第217話「救いの糸」【挿絵あり】
リリはアレンを連れて海上に顔を出そうと試みる……
「なっ⁉︎」
今にもリリとアレンを吞み込もうとしていたナサニエルは、突然身動きが取れなくなってしまった。ナサニエルは必死にもがいてみるが、少しもその場から動く事が出来ない。
原因はリリの黒魔術にあった。沈み行く船の甲板に残ったイバラの根元から、ナサニエルの巨体に向けてリリがイバラの柱を再び伸ばしたのだ。
イバラがいくつも絡み合って強靭になった柱が、ナサニエルの巨体に巻きついた。海に沈んだ帆船が重りとなり、ナサニエルは動きを封じられてしまったのだ。
いずれはイバラによる拘束も解かれてしまうが、多少の時間稼ぎにはなる。
“思ったより間抜けね”
ナサニエルがもがいている隙に、リリは新たに“苦痛の創造”を発動していた。ナサニエルを縛り上げるイバラから枝分かれして、新たなイバラが伸びている。
ナサニエルの身体から離れるようにして、新たに2本のイバラが伸び続けていた。ナサニエルの身体を縛っているイバラはいくつも絡み合っているが、新たに伸びているものはそれぞれ1本ずつ。ナサニエルにダメージを与える事が出来ないイバラで、リリは何をしようと言うのか。
その答えはすぐに明らかになった。十分な距離離れていったイバラは、勢いをつけて猛スピードでナサニエルの身体に急接近した。この時リリが狙っていたのは、ナサニエルの眼球。全身が硬い鮫肌で覆われていようと、眼は硬くはない。
「ぎゃああああああ!」
リリの思惑通り、ナサニエルはイバラによって両目を貫かれてしまった。
その鋭い痛みに悶えるナサニエルは居ても立っても居られず、海上に向かって急浮上を始める。その好機を見逃さなかったリリは、ナサニエルに掴まって海上に向かった。もちろんアレンはリリの脚にしがみ付いている。
「ぷはぁーっ!」
目論見通り、リリはアレンと無事に海上へ顔を出す事が出来た。しばらくぶりに地上に戻って来た2人は、新鮮な空気を目一杯吸い込んだ。悪魔とのハーフであるリリでも、海中で呼吸をする事は出来ない。
「え?うわぁっ⁉︎」
しかし、その直後にリリの予想外の展開が待っていた。
一瞬にして、リリとアレンは再び海中に引き戻されてしまった。さっきまで2人の瞳には青い空が映っていたはずなのに、今ではどんな視線を動かしても青い海しか見えない。
2人が海中に引き戻されてしまった原因は、ナサニエルの鮫肌にあった。ザラザラしている鮫肌にリリの服が引っ掛かっていたのだ。必死にリリにしがみ付いているだけのアレンも、当然のごとく海中に逆戻り。
ナサニエルの視覚は封じる事が出来たが、リリたちにとっても不利な状況が続く。
「どこだ⁉︎もう僕ちん許さないぞ!」
海に戻ると、ナサニエルは乱暴に身体を振り回し、リリの姿を探し出そうとした。彼は、リリが鮫肌に引っ掛かっている事にすら気がついていない。
ナサニエルが暴れ続けた事が幸いして、リリは身体の自由を取り戻した。
“やった!………でもないかも”
自由を取り戻した事を喜んでいるのも束の間、リリの顔はすぐに青ざめた。振り向いたすぐそこに、恐ろしいサメの顔があったのだ。ただ、ナサニエルはリリの姿を捉えたわけではなかった。がむしゃらに暴れ回っている結果、偶然リリの方を向いているだけなのだ。
“きゃぁぁぁぁぁ……あれ?”
もう1度、苦痛の創造で危機を脱しようとしたリリは、途中である違和感に気がついた。イバラを発生させているだけなのに、なぜか彼女の身体が移動しているのだ。それも、彼女の意思によるものではない。
何が起きているのか理解出来ないまま、気づけばリリとアレンは海上に顔を出していた。
「何これ……糸?」
新鮮な空気を吸いながら、リリは手足に見慣れない糸のようなものが付いている事に気がついた。知らぬ間に付けられたこの糸により、どうやらリリは海上に戻って来る事が出来たようだ。
「さっきからずっと見てたけど、君危なっかしいね」
「ありがとうございます!えぇっと……」
「カルロだ」
「ありがとうございますカルロさん。私はリリ、この子はアレン君です」
リリとアレンを救ったのは、黒とピンクのバイカラーの髪が特徴的な男カルロだった。今まで何もせずただ立っていただけの彼にも、個性的な黒魔術があるようだ。
「今は名前なんてどうでもいい。それより君。君はイバラを出す事しか出来ないのかい?」
「あの!それよりも助けてくれるんなら、何で最初から助けてくれなかったんですか⁉︎」
「これから少なからず船旅を共にするんだ。お手並みを拝見させてもらったんだよ。船長が君の黒魔術に魅かれたらしいけど、本当なのかな」
「何それ⁉︎こっちは死にそうになってるのに、よくそんな呑気でいられますね!」
良くも悪くもマイペースなカルロに、リリの怒りは一気に頂点に達した。明らかに今は“お手並み拝見”などと言っていられる状況ではない。朱雀海賊団のメンバーは、少々変わっているようだ。
「何で怒ってるの?」
「もう!知らない!」
マイペースなだけでなく、カルロは他人の感情を理解する能力が低かった。明らかにリリはカルロに対して怒りを爆発させているが、当の本人はリリが起こっている原因は他にあると思っている。
「リリさん、アレン君お待たせしました!何だかとっても大変な事になってますね……私も加勢します!」
「ロコさん‼︎来てくれたんですね!」
そんな中、絶好のタイミングでロコが姿を現した。このままカルロと話し続けていれば、リリは怒り狂って変な気を起こしていたかもしれない。
