第193話「ふたりの師」(2)
「行くぜ!チビんなよ!」
すでに高揚しているアイザックは、背負っていた魔剣デル・モアを、思い切り振り下ろした。振り下ろされた巨大な刃は、空を裂きながらベルに襲い掛かる。
「誰がチビるか!」
だいぶ剣さばきが様になって来ていたベルは、黒い刃で確実にデル・モアを受け止めた。魔剣デル・モアは、月衛隊隊長ベンジャミンのネック・イーターと同程度に巨大な刃を持っている。当然その斬撃は重く、ベルはそれを受け止めていられなかった。
このままでは押し負けてしまう。そう考えたベルは、咄嗟に魔剣デル・モアを受け流した。アイザックの斬撃はアローシャのものより重かったのだ。
ベルの顔を見て笑みを浮かべると、アイザックは再び巨大な刃を振るった。それに負けじと、ベルも全力で刃を振るう。
「いいね、いいねえ‼︎」
それからベルはアローシャと戦っていた時と同じように、何度も何度も刃をぶつけ合った。魔剣デル・モアとアローシャの牙は、大きさや重量が全然違う。それでも、ベルは何とかアイザックの猛攻に対応している。剣撃の激しさを増してもそれについて来るベルを見て、アイザックはどんどん気持ちを高ぶらせて行った。
「こうしたら、お前はどうする?」
そんな中、アイザックは突然デル・モアを振るうのを止めてしまう。
アイザックは魔剣デル・モアを正面に突き出し、ちょうど鍵を回すように、それを半回転させた。アイザックがこの動作を行えば、ただの大剣だったデル・モアが、魔剣へと変貌する。
「⁉︎」
ふとベルが自分の右手を見やると、そこに握られていたはずの“アローシャの牙”は、忽然と消えてしまっていた。魔剣デル・モアに宿った黒魔術。それは、黒魔術を吸収する黒魔術。“アローシャの牙”も黒魔術で作られたもの。力を解放した魔剣に、ベルの刃は吸収されてしまったのだ。
「おっと‼︎やるじゃないの!」
それでもベルは怯む事なく、アイザックの右手を蹴り飛ばした。ロビン仕込みの蹴り技だ。これにより、アイザックの手から魔剣デル・モアが引き剥がされた。
これまで幾つも死戦をくぐり抜けて来たベルは、この状況に狼狽える事はしなかった。
「それで?お前はどうするんだ?」
アイザックの手を離れたデル・モアは宙を舞い、床に落下して行く。アイザックの黒魔術の源はこの魔剣にあり、彼自身に黒魔術の力はない。それはベルにも分かっていた。
「何⁉︎」
「俺とデル・モアは切っても切り離せない関係なんだよな〜」
ところが、床に着地する前に、魔剣デル・モアは一瞬にしてアイザックの手に舞い戻った。まるで瞬間移動したかのように、アイザックは再び魔剣を握っている。
「一体どうなってんだよ?」
「デル・モアは魔剣だぜ?普通の剣とは違うんだ。コイツは、もう俺の手足みたいなもんだからな。俺の手からデル・モアを引き剥がしても、無意味って事だ」
「それ、ずるいだろ………」
アイザックは最強の魔剣士だった。彼の手から、デル・モアを奪う事は出来ない。全く歯が立たない事を知ったベルは、戦意を喪失する。これは命がけの戦いではなく、単なる手合わせ。戦うのを止めても、命が奪われるわけではない。
「満足か?そろそろ私に代わってもらおうか」
「はぁ?さっきので終わりじゃなかったのかよ?」
「“真剣勝負”はあれで終わりだ。今度は炎をぶつけ合うと言うのはどうだ?お前も、鈍った身体を動かしくて堪らないのだろう?」
「分かったよ。ここじゃなきゃ迂闊に試せない技もあるしな」
しばらく黙っていたアローシャが、再びベルの前に立ちはだかった。刃と刃のぶつかり合いが終わった後は、炎と炎のぶつかり合い。ベルもアローシャも、この時“牙”を手にしていなかった。
「人間風情が、どこまでその力を使いこなせるかな?」
アローシャが右手を突き出すと、そこから深紅の炎が溢れ出す。溢れ出した業火は、まっすぐベルに向かって飛んで行った。
飛んで来る業火に向かって、ベルもすぐに業火を放った。ベルの目の前にいるのは、侵蝕によるパワーアップを必要としない黒魔術の根源。その威力の差は歴然で、たちまちベルの業火はアローシャの業火に呑み込まれて行く。
「やるしかねえか‼︎」
このままでは開始早々負けてしまう。ベルは圧倒的なアローシャの業火に対抗するため、侵蝕を第3段階まで一気に進めた。威力を増した炎はより赤々と燃え上がり、アローシャの攻撃を食い止めた。
「フン……素の状態で私に挑もうとしていたとは、舐められたものだな」
アローシャは次の攻撃に移った。業火の悪魔が次に繰り出したのは、バレンティスでベルが白い少年に向けて放った深紅の拳だった。次々と現れる真っ赤な拳が、ベルに襲い掛かって行く。
「あ!それは俺が考えたやつだぞ!真似すんじゃねえ‼︎」
「お前が編み出した如何なる技も、私の想像を超えてはいない。この程度の技を思い付いたくらいで、良い気になるな!」
