第34話「2人の水夫」【挿絵あり】
ベルの父“ジョー”と、大富豪レイヴン・ゴーファーの過去。
彼らの物語は、ベルと同じ港町リオルグから始まる。
改稿(2020/06/14)
Episode 1 : Jo and Raven/ジョーとレイヴン
ギラつく太陽の日差しを浴びて、焼けるような暑さの中、屈強な男たちが一隻の船に乗り込んでいる。
大きな縦帆を掲げたスループ(帆船の一種)だ。
釣り竿や撒き餌、網などを抱えている様子からして、このスループは漁船として使われるようだ。スループは小回りが利く。漁船には打ってつけだ。
ここは今から32年前、リミア連邦のリオルグにある港。水の国と呼ばれるリミアは、他国に比べ水や海への関わりが深く、ほとんどの町に港が存在する。
そして、全ての町に水路が走っている。“水の国”と呼ぶには相応しい景観だ。他の町よりも海に面する割合が多いリオルグは港町であり、その漁獲量は国全体の30パーセントを占めている。
今日は取り分け釣り日和だ。太陽の光が燦々と降り注ぎ、その光を揺れる海面が幾千もの光として反射している。とても美しい光景だ。
穏やかに揺れる海。風も心地よかった。まもなく屈強な男たちを乗せたスループは出港する。そんな船の中で、2人の若い男が言葉を交わしていた。
「昨日も大量だったよな、ジョー」
白い歯を見せながらそう言ったのは、長い黒髪を後ろにひとまとめにした男だった。鋭く青い瞳を煌めかせるその男は、“ジョー”と呼ばれる男と仲が良いようだ。
「まったくだな、レイヴン。この空じゃ、今日は昨日より期待出来るよ」
ジョーはレイヴンに笑顔で応える。ジョーは美しい金髪の、端正な顔立ちをした男だった。どこか遠くを見つめるような翡翠色の瞳のジョーは、レイヴンを前に笑顔を絶やさない。このジョーという男は、のちに“悪魔博士ヨハン・ファウスト”として名を轟かせるようになる、ベルの実父だ。当時、彼はJohannという名前の頭を取って、Joと呼ばれていた。
それは希望に満ちた、ちょっとした航海の始まりだった。白く輝く水平線が、彼らを待ち受けている。
「帆を目一杯張れ!風を受けて一気に遠洋まで進むぞ!」
ふくよかなアンダーソン船長が、口元を片手で囲って叫んだ。帽子を被って希望に目を輝かせたその姿は、船上でもひときわ存在感を持っていた。
帆船としては比較的小さいこのスループでは、アンダーソン船長の大声は船員に行き渡っていた。
この船に乗船しているのは、アンダーソン、レイヴン、ジョーを含めて26名。漁船は遥か彼方の大海を航行するわけではない。十分な人数だった。
少し遠洋まで船を運び、しばらく網を張っておくだけでも十分な漁獲量が見込める。リオルグ近辺の海は、恵まれているのだ。
「本当に気楽な稼業だよな」
レイヴンは割り当てられた仕事を終え、隣に立つジョーに話しかける。余計な風も吹かず、真っすぐに進んでいる今、下っ端である彼らにはこれと言った仕事がなかった。
ここのところ気持ちの良い晴れの日が続き、昨日の漁の間に甲板も綺麗に磨き上げられていた。全てが順調で、太陽の光を反射し、宝石のように輝く水面も眺める余裕もあった。まさしく、レイヴンが言うように気楽な仕事だ。
「あまり気を緩め過ぎるなよ。どれだけ気楽だろうと、ここは海の上だ。落ちたりしたら大変だ」
浮かれ気分のレイヴンにジョーは釘を刺した。ジョーの方が遥かに客観的で、冷静な判断が下せるようだ。こうして会話をしたり、水面を見つめている間にも賃金は発生している。
遠洋までたどり着けば、嫌でも大量の魚を持って帰る事が出来る。期待された分の魚を持ちかえれば、この船に乗船している船乗りたちには給料が支払われる。
もっとも、近頃は会社が期待するよりも多くの魚を持ち帰るため、彼らにはボーナスが出ているほどであった。それも、この恵まれた海による恩恵だった。
「まあまあ、そう固いこと言うなって」
ジョーの返事が予想していたものとは違ったため、レイヴンは浮かない顔をしている。ジョーには少し真面目すぎるところがある。一緒に盛り上がりたい時でも、ジョーは正論を掲げ、絶対に羽目を外す事はなかった。彼はそういう男だ。レイヴンは、彼のことをよく知っていた。
