第33話「風に舞う赤土」【挿絵あり】
一旦追手を退けたベル。しかし、アドフォードの町にはベルを恨んでいる町民が待ち受けている……
改稿(2020/07/23)
しばらくして、ジェイクが帰って来た。
「夜も更けてきましたが、かなりの人が外に出ています。あれだけの火事があったばかりですし、深刻なダメージを受けた家も多いようです……」
「そうですか………」
「騒ぎが収まるまで、問題が解決するまで私たちはここでじっとしていた方がいいんでしょうか……」
「しばらくすれば、セルトリア王軍から再建部隊が派遣されるはずです。そうなれば、この町の人間はひとつの場所に集められる。ベル君の存在は、すでに王軍も把握しているかもしれません。その時までこの町にいるのは、危険です」
「じゃあどうすれば……」
リリは頭を抱えていた。まさに打つ手なし。今度こそ本当に終わりなのかもしれない。
「……何とかなるかもしれません‼︎」
ジェイクは突然人差し指を立てて、何か思いついた様子。そのまま慌てて、応接室を飛び出して別の部屋へと駆け出した。
「ビックリした〜!」
「ジェイクさんどうしたんだろ…」
ベルは驚きのあまり、右手で胸を押さえている。リリとアレンは、ジェイクが飛び出して行った方を見て呆然としている。あまりに唐突なジェイクの行動に、3人とも驚きを隠せなかった。
「ベル君、リリさん、アレン君!何とかなるかもしれませんよ‼︎」
とびきりの笑顔で応接室に戻って来たジェイクの手には、分厚い本があった。
その本の題は“Genuine Imitations(本物の偽物)”。
「何ですか?それ」
リリは首を傾げる。それもそうだ。その本のタイトルは、全く意味が分からないチグハグな言葉。
「これは黒魔術の本です!」
「でも黒魔術って、悪魔と契約しなきゃ使えないんじゃないんですか?」
「契約にも色々あるんです。この本自体が悪魔との契約を結んでいるので、本の所有者であれば魔法が使えるんです」
「そんなことが出来るんですか?」
「はい。正確に言うと、この本の著者が悪魔と契約し、この本の所有者が黒魔術を使えるようにしたんです。ですが、魔法は対価を伴います。原則として、人間が悪魔と契約する時には、オーブによる支払いが必要です」
「じゃあ著者は死んだんですか?」
「いいえ。何も自分のオーブで支払う必要はありません。その辺に浮かんでいるオーブでもいいんです。もちろん、オーブの質や量によって契約出来る黒魔術のレベルは変わって来ます」
宙を漂っているオーブより、人間や生き物の中にあるオーブの方が価値が高い。悪魔にとっては、オーブには差がある。
悪魔と契約するにはその魂の総額が重要であり、強力な黒魔術を使いたければ、価値の高いオーブで支払うか、安いオーブを大量に集めて支払うかという2つの方法がよく使われる。契約者の負担が大きければ大きいほど、絶大な力を手にすることが出来る。その他にも様々な方法があるのは、言うまでもない。
「この“本物の偽物”と言う本によって使えるのは、変身の黒魔術です。姿を変えれば、問題なくアドフォードを抜け出せるはずです」
「なるほど!それなら安心ですね!」
「僕変身出来るの?楽しみ!」
それは、この絶体絶命の状況を脱する方法だった。姿さえ違えば、何も問題は起こらない。アレンも大喜びだ。
「さあ、なりたい姿を具体的に想像してください。決まったら、1人ずつこのページに手を置いて」
ジェイクは“本物の偽物”を開いて、あるページを見せた。左のページには所狭しと変身の黒魔術に関する説明が記述してあり、右のページには大きく右手の形が描かれている。
どうやらそこに右手を置けばいいらしい。
「具体的に……」
3人とも、何に変身するか悩んでいる。
そんな時彼らの視界に入って来たのは、応接室に置かれた複数の写真立て。そこには仲睦まじい老夫婦や、笑っている若者。色褪せていて、いつの時代のものか分からないような写真もある。どれも、この医院の客なのだろうか。
しばらくして変身する姿を決めた3人は、順番に手を置く。
