第31話「炎の町」【挿絵あり】
ベルゼバブに果敢に挑むセドナ。その攻撃の効果は……
「だが、それがどうした?その程度で、この俺を倒せるとでも思ったか?」
確かにセドナの攻撃は成功したが、ベルゼバブにとってその痛みは大したものではなかった。ベルゼバブはすぐに立ち上がり、石塀を降りてベルたちとの距離を詰めてきた。
「近づいて来りゃこっちのもんだ!」
ベルは右手を前に突き出した。それを見たベルゼバブは、大口を開けて喉の奥から炎を吐き出す。
「うわっ、臭い!」
リリは思わず鼻を摘んだ。腐臭と共に吐き出される炎。腐炎だ。
意表を突かれたベルは、魔法陣を展開してそれを吸収しようとするが、なぜだか腐炎はベルたちを避けて、遠くへ移動して行った。
「何のつもりだ‼︎」
ベルにはベルゼバブの意図が分からなかった。まるでわざと狙いを外したかのようだ。
「気づかんのか、馬鹿めが!」
「黙れ‼︎今度こそ仕留めてやる!」
焦りを隠せないベルは、右手を構えたまま、ベルゼバブの目前まで距離を詰めた。ほとんど触れそうなほどの近距離で、ベルはベルゼバブに向けて魔法陣を展開する。
ところが、ベルゼバブはそれを無視して、自らの腹を両手で思い切り殴りつけた。その行動を見た全員の目が、彼の行動に釘付けになった。そこにいる誰もが、ベルゼバブの意図に気づいていない。
さっきと同じように口を開けたベルゼバブは、燃え盛る炎を吐き出した。腐臭を撒き散らしながら放出された炎は、ベルゼバブの指の動きに合わせて、まるで意思を持ったかのように踊り出す。
それから石塀を乗り越えた腐炎は、町の方へと飛び出した。またしても、腐炎がベルたちに直撃することはなかった。
「さっきから何してるんだ⁉︎」
「まだ気づかんか…後ろを見てみろ」
ベルゼバブは溜め息をつき、ベルたちの後方を指差した。
ベルゼバブが後ろを指差したのをきっかけに、そこにいる全員が後ろを振り向いた。悪魔の罠かもしれないが、それすらも忘れさせるほどの不安が、彼らの背後にはあった。
「…………町が」
後ろを振り向いたセドナが、1番最初に口を開いた。ベルゼバブに気を取られているうちに、アドフォードの町に火の手が広がっていた。いち早く火事に気づいた人々が、次々と屋外へ避難している。
すでに腐炎は、町の3分の1ほどに広がっていた。早く止めなければ、アドフォードが火の海と化してしまう。
「やめろ‼︎」
「ハハハハハハハ‼︎いいねぇ!お前のそんな顔が見たかったんだ‼︎」
ベルゼバブの高笑いは止まらない。ベルゼバブのターゲットは、ベルたちだけではない。全ての人間だ。人間の魂を奪いだけでなく、緑の悪魔はどこまでもベルを苦しめるつもりらしい。少なからずベルが周りの人間を救おうとすることを、ベルゼバブは知っていた。何がベルを苦しめることになるか、彼はよく分かっているのだ。
「この町で炎の黒魔術を使えるのはお前ただ1人!つまりどういうことか分かるか‼︎」
「町の人たちは、ベルが火事を消した黒魔術士だって知ってるから……」
「ベルが疑われることになる……」
ベルゼバブの言葉を聞いてリリが口を開き、続いてセドナが最悪の結末を口にした。ベルゼバブがこうなるように仕向けたのだ。
「さっさと止めた方がいいぞ!早くしないと大勢が死ぬことになる!」
ベルゼバブの手は動き続け、その間もどんどん火の手は広がっていた。
「皆さん!全ての元凶であるベルゼバブを止めないことには、どうにもなりません」
「そうね……でも、一体どうやったら悪魔を止めることが出来るの⁉︎」
「クソッ!」
ベルは歯を食いしばって、拳を握りしめた。ベルゼバブを止めなければ、アドフォードの町が壊滅する。
「ベル君、そこから降りてください。僕に秘策があります‼︎」
ジェイクのその言葉が、ベルゼバブの興味をひく。ただの町医者が悪魔を止めることなど、出来るはずもない。
「これでも食らえ!」
そして、その一瞬の隙をベルが突いた。
ベルゼバブのすぐ近くにいたベルは、すかさず炎を放った。真っ黒な空間で最初に対峙した時と同じように、ベルゼバブの身体は炎に包まれる。
「何度も何度も、小賢しい真似を‼︎」
ベルゼバブは溜息をついて、自分を包む炎を吞み込もうとする。
その時だった。ジェイクが、何かをベルゼバブに向かって解き放つ。炎に包まれているベルゼバブの視界は悪く、ジェイクが何をしたのか分からなかった様子。解き放たれたものの正体を探るため、ベルゼバブは、ジェイクの手元に焦点を合わせた。
