第219話「閉ざされた海」【挿絵あり】
リリとアレンが陸に上がろうとしている最中、ブレスリバーの海は氷に覆われてしまった。
ナサニエル・ジュライが気を失っている今が絶好のチャンス。リリは必死に手足を動かして、陸を目指す。当然アレンは彼女にしがみ付いている。リリは、このまま戦場を陸上に移そうと目論んでいた。
“痛ったい‼︎”
海面が間近に近づいたためにリリが思い切り頭を上げると、鈍い音を立てて何か硬いものにぶつかった。そこに何かあるとは夢にも思っていなかったリリは、あまりの痛みに頭を抱えている。海面には何かとても頑丈なものがあるようで、リリの頭は割れるような痛みに襲われていた。
リリは一瞬頭が真っ白になった。海から脱出出来ると思ったのに、そこには思わぬ障害があった。しばらくして冷静さを取り戻した彼女は、ゆっくりと手を頭の上に挙げてみた。
“……冷たい?”
そこには、確かに“冷たい何か”が存在している。何かが脱出を妨げていることを知ったリリは、“冷たい何か”を叩いてみたり、少し移動して離れた場所で同じ動作を繰り返してみる。
“嘘……もしかして、閉じ込められちゃった?”
その結果分かったのは、かなり広い範囲の海面が何かによって塞がれているという事実だった。その原因は、ついさっきイゴール・フェブラリーが使った黒魔術“グレイシャル・ワールド”にあった。
反乱者たちが戦っているエリアに面した海はほぼ全域が凍っている。イゴールの魔法が、海に蓋をしてしまったのだ。このままでは海から出ることはおろか、リリは息をすることさえ出来なくなってしまう。
近場で繰り広げられている別の戦いが、リリとアレンを窮地に追いやってしまった。まさに絶体絶命。ナサニエルに殺される前に、リリとアレンはこのまま溺れ死んでしまうかもしれない。
“このくらいで諦めてちゃダメよ……ベルはこれよりヤバい状況を何度だって乗り越えて来たんだから。私にも出来るはずよ!”
これまでのリリならここで諦めて、来るはずもない助けを当てにしていたかもしれない。だが、今の彼女は違う。強大な力を開花させたリリは、このくらいのピンチではへこたれない。
“私、めっちゃ強いんだからぁーっ‼︎”
心の中で叫びながら、リリは18番の黒魔術を発動した。“苦痛の創造”。押し寄せる波のごとく発生したイバラの大群が、氷の壁を突き破ろうとする。
“………あれ?”
ところが、分厚い氷の壁はビクともしない。ここでカッコよく海上に飛び出すつもりだったリリは、何とも間の抜けた表情を浮かべている。こうなれば、いよいよ溺れ死んでしまいかねない。
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「この氷って……」
「これは控え目に言ってもヤバいね。あの子、黒魔術をまだ使いこなせてないみたいだし、このままだと死んじゃうよ」
「そんな冷静に言わないでくださいよ!早く助けなきゃ!」
海上では、ロコとカルロがリリとアレンを救い出す方法を話し合っていた。相変わらず少しテンポが違うカルロに、ロコは翻弄されている。
「君。その絵筆で何でも生み出せるんでしょ?この氷を溶かしたり、割ったり出来ない?」
「溶かしたり割ったり……フェブラリーさんの氷は炎をも凍らせると聞いたことがあります。それなら割る方が話は早いですね」
「何でも良いけど、君が考えてる間に僕は僕のやり方でやってみるよ」
ロコにひとつ提案すると、カルロは何やら氷に向かって手を動かし始めた。操り人形を操るかのごとく、カルロはしきりに10本の指を滑らかに動かし続けている。
するとそれぞれの指から光る糸のような物体が伸びていき、海を覆う氷の一部にくっ付いた。さっきもこうやってリリとアレンを海上に引き上げたのだろう。今度は謎めいた糸の黒魔術を使って、一部でも氷の壁を引き剥がして、穴を空けようとしている。
「……ダメか。やけに頑丈な氷だな」
海を塞ぐ氷はあまりにも頑丈で、カルロの魔法の糸ではびくともしなかった。人間を海から引き上げるのとは、わけが違う。こうなってくれば、頼みの綱はロコの黒魔術だ。
「さあ!その氷を壊しちゃってください!」
「やっぱり君の黒魔術はすごいや!」
カルロが氷を引き剥がすのを諦めた時、ロコの準備が整った。
ロコが可憐に絵筆を振るうと、飛び散ったインクが猿人タイプの魔獣に姿を変えた。全身ピンク色ではあるが、その姿はトランプ・サーカスでベルたちを襲ったウォーエイプにそっくりだった。
ピンクの猿人は、頭上にあげた大きな2つの拳を、氷の海に向かって振り下ろす。勢いよく拳が振り下ろされると、ドン!という鈍い音が辺りに響いた。
残念ながら、超重量級の強烈な一撃でも、氷を破壊することは出来なかった。
「キーッ‼︎」
一瞬呆気に取られていたピンクの猿人は、今度は何度も氷に拳を叩きつけた。自分の力で壊せないものがあるという現実が受け入れられないのだろう。
それでも、氷の海には亀裂さえ入らなかった。打撃も炎も通用しない。そんじゃそこらの黒魔術では、この氷をどうすることも出来ない。
「どうしよう……早く助けないとリリさんとアレン君が危ない‼︎」
「いよいよマズいね……」
その様子を見たロコは、焦燥しきっていた。このままでは、リリとアレンが海の中で生き絶えてしまう。イゴール・フェブラリーの黒魔術は、あまりにも強力だった。
「え?……アレン君?」
ロコの頭が真っ白になろうとしたその時、突如として氷上にアレンが現れた。一瞬にして氷の壁を脱したアレンは、わけも分からずキョロキョロと辺りを見回している。
「これは一体どういうこと?」
「リリさんの黒魔術です!アレン君だけでも海の中から出そうと考えたんだと思います」
「へぇ〜……船長が魅かれた黒魔術ってもしかしてこれだったのか」
アレンが氷上に上がって来られたのは、リリの領域の魔法のおかげだった。最初に海に落ちた時と違い、今は陸に頼れる味方がいる。そう思って幼いアレンを救おうとしたのだろう。
「こんな便利な黒魔術が使えるなら、あの子も簡単に出て来られるんじゃないの?」
「それが………無理なんです」
「何で?」
「リリさんの領域の黒魔術は不完全なんです。自分以外は自由に瞬間移動させられるんですが、自分自身は思い通りに移動させられないみたいなんです」
「何それ、じゃあ本当にあの子今ヤバい状況じゃん」
「だからさっきから言ってるじゃないですか‼︎何とかしてリリさんを助けないと‼︎」
仲間を逃すことは出来ても、自分は逃げられない。不完全なその黒魔術は、自己犠牲を強制させるようなものだった。
「お姉ちゃんはどこ?」
「アレン君……リリさんはまだ海の中に……」
「お姉ちゃん‼︎」
リリがまだ氷の下にいることを知ったアレンは、小さな拳で思い切り氷を叩き始めた。アレンにとって、リリは母親に代わる大切な存在。これまで決して短くない時間を共に過ごしてきた愛する人を失うまいと、アレンは力の限り拳を氷に叩きつける。その拳に血が滲んでも、アレンは何度も何度も氷を叩き続けた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
未だにリリは海の中。死の淵に立たされてしまったリリの運命は……!?




