第225話「七色の焔」【挿絵あり】
炎と氷の戦いの後、イゴール・フェブラリーは次の戦場に向かおうとしていた。
炎と氷の戦いは、イゴール・フェブラリーの勝利という形で幕を閉じた。勝利の余韻に浸りながら、イゴールはゆっくりと地上に舞い降りた。
彼が地面に足をつけた途端、築き上げられていた巨大な氷の城は跡形も無く消え去った。そこに残るのは、細氷によるきらめきのみ。
「ぐっ……ハァ…ハァ……」
それからすぐに、イゴールは膝をついた。俯いたまま、彼は肩で呼吸をしている。最上級の獣化を使ったことによる魔力の消費は、想像を絶するものなのだろう。
しばらくして顔を上げたイゴールの顔には、明らかな変化が起こっていた。さっきまでと比べて、イゴールの顔は急激に老けていたのだ。
その顔には数え切れないほどのしわが刻み込まれ、皮膚は垂れ下がっている。今のイゴールの肉体は老人のようになってしまっていた。
「さすがにあれだけ長時間クロセルの姿でいると、老化スピードも速いな……」
イゴール・フェブラリーが獣化の代償にしていたのは、“若さ”だった。
あまりにも強力な氷の黒魔術。使うたびに、イゴールの肉体は老いていく。使えば使うほど寿命が短くなっていくのだ。イゴールは自分に残された時間を犠牲にして、強大な力を手に入れていた。
もしかしたら、この決戦が始まる前から、イゴールの身体は実年齢より老いていたのかもしれない。
「まさか、こんなところでこれほど寿命を削ることになろうとは……たとえこの命が尽きたとしても、ブラック・サーティーンを逃しはしない」
老いてもなお、イゴールは立ち上がった。急激に老いたその身体は彼の想像以上に重くなっていたが、騎士団長への忠誠心が彼を突き動かす。M-12の使命は、ベルとナイトをセルトリア王国から逃がさないこと。
その足取りは非常にゆっくりとしたものだったが、イゴール・フェブラリーは次の戦いの場に移動しようとしていた。あと1度でもあの獣化を使ってしまえば、彼は限りなく死に近づく。
だが、イゴールは命を捨てる覚悟でこの決戦に臨んでいる。
「ジュライが削られた今、戦えるのは7人か……隊長にファウスト、リリスの娘に、実力未知数の海賊ども。これは思っていた以上に厄介な戦いになりそうだ」
今のイゴールはとてもではないが、まともに戦える状態ではない。M-12の誰かに加勢するような形でないと、これから彼は騎士団の勝利に貢献することは出来ないだろう。
「………⁉︎」
歩き出したばかりのイゴールの身体を、突然鋭い痛みが襲った。
そして、遅れてやってくる焼き付くような熱。
刹那イゴールの視界に入ったのは、七色に輝く眩い光だった。
「死ぬとこだったぜ」
「貴様……‼︎生きていたのか!」
それから一瞬にして、イゴールの目の前にホムラが現れた。氷と共に粉砕されたはずの海賊は、なぜだか無傷でイゴールの前に立っている。
ホムラの全身は虹色の焔に包まれていて、これまでにないほど輝いている。もちろん、その手に握られている小太刀も同じ焔に包まれていた。
「おうおう、心配してくれてありがとうよ。見ての通り、俺はピンピンしてるぜ?それよりお前、だいぶ老けたな?」
「確かに貴様は“絶対冷気”の餌食になったはず……一体どうなっている?」
「だから、クロセルの黒魔術より俺の焔の方が上手だったってだけさ。せっかく寿命削って頑張ったのに残念だったな。ご苦労さん」
「どうやって氷の檻から抜け出した?」
「あんなもんすぐに抜け出したさ。速すぎてお前は気づかなかったみたいだけどな」
炎と氷の戦いの決着は、まだついていなかった。ホムラの実力は、イゴールの想像を遥かに超えていたということだろう。
「貴様………寿命を使い果たしてでも、必ず貴様を葬ってやる‼︎“厳冬の化身”の力を舐めるなよ!」
「葬られたのはお前の方だ。まだ気づかないのか?」
ホムラにそう言われた途端、イゴールの目線は一瞬にして低くなった。たった一瞬で、イゴールは視線が1メートルほど低くなったような感覚に陥っていた。
「こんなことが……」
「あれ?速すぎて痛みも感じなかった?」