その右手に握られていたのは、美しく造形されたガラス瓶のようなもの。ジェイクはその小瓶を、ベルゼバブの方へと掲げている。
「いくら小細工をしたところで、人間ごとき…………⁉︎」
この時ベルゼバブは、ベルが放った炎を全て吸収していた。
ところが、それでも自分の身体を包む炎が消えていないことに気がついた。ベルゼバブの身体を包んでいたのは、見たこともない美しい炎だった。赤くきらめく炎とは違い、青色にきらめいている。明らかにベルが放った炎ではない。
「悪魔を撃退するとっておきの秘策を、兄から預かっていたのを忘れていました」
「レオン・ハウゼントか………これは何だ⁉︎」
ベルゼバブはジェイクの兄を知っていた。
「“消えゆく星の残り火”ですよ!」
月の涙、星空の雫、消えゆく星の残り火…謎めいた雰囲気を帯びた言葉は、どれも星に関係するものだ。
「何⁉︎そんなはずは…!」
ベルゼバブはジェイクの言葉を信じようとしなかったが、いくら吞み込もうとしても消えない炎が、それを証明していた。
ベルゼバブがいくら吞み込もうとしても、振り払おうとしても、その炎が消えることはなかった。青い炎が、悪魔を苦しめる。
「どうやら、あなたの思っている以上に、人間は悪魔に用心しているようだ」
「クソォォォォッ‼︎覚えていろジェイク・ハウゼント!必ずお前の魂を奪ってやる‼︎」
為す術を失ったベルゼバブは、捨て台詞を吐いた後にその場から姿を消してしまった。ジェイクが握っているガラス瓶は、ベルが持っている小瓶とよく似ていた。そんな小さな瓶に収まるほど小さな炎が、悪魔の全身を燃やしたのだ。
ちょうどその頃、町がさらに騒がしくなり始めていた。すでにほとんどの人が火の手が広がっていることに気づき、ゴーファー邸周辺にもたくさんの人がいた。
「一体どうなっているの?」
「何なんだ、この炎は!」
「臭せぇぞ!」
「火事だ!みんな逃げろ‼︎」
次第に、町の騒ぎは大きくなって行く。
「俺が騙されてなければ……もっと早く気づいていれば‼︎」
ベルは深く後悔していた。町に来た時から…いや、それよりもかなり前から、ベルゼバブの思い通りに動いていたのだ。早くベルゼバブの存在に気づいていれば、アドフォードがこのような、最悪の事態に見舞われることはなかったかもしれない。
「お?アンタ神様じゃないか。これどうにかしてくれよ!」
「この人は、あの火事を一瞬で消してくれたんだ!」
「そうだよな。あの火事が一瞬で消せたんなら、きっとこの大火事だって消してくれるはずだ!」
「そうだ!早くしてくれよ!」
野次馬たちは、ゴーファー邸の前に救世主ベルがいることに気づいてしまった。これにより、町中の視線がベルに集められることになった。
「皆、落ち着け‼︎この火の広がり具合だと、身の安全は保証出来ない。1度この町から退避してくれ‼︎それが皆の身を守る最善策なんだ!」
混乱が広がる群衆に向かって、保安官ハメルが訴えかける。町の治安を維持する保安官の腕の見せ所だ。しかしこれによって、町は余計に騒がしくなった。
「はぁ?ふざけんな!」
「あの家には思い出が詰まってるのよ!」
「何もかも家に置いて来てんだよ!」
「全部おしまいじゃねぇかよ!」
「大体お前が来てからだ!火事を一瞬で消したかどうだか知らねえが、変なことが起き始めたのは、お前が来てからだ!」
「そうだ、そうだ!お前が来てからこの町はおかしくなっちまった!」
「お前なんか神様なんかじゃない!」
「疫病神だ‼︎」
「早く消え失せろ‼︎」
町の人々さえ、立て続けに発生したアドフォードの事件とベルの存在を結びつけ始めていた。最初は神だと讃えられたベルだが、今や疫病神呼ばわり。民衆の意見は簡単に変わる。人は、流れに合わせて簡単に意見を変えてしまう。集団心理は恐ろしいものだ。
「落ち着けーっ‼︎」
ハメルはありったけの大声で、民衆に叫んだ。徐々にボリュームが大きくなって行く騒めきを抑えるためには、こうする他ない。これでも保安官は、アドフォードで最も権力を持った人間。彼には、この混乱を収める責任があった。
「…………」
民衆の騒めきは、少しばかり小さくなった。ハメルの声には迫力があった。力強いその声は、騒めきを掻き分けて、遠くまで届いていた。
「お前たち、調子に乗るなよ。何でもかんでも他人のせいにしてんじゃねぇ!とにかく今はこの町から離れるんだ‼︎俺について来い!