「ミスター・ゴーファー!暇を持て余しているようなら、船倉に行ってくれ。何か異常がないか見て来て欲しい」
舵輪の傍から2人の様子を見ていたアンダーソンは、2人のうちの1人、レイヴン・ゴーファーに命令を下した。
「アイ!キャプテン!」
レイヴンが声を張って応える。
「ほら、お前がつれないから雑用押し付けられたじゃないか」
レイヴンは口を尖らせてジョーを軽く睨んだ。それでも、ジョーは表情を一切変えなかった。本当に真面目な性分なのだ。
「君も一緒に行ってくれるかね?」
その隣にいるジョーが、レイヴン・ゴーファーと同じく暇を持て余しているのに気づいた船長は、続けざまに命令した。ジョーは、レイヴンから親しみを込めて名前の頭文字を取ってジョーと呼ばれている。
「アイ、キャプテン!」
ジョーもレイヴンと同じように返事をした。巻き添えを食らったジョーを見て、レイヴンの口許は弛んだ。
レイヴンはずっと何かを話しながら船倉に向かった。ジョーはただそれを無言のまま聞いていた。彼の言葉全てに反応していては、切りがないのだ。
「なあジョー。お前の夢って何だ?」
レイヴンは船倉に着くなり、新しい話題を作った。船倉にはレイヴンとジョー、2人しかいない。
「レイヴン。そんな事より、この中を確認しないと」
真面目なジョーは彼との会話よりも、命ぜられた仕事に取り掛かりたい。浮足立っているレイヴンと同調して、もしも危険な目にあったら困る。
「ジョー、ジョー!お前は肩に力が入り過ぎてるんだ!どうせここで仕事を早く終えても、俺たちは他にやることがない。ここでちょっと喋ったからって何か害があるわけじゃないだろ?」
少々固すぎるジョーにレイヴンは溜め息をついた。真面目だと分かっていても、やはり彼は真面目過ぎる。たまには肩の力を抜いて、息抜きしてもいいではないか。楽しい事や、遊びが好きなレイヴンにとって、ジョーは真面目過ぎる。それでも彼はジョーを大切に思っていた。
そんなレイヴンの言葉を聞いて、ジョーは何度か彼の目と、船倉の積荷を見比べた。そして視線を落とす。
「やっぱり君には敵わない。君の言うとおりだ」
ジョーは少し口許を弛め、彼の提案を受け入れた。たまには将来のことに思いを馳せて見るのも、悪くない。
「じゃあ、お前の夢を教えてくれ」
「実は、まだ俺は自分の夢が分からない……」
ジョーは自信なさげに答えた。この回答にはレイヴンも目を丸くした。まさか、こんな返答が返って来るとは思いもしなかったのだ。
「そ、そうか。そんな奴もいるんだな」
会話が途切れるのを恐れたレイヴンは、取り敢えず口任せにそう言った。
「君は夢があるのかい?」
「あぁ、もちろんさ!俺の夢は金持ちになること!大富豪になりたい!」
それを聞いたジョーは、思わずぷっと笑いを堪えずにはいられなかった。その答えが、あまりにもレイヴンらしいとでも思ったのだろう。ジョーが可笑しさに耐え切れずに笑う事は珍しかった。
「何だよ!夢がねえお前に笑われたかねぇな!」
ジョーの反応に、顔を赤くしたレイヴンが抗議する。まさか、自分の夢を笑われるなど夢にも思っていなかったのだ。彼はいたって真剣に夢の話をしていた。
「ハハ、ごめん。俺が悪かった。立派な夢だと思うよ、俺は」
「ホントにそう思ってるのか?」
まだ微かに笑みを浮かべているジョーを見て、レイヴンは懐疑的になった。半分にやついた顔でそう言われても、説得力に欠ける。
「当たり前じゃないか!」
ジョーはそう言うと、今度は我慢する事なく声を出して笑った。どうやら彼の笑いのツボにハマったらしい。こうなると、もう笑いは止められない。ジョーはしばし笑い続けた。
「ひどいぞ、お前……」
レイヴンは目線を落としてそう言った。仲の良い人間と夢の話をして、ここまで恥をかくとは思っていなかった。
そして、ジョーがこんなに楽しそうに笑う事も、知らなかった。
「嘘じゃないさ!まだ見習いの俺たちでも、この恵まれた海のおかげで余計に給料をもらってる。このまま順調に昇進すれば大富豪だって夢じゃないさ!」
ようやく笑いを抑えたジョーが、真剣な表情に戻った。リオルグの海はとても恵まれていた。もはや、この港で仕事が出来る事自体が幸運なのだ。
「あ、あぁ。確かにそうだな」
