第187話「小さな天才」(1)【挿絵あり】
ベルゼバブから逃げたハウゼント兄弟は、ゴーファー邸を訪れていた…
改稿(2020/11/21)
セルトリア王国西部都市アドフォード。レオンの指示により、住民は1人残らず避難した。この赤土の地にいるのは、ハウゼント兄弟と、その命を狙う悪魔ベルゼバブのみ。
王都では静かなる戦いが繰り広げられ、アドフォードでは別の戦いが続いていた。最強の黒魔術使いである悪魔と、黒魔術の契約を行っていない人間の兄弟。
アドフォードでの戦いを制するのはどちらか。
「兄さん!よりによって、何で逃げた先がここなんだ⁉︎ここは真っ先に探されるじゃないか!」
「私が何の考えも無しに、ここに来たとでも思っているのか?私は天才だぞ?」
「え?あ、あぁ……でも、何でゴーファー邸なんかに」
ソニック・ブーツを使って、ベルゼバブの元から逃げた兄弟がたどり着いたのは、ゴーファー邸だった。ゴーファー邸は、ベルゼバブの依り代であるレイヴン・ゴーファーのもの。
なぜレオンは、わざわざ敵陣に乗り込むような真似をするのだろうか。
「まあいいじゃないか。覚えているか?小さい頃のこと」
「また何でそんな思い出話を…そんなこと話している場合じゃないだろ?」
「月の涙の効力もあって、奴が私たちに追い付くには多少時間が掛かる。きっと、これからは長丁場になる。少しくらい思い出に浸ってもいいだろう?」
「……分かったよ。あの頃は楽しかった。あの頃みたいに、何も考えずにはしゃいでいられる時間は、もう来ないんだろうね」
「そんな、かけがえのない日々を取り戻すために、私たちは戦うんだ。あの頃は、よくこの屋敷に忍び込んでいたよな」
「うん。いつも見つかって、ゴーファーさんに怒られてたっけ」
それから始まる、兄弟の思い出話。それは束の間の休息。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
遡ること15年前。
当時ジェイクは10歳、レオンは11歳。2人の少年は、アドフォードで町医者をしているハウゼント夫妻のもとに生まれた。この頃から、レオンは人並みはずれて頭が良かったが、遊びたい盛りの年頃であることには、逆らえない。
「ジェイク。今日は外で遊べそうにもないし、いつものところにでも行くか」
「えー……また怒られちゃうよ」
この日の空には暗雲が立ち込めていて、いつ雨が降ってもおかしくはなかった。
「レッド・クリスピー・トリーツ。“赤土の地”という呼び名からインスピレーションを受けた、アドフォード名物。カリカリとした食感が特徴的な、甘い、甘〜い赤いスイーツ。お前の大好物だろ?」
「ずるいよ兄さん。僕の負けだよ」
「それでこそ我が弟!そうと決まれば、さっさと出発だ!」
乗り気でないジェイクに、レオンは奥の手を使った。レッド・クリスピー・トリーツは、ジェイクが愛して止まない甘いおやつ。子どもは己の欲望に正直だ。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
さっそく2人は、ゴーファー邸の門前にやって来た。ジェイクは赤いクリームを口の周りにつけて、不安そうな顔をしている。最終的にジェイクはレオンの遊びに付き合うことになるが、いつも乗り気ではないようだ。
「今日も都合が良いことに、大富豪レイヴン・ゴーファーは留守にしている」
「でも兄さん、このお家はいつもカラクリだらけだよ?」
「その通り!カラクリだらけだが、このレオン様にとっては何の障害にもなっていない。忍び込まれたくないのなら、もっとレベルの高い仕掛けを作って欲しいものだ」
「兄さん…」
当時から、レオンの喋り方は現在と変わらない。実に子どもらしくない口調だ。
ゴーファー邸には、様々な金品や、悪魔に関係する品物が所狭しと置いてある。それを誰にも取られるまいというゴーファーのケチな性質が、この邸宅には表れていた。
ベルたちが侵入した時と違い、この頃はまだ“レイヴン・ゴーファーという人間”がゴーファー邸に住んでいた。今ではすっかり廃れてしまっていて生活感がない屋敷だが、この頃は庭の手入れも行き届いていて、外観も当時は美しかった。
玄関にたどり着く前に、大きな門が2人の少年の行く手を阻む。当然この頃は、まだ門に鍵が掛けられていた。門には南京錠が掛けられていて、鍵がなければ開くことは出来ない。
「レオン・ハウゼントの前では、こんな鍵はただの飾りに成り下がる」
「兄さん…素直にすごいって言えないよ…」
当時から頭の良かったレオンは、いとも簡単に門の鍵を開けてしまう。彼が使ったのは、1本の針金。ルナトでベルは運良くピッキングを成功させたが、レオンの場合は偶然成功したわけではない。
