第38話「離郷」【挿絵あり】
いよいよ故郷を離れる時。ジョーとレイヴンは、リオルグ最後の船長と旅に出る。
改稿(2020/08/15)
翌朝。もちろん空は代り映えしなかった。日が昇っても、重苦しい黒雲が空を覆っている。新しい日の訪れを感じることすら出来ない毎日。住民の気分が落ち込むのも仕方がない。
レイヴンとジョーの2人は、アンダーソンに言われた通り、リミア観光リオルグ支部を訪れていた。乗船場へ向かうと、そこには2人がアンダーソンと漁に出た時のものより遥かに大きな帆船が佇んでいた。
「お前たち、ネルソン水産の若造か?」
乗船場で、目の前の巨大な船に憧れを抱いていた2人に声を掛ける人物がいた。2人が振り返ると、筋骨隆々とした勇ましい男が立っていた。アンダーソンとは違い、とても頼りがいのある見た目だ。顔には幾つか傷跡が残っており、その瞳から、彼の芯の強さが伺える。
「はい」
「やはりそうだったか。私はお前たちの船長ランバートだ」
ジョーとレイヴンの前に現れた男。それは昨日アンダーソンが言っていたランバートだった。この町で最後の船長として生き残る事が出来たのにも、見た目だけで頷ける。
「よろしくお願いします」
2人はランバートの姿を見てホッとした。もしランバートが、アンダーソンのような小太りの中年男性だったなら、彼らはこの先の航海が不安になっていたところだ。
「それにしても、お前たちは幸運だったな。この町で船に乗れなくなってしまったのは不運以外の何でもないが」
そのランバートの言葉には、少々嫌味が込められていた。今のリオルグでは彼だけが、自由に船を動かす事の出来る唯一の船長なのだ。彼は、少しばかりその美酒に酔っていた。
「俺たちも、このままずっと船に乗れないんじゃないかと思っていました」
ジョーは、期待と不安の混ざった気持ちを抱いていた。また船に乗って海に出られるのは嬉しい。
だが、リオルグを取り巻く海はひどく荒れていて、これからの航海に不安を抱かざるを得なかった。
「心配するな。我がミセリコルディア号は幾度もこの呪われた海を越えて来た。大船に乗っかったつもりで安心していろ」
ジョーの抱いていた不安を、ランバートは見透かしていた。
「それで、いつ出発するんですか?」
ジョーとレイヴンは、早く船に乗りたくてウズウズしていた。数か月ぶりの乗船。ようやく、懐かしい海へと足を踏み入れる事が出来る。その先に待ち構えるのは、一攫千金のチャンスのある仕事。
「小1時間もすれば出発出来るはずだ。乗組員も乗客も揃っている。出発までミセリコルディアの中を見て回るといい」
ランバートには、2人がこれからの船旅に大きな期待を抱いている事などお見通しだった。彼でなくとも、2人のワクワクした顔を見れば分かる。ようやく海の男が海に戻れる。わずかな時間であれ、いるべき場所へ戻れるのだ。
2人は返事をする間もなく、ミセリコルディア号の中へと駆けて行った。子どものようにはしゃぐ2人を見て、ランバートは優しい溜め息をついた。
「まさかこんなデカい船に乗れるなんてな!」
レイヴンは思わず声をあげた。ミセリコルディアは、外から見ても十分大きな船だったが、中から見ると、その大きさを改めて実感出来る。
「あぁ、まったくだ」
ジョーは、大した言葉を返せなかった。口にする言葉を探せないほど、目の前に広がる景色に夢中になっていたのだ。
「見ない顔だな。客か?」
ミセリコルディアの内装に見惚れていた2人を、不思議そうに見ていた男が声をかけて来た。少々背は低く、顔に大きなコブが出来ているが、たくし上げられた袖からは、たくましい腕の筋肉が見えている。
「あ、はい。俺たちアドフォードに向かうんです」
しばらく贅沢な光景を満喫していたジョーは、返事をするのに少し時間が掛かった。
その間も、レイヴンはこちらの様子を気にすることなく内装を眺めていた。
「アドフォードか。ってことは、炭鉱夫になるのかい」
「そうです。俺たちはネルソン水産にいたんですが、このままここにいても仕事はないので」
そう語るジョーの目はどこか悲し気だった。終わらぬ嵐が来てからと言うもの、毎日海岸に行っては愛する場所へ想いを馳せる、悲しい毎日を思い出したのだ。
今でこそ明るい気持ちで満たされているが、昨日までのジョーとレイヴンは暗い気持ちでいっぱいだった。
「今となっちゃ、ミセリコルディア以外でこの海を渡るのは不可能だからな。大変だったろう。俺はハンクだ。短い間ではあるが、よろしくな」
