第174話「暗闇を照らすもの」(2)【挿絵あり】
業火の化身を止めようとするベルの右手には、アローシャの牙が握られていた。それは、業火の化身が持っているとは別のもの。つまり、ベルがたった今作り上げたものだ。
「俺のフリしてるつもりか?俺は化け物だって言いたいんだな」
「……………」
ベルは業火の化身に対して、静かな怒りを燃やす。対する業火の化身は、一切言葉を発することなくベルを見つめている。
「お前は俺が、止めてやる」
ひと呼吸置いて、ベルは業火の化身に飛びかかる。
一気に距離を詰めたベルは、黒い刃を業火の化身に向けて振るう。即座にベルの攻撃に反応した業火の化身は、同じく黒い刃でベルの刃を弾き返す。
それから黒い刃は、幾度となくぶつかり合った。互いに一切譲ることなく、何度も何度も2本の刃は高い音を奏で続けた。どちらかが押し勝つわけでもなく、戦況は完全に拮抗していた。
“くそ……アローシャの牙を使ってるってことは、アイツの全身を覆ってるのはアローシャの炎。俺の黒魔術ぶつけても、状況は変わらない…”
「そうか‼︎」
ベルはひとり考えていると、突然何かを閃いた。何かを思いついたベルは、最初と同じように、業火の化身に向かって飛び掛かる。ところが、今回ベルは刃を振り被ってはいなかった。
そのまま業火の化身の目の前に着地したベルは、両手を地面に叩きつけた。
すると、ベルの両手を中心にして、深紅の魔法陣が広がって行く。これがベルの考えた策だった。炎は、魔法陣で吸収することが出来る。
「化けの皮引っぺがしてやる!」
業火の化身は魔法陣から逃げるわけでもなく、その場に突っ立っている。ベルはそのまま吸炎魔法を発動し、業火の化身を包む“業火”の除去を試みる。目の前にいるのがただの炎の化け物なら、その姿は消えてなくなり、そうでなければ、化けの皮が剥がれる。
やがて、ベルの思惑通り、目の前の人物を包む業火は魔法陣の中へと消えて行った。
ついに怪物の正体が明らかになる。
「⁉︎…………何で俺なんだよ…」
炎の皮膚を剥がされた怪物は、ベル・クイール・ファウストと全く同じ姿をしていた。変わり果てた自分の姿を目撃したベルは、握っていたアローシャの牙を手放し、驚愕する。
見知らぬ港街に炎を放っていたのは、他ならぬベル自身だった。“業火の化身”はベル独自の覚醒状態なのだから、当然と言えば当然だ。
さっきまで戦っていたのが自分自身だと知ったベルは、驚愕のあまり膝から崩れた。
「……………」
ベルは何とも言えない気持ちの悪さを感じていた。これはベルの深層心理に眠る自責の念なのか、それとも予知夢のようなものなのか。どちらにせよ、ベルの気持ちは暗く重く、意識の奥底に沈んでいく。
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気づけば、ベルの周りは再び真っ暗闇に戻ってしまっていた。炎に包まれた見知らぬ港街も、もう1人の自分ももういない。
ベルの意識は、再び奥底の暗闇へと突き落とされた。もしかしたら、さっきのが目覚めの兆しだったのかもしれないが、ベルはその大きなチャンスを逃してしまった。
「何なんだよ…何がしたいんだよ…‼︎」
「……」
「……………」
「………………………」
目覚めかけた直後だからなのか、さっきまで音がなかった空間に、ベルの声が響き渡った。
しかし、やはり聞こえるのはベルの声だけ。この真っ暗な空間には、ベル以外の存在はない。
それから程なくして、どこからか鐘の音が聞こえて来た。鐘の音のあと、また違う音が、ベルの耳に届く。
「ベル、怖がらないで。あなたは何も悪くない」
「⁉︎……母さん?」
途方もない闇の中で再び塞ぎ込もうとしていたベルの耳に、彼のとは違う声が飛び込んで来る。ベルは思わず耳を疑った。それもそのはずだ。聞こえて来たのは、彼の実母ヘレン・クイールの声だったのだ。
「ベル。あなたは、こんなところで眠ってちゃいけないの」
「………あったかい」
