第40話「嵐の中」【挿絵あり】
リオルグ沖の海上。ミセリコルディア号の甲板に現れたのは…
終わらない嵐。ミセリコルディア号はまさに、その中心にいた。
雨と風が吹き荒れる。甲板でせっせと働いている船乗りたちは強すぎる雨風に打たれ、やっとの思いで船を動かしている。誰もが風に飛ばされそうになりながら、必死で働いていた。
ランバート船長も例外ではなかった。彼は自分が飛ばされないように、そしてミセリコルディア号が進路を外れないように、操舵輪をしっかりと握っている。
甲板に出てきたジョーとレイヴンは、ミセリコルディアを取り巻く恐ろしい嵐を目の当たりにしていた。ランバートはこんな嵐を何度も乗り越えて来たのだ。
2人が甲板に出て来たことに、ランバートが気づくのには少し時間がかかった。
「お前ら‼︎何で出てきた‼︎さっさと客間に戻れ‼︎」
2人の存在を確認したランバートは、嵐の轟音に負けない大声でそう言った。こんな嵐の中、外に出てくる馬鹿は彼ら以外いない。
「……………」
ジョーは、ランバート船長の言葉に一切耳を貸さなかった。
「ほら、船長もああ言ってる。さっさと戻るぞ!」
それとは反対にレイヴンは客間に戻ろうとした。レイヴンはジョーの袖を引っ張る。それでもジョーは微動だにしなかった。甲板を動く気は、ジョーにはない。甲板にいれば、何か興味深いものを目撃する事が出来る。ジョーは得体の知れない好奇心に駆られていた。
「早く戻るんだ‼︎」
一向に動く様子のない2人を見たランバートは、呆れたようにそう叫んだ。安全な客室を出て、わざわざ危険な甲板に出てくるのは馬鹿のすることだ。
「船長‼︎前方に船が見えます‼︎この嵐の中あり得ない速度でこちらへ向かって来ます!」
ミセリコルディアで見張り役を務めていたハンクは、 望遠鏡を覗いた先に見える不可思議な船舶の存在を報告した。この状況は、ジョーにあの日の出来事を思い出させるのだった。
ジョーがレイヴンの目を見つめると、レイヴンもこの状況が意味するものを理解し始めていた。決して認めたくはなかった現実が、この場で再現されようとでも言うのだろうか。
「この嵐の海域を渡れるのはミセリコルディアのみ!見間違いではないのか⁉︎」
ランバートはハンクを疑った。確かにリオルグの呪われた海を現在航行出来るのは、ミセリコルディア1隻のみ。普通に考えれば、ミセリコルディア以外に船が目撃される事はあり得ない。
「まさか………」
ランバートは、抑えた声でつぶやいた。彼にも心当たりがあった。嵐の海を航行することが出来るもうひとつの船に。
呪われた海域を航行するのを許された、ただ1人の船長であり、幾度となく嵐を越えて来たランバート。終わらない嵐にまつわる不可思議な噂は、少なからず彼の耳に届いていたはずだ。
「間違いありません!船がこちらへ向かってきます!」
「構わん!気にせず我々は進路を行く!」
ハンクの答えは、ランバートの期待するものではなかった。出来れば遭遇したくはなかった存在。それが今目の前に迫っている。そんなものとは関わらずに、目的地へたどり着く事だけを考えるべきだ。
次の瞬間、そんな考えもすぐに変更せざるを得ない状況が訪れた。どれだけ操舵輪を回しても、ミセリコルディアの進路が変わらない。
この船は後ろに下がる事もなければ、前に進む事もなかった。完全にこの場で止まってしまっている。制御不能だ。こちらに向かっている船から逃れる事は出来ない。
やがて、ミセリコルディアの乗組員は1人残らず迫ってくるバーク(3本マストの船)を目撃する事になる。迫ってくる船の帆はボロボロで、船体は今にも崩れ去りそうだ。
「あれは……⁉︎」
ハンクは思わず言葉を失った。他の船員も1人残らず言葉を失った。ミセリコルディアのように頑丈な船でさえこの嵐の中動く事が出来ないのに、ボロボロで今にも沈没しそうな船が、快速でこちらへ向かって来ている。
誰もが思考を停止させていた。こんな馬鹿げたことは、受け入れられるはずがない。
「これが噂の幽霊船とでも言うのか……」
誰もが頭の片隅に抱いていた言葉を、ランバートが口にした。
今甲板にいる人間で、幽霊船を実際に見たのはジョーとレイヴンの2人だけ。
ジョーは好奇心に駆られて目を輝かせているが、レイヴンは顔を左右に振って、信じがたい現実を、必死に振り払おうとしている。目撃したのが1度だけならまだしも、2回も遭遇するとなると、ただの夢という言葉では片付けられなくなる。
