第6話「逃亡犯ファウスト」【挿絵あり】
西部の町アドフォードに侵入するお尋ね者。彼の正体と目的とは……?
しばらく考えたのち、男はこっそりと門に近づいた。懐からダガーを取り出し、門を形成する無数の石の隙間に引っ掛ける。そうして、男は高い門を登り始めた。 思考を巡らせて男が思いついたのは、実に単純な作戦だった。居眠り男が1人見張っているだけなら、複雑な作戦は必要ないとでも思ったのだろう。
彼が門の最頂部に到達するのに、あまり時間はかからなかった。門のてっぺんに立つ男は身を低くして、下の様子を伺っている。
ここで男の読みは大きく外れることとなる。 ここはただの手薄な関所ではなかった。
男が門の最頂部に立った数秒後、光の筋が男の体を通り過ぎたのだ。その眩しさに男は目をつぶった。それを合図にして、瞬く間に街全体に聞こえるようなほど大きな鐘の音が鳴り響く。
あまりに一瞬の出来事に、男は何が起きたか理解出来なかった。少しの間、男は頭を真っ白にして口を開けていたが、すぐに状況を飲み込んだ。
男は門の上から飛び降りると、アドフォードの街の人混みに紛れて行った。その大きな鐘の音で寝坊助の門番は目を覚ましたが、時すでに遅し。男は姿を消し、そこにはいつもと変わらない光景が広がるだけであった。
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その時、隣国のリミア連邦ではとある動きがあった。
海に囲まれたリミア連邦国は天候の変化が激しい。この時上空には黒く怪しい雲が立ち込め、風も次第に強さを増す。
暗雲の下に見える豪華絢爛な白い建物の中では、青い軍服を着た者たちが慌ただしく動いていた。
ここはリミア連邦政府大統領官邸。この国の中枢だ。官邸の最上部、美しい彫刻で飾られた白い扉の先には、難しい顔で何かに耳を傾ける大統領の姿があった。彼の前には、2人の軍人が立っている。
「たった今、アドフォードでファウストの目撃情報が寄せられた。ただちに、近辺の兵を向かわせろ」
リミア連邦大統領アルバート・バルサザールは、重く威厳のある声で、目の前の2人に命令する。
「ハッ!アドフォードに潜伏中の兵を3名、ただちに向かわせます!」
軍人の1人がそう言うと、バルサザールは表情を一切変えずに頷いた。どうやら、さきほどローブの男を通り過ぎた光の筋はセンサーになっていたようだ。それが男の存在を感知し、リミア連邦に情報が伝わるシステムになっていた。
リミア首相官邸内では、慌ただしく多くの人が動き続けている。
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再びアドフォードに目を向けると、フードを深く被って顔を隠した男“ファウスト”が人混みの流れに合わせて歩いていた。先ほど鳴り響いた鐘の音がなかったかのように、そこには平和な町並みが広がっている。
すでに日は暮れ、徐々に暗闇が広がり始めていた。
何とかアドフォードの町に侵入した逃亡犯ファウスト。用心していた彼は、ひと気のない場所を探していた。
彼がたどり着いたのは、誰もいない裏路地。そこは、ただでさえ日の光の届かないこの場所だった。日が暮れた今となっては、この場の視界はとても悪かった。薄っすらと景色が確認出来る程度で、視界のほとんどは暗闇に支配されている。
そんな中、男は目の前に何かの気配があることを感じた。さっきまで少年は、この路地には誰もいないはずだった。何かの気配を感じ取った男は、身を翻してこの路地を出ようとした。
その時だった。突然何かが男の視界に飛び込む。何者かがファウストの行く手を阻んでいる。目の前に現れたのは、黒いローブの人物だった。ファウストと同じように、フードを深く被っているため、その人物は男なのか女なのかも分からない。ただ、ファウストと同じくらいの背丈であるのは確かだ。
黒いローブの人物は、言葉もなくファウストに近づいてくる。彼もしくは彼女の目的は、何なのか。この町に不法に侵入したファウストを裁こうとでも言うのだろうか。