レイヴンも冷静さを取り戻し、さきほどの恥ずかしさを振り払って返事をする。
「すごく現実的な夢だと思う。今だって君は相当貯め込んでるし、昇進すればお金は貯まる一方じゃないか!大富豪になって、何がしたいんだい?」
ジョーはレイヴンの夢の実現性が高い事に言及し、彼の夢をさらに追求する。
「大富豪になった後か……考えもしなかった。取り敢えずこの町にデッかい家を建てる。そして……お前の夢でも応援するかな」
今の夢を叶えた後。そんな事は考えてもいなかった。彼はとにかく大金持ちになれれば、それでよかった。その後のことは、有り余ったお金が解決してくれるとでも考えたのだろう。
「それは有難い。でも、俺の夢はまだ決まってもいないよ」
ジョーは穏やかな笑みを浮かべた。レイヴンとジョーの間には、とても良い関係があった。お互いを信頼して、腹を割って話し合える。
「いつお前の夢が決まってもおかしくないぞ!俺はお前の夢を応援してやる。お前は何か、デカい事を成し遂げそうな気がするんだ」
彼はジョーに漠然とした可能性を感じていた。それが何なのかは分からない。
しかし、ジョーは何か特別な可能性を秘めている。そう思わずにはいられない何かが、彼の中には確かにあった。
「そんな大袈裟な。俺は普通の船乗りだよ。成し遂げたとしても、リオルグの漁獲量を引き上げることくらいじゃないかな」
ジョーは謙遜した。まだ具体的な目標も定められていない彼にとっては、自分に秘められた可能性を知る由もなかった。
今は目の前の現実から想像できる未来しか、頭の中には浮かばない。
「まったく……やっぱりお前は、どこまで行ってもジョーだな」
今度はさっきの仕返しをするように、レイヴンが笑い始める。1度笑い始めると、止まらなくなった。しばらく笑い続けていれば、もう何が面白いのか分からなくなって来る。
「ひどいぞ、レイヴン!」
そんな彼にジョーは笑って抗議した。とても微笑ましい光景だ。アンダーソン船長から頼まれた仕事は一切こなしていないにも関わらず、2人はとても充実した気持ちになっていた。こんな幸せな日常がいつまでも続けばいいのに、2人はそう思っていた。
しばらくして2人はアンダーソン船長に任された船倉のチェックを終え、後甲板にいる船長のもとへ戻っていた。
「ふむ、異常はなかったようだな」
アンダーソンは蓄えた顎ひげをなぞりながら、満足そうにしている。
「もうすぐ漁場に到着する。網の準備をしてもらえるかね」
「アイ、キャプテン!」
2人は声を揃え、船長からの命令を受けた。いつもと変わらない漁が始まる。両舷から網を落とし、網はカバーしきれない範囲では、乗組員が釣り竿を使って魚を釣り上げる。
豊かなこの海では、ひとたび網を落とすだけでも大漁だった。たとえ餌がなくとも、それなりの収穫は見込めるほどだ。
リオルグでは大変多くの漁獲量が約束されているが、リミア連邦内の他の地域では、水の国と言えど、ほとんど魚が取れない場所もある。 そのため、想定より多くの漁獲量があったとしても損失になる事はない。バランスが取られているのだ。
錨が降ろされた後、間も無く両舷から網が落とされる。
もう何度も同じ作業を経験している船乗りたちは、慣れた手つきで会話を交わしながら、網を落としていた。その後に餌を撒くのも忘れずに。
「よおし皆!8時間ばかり粘るぞ。今日は空にも恵まれている。大量に持って帰るぞ!」
アンダーソン船長は、乗組員の士気を高めるため、大声で叫んだ。
「アイ、キャプテン!」
乗組員たちは、ほぼ同時に船長に負けないほどの大声で返事をした。 船長の思惑通りだ。これから彼らはいつものように釣り竿を持ち寄って魚を釣る。その魚を入れるための大きな水槽も用意されていた。
釣り竿を持っていない乗組員たちが、海から汲み上げた水をその水槽に注いでいる。大漁が見込まれるため、それほど多くの海水を汲み込む必要はなかった。
船員はそれぞれ舷縁に寄りかかったり、頬杖をついたりして、魚が釣れるのを待っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
水夫の2人がどうやってアドフォードに移り住むようになったのか。その片鱗が次回語られます!




