第192話「超えるべき壁」(2)
「言ったでしょ?鬼として覚醒したからと言って、あなたの実力はまだまだ私には遠く及ばない」
アシュリーの身体が怪しい輝きに包まれると、彼女を拘束するイバラは、みるみるうちに朽ち果てた。身体中に絡みついていたイバラはすっかり姿を消し、アシュリーは自由を取り戻した。最大の武器が通用しないことを知ったリリは、呆然と立ち尽くしている。
「あなたに最終試験はまだ早かったかしら…」
院長室には、アシュリーを捕らえていたもの以外にも、そこら中にイバラが発生していた。アシュリーは両手に握ったマジック・メスでイバラを斬り裂きながら、リリに近づいて行く。治癒で傷を癒しながら、アシュリーはどんどん近づいて来る。
“どうするどうする⁉︎このままじゃ2人とも殺されちゃう‼︎”
アシュリーが迫る間も、リリは必死に考えを巡らせていた。苦痛の創造をいとも簡単に消し去ってしまうアシュリーに勝つ術などあるのか。
「うわあっ‼︎」
その時、アレンが突然大きな声を出した。反撃方法を考えるために視野が狭くなっていたリリは、少し遅れて後ろを振り返った。
振り返った先には、もうひとつの脅威が現れていた。
「え?ゾンビ⁉︎これも院長の黒魔術なの⁉︎」
「ふふふ……」
リリが気づいた時には、アレンの身体は拘束されていた。アレンを拘束するのは、人間のようでいて、人間ではない異形の存在。ほとんど人間と同じようなフォルムをしているが、その身体は腐敗していて、今にも崩れてしまいそうだ。
アレンを羽交い締めにして拘束しているのは、ゾンビだった。
「嫌だ‼︎離して‼︎」
「…………ダメだ。このままじゃアレン君を護るばっかりで反撃出来ない」
必死にゾンビの拘束から逃れようとするアレンを見て、リリは最善の策を捻り出そうとしていた。これまでのスタイルで戦っていても、アシュリーに勝つことは出来ない。アレンを護り抜かなければならないが、護ることばかりに集中していれば、一向に攻撃に移れない。
「そうだ!」
「?」
リリが何かをひらめいた途端、ゾンビの目前からアレンの姿が忽然と消えた。
消えてしまったアレンの姿が再び現れたのは、リリの隣だった。領域を使って、リリはアレンをゾンビから遠ざけた。それだけではない。片時も離れず傍で戦えば、一々アレンの心配をする必要がない。それでも、状況は大して変わらなかった。
前方からはアシュリーが、後方からはゾンビが迫って来る。絶えずイバラを発生させても、2つの敵の進行を止めることは出来なかった。
アシュリーは次々とイバラを斬り裂いて行く。彼女の身体にイバラが触れても、それはすぐさま朽ち果ててしまった。苦痛の創造は、アシュリーに全く通用していない。
ゾンビの方も似たようなものだった。イバラが絡みついて身体を拘束されても、ゾンビは進行を止めない。
イバラに縛られると、当然ゾンビの身体はバラバラになってしまう。バラバラになったゾンビの身体はそれぞれが動き出し、しばらくすると結合し、ひとつの存在となってまた歩き出す。
「一体どうすれば……」
リリには良いアイデアが浮かばなかった。苦痛の創造が通用しないと分かっていても、リリにはそれしか攻撃手段がない。
唯一の攻撃手段を用いても、アシュリーとゾンビの進行を止めることが出来ない。本当にアシュリーが2人を消そうとしているのなら、このままでは本当に消されてしまう。
「私の黒魔術でダメなら……」
絶望的な状況の最中何かを思いついたリリは、まずゾンビの拘束を試みる。殺戮人形にしたのと同じように、イバラを何重にも重ねて、リリはゾンビを完全に閉じ込めてしまった。隙間のないイバラの檻に閉じ込めてしまえば、さすがのゾンビでも脱出出来ないはずだ。
「何を考えているのか知らないけど、そんなんじゃ、戦場ですぐに死んでしまうわよ」
不敵な笑みを浮かべたアシュリーは、右手に握っていたマジック・メスをアレンに向けて投げ飛ばした。
この時リリは完全にアシュリーの攻撃に対応出来ていた。アシュリーの手を離れたマジック・メスは瞬時にその場から消えてしまった。領域を使って、リリはアシュリーの武器を奪ったのだ。
「私の黒魔術でダメなら、あなたの黒魔術を借りるまで!」
「ぐっ‼︎」
消え去ったマジック・メスはすぐに姿を現し、アシュリーの腹部に突き刺さった。それから続けざまに、別のマジック・メスがアシュリーの腹部を切り裂いた。
ふとアシュリーの左手に視線を移すと、そこにはマジック・メスが握られていなかった。実戦を通して、リリは領域の様々な活用法を見出していた。
リリの苦肉の策は功を奏した。一瞬とは言え、マジック・メスによる攻撃がアシュリーに隙を生じさせた。
