第165話「夢の檻」(1)
失われた記憶が取り戻される時、全てがはじまる。
改稿(2020/11/12)
「なんでアイザックがここにいるんだい?」
「可愛い可愛い弟子を助けに来たってワケよ!」
エルバと共に城外に出たナイトは、アイザックに冷たい視線を送った。
「あぁ…そうですか…」
「何だそのリアクションはよ‼︎」
「いちいちお前のテンションに付いていけるわけないだろ!」
「ん?その一つ目の真っ黒なのは誰だ?」
いつものやり取りを終えたアイザックは、さっそく見覚えの無い顔がナイトの隣にある事を指摘する。現在のエルバの姿は誰がどう見ても化け物だが、アイザックが特段驚く事はなかった。
「彼はかつての帝王エルバだ」
「……………は?エルバって…まさかあのエルバか⁉︎」
“一つ目の真っ黒なの”の正体を知らされたアイザックは、拳1つ入ってしまいそうなほど、口をあんぐりと開いた。
「いかにも、私はかのエルバ帝国の帝王エルバだ。アイザック・レストーレ。どうやら、私が送ったサインを確認したようだな」
「サイン…?そりゃ一体何の事だ?」
「彼は僕と同じく夢を操る力を持っている。そう言ったら分かるかい?」
「つーことは、ベルとドッペルゲンガーが戦ってベルが劣勢になる予知夢は、アンタが見せたのか」
バレンティスに向かうよう、アイザックはエルバから予知夢を見せられていた。6人のうち1人だけ遠く離れた地域にいた彼を呼び出すには、夢の力が必要不可欠だった。つまり“たまたまバレンティスにいた”と言うアイザックの主張は、嘘なのだろう。
「物分かりが良いな。お前は私の計画のため、この地に召集された6人の反乱者のうちの1人だ」
「計画?まさか、セルトリアとリミアに復讐する気じゃないだろうな?」
エルバ帝国の真実の歴史を知らないアイザックは、エルバを警戒した。それは一般人として、ごく当たり前の反応だった。
「安心しろアイザック。彼にそのような考えはない。説明しなきゃいけない事は山ほどあるけど…とりあえず、ベル君に記憶を取り戻させようとしているだけだ」
「ベルに記憶を取り戻させる?そりゃどう言う事だよ?」
1つの不安を取り除けば、また新たな不安が現れる。アイザックは最近王都で起きていた事を把握していなかった。M-12でないアイザックには、ほとんど情報が回って来ないのだろう。
「…………ベル君は最近、騎士団の秘密を知ってしまった。だからグレゴリオ様の命で、僕がベル君の記憶を部分的に封印したんだ」
「騎士団の秘密ねぇ……そりゃ俺も聞いてみたいもんだ」
ナイトが手短にベルが記憶を失った経緯を説明すると、アイザックは納得したように頷いた。彼も、騎士団には秘め事があるという事、に勘付いていたようだ。
「ちょっと待ってくれ!一体皆何の話してるんだ?騎士団の秘密?記憶を封印した?全然分かんねぇ」
「そう思うのも仕方のない事だ。ひとまず落ち着け。今から私が全てを取り戻してやろう」
「これが落ち着いてられるか‼︎大体お前、悪い奴なんじゃないのか!」
「話を聞いていなかったのか、少年。お前にとっては、私よりも騎士団の方がよっぽど悪い奴だ」
周りで進められているのは、ベルが知らないベル自身の話。その奇妙な状況に、ベルは混乱していた。考えれば考えるほど頭痛が酷くなるため、ベルは難しい事を考えられなくなっていた。
「ベル君。エルバの言う通り、ひとまず落ち着いてくれないかい?君には僕が奪ったものを取り戻してもらわなきゃならないんだ」
「…何するつもりだ?」
ナイトとエルバは、困惑するベルを挟んで向かい合った。理解出来ないまま物事が進んでいくこの状況は、ベルにとって恐怖でしかない。
加えて、ほとんど面識のない化け物の言葉に、周囲の人間が賛同している。実に奇妙な状況だ。
「何も恐れる事はない。お前は、失われた自分を取り戻すだけだ」
「そう、君は元に戻るだけ。これは、君にとって大事な事なんだ」
ベルの精神に潜り込む前に、エルバとナイトは再度彼を宥めようとする。偶然にも、リリと同じだったナイトの言葉が、ベルを少しだけ落ち着かせた。