ハンクは、ジョーに手を差し出した。
「俺はジョー。こっちはレイヴンです。よろしくお願いします」
ジョーはハンクと握手を交わした。
「ハーンク!こっち手伝ってくれ!」
そんな中、少し遠くからそんな声がした。2人と違って、ハンクは乗組員だ。
間もなく船を出港した。ジョーとレイヴンは徐々に遠くなっていく故郷を、甲板から雨に濡れながら眺めていた。小さくなっていく故郷をいつまでも見つめている2人。
しかし、そこに名残惜しさや未練といった感情は全く存在しなかった。これから待ち受けるのは、明るい未来だと分かっているから。ようやく、代り映えのしない暗い毎日から抜け出す事が出来るのだ。
「おいお前たち!客室に入っていろ!ここにいたら風邪引くぞ!」
舵を取っていたランバートが、2人に声を掛ける。唯一呪いの海を航行できる船とは言えど、甲板にいれば嵐の影響を直に受けてしまう。客室が用意されているのに、わざわざ自分から濡れる必要はどこにもない。
「はい!」
2人は返事をすると、遠ざかっていく故郷を何度か振り返りながら、客室へと入って行った。
客室に入っても、轟轟と壁に打ち付ける雨や風の音がよく聞こえた。一体全体どうしてこんな嵐が延々と続いているのだろうか。
ミセリコルディアは100室以上の客室を備えており、特に乗客の少ない今回の運航では、ほとんどの部屋が空室状態だった。
客室には、乗客同士が交流するための広間が存在した。広間には幾つかのテーブルが設置してあり、カウンターもあった。酒を飲みながら談笑する事も出来るようになっていた。
ジョーとレイヴンの2人が個室に入る事はなかった。狭い部屋に2人でいるよりも、この広いミセリコルディアの内部を歩いて回ったり、乗船している客と話している方がいいと思っていたからだ。
2人が広間に向かうと、まず目についたのは体格の良いスキンヘッドの男だった。薄汚れたシャツを着ている彼は、どこか物憂げな表情で宙を見つめながら、酒を飲んでいた。
明らかに問題のありそうな人物には関わらないのが1番。2人はそれが分かっていて、なるべく男の方を見ないようにして、通り過ぎようとした。
「お前たちも仕事を探すためにリオルグを出たのか?」
2人の想いも虚しく、男は声を掛けてきた。酒を飲んではいるものの、意識はしっかりとしていて、真面な話が出来る相手のようだ。
「……はい、そうです」
一瞬気づかないフリをして通り過ぎようとした2人だったが、男と会話をする事にした。仕事を探しにリオルグを出た男の前で、すでに決まった仕事がある事実を明かす事は出来ない。
「そうか……俺はトーマス。根っからの海の男なんだ。なのに、一体全体どうしたって言うんだ?リオルグの海は呪われちまった。リオルグに残れば、俺の居場所はなくなっちまう」
海の男トーマスは、聞いてもいないのに自分の身の上を話し始めた。彼も2人と同じように海で仕事をしていたが、嵐のせいで職を失ってしまったようだ。
「海の仕事がほとんどだったリオルグで、あの終わらない嵐……本当にツイてないです」
ジョーはトーマスに同情した。ジョーの言う通り、リオルグでは海に関わらない仕事はほとんどなかった。つまり、ほとんどの人間が職を失っているのだ。
「あぁ、まったくだ。リオルグに残って仕事を探す事も考えたが、あの嵐が終わらない限りどうしようもない」
トーマスは浮かない表情をしていた。いくら酒を飲んだところで、このやるせない想いはどうする事も出来なかった。彼は再び海に出る事を、心から望んでいる。
「お前たちもってことは、トーマスさんも仕事を探しにリオルグを出たんですよね?どこに行くんですか?」
レイヴンは素朴な疑問をトーマスにぶつけた。お前たち“も”と言う事は、彼もまた、ジョーやレイヴンと同じような理由で愛する故郷を離れたのだろう。
「悔しいが、そうだ。もう故郷を出なければ生きていけない。俺にも家族がいる。いつまでも故郷にこだわっている場合じゃないんだ」
そう話すトーマスの顔は、悔しさで歪んでいた。彼の故郷の海への愛は、相当のものなのだろう。
だが、好きな事だけでは生きていけないのが、人生というもの。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ジョーとレイヴンを外の世界へと連れ出すミセリコルディア号。2人の他にも、仕事を探しに外の世界へ飛び出す者がいた。