ベルも負けじと、深紅の拳を放った。燃え盛る拳はぶつかり合い、そこから生まれる衝撃はアイザックのみならず、ナイトやエルバにまで伝わっていた。
それから2人は、様々な技を何度もぶつけ合った。それはまるで、アローシャがベルの考えを理解しようとしているようでもあった。ベルの動きを注意深く観察し、アローシャはほぼ同時に、同じ技で迎え撃っている。
さっきから2人の炎の攻撃は拮抗していて、一向に決着がつく気配はない。何を考えたのか、アローシャは攻撃を中断し、ベルの頭上に向かって高く飛び上がった。
「もらった‼︎」
ベルは両手を真上に掲げ、即座に攻撃体勢に入った。
その刹那、真上を向いたベルの両手から、凄まじい勢いで業火が立ち昇った。逆炎瀧。それは、以前リリスと戦った時ベルが使った技だった。
「⁉︎」
「馬鹿が。初心忘れるべからず。つい最近まで、よくこの力も使っていただろう?」
ところが、立ち昇る炎の滝を、アローシャは簡単に吸収してしまった。魔法陣を広げれば、炎を吸収する事が出来るのだ。
「くそっ……‼︎もう3分経っちまう‼︎」
ベルにはまだまだ戦いを終わらせるつもりは無かったが、タイムリミットが近づいていた。あくまでベルが体内時計で測った時間だが、残された時間はもうほとんどない。
「安心しろ。この空間では、侵蝕を進めたまま戦い続けても、お前は元の姿に戻る事が出来る。それに、解除した後に倒れるような事もない。そうだろう?幻夢の支配者よ」
「は、はい。さっきからこの空間は、トレーニングに特化した空間に塗り替えました。戦闘経験はそのまま本人に蓄積されますが、ダメージや疲労が現実に影響する事はありません」
ベルの心配は無用だった。最初にナイトが言った通り、この空間では好きなだけ暴れる事が出来る。
「じゃあ……ホントに何も気にしなくて良いんだな。アローシャ、俺は試したい技があるんだ」
「ほう……やってみるがいい」
「腰抜かすなよ」
ベルが右手を前に突き出すと、そこに無数の魔法陣が出現し始めた。小さな魔法陣が数え切れないほど発生し、真っ赤な球体を作り上げている。それは次第に膨れ上がっていく。
よく見てみると、その球体の中には絶え間なく真っ赤な業火が排出され続けていた。無数の魔法陣が球体を作り上げ、その1つひとつが業火を放ち続けている。放出され続けている業火はどんどん球体の中に溜まり続け、熱を高めて行く。
ベルは今、侵蝕を第3段階まで進めている。今出せる最高温度の炎を、その球体の中にベルは凝縮し続けていた。
しばらく炎を溜め込み続けた球体は、急に縮小を始めた。やがてその大きさはピンポン玉大にまで小さくなっていた。
「行くぜ」
準備を整えたベルは、小さな火球をアローシャに向けて飛ばした。ベルの手を離れた小火球は、かなりの速さで、まっすぐアローシャの方へ飛んで行った。
アローシャの身体に到達すると、凝縮されていた炎が放射状に急速に膨れ上がった。膨れ上がった炎は眩いばかりの輝きを放ち、この空間を埋め尽くしてしまうほどに広がった。
それはまさに、超新星爆発。あまりに広範囲に広がった炎は、アローシャだけでなく他の仲間たちにも襲い掛かったはずだ。
「嘘だろ⁉︎」
しかし、アローシャはいとも簡単にベルの大技を掻き消してしまった。炎で相殺したのだ。
「素晴らしい。お前にしては上出来じゃないか。最初の形態がとても小さいがために、使い用によっては敵の目を欺き、大ダメージを与えることが出来る」
アローシャはベルが編み出した技に感心していた。
「何を間の抜けた顔をしている?侵蝕を進めても、本来の私の力にはまだ届かない。オズの世界で私と同等の力を得たいのなら、あの“未知の変化”をコントロールするしかない」
「本当に、そんな事出来るのか?」
「今はまだ、どうやったらあの“未知の状態”に変化するのかも分からない。とにかく何も分からない。今は何とも言えんな」
「おいクソ悪魔。侵蝕ってまだ進められるのか?」
「侵蝕はあと1段階進める事が出来る。だが最終段階まで進めれば、現実世界では1分と持たないだろう。もしかしたら30秒もしないうちに、お前の身体が悲鳴を上げるかもしれん」
「ここは何でもありの空間なんだろ?だったら、もう1段階上を試させてくれよ。何か分かるかもしんねえだろ?」
未知の変化である“業火の化身”を操る術は、悪魔であるアローシャにも分からない。その状態をコントロールするためのヒントを得るべく、ベルはまだ見ぬ新たな境地に足を踏み入れようとしていた。
それからも、しばらくベルの黒魔術のトレーニングは続いた。その中で、ベルは業火の化身を制するヒントを得られたのだろうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ベルが最後に繰り出した技の名前は、クリムゾン・ノヴァです。ベルが業火の化身をコントロールするヒントを得られたかどうかは、そう遠くないうちに言及するかもしれません!




