第218話「氷結」【挿絵あり】
リリとアレンが海の中で死闘を繰り広げている頃、その近くで別の戦いも始まっていた……
リリたちとナサニエル・ジュライが海中で死闘を繰り広げている頃。そのすぐ近くで、朱雀海賊団船長ホムラとイゴール・フェブラリーの戦いが始まろうとしていた。
「俺が騎士団からアイツらを盗んでやるぜ」
「下劣な海賊の手が、崇高な騎士に届くとでも思っているのか?」
「なんかお前の喋り方、いちいちムカつくな」
「下等生物めが」
イゴール・フェブラリーは、騎士という身分に誇りを持っていた。対するホムラは、立場や身分で人を決めつけるイゴールに苛立ちを隠せない。
「お前と喋っててもムカつくだけだ。さっさと始めようぜ!」
ホムラは屈み、腰に携えた小太刀を一気に引き抜いた。引き抜いた勢いで、ホムラはイゴールに斬りかかる。抜刀術だ。
カキン。イゴールの身体を斬り裂く前に、小太刀は甲高い音色を奏でた。ホムラの小太刀は、いつの間にやらイゴールの手に握られていたロッドに受け止められていた。それは、氷を切り出して作られたかのような、美しいロッド。
「黒魔術も使わず攻撃とは、随分と舐めた真似をしてくれる」
「くっ!」
イゴールがステッキを手前に引くと、ホムラの手から小太刀が離れてしまった。接していた小太刀の刃が、凍ってロッドにくっ付いてしまったのだ。
「ほう……実に美しい。お前のような薄汚い海賊に持たせておくには勿体無い品だな」
イゴールは、氷のロッドにくっ付いたホムラの小太刀を剥ぎ取り、食い入るように観察した。
その頭には、鳥の頭部のような彫刻が施されている。刀身が尾だと考えると、この小太刀は1羽の鳥に見えるようデザインされたようだ。
「っ⁉︎」
「おっと、俺の愛刀に触んじゃねえよ」
その美しさに気を取られていたイゴールから、ホムラは一瞬にして小太刀を取り返した。さっきまで小太刀を手にしていたイゴールの左の掌は、火傷を負っていた。ホムラの手に取り戻された小太刀の刀身を見てみると、そこには少量の水滴が確認出来る。
「炎の黒魔術士か。不愉快だな」
「お前がどう思うかなんか、知ったこっちゃねえよ」
氷と炎。それは、いつかの戦いが思い出されるかのような構図。黒魔術の世界では、氷が炎に溶かされるだけとは限らない。
今度はイゴールが、ホムラに氷のロッドを振り下ろした。それに素早く反応したホムラは凍てつくロッドを小太刀で受け止めた。この時小太刀の刀身には炎が揺らめいており、氷結してホムラの手から奪われる事はなかった。
それから、炎の小太刀と氷のロッドは、何度もぶつかり合った。両者とも譲らず、どちらも相手にダメージを与える事が出来ずにいる。
「こんな事をしていても、何も始まらない。違うか?」
「あぁそうだな。さっさと本気出したらどうなんだ?」
「私が本気を出せば、お前たちは全員死ぬぞ」
「そんなわけないだろ。自分の力を過信し過ぎじゃないのか?」
「あぁ暑苦しい。お前と違って、私はすぐに燃え上がったりはしない」
イゴールがロッドを振ると、その軌道上に氷の礫が出現し、ホムラ目掛けて飛んで行った。イゴール・フェブラリーの黒魔術は、もちろん触れたものを氷結させるだけではない。
飛んで来た氷の礫を、ホムラは華麗な刀さばきで斬り裂いた。刀身は短くても狙いは寸分狂わず正確で、斬り裂かれた氷は一瞬にして蒸発してしまった。
その後もイゴールはひっきりなしに氷の礫を飛ばし続けたが、ホムラはその全てを綺麗さっぱり消し去った。
その際、小太刀から発生していた炎が周囲に飛び散った。小太刀の炎が消えても、至るところに飛散した炎はくすぶっている。