その一瞬の隙を見逃さなかったリリは、間髪入れずにアシュリーの身体をイバラで拘束した。苦痛の創造が通用しないと分かっていても、多少の時間稼ぎにはなるはずだ。
「⁉︎」
しかし、リリの淡い期待は崩れ去った。気づいた頃には、リリとアレンの周りを360度囲むように、無数のマジック・メスが浮遊していた。ダメージを負いながらも、リリに気づかれないように、アシュリーは攻撃の準備を密かに進めていたのだ。リリとアシュリーとでは、戦闘経験が違い過ぎる。
「アレン君は絶対に傷つけさせない!」
今にも無数の刃が襲い掛かろうとしていた時、瞬時にリリはアレンをマジック・メスの包囲網から逃した。せっかく傍に引き寄せたアレンを、リリは領域で引き離した。
アレンの安全を確保したリリは、降りかかろうとしていたマジック・メス全てをも瞬間移動させた。
1度に複数の物質を移動させた経験がなかったリリは、一か八かで領域の黒魔術を使った。
「よし!上手く行った‼︎」
「⁉︎」
黒魔術は、リリのイメージを具現化した。数え切れないほどあったマジック・メスは、一瞬にしてひとつ残らず姿を消した。
そして、今度は反対にアシュリーが無数のマジック・メスに包囲されることになった。
「嘘⁉︎」
ところが、アシュリーに降り注ぐ前に、マジック・メスは電池が切れたかのように、力なく全て床に落ちてしまう。
それから、これまでと同じようにアシュリーは拘束を解き、ゆっくりとリリとの距離を詰めて行く。やはり、リリとアシュリーの間には超えられない壁があるのだろうか。
「まだまだ!私は負けない‼︎」
どんなに絶望的な状況になろうと、黒魔術士は仲間を護るために戦う。どんなに上手く行かなくても、リリが諦めることはなかった。これが本当に命を賭けた戦いなのであれば、諦めるわけには行かない。諦めたら、そこに待つのは死のみ。
この時、リリの瞳は床に散らばった無数のマジック・メスを捉えていた。もう時間がない。
イバラよりもマジック・メスの方が効果的だと判断したリリは、領域を使って瞬時に引き寄せたマジック・メスを両手に1本ずつ握った。敵の黒魔術を利用できるのも、領域の大きな利点だ。
領域で飛ばした攻撃は、さっきのように防がれてしまうかもしれない。リリはその手に握ったマジック・メスで、直接アシュリーを攻撃しようとしていた。
「くっ‼︎」
リリが攻撃に移ろうとしていた時、すでにアシュリーは彼女の目前に迫っていた。リリが手を動かすよりも先に、アシュリーの手がリリに触れようとしていた。
今度は近距離で、アシュリーが何かしようとしている。
「合格よ」
「………へ?」
捨て身の覚悟で刃を振るおうとしていたリリの両手に入っていた力が、その一言でしゅんと抜けてしまった。リリの目前まで迫ったアシュリーには、攻撃する気など全くなかった。
アシュリーは優しく、リリの頭を撫でたのだ。アシュリーは柔らかで、晴れやかな笑顔を浮かべている。
「合格?でも!私、院長にまだ勝ってませんよ?」
「この試験のルールを決めるのは私よ?命懸けで仲間を護るあなたの戦いぶりは素晴らしかった!それだけ頭を働かせて自分の力を生かせるなら、もう大丈夫!」
「で、でも‼︎ゲホゲホ……」
「ほ〜ら無理しない!もうあなたが限界だって分かったから、ここまでにしてあげたのよ」
言葉の通り、アシュリーには最初から2人を殺す気はなかった。本当にリリの実力を見定めるための最終試験だったのだ。
試験を終えてリリの息は上がっていた。息が上がり過ぎて、喋っているとむせてしまう。
それとは対照的に、アシュリーは全然呼吸を乱していなかった。アシュリーは2人を殺す気で掛かると言っていたが、手加減していたのは明白だ。
「あとは自分で修練に励んでね。今のままでも十分戦えるけど、もしもM-12と戦うことになったら負けちゃうかもしれないから。今の私だって、本気じゃなかったし」
「今ので本気じゃなかったんですか⁉︎」
「えぇ。だって、本気出したら、あなたたち死んじゃうもん」
「さらっと怖いこと言わないでくださいよ……」
師匠とは弟子にとって超えるべき壁だが、リリにとってそれはあまりにも高過ぎる壁だった。何にせよ、アシュリーの修練を通して、リリが精神的にも身体的にも黒魔術的にも、大きく成長したのは間違いない事実だ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
リリの成長、そしてアシュリーとアレンに隠された能力が垣間見えた回となりました。
今回はこちらの師弟関係を描いたので、次回はあちらの師弟関係を描きます!笑