最初に手を置いたのはアレンだった。アレンが手を置くと、彼の全身は真っ白な光に包まれる。
光が消えると、そこに現れたのはアレンと背丈の変わらない、小人のような老人だった。小さな老人は腰が曲がり、髪の毛が薄くなっている。
「あはは!僕おじいちゃん!」
アレンは、鏡に映る自分の姿を見て笑っている。
「え〜、あのおばさんこんなに太ってた?」
続いてリリも変身を遂げる。彼女が変身したのは、家政婦のような服を着た、膨よかな中年女性だった。リリは鏡を見て、自分の腹部を触っている。どうやらこの変身に不服な様子。
「すげー……」
最後に姿を変えたのはベル。彼は、痩せこけた老人になっていた。その完璧な変身に、ベルは顎髭を撫でながら感心している。
3人とも見事に姿を変えた。使ったのは古びた本だが、そこに宿る黒魔術の力は健在だ。
「無事変身出来たみたいですね。この変身は30分しか持続しません」
「たった30分ですか?」
「はい、残念ながら……時間がありません。これを持って行って下さい。黒魔術の変身は、周囲のオーブをまとって行います。だから、きっとリミア政府の目も欺けるはずです」
最後に、ベルに“本物の偽物”が手渡される。これから逃げ続けなければいけないベルにとって、変身は必要なものになるだろう。本を受け取ったベルは、この町に来る前から着用していた不思議なローブで、その本を包んだ。
「ジェイクさん、ひとつ聞きたいんですけど。“眠りの呪い”について何かご存知ないですか?」
リリには、ジェイクに聞いておかなければならないことがあった。それは、彼女にとって何よりも大切なこと。この町の謎に振り回されてばかりで、すっかり後回しになっていたのかもしれない。
「眠りの呪いですか……確かに僕は人並みの黒魔術の知識はありますが、残念ながら呪いの類には疎いんです。申し訳ありません。眠りの呪いがどうかしたんですか?」
「そうですか……お母さんが眠りの呪いに掛かっていて、私はそれを解く方法を探しているんです」
「なるほど。そういうことでしたか……でしたら、これから僕も眠りの呪いについて調べることにします。もしまたアドフォードを訪れるようなことがあれば、ここに来てください」
ジェイクは笑顔で答えた。旅を始めたばかりで、呪いを解く鍵が見つかるはずもない。少女が落ち込むことはなかった。まだまだ呪いを解くための旅は、始まったばかりなのだから。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。あ、言い忘れていたことがありました。その本で使える変身の回数は、残念ながら限られています。今ので3人分、つまり3回使ったので、残りはあと2回です。忘れないで」
「………分かりました。ジェイクさん、今まで本当にお世話になりました」
「ジェイクさん。きっと今でもこの町にはベルゼバブが潜んでいます。十分気をつけてください」
リリは深々とジェイクにお辞儀をする。
一方ベルは、ジェイクに注意を促した。執念深き悪魔は、あの時ジェイクに復讐を誓った。今後ベルゼバブの標的になるのは間違いない。
「分かっていますよ。そんなことより、時間がありません」
ジェイクは笑顔を見せた。彼ならきっと大丈夫。その笑顔は、ベルをそんな気持ちにさせた。
「おじちゃん、またね!」
「ありがとうございました!」
3人はジェイクに手を振ると、深呼吸してハウゼント医院を後にした。
「お気をつけて……」
そんな3人の姿を、ジェイクは見守っている。彼らが最後に振り向いた時、偽りの仮面に隠れた素顔が、ジェイクには見えていた。
宿命を背負った若き男女に、無邪気で小さな少年。
これから彼らにどんなことが待ち受けているのだろうか。彼らの姿が見えなくなるまで、ジェイクはその背中を見守り続けた。アドフォードを後にする彼らの足元では、赤土が風に舞っていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
これにて第1章「西の悪魔」編は終了となります!次回からは、第1章番外編「探究心の起源」が始まります!