次の瞬間、声だけだったヘレンが突然姿を現した。突如現れたヘレンは、ベルの身体を優しく包み込む。彼女は暗闇で取り乱すベルを救う光。彼女の身体はなぜか温かな光を帯びていた。彼女は、ベルの中にいつまでも存在する光の標だった。
それは、暖かくて優しい抱擁。10数年ぶりに感じる母の温もりに、ベルの瞳からは自然と涙が溢れていた。
「目を覚まして、お父さんを助けてあげて。あの人には、あなたが必要なのよ」
「…は⁉︎何で、あんな奴助けなきゃいけないんだ⁉︎」
それから、ヘレンはおよそベルには理解できない言葉を投げかける。ベルの実父ヨハン・ファウストは、ベルが誰よりも忌み嫌い、憎む存在。ベルの身体に悪魔を召喚し、若くして獄中生活を送る理由を作った張本人だ。
いくら母からの頼みだからとは言え、ベルは簡単に首を縦に振れなかった。
「あなたのお父さんは……」
「待って、母さん‼︎」
ヘレンは悲しそうな目をして、ヨハン・ファウストについて何か語ろうとするが、その途中で声が途切れてしまった。
ベルにヨハンに関する何かを伝えようとしていたヘレンは、光の粒子となってパッと消えてしまった。ここは、あくまでもベルの潜在意識の奥底。自分の中から、自分自身が知らない知識を得ることが出来ないのは、当たり前だ。
「母さん‼︎」
ベルは無我夢中で母の姿を探す。ベルを包み込んだ優しい母は、もうどこにもいない。再び闇に包まれた世界で、ベルの気持ちはさらに落ち込んだ。それはまるで、誰かがベルの心を弄んでいるかのようでもあった。
ただ、今回はいつもと少し違っていた。ヘレンが消失した直後、ベルの周囲が次第に明るくなり始めたのだ。ベルはすぐそれに気がついた。ベルがいるこの空間は、さっきまで光さえも届かない闇の底だった。
それも、もう過去の話。今や、確かに温かな光がこの場所に届いている。
やがて光は暗闇を隈なく照らし、全ての影を消し去った。ついにベルは、この途方もない暗闇から解放されたのだ。
温かな光に包み込まれたベルは、そっと目を閉じた。
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「あったかい…」
次にベルの瞳が開かれた時、そこに映るのは、セントラル病院の1室の天井。ようやくベルは目を覚ましたのだ。目覚めた時、ベルが感じていたのは温もり。
当然ベルはここがどこなのか分かっていないし、自分がバレンティスのシップ・ポートで倒れたことすら覚えていない。久しぶりに目を覚ましたベルは、しばらくボーッとまっすぐ前を見つめていた。
「………リリ?」
しばらくして、リリが抱きつくようにして寝ていることに、ベルは気がついた。
「ん…………え、ベル⁉︎いつ起きたの⁉︎」
ベルが顔を覗き込んでいると、リリもすぐに目を覚ました。彼女の表情は驚きに満ちていた。もちろんベルの目覚めを彼女は喜んでいるはずだが、今は驚きの方が勝っているのだろう。
「お、おう……今起きたところ」
「良かった………」
いつもと様子が違うリリを見て、ベルは戸惑いを隠せない。ベルからの返事を聞いた途端、リリの瞳からは自然と涙が溢れていた。死んだように眠っていたベルが目覚めたのを、彼女は心から喜んでいるのだ。
「おかえり!」
リリは、涙でぐしゃぐしゃになった笑顔をベルに見せる。彼女は涙ではなく、笑顔でベルを迎えたかったのだ。
これまで状況を掴めなかったベルだったが、リリの反応を見て、自分の身に起きたことを察していた。
「変な顔」
「うるさい‼︎」
そして、いつも通りのやりとりが始まる。ようやく、この世界にベルが戻って来たのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回で第5章エピソード2「目覚め」が終了となります。次回からエピソード3。ベルも目覚め、大逃亡作戦は次の段階へと進んでいく⁉︎
M-12の動き、そしてハウゼント兄弟とベルゼバブの戦いからも目を離せません!




