第199話「狭間」(1)【挿絵あり】
呪いの椅子に座ったレオンとジェイクを待ち受けていたのは…
改稿(2020/12/04)
レオンが目を開くと、そこには薄明りに照らされた濁った川が広がっていた。周囲を見回してみれば、その川はどこまでも広がっている。川と言うより水深の浅い海だと言った方がしっくり来るが、この“川”はどこかに向かって流れている。
頭上には分厚い雲が垂れ込み、圧迫感がある。川と同様に、鉛色の空もどこまでも広がっていた。見渡す限りに広がる薄暗い景色。きっと、どこまで行っても同じ景色が広がっているのだろう。
ここは、真っ黒な闇が支配する“悪魔の世界”ではない。どこかも分からないこの空間には、レオン、ジェイク、そしてベルゼバブの姿があった。レオンとジェイクの足元には、大きなボストンバッグが置かれている。ここに飛ばされる直前、レオンが咄嗟にその手に掴んでいたのだ。
「………」
「兄さん、ここはど…」
「貴様‼︎椅子に何をした⁉︎」
ジェイクの言葉を遮って、ベルゼバブが恐ろしい形相で叫んだ。呪いの椅子に座った3人は、未踏の地に足を踏み入れていた。想定外の事態に、ベルゼバブは発狂していた。
「破壊しようとしたのだが、まだ少し魔法が残っていたらしい。お前の反応からするに、ここは“あちら側”ではないようだな」
見知らぬ土地に来ても、レオンが取り乱す事はなかった。レオンもジェイクも“悪魔の世界”を訪れた事はないが、ベルゼバブの反応を見ていれば、ここがあちら側では無いのは一目瞭然。
「そうか。正直俺はお前を過小評価し過ぎていた。認めよう。お前は悪魔に匹敵する力を持った黒魔術士だ」
「お褒めに預かり光栄だ。“あちら側”ではないとすれば、ここは光と闇の狭間なのだろう。オズでもなければ、天上でもない」
「ここは狭間の世界。限りなく俺たちの世界に近い場所だが、違う。そして、もうここはあのカラクリ屋敷ではない」
「だったら何だと言うんだ?場所が変わったからと言って、戦況は何も変わらない。死ぬのはお前。最初からそう決まっている」
「傲慢な人間よ。俺も同じ事を言ってやろう。ここがどこだろうと関係ない。俺はお前たちを喰うだけだ。俺を怒らせたその時から、お前たちの死は確約されている」
狭間の世界は、ハウゼント兄弟にとっても、ベルゼバブにとっても平等な場所。ハウゼント兄弟が圧倒的有利なカラクリ屋敷でもなければ、ベルゼバブが有利な悪魔の世界でもない。
ここからが、本当の戦い。ハウゼント医院にて中断されていた戦いが、ようやく再開するのだ。このどこまでも続く川で勝敗が決まる。どちらかが命を落とすまで、この戦いは続くだろう。
「この時を待っていたのだ。死ね、人間」
ベルゼバブが不気味な笑みを浮かべると、この無限の川全体が大きく震動し始めた。
「⁉︎」
その直後、レオンとジェイクの足元に巨大な穴が出現した。その直径およそ10メートル。おそらくベルゼバブが2人の足元を捕食したのだろう。
突如として足場を失ったハウゼント兄弟は、為す術もなく奈落の底へと落ちて行く。落下して兄弟がたどり着く先は、一体どこなのだろうか。
「悪あがきを…」
ところが、レオンとジェイクの身体はあっと言う間に大きく浮上した。身体の自由を失って奈落の底に落ちるはずだった兄弟が、今では川の遥か上空に浮遊していた。
2人の背中に注目してみると、そこには2本のガスタンクが結合したジェットパックが装着されていた。キリアンがスノウ・クリフを登る時に使ったものと同じようなものだ。
レオンが持っているボストンバッグのチャックが開いている。おそらく、そこに2人が背負っているジェットパックが入っていたのだろう。
レオンはこちらの世界に飛ばされる直前に、瞬時に頭を働かせていた。呪いの椅子が置いてあるあの部屋には、同じようなボストンバッグがいくつか準備されていた。レオンが瞬時に選んだこのバッグは、その中の1つだった。
「ジェイク、今すぐにこれを付けるんだ!ついでにこれも持っておけ!」
「分かった!」
