第181話「海辺の墓標」(2)
レイリー・ランバート/1503-1524
敵でありながら、最後にはベルとの間に確かな友情を育んだレイリー。壮絶で、悲劇的な人生を送った彼女は、若くして命を落とした。わずか21年間の人生の大半を、レイリーは教皇とルナト教に費やしたのだ。
彼女が多くの人間の命を奪ったことは紛れもない事実であり、それは決して許されることではない。血の呪いから逃れるため、彼女は楽な道を選んでしまった。その結果、ルナトの町では多くの犠牲者が出た。彼女の死は、当然の報いだったのかもしれない。
死の間際、彼女は信仰の対象が空虚な偶像であることに気がついた。気づいた時には、全て遅すぎた。
墓標の前で悲しみに暮れるベルの顔に、ひときわ強い風が吹き付ける。その風はベルの髪を乱し、目をつぶらせる。
“そんな悲しい顔しないで。私が死んだのは、あなたのせいじゃない。せっかくまた会えたんだから、笑って。もう悲しいことは考えなくて良いんだよ。私たち友達でしょ?”
その風の中に、ベルはレイリーの影をかすかに感じていた。ゴーストとなったレイリーの魂は浄化され、この世界から消え去った。
もう彼女は跡形もなくこの世を去ったはずなのだが、ベルはレイリーの声を確かに聞いた気がしていた。
消え去った友の存在を、ベルは確かに感じていた。今は亡き友が、背中を押してくれている。自分ばかりを責めるベルに、聞こえないはずの声が語りかけている。
「お前のおかげで、俺はまだ生きてる。ありがとう。レイリー、お前は最高の友達だ」
レイリーから励まされた気がしたベルは、悲観的な考えを捨て去った。過去を振り返るよりも前を向くことを選んだベルは、さっきレイリーに向けた言葉を撤回するように、力強く墓標に語りかけた。
もうレイリーのことで、ベルが自分を責める必要はない。墓標に語りかけたベルは、肩の荷がひとつ降りたような気分になっていた。過去を振り返って、必要以上に立ち止まるべきではない。
後ろを振り返ることはあっても、ずっと立ち止まったままではいけない。自分の後ろにあるものをしっかりと振り返り、人は歩みを進めなければならない。立ち止まった人を再び歩かせるために、過去はあるのだから。
「ん?ランバート…?アイツ苗字なんかあったか?」
気持ちがひと段落して、ふと冷静になったベルは、目の前に見覚えのないものがあることに気がついた。彼女の酷い両親の話は聞いたことがあるが、ベルは彼女の苗字を知らなかった。
しかも、その苗字はエミリアたちと同じ。これには、何か理由があるのだろうか。
「これはこれは…黒魔術士騎士団の方が、こんな小さな墓に手を合わせに来るとは」
ちょうどその時、ベルの耳に届く声があった。それは少し前、教皇へ立ち向かった勇敢な戦士の声。
「ランバートさん!そんな固いこと言わないでくださいよ」
「私が相変わらず船に乗ってる間に、お前は立派な騎士様か。まさか、エミリアの呼び名が現実のものになるとはな」
墓参りをするベルの前に現れたのは、ウィリアム・ランバートだった。ベルと同郷のランバートは、長い間ブレスリバーで暮らしている。ルナトの町に滞在していたのは、愛娘エミリアを教皇の魔の手から護るためだった。
「黒魔術士騎士団か。ますます気に入らねえな」
「こらバート。そんなこと言わないでください。お久しぶりですわ、騎士様」
「皆‼︎懐かしいな…またこうやって会えるなんて、思ってなかった!」
その背後には、ヴラディスラフ・バートリーとエミリア・ランバートの姿もあった。
あの日以来バラバラになってしまった無神論者の同志たちと、ベルは再会を果たした。ルナトで苦楽を共にした仲間たちが、今はブレスリバーに集まっている。中には左脚を失った者もいるが、皆元気そうだ。
懐かしさのあまり、温かいものが込み上げて来て、ベルの目から溢れそうになっていた。ルナトでの日々は、ベルの中に強烈な記憶として残っていた。
「黒魔術士騎士ともあろう者が、こんなに涙もろくて大丈夫なのか?そう言えば、お前さっき何か言っていなかったか?」
「涙もろくなんかない‼︎…です。あぁ、レイリーにも苗字があるんだな〜って」
思わず涙を堪えきれなくなったベルを見て、ランバートは大きな笑い声をあげた。
それから、彼はベルが何かつぶやいていたことを思い出すのだった。
「私たちは誰も、レイリーちゃんの苗字を知らない。苗字は、あの子を捨てた親から受け継いだもの。きっとその証を消し去りたかったんだと思います。だから、レイリーちゃんは苗字を誰にも名乗らなかった」
レイリーについて真っ先に口を開いたのは、エミリアだった。最も近くにいて、最も長くレイリーの良き友人であったのは、ほかでもない彼女だった。
今となってはレイリーの気持ちをうかがい知ることは出来ないが、エミリアには彼女の考えが手に取るように、分かるような気がしていた。
「レイリーちゃんは最初の家族から捨てられたけど、また新しい家族に出会った。それは騎士様であり、私たち。お墓を立てる時、私はレイリーちゃんが私たちの家族だったという証を残したかったんです。あちらの世界に行っても、もう寂しくないように」
「皆で話し合った結果、レイリーちゃんのお墓には、私がお父様から受け継いだ大切な名前を刻むことにしましたの。
リミア連邦港町リオルグがルーツの名前。騎士様とも無関係ではない名前。私たちと同じ、ランバートの名前を。レイリーちゃんは、私の妹のようなものでしたから。背負った重みが故に、年齢以上にレイリーちゃんは大人びていたけど、もろくもあった。私が、あの頃もっとしっかりしていれば…」
「そんなこと、レイリーは考えて欲しくないはずだぜ?アイツは、皆が笑顔で前を向くことだけを願ってる」
「…分かっています。ただ、このお墓の前に来ると、どうしてもあの時の……彼女の最期の笑顔が浮かんで来るんです。血まみれだったのに、レイリーちゃんは今までに見たことがないくらい、綺麗な笑顔だった」
レイリーの墓標に刻まれた名前の謎が明かされた時、エミリアはベルと同じように自責の念に苛まれる。こうして墓標の前に立つ度、彼女は自分のことを責めているのだろう。
「もうそんな光景を見ないために、俺たちは前に進むんだ。過去を糧にして生きて行くしかないんだ」
「はい、騎士様‼︎レイリーちゃんのためにも、笑って前だけ見ています!」
残された者は、ただ前に進む。過去に消えた者たちは、未来へ進む者たちの足掛り。足掛りになっても、決して足かせであってはいけない。ベルと同じように自責の念に苛まれていたエミリアも、前を向く。
レイリーはゴーストとなった後も友の危機に駆けつけ、笑顔と共に消えて行った。その最期の笑顔が、彼女の気持ちを物語っていた。
「何だよ…またまた良い感じじゃねえか」
「やきもちバートも可愛いですわ」
「なっ…!」
2人きりで話を進めるベルとエミリアに、バートは嫉妬を膨らませて行く。その光景は、まるでルナトでの日々が蘇るかのよう。
ただひとつ違うのは、エミリアの態度だった。思わせぶりなだけだった彼女も、今ではバートの手を握っている。彼女なりの愛情表現に、バートは思わず頰を赤らめた。
自分に向けられていたエミリアの尊敬の念は、恋愛感情とは違うものだった。ベルはようやく、それを理解した。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
レイリーの死を乗り越え、同志たちは先に進みます。




