第41話「異形の船長」【挿絵あり】
ついに異形の船長が、ミセリコルディア号に乗り込んだ。
改稿(2020/08/22)
異形の船長は、周囲に澱んだ空気を漂わせ、しっかりとした足取りで進む。見た目こそ、生きているはずがないような、極端に痩せた姿だが、その足取りはしっかりしていた。
その足取りからは、かつてランバートのように周囲から慕われ、世界の海を渡っていたであろう日々の幻影が、垣間見える。
ランバートは、近づいて来るこの世のものではない存在に、恐れをなすことはなかった。誰もが逃げ出してしまいたくなるような状況だが、今甲板に残っている3人が逃げ出そうとする事はない。
間も無く、異形の船長はランバートの目前まで迫った。その身体には、ほとんど肉がついていない。どう見ても、人間ではない。ルースの言うように、悪魔という表現の方が正しいだろう。
「……………」
謎の船長は、一切言葉を発さなかった。何も言わず、気持ち悪いほどに首をくねらせながら、ただランバートを見つめている。まるで、獲物を狙う肉食動物のようだ。
彼の口元には肉がほとんどなく、汚れてボロボロになった歯が剥き出しになっている。身体中に海藻や貝などが付着していた。それは、途方も無いほどの長い年月、海をさまよっている事を示していた。
異形の船長は、長らくランバートを見つめていた。
ところが、ついには何もすることなくランバートの前を離れた。ランバートと言えど、これには安心して胸を撫で下ろした。もちろん恐怖はこれで終わらない。
ランバートの前を去った彼は、次にジョーとレイヴンに近づく。初めてその姿を見た時、ジョーは彼に見られた気がしていた。存在を知られた気がしたのだ。
異形の船長は、気味の悪い吐息を漏らしながら、ゆっくりと、しっかりと、歩みを進める。どうやら、閉じることのない口や、その周辺のボロボロの皮膚から、腐ったような吐息が漏れ出しているようだ。
ジリジリと迫り来る恐怖。その迫力に、レイヴンは思わず後ずさりした。度胸があるのか、それともただの馬鹿なのか。ジョーは微動だにしない。
地獄の使者のような、幽霊船の船長。それがジョーとレイヴンの目の前まで近づいて来る。迫り来る恐怖に耐えかねたレイヴンは、ジョーを置き去りにしてランバートの元へと逃げた。ここから逃げたいのはやまやまだったが、どうしてもこれから起こることを見逃してはいけない。レイヴンはそんな気がしていた。
ついに、異形の船長がジョーの目の前にやって来た。ランバートの前に来た時と同じように、怪物は顔をくねらせながらジョーに近づける。とても気味が悪い。視界に映るその姿も、彼から発せられる音も、思わず鼻を塞ぎたくなるようなその臭いも、全てが不快だった。
ジョーは興味深そうに、幽霊船の船長を見つめている。異形の船長とジョーは見つめ合っていた。とても奇妙な時間が、2人の間に流れた。
異形の船長は、ジョーが自分の存在に興味を示していることを理解していた。他のどの人間とも違うことを理解していた。この時代のどんな人間だろうと、この幽霊船の船長の姿を見れば恐れをなすことだろう。
しかし、それを目の前にしても全く恐怖を示さない人間がここにいる。異形の船長は、その事実に微かな喜びを感じていた。途方も無いほど長い年月、人間には想像もつかない長い間、彼は人間に恐れられて来た。ましてや、その存在さえ疑われて来た。
彼を目撃する者は数少なく、口伝てに伝わる幽霊船の船長にまつわる噂は、多くの人に伝わって行くうちに形を変え、本来とは違ったものになってしまう。
そうして、そういった話はただの作り話や妄想として片付けられてしまうのだ。だが、目の前にいるこの少年は違う。異形の船長はそれを感じ取っていた。
彼は、ほとんど骨となった右手をジョーに差し伸べる。どこからどう見ても恐ろしい光景だが、ジョーが恐れることは、全くなかった。好奇心の対象が今、自分に近づいている。彼は恐れるどころか、興奮さえ覚えている。
「この化け物!今すぐジョーから離れやがれ!」
今にもジョーに触れそうな異形の船長に対して、レイヴンは勇気を振り絞って叫んだ。間に割って入ってでもジョーをあの化け物から引き離したかったレイヴンだったが、彼にはそれが出来なかった。
異形の船長はレイヴンを振り返り、大きな大きな目で睨みつけるが、何事もなかったかのように、再びジョーに手を伸ばす。
ジョーはそれに応える。ジョーもまた、異形の船長に向かって手を伸ばし始めたのだ。とても奇妙で恐ろしい光景だ。
ジョーが闇の使者に誘われている。このままではジョーがどこかへ連れ去られてしまう。レイヴンはそう思っていた。