…………後は任せた」
これこそ、民衆を束ねるリーダーの姿だった。普段は超自然現象を怖がり、頼り甲斐のないハメルだが、人間の相手をさせれば、その才能を遺憾無く発揮する。彼は民衆を束ねる才能を持っていた。
彼の力強い言葉は、民衆を従わせる。これまでこの町の治安を維持してきたその手腕が、今発揮されているのだ。
町民を町の外へ出すため、ハメルはゴーファー邸門前を離れた。燃え盛る町の処理は、ベル、セドナ、ジェイクに任される形になった。
「まったく」
「くそ……」
「疫病神はさっさと出て行け」
町の人々は口々に悪態を吐きながら、ぞろぞろとハメルの後をついて行く。散々文句を言っていた彼らだったが、結局1番大事なのは自分の身の安全だった。
「さて、皆さん。僕たちは、この火の海を何とかしなくてはいけません。黒魔術が使えないリリさん、アレン君は安全な場所に避難していてください」
「お医者さん。私がこの子たちを安全なところに連れて行く。オーブ・ガンしか使えない私はきっと足手まといになるだけだから」
ハメルが去った今、ジェイクが現場を取り仕切ろうとしていた。火事を消すのに有効な力を持たないセドナ、リリ、アレンは民衆と共に避難することになった。
火の海に残ったのはベルとジェイクの2人だけ。2人は鎮火の方法について話し合い始めた。
「……なるほど。あなたは消火に有効な黒魔術を持っているのですね。幸いなことに、今は空になってしまったこの瓶も、炎を吸い込むことが出来るんです。まさしく僕たち2人は消火活動に適任と言うことですね」
「手遅れになる前に火を消しましょう」
「はい。もしかしたら、まだ逃げ遅れている人もいるかもしれないので、気をつけて!」
そう言ってベルとジェイクは二手に別れた。火の粉が舞う、赤土の地。今や、そこには見渡す限り火の手が広がっていた。消火は一刻を争う。
ベルは魔法陣を広げて火を吸収する。魔法陣を最大限にまで広げ、出来るだけ多くの炎を1度に消せるようにしている。
一方ジェイクは燃え盛る住宅に近づいていた。彼が持っているのは、小さな小さなガラス瓶。
ジェイクがガラス瓶を炎に近づけると、広がる炎は瞬く間に吸収された。ガラス瓶は小さいながらも、信じられないほどの吸引力を持っているようだ。
町を包む炎はみるみるうちに消えていく。必死になって町中を駆け回った2人。その努力の甲斐もあって、すでにほとんど炎は消えていた。あとは、くすぶっている火の元がないかを確認するだけ。
やがて、町を包む炎は消え去った。彼らが町全体の火を消すのには2時間もかからなかった。
視界に広がるのは悲しい光景。町の人々の思い出が詰まった町。その中には、もちろんジェイクと共に過ごしたハウゼント医院や、ハメルやセドナと過ごした保安官事務所もある。
今や、その全てが黒く焼け焦げていた。赤い町と呼ばれるアドフォード。今となっては、黒い町という呼び名が相応しい。一瞬にして、何もかもが焼き尽くされてしまった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
まんまとベルゼバブの策略にはまったベル。もうアドフォードに、ベルの居場所は無い……