「始めるぞ」
「はい」
エルバが合図を送ると、掻き上げられたナイトの前髪から、黄色い瞳が現れる。
そして、エルバの左目と右目の焦点が、ベルを中心にしてぶつかり合った。
「⁉︎」
「そいつが、かの有名な“エルバの左目”ってワケか!」
ベルは初めて見るナイトの左目に驚きを隠せなかったが、彼の身体はすでに動かなくなっていた。
右目と左目の焦点が合って数秒後、ベルの身体から世にも美しい星屑のような輝きが溢れ出した。
かと思えば、ベルの傍にいた2人の姿は忽然と消えてしまった。それはベルの夢、つまりは精神世界に、エルバとナイトが侵入した事を示していた。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
2人の幻夢の支配者が、ベルの夢の奥深くへと潜って行く。精神世界の入り口はまるで、光の届かない深海のよう。どこに目をやっても、広がるのはひたすら暗闇だった。その中に、ナイトとエルバが漂っている。
「まさか、こうも早く記憶の宮殿に戻って来る事になるなんて…」
「まずは記憶の回廊を探すぞ」
2人はベルの夢の中を、泳いで進んで行く。今彼らがいる空間は、まさに海そのものだった。夢の中で、記憶を保管しておく海のような空間を、記憶の宮殿と呼ぶようだ。
しばらく進んで行くと、暗かった視界が急に明るくなり始める。
周囲を見回して見れば、そこには何人ものベルの姿があった。それだけではなく、エリクセスの街並みやリオルグの街並みも広がっている。それはベルの記憶の断片。これまでベルが経験した記憶が、動画のように幾つも再生されている。これが記憶の回廊なのだろう。
記憶の動画が周囲でひっきりなしに再生されている。それはまるで、本物と錯覚してしまいそうなほど、リアルなものだった。手を伸ばせば、触れられそうだ。
「お前は、あの記憶を回廊のどこに閉じ込めた?」
「最深部です」
「また面倒な事をしたものだ」
ナイトがベルの記憶を閉じ込めたのは、記憶の回廊の最深部。ナイトの返答を聞いたエルバは、溜め息をついた。
目的地が最深部ならば、現在2人がいるのは、記憶の回廊の表層部。このエリアでは、取るに足らない日常的な記憶が配置されている。ベルが歩いた街並みや、食べ物がほとんど。中には、特に印象に残っていない会話の記憶もあるようだ。
それから程なくして、2人の周囲を流れて行く記憶に、明らかな変化が起こった。これまでは特に気にする事もない風景や、当たり障りのない会話が流れて来るだけだった。だが今では、ベルがこれまで出会った様々な人物の姿が現れるようになっていた。
ここは記憶の回廊中層部。表層部に比べ、ベルに深く関わって来た人物の姿がよく映るようになっていた。中層部から最深部にかけて配置されている記憶が、ベルの人格を形成しているのだ。
遠き日の幼馴染との記憶。星屑の泉。ガランとの出会い。リリやアレンとの出会い。ベルゼバブとの戦い。アドフォードからルナトへの逃走劇。月衛隊への潜入。ベンジャミンとの対決。黒魔術士騎士団での日々。マンライオン討伐。トランプ・サーカス警備。雪男討伐。
そして、白い少年との戦闘。
これまでベルに蓄積された記憶が、2人の周りを駆け巡る。ナイトは、ベルがたどって来た道のりを、ある程度把握していたつもりだったが、当人の記憶の中へ潜ってみれば、それはダイレクトに伝わって来る。
レイリーの死や、サマーベル兄妹に関する記憶を目の当たりにしたナイトは、思わず涙しそうになっていた。こうして振り返ってみれば、ベルは年齢の割に、壮絶な人生を送っていた事に気づかされる。
「よし、ようやく最深部だ」
長い中層部をようやく抜け、エルバとナイトは最深部へとたどり着いた。記憶の回廊最深部には、中層部とは全く違う景色が広がっていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ナイトとエルバが向かうのは、ベルの中の記憶の宮殿。その奥深くにベルが思い出すべき記憶は眠っている。