レオンは、空中でジェイクにメガネのようなものと、小さなバッグを手渡した。ジェイクは元々掛けていたメガネを外し、新たなメガネを装着する。
メガネを装着した兄弟は、それぞれ違う方向に飛び去った。
「もう逃げられんぞ。何をやろうが無駄だ。お前たちは最終段階には勝てん」
ベルゼバブは、どこまでも広がる川の上を飛び続ける2人の人間に照準を合わせていた。暴食の黒魔術を使えば、遠く離れた獲物を捕食する事が出来る。何も攻撃を仕掛けずに逃げるだけのハウゼント兄弟を見て、ベルゼバブは勝利を予感した。
「貴様らの魂は、それはそれは美味なんだろう………⁉︎」
今にもレオンとジェイクを喰らおうとしたその時、ベルゼバブは目を疑った。今回ベルゼバブが仕掛けたのは、魔法陣を伴わない捕食。ベルゼバブがどこを狙っているのか、事前に知る事は出来ないはず。
それなのに、レオンとジェイクは暴食の攻撃をかわした。まるでベルゼバブがどこを狙っているのか分かっているとでも言わんばかりに、2人は的確にベルゼバブが定めた“捕食点”から逃れたのだ。
「そんなはずはない‼︎」
目の前で起きた事を信じきれないベルゼバブは、もう1度レオンとジェイクを喰らおうとする。さっきのは見間違い。ベルゼバブはそう信じたかった。
だが、淡い期待を消し去るように、ベルゼバブの瞳に映るものは現実だと証明された。ハウゼント兄弟は、確かにベルゼバブの攻撃を見極めて、避けている。彼らには、ベルゼバブがどこを狙っているのかが分かるのだ。
「侵蝕を最終段階まで進めたようだが、やっている事は今までと何ら変わらないな。その程度の黒魔術では、私たちを喰らう事など到底出来ないぞ」
「調子に乗りおって‼︎悪魔の黒魔術を舐めるなよぉ⁉︎」
「そろそろ本気を出したらどうなんだ?私が発明したこの“眼”があれば、お前が私たちを捉える事は出来ないだろう」
レオンとジェイクは、やはり装着したメガネの機能によって、ベルゼバブの攻撃を回避していた。ベルゼバブにこれ以上の力が無いのだとすれば、レオンの言う通り戦いの結果は目に見えている。
「後悔するなよ……人間」
「⁉︎」
挑発され続けたベルゼバブは、静かに呟いた。
その直後、怪しげな光が辺りを照らす。見渡す限りに広がった無数の魔法陣が、この“狭間の世界”を覆い尽くしている。これが悪魔の真価。もうハウゼント兄弟に逃げ場は残されていない。通常の捕食が見極められてしまうのなら、より強靭な胃袋へ転送出来る魔法陣を使うのみ。
「ジェイク!分かってるな!」
「あぁ!兄さん!」
一方で、レオンは思考の瞬発力を持っていた。このような事態を予め想定していたのだろう。レオンとジェイクは具体的な言葉を一切使わずに、選んだ作戦を確認し合った。
「またそれか……」
作戦を確認し合った2人は、さっきまでと同じように空中を飛び回っている。ジェットパックの燃料が切れれば、2人は空中を飛び回れなくなる。それ以前に、空中を飛んだとしても、この広範囲に及ぶ捕食からは逃れられないだろう。
周囲を埋め尽くす魔法陣と魔法陣の間には、わずかな隙間がある。2人は、そのわずかな隙間を縫うように飛んで、ベルゼバブの牙から逃れていた。
レオンとジェイクの動きをよく見てみると、彼らは飛び回りながら、こぶし大の“何か”を投下しているのが分かる。その“何か”は全て、ベルゼバブが展開した魔法陣目掛けて落下していた。
ハウゼント兄弟は自由自在に空中を飛び回り、“何か”を投下し続ける。
「ぐっ‼︎」
そうして、2人が投下した“何か”のうち1つが、ベルゼバブの魔法陣に呑みこまれた。呑み込まれる直前、魔法陣から小規模な爆発が発生した。
魔法陣に呑み込まれたものは、“あちら側”のベルゼバブの胃袋に転送される。ベルゼバブは魔法陣を介して、“エリクサー爆弾”を呑み込んでしまった。
「遊びはこれまでだ。今度こそ食事の時間だ‼︎」
ついに痺れを切らしたベルゼバブの牙が、レオンとジェイクに迫る。早急に決着をつけなければ、ベルゼバブは負ける可能性が高い。