「何がしたい?その程度の黒魔術なら、今まで何も変わらないぞ」
「ほんの小手調べだ。言っただろう?私はすぐに燃え上がったりしないのだ」
ホムラには、イゴールの腹の中が分からなかった。イゴールの氷は、ホムラの炎に容易く溶かされてしまう。どう考えても、段階的にギアを上げるような状況ではない。イゴールの方が現状では圧倒的不利な立場だ。
薄ら笑いを浮かべながら、イゴールは悠々とどこかに向かって歩き始める。何か胸騒ぎを感じたホムラは、小太刀を構えながら、イゴールの出方を伺っている。何か隠し球がなければ、イゴールはここまで余裕綽々ではいられないはず。
小太刀から飛散したくすぶる炎の前まで来ると、イゴールは立ち止まった。それから、揺らめく炎の中に氷のロッドを突っ込んだ。ホムラはその様子を興味深そうに観察している。
「そろそろお前の顔も凍りつく頃だろう」
すると、炎はみるみるうちに凍っていった。イゴールの足元には、世にも美しい炎の氷漬けが完成していた。
「なるほどね。ご丁寧に紹介してくれなくても、大体こうなることは予想してたよ」
「随分と余裕だな。お前の炎は私の氷を溶かせないのだぞ?」
「そんな黒魔術、別に珍しくもなんともないだろ」
炎が凍る。この世界では、それは別に珍しいことではなかった。ベルと戦ったエース・ド・スペードがそうであったように、自然の摂理を超えることは難しくはない。
「愚かな海賊め。永久に凍ってしまえ。2度と生意気な口を利けなくしてやろう」
イゴール・フェブラリーは冷徹な声と共に、ロッドを勢いよく地面に突き立てた。
すると、その点を中心にして、波動のようなものが発生した。波動は瞬く間に周囲に広がり、それと同時に気温が急激に低下したのをホムラは肌で感じ取った。
その直後、ロッドとの接地点を中心にして、地面がみるみるうちに凍り始めた。先ほど広がった波動を追いかけるように、氷が地面を覆っていく。
「おっと……」
氷結は止まることを知らず、あっという間にホムラの両足を凍らせてしまった。幸い凍ってしまったのはホムラの両足のみ。彼は完全にその場から動けなくなってしまったが、何も出来ないわけではない。上半身は自由が効く。
この時、ホムラは氷結の広がり方を見て首を傾げていた。ホムラは海を背にして戦っていて、イゴールは海の方を向いている。なぜだか、地面が氷結していったのは、イゴールが向いている120度ほどの範囲だけだった。イゴールの背後の地面は一切凍っていない。
「はは〜ん。お仲間が不利にならないようにしたってわけか」
「その通り。グレイシャル・ワールド。この氷に触れたものは例外なく凍ってしまうからな」
イゴールの背後では、他のM-12の多くが反乱者と死闘を繰り広げている。触れたものを凍らせる氷は反乱者を苦しめるかもしれないが、M-12も同様に凍ってしまう可能性は否めない。
「船は氷の海を渡れるか」
「へ〜。つまり、俺の背後には氷漬けの海が広がってるってわけか」
ホムラは後ろを振り返ることが出来ないが、確かに彼の背後にある海は凍りついている。どこまでも広がる海が、みるみるうちに氷に閉ざされていく。この“厳冬の化身”を破らない限り、海に出ることさえままならない。
「この期に及んで、なぜ笑っていられる?身の程知らずの愚か者めが」
「笑っちゃ悪いか?戦いは楽しんだもん勝ちだ。そう思わないか?」
「ふん。お前とは永遠に分かり合えないな」
海辺の戦場は一瞬にして凍てつく大地へと変貌を遂げた。景色は大きく変わってしまったが、戦いはまだまだ始まったばかり。




