第39話「先見の明」【挿絵あり】
ミセリコルディア船内で、ジョーは興味深い人物と遭遇する。
「……なるほど。それで、どこで仕事を探すんですか?」
「どこって……そりゃあこの船の行き先さ。故郷に1番近くて海で仕事が出来るのは、ブレスリバーだけさ」
「そこで仕事が見つかるんですか?」
「お前、ブレスリバーを知らないのか?あそこはリオルグとは比べものにならない貿易の街だ! 周辺の国との関わりしかないリオルグとはわけが違う!あそこには、世界中から船が集まるんだ。世界中の船乗りが集まるんだよ!」
トーマスの語気が強くなる。
「本当ですか?俺たちみたいな若造でも、もう1度海の仕事が出来ますかね?」
レイヴンの心は揺れていた。彼だって一端の海の男。大富豪になるという夢のため、生きていくために海の仕事を捨てるつもりだったが、やりたい事で稼げるなら、それに越した事はない。
「レイヴン!」
根っからの船乗りの話にすっかり魅了されていたレイヴンに声をかけたのは、ジョーだった。すっかり上の空のレイヴンを、ジョーは呆れた顔で見つめている。
「何を考えてる?彼の言う通り、ブレスリバーには世界中の船乗りが集まるかもしれない。だが、必ず仕事があるとは限らないぞ?」
ジョーはトーマスに聞こえないように、レイヴンの耳元で囁いた。
「世界中から船が集まるんだぞ?仕事はあるさ!」
レイヴンは、すっかりトーマスの話に夢中になっていた。このままトーマスと一緒に、ブレスリバーで再び海の男になるつもりなのだろう。
「そうだとしても、社長の好意を無碍には出来ない。せっかく仕事を紹介してもらったんだ。社長のためにも、アドフォードに行こう。それにブレスリバーで仕事を探すのは、君の夢にとって遠回りになるとしか思えないんだ」
レイヴンは、目の前の甘い話に惑わされている。ジョーはそう思っていた。確かに、ブレスリバーでは新たな道が開けるかもしれない。
とは言え、ここではわざわざ危険を冒す必要はなかった。
「それは……」
ここで初めてレイヴンは我に帰った。夢見心地だった彼は、一気に現実へと引き戻された。最初は反論しようとしていたレイヴンだったが、考えているうちにその気が失せていったのだった。
そんな2人の様子を、トーマスは不思議そうに見つめていた。
「祟りじゃ!」
そうしていると、突然そんな声が3人の耳に届いた。その声の主は、間もなく分かった。
声の主は、1人の老人だった。ボロボロの薄いシャツを着た彼は、薄汚れた分厚い本を抱えている。頰は痩せこけ、骨格が分かるほど。
その瞳は生気が失われ、どこにも焦点が合ってないかのように虚ろだった。
「一刻も早くリオルグを抜け出さなくては!あの町は呪われている!」
周囲の人間を不幸にしてしまいそうな彼から発せられたのは、そんな言葉だった。彼の言う通り、ミセリコルディア号は未だリオルグの海域を出ていなかった。
かつて宝の海と呼ばれていたこの海域。嵐の中も航行を続けて来たミセリコルディアと言えど、突破するのには時間が掛かっていた。
関わるだけで不幸を被りそうな人物には、誰もが声を掛けようとはしなかった。ただ1人を除いては……
「なぜそう思うんですか?俺はジョーと言います」
その1人とは、ジョーのこと。彼は呪いだの、そういった類の話に興味があるようだ。
「………ルースだ。この海は、もはや“宝の海”なんかじゃない。“呪いの海”だ。これはただの嵐ではない。わしは見た!この嵐の元凶を!」
他人から話しかけられるとは夢にも思っていなかったルースは、しばらく時間をおいてジョーに答えた。
「その元凶とは一体何なんですか?」
ルースの答えは、ジョーの興味を一層引き立てた。確かに、長い間終わらない嵐というのは、どう考えても普通ではない。
「わしは見ていた。水平線を。海岸からずっとな……そんなある日見たんだ。恐ろしいものを。とてもこの世のものとは思えなかった。あれは悪魔だ!悪魔がリオルグを呪ったのだ‼︎」
