンの攻撃を受け止める自信も、かわす自信もなかった。
しかし立ち向かうしか、道はない。このままでは2人とも正体がバレて、作戦が台無しになってしまう。
怯んでいたベルだったが、ベンジャミンの動きを見て口許を弛ませる。その動きは、レイリーと拳をぶつけた時と全く同じものだった。彼は確かに強力な拳を振るうが、その動きは決して速くはない。
ベルはベンジャミンの拳の動きを読み、彼の身体の左側へ一気に移動する。そのままベルは両手を使って後方に剣を突き出した。ベンジャミンへと繰り出された刃は超高温に熱せられている。その一撃は普通の剣のそれとはわけが違う。
一瞬の隙を突かれたベンジャミンは為す術もなく、真っ赤な刃を受けてしまう。それはベンジャミンの右脇に刺さった。
「ぬっ……」
剣を使ってもダメージを与えられないはずの屈強な戦士が声を漏らした。ベルはそのまま刃を深く差し込み、一気に引き抜いた。
「かはぁっ……‼︎」
これにはベンジャミンも堪らず、大きな声を出した。屈強な戦士の身体には、真っ赤に爛れた切り傷が残されている。それはもはや切り傷と呼べるものではなかった。
その燃える一撃を受け、ベンジャミンは床に手をついた。
“今しかない!”
ベルは瞬時に状況を判断し、床に倒れこむレイリーを抱えて食堂の裏口へと駆け出した。想定外のダメージを負ったベンジャミンが怯んでいる今しか、チャンスはない。ただ、彼はレイリーの一撃を食らっても平然としているような怪物。彼が再び何事もなかったかのように起き上がり、反撃して来るのは時間の問題だった。ベルはただひたすらこの場から離れることだけを考えていた。
「逃げたか………」
ベルの予想通り、ベンジャミンはすぐに立ち上がった。そして、ベルの逃げた方角を見つめている。彼はベルの一撃を食らっても尚平然としていた。
この後ベンジャミンはジムを連れて、食堂内を隈なく探すのだが、もちろんエミリアを見つけることは出来なかった。
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数十分後ベルとレイリーは何事もなかったかのように、バーバラの食堂前にいた。すると、ちょうどベンジャミンとジムが中から出てくる所だった。当然ベルとレイリーはすでにローブを脱いでおり、しっかり月衛隊のマントに身を包んでいる。
「バートリー宅にミス・ランバートはいませんでした」
ベルは平静を装って嘘をついた。ベルが傷を負っていないのは当然だが、レイリーまでもがピンピンしている。ベンジャミンの目が届かなくなった時、ベルがレイリーに星空の雫を飲ませたのだ。星空の雫は万能の傷薬のようなもの。たった1滴で、信じ難い治癒効果を得られる。彼女は本当に何事もなかったかのように、元通りになっていた。
「遅かったではないか。ここにもミス・ランバートの姿はなかった」
「すみません。バートリーが抵抗して来たもので」
レイリーは適当な嘘をでっち上げる。2人とも、バートの家には行ってもいない。
「残る可能性はミス・ランバート宅。しかし召喚士たちが未だ合流していない。何かおかしいとは思わないか?」
「お2人の話からするに、考えられる全ての場所に刺客がいたことになります。僕たちの行動が全部読まれている気がします」
ジムは鋭かった。反抗勢力の考えていることに、勘付いているようだ。
「それはマズい。一刻も早くミス・ランバートをお連れしなくては、取り返しのつかないことになる」
ベンジャミンは焦りの色を隠せなかった。優秀な黒魔術士をリクルートし、ぬるま湯に浸かっていたのだろう。それに、彼は反抗勢力の実力を侮っていたようだ。
「ひとまずミス・ランバート宅に行ってみませんか?」
「そうだな」
こうして4人の月衛隊は、エミリアの家に向かうことになった。
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4人がエミリアの自宅前に到着すると、そこには3人の召喚士が倒れていた。
「一体何があった⁉︎」
ベンジャミンは召喚士の1人の身体を揺さぶるが、応答はない。完全に気を失っているようだ。どうやら、彼らはランバートらとの戦いに敗れたようだ。実は、召喚士たちはビースト・ロードで強力な魔獣を使い切っており、彼らとの戦いではミラージュやサイクロプスのような強力な魔獣を召喚することが出来なかったのだ。
たまたま3人の召喚士の召喚出来る強力な魔獣は、全てベルとレイリーによって殺されてしまっていた。
「どうやら奴ら、僕たちの想像以上に強いみたいですね………」
ジムは震えていた。
「隊長、一旦引き返しませんか?」
ベルは提案した。これは、月衛隊を錯乱し、反抗勢力が彼らの想像以上に巨大だと思わせるための作戦。もう十分に目的は達成された。
「残された時間は少ない。何の収穫もなしに帰るわけにはいかん!」
しかし、ベンジャミンは一筋縄ではいかなかった。結婚式まで残り3日。残された時間は限りなく少ない。彼にエミリアの身柄拘束を諦める様子は全く見られなかった。
「安心してください。俺は大きな手掛かりを掴みました」
ベルは一か八かハッタリを仕掛ける。このままベンジャミンがルナトの町を暴れまわり、本当にエミリアを奪われてしまっては困る。
「何?ミス・ランバートの居所の手掛かりか?それが分かっているのなら、今すぐそこに行くべきだ!」
ベルの仕掛けたハッタリは、ベンジャミンのやる気を後押しするだけだった。ベンジャミンの闘志は燃え続けている。エミリアを拘束することに全力を注ぐつもりだろう。
「焦らないでください。敵の実力は分からないままですし、隊長は怪我されているじゃないですか。今すぐ敵地に向かうのは得策ではないですよ」
ここで思わぬ助け舟が出る。ジム・コリーだ。未知の敵、そして負傷しているベンジャミンを見て不安を隠せなかったのだろう。
「一旦帰りましょう。俺に良い作戦があります!」
周りを見れば、倒れた召喚士の姿が目に映る。ベルの提案に、ベンジャミンは渋々頷いた。
その後、彼らの帰還が反抗勢力にとって、さらに良い結果をもたらすこととなった。敗れた召喚士、そして負傷したベンジャミンを目にした月衛隊の士気は、明らかに下がり始めていたのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
上手くいったのか、いってないのか、エミリア奪取作戦は何とか失敗に終わりました。
次回、ようやく結婚式が始まります‼︎