小さな兄弟は、いとも簡単にゴーファー邸に侵入した。広いエントランスは隅々まで掃除が行き届いていて、埃ひとつないように見える。もちろんクモの巣が張っているようなこともない。
ベルたちが訪れた時も十分に豪勢なエントランスだったが、掃除が行き届いている分、当時の方が遥かに気品が溢れていた。
非日常的な雰囲気を演出するこの屋敷が、小さなハウゼント兄弟にとって恰好の遊び場となっていた。
「ジェイク。この間よりも先に進むぞ」
「本当に大丈夫かな?」
「今回は大丈夫だ。これがあるからな!」
「何それ?」
「そのうち分かるさ」
この時レオンの手には、1口の壺が握られていた。その壺には、幾つかの突起がついている。それは、これから15年後、ゴーファー邸に侵入したアレンが見つけたものと、非常に似ていた。
兄弟は慣れた足取りで、左側にある階段を上って2階へ上がる。2階の左側の扉を進めば、そこには数々の罠が侵入者を待ち受けている。それを知っていて、レオンたちは敢えてその道を選んだ。
何の仕掛けもない部屋をいくつも通った後、彼らを待ち受けるのは下り階段。階段そのものが、トラップの起動スイッチになっている、世界で最も危険な階段だ。
「兄さん…この前この階段を降りた時は、死ぬかと思ったよ」
「退屈な日常に、スリルは必要だろう?でも安心しろ。もうお前がハラハラすることはないだろう」
喋りながら、2人は階段に足を踏み出す。
ガクン…
ジェイクの足が先に、1段下の段を踏む。さっそく、それをきっかけにして何らかのトラップのスイッチが押されてしまった。
「また嫌な音がしたよ!本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だ。心配するな、弟よ。良いから進むぞ」
スイッチを踏んでしまったジェイクは、顔面蒼白になりながら、さらに階段を下る。前回この屋敷を訪れた時、ジェイクはベルと同じような目に遭ったのだろう。
「グルルルルル……」
階段を10段ほど下った時、2人の背後からどう猛な唸り声が聞こえて来た。
ジェイクが恐る恐る振り返ると、そこには無数の眼を持った怪物が現れていた。ジェイクの踏んだスイッチにより、15年後ベルも遭遇することになる怪物が解き放たれたのだ。
ベルが階段を下っている時、この怪物が現れることはなかった。仕掛けられた罠も、この頃は少し違っているようだ。
驚くべきは、“ブラック・ムーン”発生前に、ゴーファー邸に魔物が存在していたという点。複眼の怪物は、おそらく召喚された魔獣。事件が起こる前から、ゴーファーは黒魔術に傾倒していたのだろう。
「全然大丈夫じゃないじゃん‼︎」
「安心しろジェイク。私はすでに、この屋敷のトラップを把握している」
「安心できるわけないでしょ‼︎僕たち食べられちゃうよ⁉︎」
真後ろに怪物の剥き出しの牙が迫っていても、レオンは冷静さを欠かない。冷静に表情を変えないまま、階段を駆け下っている。
一方隣にいるジェイクは、必死に階段を駆け下っている。階段自体がトラップの起動スイッチになっていることなど、ジェイクは気にしていられなかった。
階段を下る度、ジェイクはトラップを起動させる。ジェイクの踏んだスイッチによって、階段の先にある扉が石壁に閉ざされてしまった。
それだけでなく、2人を挟む左右の壁の幅が狭くなり始めていた。ベルに掛けられたトラップと同じだ。
「兄さん‼︎ヤバいよ‼︎これ、絶体絶命ってやつだよ‼︎」
ジェイクはすでに錯乱状態に陥っていた。後ろからは化け物が迫り、壁の幅は狭くなり、行き着く先にある扉は閉ざされている。もはや、助かる道はない。
「落ち着けジェイク。落ち着いてくれないと、トラップがさらに起動してしまう」
「そんなこと言われても、これ前よりヤバい状況だよ‼︎」
「私には、このトラップを止めることが出来る。だから落ち着け!」
レオンは慌てるジェイクに話しかけながら、壺についた突起を規則的に押し込んだ。アレンが触った壺は、トラップの起動スイッチになっていた。この壺がそれと同じだとすれば、レオンの行動は全く意味をなさないはずだ。
状況が何も変わらないまま、2人は出口を閉ざす石壁に近づいていた。扉が開かない限り、この危機的状況から脱することは出来ない。あと10数秒で、小さな兄弟は身動きが取れなくなってしまう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
幼き日の兄弟は、すでにゴーファー邸に入ったことがあったのだった。