虚ろだったルースの瞳は、一気に見開かれた。彼の手には、“悪魔から身を護るには”と題された本が握られている。ルースの答えは、ジョーの興味を増長させる一方だ。
リオルグに嵐をもたらした悪魔。そう言われてジョーが思い浮かべるのはただひとつ。リオルグでの最後の航海で目撃した、異形の船長だ。
「はっ!馬鹿げてる‼︎呪い?悪魔?そんなものあるわけがないだろう!」
話を聞いていたレイヴンは、それを大声で笑い飛ばす。
ジョーは悪魔だの呪いだの、そういった類の話に興味をそそられている。
それとは対照的に、レイヴンはその類の話を一切信じていなかった。実際にその目で目撃したにも関わらず。“迷信”を信じないレイヴンにとって、ルースの話は荒唐無稽なただの作り話だった。
「何を言うんだ⁉︎レイヴン、君もあの日見ただろう」
「俺は何も見ていない。見たとすれば、それは悪い夢だ」
レイヴンは自分の方針を一切変えなかった。確かに彼はあの日、恐ろしい船長を目撃した。それは、見たと認めたくないほどに恐ろしいものだった。
それに、今でこそ存在する事が明らかになっている悪魔だが、この時代はまだ悪魔の存在を知る者どころか、信じる者自体が少なかった。
「愚かしい……実に愚かしい‼︎なぜ認めようとしない!この世界に悪魔は存在する!彼らは常に我々を狙っている。身を護る方法を知らなくては、大変な事になるぞ!とにかくこの海を離れなくては!」
ルースは周りから何と言われようと、自分の意見を変える気はさらさらなかった。この世に悪魔は存在する。
この時代の人間にとって、それはくだらない妄想かもしれないが、ルースは真実を捉えていた。いつの時代も、時代の先を行く者は理解されない。
「ジョー!こんな馬鹿げた話信じるんじゃねえぞ!こんな老いぼれの話なんかに耳貸すな!」
トーマスの話にレイヴンが気を取られている時とは反対に、今度はレイヴンがジョーの興味を引き離そうとしている。
しかし、それは無駄なことだった。ジョーの超自然現象に対する興味はかき消すことが出来ない。呪われた船長に出会ったその時から、ジョーは一種の呪いにかけられたのかもしれない。
「馬鹿げた話なんかではない!悪魔を馬鹿にして痛い目を見るのはお前だぞ‼︎」
他人の意見には耳を貸さないルースだったが、真っ向から否定し続けるレイヴンには我慢ならなかった。
この時代に、悪魔の存在を提唱する人物は馬鹿にされた。それは仕方のないことだった。真実を言っていたとしても、それが突飛なものであれば、ただの変人と思われるだけだ。
「うるせぇ‼︎」
あまりにも馬鹿げた意見を並べ立てるルースに堪忍袋の緒が切れたレイヴンは、大声で叫んでルースに1歩踏み出す。
ガタン‼︎
その瞬間だった。彼らの乗るミセリコルディア号の船体が大きく揺れる。
広間にいた全員が、身体のバランスを崩した。床に倒れ込む者もいれば、体勢を崩すだけで済んだ者もいた。無論、痩せこけたルースは床に倒れ込んでいた。
「祟りじゃ!祟りじゃ!」
ルースは狂ったように叫び続ける。それは悲嘆を含んだ叫びだった。
ルースを側から見れば、目の前で起こる現象を、全て無理やり悪魔に結び付けているようにしか見えない。
一方で、ジョーも今の現象に何かを感じていた。船が、嵐の中座礁したのかもしれない。または、それ以上の何かがあるのか。彼は逸る気持ちを抑えられなかった。
今、外に出れば、何か大きなものが待ち受けている気がする。そんな気がしてならなかったジョーは、他のことは一切考えずに客室の階段を駆け上がり、甲板へと向かった。
それに気づいたレイヴンは、慌ててジョーの後を追った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
未だにリオルグの海を抜け出せないミセリコルディア号。甲板に出たジョーとレイヴンを待ち受けるものとは!?
BLACK MOONの世界で、悪魔などの迷信が受け入れられるようになったのは最近だと明らかになりました。