「はい!夢の中で隊長から協力して欲しいって言われたんです。こんなに大変な事になっているのに、ほっといておけませんよ!」
「やっぱりロコさんのこと信じてて良かった!」
「リリさん!早くアレン君を連れて陸に上がってください!」
ロビン同様、ロコも反乱者の味方だった。リリたちを乗せて来たアイザックと違い、ロコは遅れて戦場にやって来た。リリたちを移動させるという役割が無ければ、ロビンも後から戦場に駆けつけていたのかもしれない。
いくら視力を奪ったからとは言え、依然として水中ではナサニエルの方が自在に動き回る事が出来る。海中で戦うよりも、地上で戦った方が勝率は高いはずだ。
「さあ、手を伸ばして!」
陸に上がろうとするリリとアレンに、ロコが手を差し伸べる。幸い未だにナサニエルはリリとアレンの姿を捉える事が出来ずに、海中で暴れ回っている。
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「クソ……可愛くったって、こんな事……許されるはずない!」
その頃、海中ではナサニエルが未だに痛みに悶えていた。視力があるのと無いのとでは、戦況は大きく変わってしまう。おまけに、リリには強力な味方が2人ついている。
「……ん?そこにいたのか、お嬢ちゃん」
苛立ちながら上を向いたナサニエルは、見えないはずの目でリリの居場所を特定した。どうやら、その視力が完全に失われたわけではないらしい。
今日の空模様は気持ちのいい晴れ。日差しが落とす影が、リリの居場所をナサニエルに教えていた。もちろん彼の目にははっきりとは見えていないが、日差しを遮る影くらいは確認出来た。
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「嘘でしょ⁉︎」
リリが今にもロコの手を掴もうとしたその時、ざばーんと大きな飛沫を立てて、巨大なサメが海上に顔を出した。そのままナサニエルは大きく飛び上がり、リリとアレン目掛けて落下した。
「リリさん!アレン君‼︎」
ロコが引き上げる前に、リリとアレンは巨大なサメの下敷きになってしまった。これによって、2人はまたもや海中に引き戻された。ナサニエルは、何としても自分が優位に立てる海中を戦場にしたいらしい。
幸い、リリとアレンが巨大なサメに押しつぶされる事はなかった。咄嗟にイバラを大量に発生させ、ナサニエルの巨体が直接触れるのを防いだのだ。リリはそのまま空中でナサニエルを拘束するつもりだったが、巨体が落下して来る勢いを殺す事が出来なかった。
「リリさん、アレン君。ジュライさんからちょっと離れてください!」
リリよりも遥かに戦闘に慣れているロコは、狼狽える事なくリリを救い出そうとする。ロコが叫びながら手にしていたのは、魔法の絵筆。筆の先には、輝くピンク色の液体が付いている。
ロコが海に向かって絵筆を3度振るうと、ピンク色の液体が海の中に飛び散った。海に落ちたピンクの液体は、3箇所に別れて固まり、ゆらゆらと揺れ動く。
揺れ動くピンクのインクは徐々に立体的に膨れ上がり、何やら丸みを帯びた形に変化していった。
やがて丸い部分から、ひらひらとしたカーテン状の物体が飛び出し、ピンクの液体は変形を終えた。ロコが魔法のインクで生み出したのは、薄いピンク色のクラゲだった。あっという間に3匹のクラゲが創り出された。
意思を持ったクラゲたちは、一斉にナサニエルに向かってすいすいと泳いでいく。海に戻った途端、ナサニエルは海中を所狭しと駆け抜け始めた。リリに潰された目の視力は回復していない。海中戦に戻った今、ナサニエルにリリの姿を捉える事は出来ない。
クラゲたちはすぐにナサニエルの巨体に絡みついた。ある程度の強度を持つイバラで縛っても、時間稼ぎ程度にしかならない。クラゲが何匹絡みついたところで、巨大なサメの動きを止める事は出来ないはずだ。
“ロコさん……どうするつもりですか?”
リリはクラゲの動向を見守りながら、次なる手を捻り出そうとしていた。変幻自在に姿を変えるナサニエルは、想像以上に厄介な相手だ。
“ロコさん、ナイス!”
「ぎゃあああああ‼︎」
リリが何か妙案を思いつく前に、ロコの思惑が明らかになった。クラゲが絡みついて数秒もしないうちに、ナサニエルの巨体がピンク色の眩い光に包み込まれた。絡みついたクラゲの触手から、ピンク色の電流が流れたのだ。
複数の触手から発せられた電流は全てナサニエルに流れ、ナサニエルは悲痛な叫び声をあげた。
強力な電撃を浴びたナサニエルは、そのまま気を失った。ロコが使う黒魔術は幻想的で可愛らしいものだが、その威力を見くびってはいけない。監獄町ラビトニーでは囮になっただけだったが、ロコの黒魔術には無限の可能性がある。
“よし!今だ!”
ナサニエルが気絶した瞬間をしっかり見ていたリリは、すぐに海上に向かって泳ぎだした。今のうちに陸に上がり、身の安全を確保する。それから戦い方を考えればいい。不自由な海中にいては、逃げるのに必死で良い考えも浮かんで来ない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
頼れる味方カルロ。そして満を辞してロコちゃんが登場しました!圧倒的に有利になったかに思われた瞬間、またも海の中に引き戻されてしまったリリとアレン。ナサニエル・ジュライは簡単には引き下がりません。
次回は一旦リリの戦いから離れます。1話挟んで、再びリリの戦いに戻ります。