ベルゼバブが両手を広げると、辺り一面に広がる魔法陣それぞれが、幾重にも重なった牙を備えた口へと姿を変えた。こうなってしまえば、魔法陣に直接触れていない場所にまでベルゼバブの力が及ぶ。
「……?」
ところが、ベルゼバブはある異変に気がついた。どれだけ辺りを見回しても、レオンとジェイクの姿が見当たらない。捕食する前から、獲物の姿が消えてしまったのだ。
それでも、ベルゼバブによる捕食はもう始まっている。空を裂く牙の虚しい音。それと同時に発生した無数の爆発音が、狭間の世界に響き渡る。ベルゼバブが見た通り、もう周囲にはレオンもジェイクも存在していない。ベルゼバブの胃に呑み込まれたのは、ハウゼント兄弟が仕掛けた“エリクサー爆弾”のみ。
「どこに行った⁉︎」
1度発動した魔法は、悪魔でも自ら止める事は出来ない。大量のエリクサー爆弾を喰らってしまい、ベルゼバブは水面に片膝をついた。複数箇所で起きた爆発が1箇所に集まり、ベルゼバブに大きなダメージを与えている。
大量のエリクサーを摂取した事により、ベルゼバブの侵蝕は一時的に第3段階に戻った。
ベルゼバブの緑色の肌には、ところどころ肌色に戻っている部分もあった。今の爆発により、侵蝕を強制的に第2段階まで引き戻されたのかもしれない。
ベルゼバブは焦りを禁じ得なかった。決して無視出来ないダメージを負った上に、ハウゼント兄弟は消えてしまった。リリが使う領域のような魔法を使ったのか、それとも発明品のソニック・ブーツを使って、瞬時に遠くに飛び去ったのか。
獲物を捕らえられなかった魔法陣は、一瞬にして消え去った。1つ残らず魔法陣は消え、そこに広がるのは少し前と同じ景色。ただ、そこにハウゼント兄弟の姿はない。
「やはりお前はとんだ間抜けだ!牙の感触で分からなかったか?私とジェイクは、別に逃げたわけじゃない」
「なるほど……エリクサーを浴びて姿を眩まし、それに加えてエリクサーを盾にしたのだな。しかし自ら姿を現すとは、お前たちこそとんだ間抜けだな」
「勝てる状況になったから、姿を現したんだ。それに、暴食の黒魔術は諸刃の剣。星の力を有した者が相手なら尚更だ。お前は過去の失敗から何も学ばないのか?馬鹿だから仕方がないか」
「言っていろ。悪魔が学ぶ事などない。あの程度の爆発で俺を葬り去れると思ったのなら、それは見当違いだ。実際、私は完全に回復してお前たちの前に戻って来たではないか」
暴食の魔法陣が消えた途端、レオンとジェイクは再びベルゼバブの前に姿を現した。依然として、ベルゼバブは侵蝕を最終段階に戻せないまま。治癒能力も、侵蝕の進行度に依存するのだろう。
「私たちの前に戻って来るのに、一体どれほど時間が掛かったのか。それを忘れたんじゃないだろうな」
「一々癇に障る男だ。すぐに貴様らを、この腹の中に送ってやる‼︎」
「ハッ!今のお前に何を言われようが、何も怖くはない」
「ゴフッ……!」
レオンと言い争っているうちに、ベルゼバブは突然吐血した。
それを合図にして、ベルゼバブは突然レイヴン・ゴーファーの姿に戻ってしまった。それは、侵蝕を一切進めていないのと同じ状態。強化状態を解除され、一瞬にしてベルゼバブは無力になってしまった。
悪魔を許容したからなのか、レイヴン・ゴーファーの身体は実年齢より若く見えた。生きていればレイヴン・ゴーファーの年は50を超えているはずだが、今の彼の肉体は30代の頃のものにも見える。
「やはり、お前はトラップを乗り越えて行く過程で大量のエリクサーを呑み込んで来たようだな。先ほどのエリクサー爆弾が、胃袋の中に残ったエリクサーを火種として2次爆発を起こしたんだ。呑み込んだ火種の量を考慮すれば、今起きた爆発は、最初にお前が喰らった爆発の30倍はあっただろう」
ついにベルゼバブに致命的なダメージを与えたレオンは、水面に膝をついたベルゼバブを、満面の笑みで見下している。
一方で、レオンを見上げるベルゼバブの視界はぼんやりと霞み、意識は遠のき始めていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
舞台を変えても、両者の戦いは一進一退。