「こんなことがあってたまるかぁぁぁ‼︎」
自分の身体が一刀両断されていることにようやく気づいたイゴールは、絶叫した。
ホムラが姿を現した時にはすでに、イゴールの身体は斬られていたのだ。身体の切断面からは、不思議なことに出血はなかった。あまりにも熱すぎる炎が、傷口の血を焼き固めてしまったのだろう。
「勝ったと思わせといたら隙だらけなんだもんな〜。俺海賊だから、姑息な手段も迷わず使っちゃうぜ」
勝利を掴んだも同然のホムラは、舌を出して悪戯な笑みを浮かべた。海賊はアウトロー。勝つためなら汚い手を使うのも厭わない。海賊相手に正々堂々と戦おうとする方が間抜けだ。
「き…き、貴様こそ勝った気でいるんじゃないだろうな!貴様が傷口を焼いてくれたおかげで、まだ私は生きている。命尽きるまで、私は戦うぞ‼︎」
上半身と下半身を切り離されてもなお、イゴールは反撃の意思を見せる。イゴール・フェブラリーは、騎士団長のためならば命さえも捨てる男。その騎士道精神を決して軽く見てはならない。
「真っ二つにされて何が出来るって言うんだ?もうお前は死んだも同然なんだ」
一方すでに勝った気でいるホムラは、その身を包み込んでいた七色の焔を消していた。満身創痍の上、残された寿命はわずか。イゴールの死はすぐそこに迫っている。
「命尽きるまで私はクロセルの魔術を使い続けることが出来るのだぞ!貴様を凍死させてやる……道連れだ‼︎」
「やめとけ。惨めなだけだ」
「ククク……強がりはよせ。これから私は命を賭けた最後の黒魔術を使う。逃げられはせん」
最後の力を振り絞り、イゴールは再びあの獣化を使った。渦巻く吹雪に包まれて、イゴールは白い光に包まれた。
その光が消えると、上半身と下半身が切り離されたまま、イゴールは再び美しき氷の女王へと姿を変えた。
イゴールの上半身はふわふわと浮遊し、少し離れた場所に立っている下半身とくっついた。切断面がちゃんとくっついているか確認するように、イゴールはゆっくりと腰を回す。
「マジかよ、便利だな〜」
「この黒魔術を解除すれば私は死ぬ。だが、その前に貴様には死んでもらう」
ここからが戦いの最終局面。これからイゴールは命を賭けた最後の一撃を出そうとしている。ホムラの方が実力が上だとしても、今までのように簡単には切り抜けられないかもしれない。
イゴールが目を閉じて魔力を高めれば高めるほど、周囲は凍りつき、空気は冷たくなる。海辺の戦場は、一時的にロッテルバニアより厳しい極寒の地と化していた。
「はぁ〜……綺麗な女性を傷つけるのは気が引けるんだけどな〜」
ホムラは溜め息を吐きながら、小太刀の柄に手を掛けた。黙って敵に奥義を出させるほど、海賊は甘くない。
「朱雀一閃」
「⁉︎」
次の瞬間、ホムラはイゴールの背後に移動していた。その右手には、愛用の小太刀が握られている。瞬きの間にホムラは移動し、小太刀を引き抜いていた。
それから1秒ほど遅れて、イゴールの身体が激しく燃え上がった。七色の輝きを放ちながら、獣化したその身体は勢いよく燃え盛る。ホムラは敵に反撃の隙さえ与えない。
七色の炎が激しく燃えた後に残ったのは、真っ黒に焼け焦げたイゴール・フェブラリーの死骸だった。もはやその顔も、性別も判別出来ない。特殊な炎で焼かれたその身体は、風に吹かれただけで脆く崩れ去った。
「さてさて、早いとこ氷溶かして俺の船の様子でも見てくるか」
まるで最初からイゴール・フェブラリーなど存在しなかったかのように、ホムラは頭の後ろで手を組みながらその場を離れた。
“厳冬の化身”に勝利したホムラの身体には、傷ひとつ付いていなかった。一時は苦戦を強いられていたと思われたのも、ホムラが戦いを純粋に楽しんでいたためのものだった。
結局、イゴールの力はホムラに遠く及ばなかったのだ。エルバの人選は決して間違っていなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
死んだと思われたホムラはピンピンしていました笑
圧倒的な力を見せつけた船長は、出航の準備に取り掛かる。
次回は臨海決戦第3戦です!