向かい合う両者は、一切言葉を発さない。そこに聞こえるのは、黒いローブの人物の足音のみ。
ジャリ、ジャリ
ブーツが土肌を踏み鳴らす音のみが、周囲に響く。
ただならぬ緊張感の中、黒いローブの人物は一瞬にしてファウストとの距離を詰めた。ファウストの視界の大半を、黒いローブの人物が占める。無言の恐怖が彼を襲っていた。
謎の人物は、右手を真横に突き出した。
すると、たちまちその右手に何かが集まり出す。暗闇に支配された裏路地を明るく照らすような、真っ白な光がその右手に集まっていた。
しかし、不思議なことにファウストにはそれが見えていない。理由は定かではないが、とにかく彼にはその光が見えていなかった。
黒ローブの人物の右手に集まった光は、群れを成してファウストに降り注ぐ。流星のようなその光は、ファウストの身体を後方へと突き飛ばした。白い光が見えていないファウストには、今起きている現象が全く理解出来ていなかった。
「くっ……!」
倒れた衝撃でフードが外れると、ファウストの顔が露わになった。彼の目はエメラルドのような緑色をしていた。見えたのは左目だけで、その右目は長い金の前髪で隠されている。
この時ファウストは深く動揺していた。謎の人物に突然襲われ、その上目に見えない攻撃を仕掛けられたのだ。無理もないだろう。不法侵入者を捕まえようとしているのだろうが、黒ローブの人物は何も言葉を発する事はなかった。
気が気でなかったファウストは、立ち上がって黒ローブの人物に飛び掛かる。このままやられっぱなしでは気が済まないのだろう。ファウストは謎の人物の上に馬乗りになった。
そして黒ローブの人物がついさっきやったように、彼も右手を真横に突き出した。
すると彼の右手の辺りが赤い輝きをまとう。右掌の印が赤い光を帯びているのだ。
ファウストは左手で黒ローブのフードを掴んだ。黒ローブの人物の素顔を見るために、ファウストは勢いよくそのフードを剥がした。
「⁉︎」
フードの中から現れた顔は、ファウストが予想だにしないものだった。黒ローブの人物の素顔を見た彼は、言葉を失った。
それはファウストにとって、見覚えのある顔だった。黒いフードの中から現れたのは、どこからどう見てもファウストと同じ顔だったのだ。
身の毛もよだつほど奇妙な現象に遭遇したファウストは、言いようのない恐怖を感じていた。恐怖のあまり、彼は何も言葉を発することが出来ない。口は開いているのに、そこから言葉が出る事はなかった。
奇妙な出来事はそれで終わりではなかった。
その直後、ファウストはなぜか地面に尻を付いた。さっきまで自分と同じ顔をした男に馬乗りになっていたはずなのに、今やその男の姿はどこにもなかった。謎の男は、忽然と姿を消していたのだ。
今までの現象は悪い夢だったのだろうか。どうせならここで起きたことだけではなく、全てが悪い夢だったら良いのに。ファウストはそう思った。
ウー、ウー!
次の瞬間、先ほどとはまた違った鐘の音がアドフォードに鳴り響く。その音に反射的に反応したファウストは、慌ててその場から立ち去った。
人混みに紛れたファウストは、ひとまず周囲に耳を傾けてみる。慌ただしく動き続ける人混みの中にいれば、すぐに追手から見つかる事もない。
「レヴィさん家で火事だってよ」
「そりゅあ大変だ。アドフォードで火事起こしたら、おしまいだよ」
「消防が来る前に全焼しちまうよ」
先ほど鳴り響いた鐘は、どうやらファウストとは一切関係のないものだったようだ。さっきの鐘が追手が鳴らしたものではなく、火事を知らせるものだと知ったファウストは、ほっと胸を撫で下ろす。
安心したファウストは、なぜだか火事の現場へと向かった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
奇妙な体験をしたものの、逃亡犯ファウストは無事にアドフォード内部へ。彼はなぜ火事の現場に向かうのか……?