1番最初に幽霊船の船長を目撃したのは、ハンクだった。この世のものとは思えない船長を目撃したハンクは、それに釘付けになった。幽霊船の船長は、到底生きているとは思えない存在だった。初めてそれを見る者は、恐れを抱かずにはいられない。
間もなく全ての船員がその目で、幽霊船の船長を目撃することになった。今ここで、荒唐無稽な作り話が真実へと姿を変えたのだ。終わらない嵐がリオルグを包んでいるのは、この海域に現れる幽霊船の船長の呪いだ。そんな噂は、リオルグの住民なら誰もが耳にしていた。
絶望感に苛まれると、人は何も出来ないものだ。何も出来ないと言うより、何をする気も失ってしまう。全く身動きの取れない状況で、恐ろしい存在が迫って来る。黙って怪物に魂を奪われるのを、待つしかないのだろうか。
恐れをなして固まっている船員とは違い、ジョーは幽霊船に1番近い船首近くの舷縁に向かって駆け出し、そこから身を乗り出して幽霊船を観察していた。
まるで、あの日の出来事が、そのまま再現されているかのようだ。 1度は逃げられたかもしれない。だが、2度目はない。
目の前に迫る怪物に、為す術もない現状。何とも形容し難い絶望がミセリコルディアを包んでいた。慈悲を意味するミセリコルディアに、神が慈悲を示す事はあるのだろうか。
幽霊船の船首が、ミセリコルディアの船首に接触するのに時間は掛からなかった。
あの時は、幽霊船を引き離す事が出来た。
しかし、今回は幽霊船と接触してしまった。
「何やってんだ‼︎中に隠れろ!」
舷縁から身を乗り出すジョーを、レイヴンは慌てて引っ張る。すっかり幽霊船に夢中になっている彼を、舷縁から引き離す事は、容易ではなかった。
「この馬鹿野郎!死にたいのか!」
無言のまま舷縁に掴まっているジョーをやっとの思いで引き離したレイヴンは、彼を甲板の後方まで引きずっていった。このまま甲板にいては、命の危険がある。
「皆さん‼︎急いで船内に隠れてください!何か良くないことが起こる気がします!」
レイヴンは必死で船員に呼びかけた。このまま甲板に残ったら、何が起こるのか。それはレイヴンにもジョーにも分からなかった。
しかし、この場から離れた方が良いのは、誰にでも分かる事だった。船を使ってこの場から逃れる事は出来ない。船を捨てて、海へ逃げても溺れ死ぬだけ。ならば、逃げ場は船内しかない。
しばらくしてレイヴンの言葉を理解した船員たちは、慌てて船内に逃げ込んでいった。
それに引き換え、ランバートが操舵輪の前から離れる事はなかった。
「船長!何をしてるんですか‼︎」
レイヴンは一向に動こうとしないランバートに叫ぶ。
「船長としての職務を全うする。この船に起きる事を見守る責任が、私にはある」
ランバートのその言葉はとても力強いものだった。レイヴンには、誰もが彼を尊敬し、決して渡れない海を彼だけが航行出来る理由が分かる気がした。
「さぁ、俺たちも逃げるぞ‼︎」
甲板に留まっていたレイヴンは、ジョーは連れて船内に入ろうとする。
ところが、ジョーは動かない。誰にも止めることが出来ない好奇心が、彼を甲板に留まらせていた。
「まったく、仕方ねえな!」
ジョーが動かないことを受け入れたレイヴンは、ランバート、そしてジョーと共に今からこの船に起ころうとしている恐ろしい出来事を見守ることにした。
「来るぞ‼︎」
幽霊船に1番近い位置にいたランバートは、幽霊船の船長の動向が1番良く分かっていた。どうやら船首を接触させ、ミセリコルディアに乗り込むつもりらしい。
レイヴンは最悪の結末を想像していた。これから大富豪になってやろうと思っていたのに、これではリオルグの海の上で命を落としてしまう事になる。
甲板に残った3人は、こちらに渡って来る幽霊船の船長を、固唾を飲んで見守った。
徐々にその姿が視界に入り込んで来る。甲板の上はすでに雪山の上にいるかのように寒いのだが、彼が近づく度に空気はさらに冷たくなり、ランバートたちの背筋を凍りつかせる。
ゆっくりと、ゆっくりと異形の船長は歩みを進める。それは着実に3人のところへ近づいていた。彼がミセリコルディアの甲板に足を踏み入れると、心なしかミセリコルディアも呪われてしまった気がした。
彼は、まず船長のランバートをじっと睨みつける。今にも飛び出しそうな青白い瞳は、ランバートを捉えた。今にも食べられてしまいそうだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
前回と違い、異形の船長は確実にジョーたちに迫っている。異形の船長の目的は一体…