間もなくジョーの手は、幽霊船の船長に握られた。その手は固く握られている。今までと同じように、謎の船長は言葉を発さない。聞こえてくるのは、絶え間なく漏れ続ける呼吸の音のみ。ジョーは彼の瞳を見つめ、彼が何を考えているのか必至に探ろうとしている。
しばらくして、幽霊船の船長は握っていた手を放した。突然の出来事に、ジョーは驚きを隠せない。驚きを隠せないのは、レイヴンやランバートも同じだった。ここにいる誰もが、ジョーは連れ去られるものだと思っていたが、そうではなかったらしい。
「…逃げ………逃げられると………思う…な…」
ぎこちない様子で、とても不自然に、聞き取ることもままならないほど雑音の混ざった声でそう言ったのは、幽霊船の船長だった。今まで一言も喋らなかった彼が、ついに口を開いた。
逃げられると思うな。
一体どういう意味なのだろうか。ジョーがその意味を考えていると異形の船長は身を翻し、自分の船の方向へと歩き始める。その歩みは心なしか、ミセリコルディアに来た時よりも軽やかに見えた。誰もが、この状況を飲み込めなかった。一体彼の目的は何だったのだろうか。
さっきのひと言を伝えるためだけに、ミセリコルディアに乗船したのだろうか。あまりにも現実味の無いこの出来事は、レイヴンの言うように悪い夢のようだった。悪い夢と言って片付けた方がしっくり来る。まるで何事もなかったかのように、異形の船長は自分の幽霊船に戻った。
ほどなくして、幽霊船の姿は一切見えなくなってしまった。その直後、全く動かせなかった操舵輪も簡単に動くようになっていた。
「……ゴーファー。船員を呼び戻してくれ」
現実離れした出来事に呆気に取られていたランバートは、ふと我に返った。
それからと言うもの、ミセリコルディアの航海は滞りなく進んだ。リオルグの嵐を越えるまでは多少難があったが、それを乗り越えてからは順調に、快適に進んだ。
嵐を突破してからは、ジョーとレイヴンはずっと甲板に出ていた。晴れ渡る海を航行するのは、実に久しい経験だった。懐かしく、愛おしい。そんな感情が2人を襲った。さっきまでの恐ろしい出来事が、まるで嘘だったかのようだ。
「ジョー……さっきは一体どうしちまったんだ?」
レイヴンは、ジョーのことが心配でならなかった。あんな経験をすれば、自分ならあの恐ろしい船長から逃げ回っていたはずだ。
「……分からない。ただ、とてつもなく大きな何かを感じたんだ。上手く言えないけど」
肝の座った行動を取ったジョーだったが、自分が何をしていたのかよく分かっていないようだ。目には見えない何か、言葉では表せない何かを、あの時ジョーは感じ取っていた。
「何だそれ?とにかく、あの化け物が現実に存在することは認める。もう、悪い夢だったなんて言わない。あのルースとか言う野郎の言葉も少しは信じる気になった」
レイヴンは今まで真っ向から否定していたと言うか、否定しようとしていた幽霊船の船長の存在を、ようやく認めた。否定したところで、それは本当に存在するのだから。
あの時は望遠鏡越しだったが、今回は違う。確かにその目で、しかも目の前で見たのだ。それは否定しようのない事実だった。
「別に君が否定しようが認めようが、俺には関係ないよ。俺があの幽霊船の船長に、興味を抱いているのは否定しようのない事実だ。何かは分からないけど、俺はあの存在に大きな可能性を感じているんだ」
ジョーは本当にあの船長に魅了されてしまっていた。危険な誘惑だ。ずっと一緒に過ごして来たレイヴンも、この意見には全く賛同出来なかった。
「確かに俺たちの知らない、想像を超えた存在はある。それだけは紛れもない真実だ。だが、俺はそんなものに関わりたくもないね」
レイヴンは素直に意見を述べた。誰もがそう思うだろう。ジョーのような変人を除いては。
「もうすぐでブレスリバーに着くぞ。ほら、もうデカい港が見えて来てる」
仕事も落ち着いて来たハンクは、再びジョーとレイヴンの前に姿を現した。 その言葉を聞いて、2人は遠くに見えるブレスリバーの港を確認する。
「一時はどうなる事かと思いましたけど、無事にブレスリバーに到着出来そうですね」
レイヴンは笑顔でそう話す。1つの大きな危機を乗り越えた今、ようやく明るい話が出来る。
「あぁ、そうだな。正直あの船を見た時は何もかも終わりだと思ったが、今となりゃ目の前にはブレスリバー‼︎おっかない経験は忘れちまおう!」
ハンクもレイヴンと同じ気分だった。幽霊船の船長を目撃し、しかもその化け物がこの船に乗船したことなど、もう誰も考えたくもなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
再び異形の船長と遭遇した2人。そして彼らはセルトリア王国東都ブレスリバーへ!




