第152話「幻夢の支配者」(2)【挿絵あり】
ジャッカスは、誰にも想像がつかない黒魔術を発動しようとしていた。ジャッカスが描いている魔法陣は、現代を生きるベルでさえ見た事が無いほど、巨大なものだった。途方もなく巨大なこの魔法陣を現実世界で描こうとすれば、エリクセスの街をすっぽり覆ってしまう程になるだろう。
夢の世界に走る光の筋からは、常に流れ星のような無数の小さな光が飛び出していた。
夢の塊の間を縫って、光の筋が進んで行く。その光景はとても美しいものであったが、エルバはどこか危険な雰囲気を感じ取っていた。
「そろそろ決着をつけようじゃないか」
得体の知れないジャッカスの黒魔術に、エルバは命の危機を感じていた。来たるジャッカスの大技に備えるため、ジャッカスは卵型の障壁を何重にも重ね、防御力を高めた。
「夢の世界ってのは現実と違って、いくらぶっ壊しても周囲に影響が出る事はない。こんなに理想的な戦場は、他に無いだろう?」
「夢の世界は、決して戦うための場所ではない。人々の記憶と繋がるための場所だ」
「今のうちにほざいてろ。もう、アンタの言葉を聞く事も無いだろうからな」
「私は死なん!」
「死ね…終わりだ‼︎」
ジャッカスがそう言い放った途端、夢の世界の隅々にまで張り巡らされた魔法陣から、より一層眩い光が放たれる。
その光は夢の世界全体を覆い、エルバの視界を奪ってしまう。光で埋め尽くされた夢の世界で、一体何が起きているのか。エルバには、それを推し測る事が出来なかった。
「一体何が起きているんだ…」
夢の世界で何が起きているのかは分からないが、エルバがまだ無事でいる事だけは確かだった。ジャッカスが何かを仕掛けたのは、否定しようのない事実だったが、視界が奪われた事以外、特段変化は起きていない。
しばらくすると、夢の世界全体を覆っていた眩い光は消えた。
視界を取り戻したエルバは、慌てて周囲を見回すが、そこに広がるのは先ほどまでとほとんど変わらない景色だった。魔法陣も輝いたまま、周囲には夢の塊が漂っている。
「……逃げたのか?」
ただ1つだけあった変化。それは、周囲にジャッカスの姿が見当たらない事だった。ジャッカスが居ない夢の世界には、不気味な静けさがあった。
「あれは、黒魔術ではなかったのか…?なぜ逃げる必要がある……あの羽根は攻撃の合図ではなかったのか」
対象を殺さずに姿をくらました暗殺者に、エルバは動揺を隠せなかった。ジャッカスはあの時、確かに何か大技を仕掛けようとしていたはずだ。
ジャッカスは攻撃する際、必ず背中の羽根を使っていた。本当に逃げるために、エルバの視界を奪っただけなのだろうか。
「……?」
しかし、エルバが抱いていた違和感は、すぐに掻き消される事となる。呆然とエルバが周囲を見回していると、とある変化が起きている事が明らかになった。
その変化は、夢の世界中に広がっている魔法陣にあった。
魔法陣を構成する光の線が、まるで紙吹雪のように散り始めていたのだ。周囲に張り巡らされていた魔法陣は、みるみるうちに散って行く。
その光景は、降りしきる粉雪のようでもあった。
これが、終わりの始まりだった。そのどこか美しい風景に見惚れているのも束の間、夢の世界には新たな変化が起きていた。魔法陣のみならず、辺り一面に広がる夢の世界自体が、崩壊し始めていたのだ。
積み重ねられたレンガの壁が崩れて行くように、夢の世界は音も無く崩れて行く。この世界を覆い尽くす夢の塊さえ、崩壊して行く。
崩壊の波は、次第にエルバに近づきつつあった。
「まさか、このような芸当が出来ようとは……そうか。あの技を仕掛ければ、この世界に存在するものは例外なく崩れ去る。だから逃げたのか」
崩壊し始めた世界を見て、エルバは呆然としていた。ジャッカスが全ての羽根を使って仕掛けた大技は、この世界を崩壊させるものだった。
そして、エルバはすぐに、ジャッカスが逃げた理由を悟った。この世界に残れば、術者さえ消え去ってしまうのだろう。
「いや、あの悪魔と私の力が互角なのだとすれば、この崩壊を食い止められるかもしれん」
呆気にとられていたエルバだったが、まだ希望は捨てていなかった。これまでの戦闘の中、エルバは自身の力がジャッカスと互角である事を、何度も思い知らされた。力が互角であれば、この世界の崩壊を止められる可能性は十分にあった。
「何⁉︎」
ところが、この頃になると、すでに夢の塊はエルバの言う事を聞かなくなってしまっていた。世界の崩壊を食い止めようと必死になる帝王だったが、いくら頑張っても、魔法を使う事は出来なかった。
もうこの夢の中では、エルバは幻夢の支配者ではなくなってしまったと言う事なのだろうか。
「奴の力の方が上だった…と言う事なのか?」
やがて、エルバを守る多重の障壁までもが、崩壊の波に呑まれようとしていた。エルバを嘲笑うかのように、崩壊の波はすぐそこまで来ている。もはや、この崩壊を止める事は誰にも出来ない。
崩壊の波が到達した時、卵型の障壁は外側から順に、儚く崩れて行く。これで、エルバの力がジャッカスに及ばなかった事が証明された。
「こんなところで…」
エルバは何か抵抗しようと、右手を前に伸ばす。
しかし、伸ばした手までもが崩壊を始めた。
それから、崩壊の波はエルバの身体に到達した。帝王の身体は右手からゆっくりと、紙吹雪のように散り始めていた。
もはや打つ手無し。崩壊の波は、容赦無くエルバの身体を蝕んで行く。
「死ぬわけには……」
エルバが最期の言葉を言い終える前に、ついに彼の口までもが崩れ去ってしまった。それから、帝王エルバの全身が消え去るまで、それほど時間は掛からなかった。
音もなく崩れゆく世界に響く、帝王の最期の叫び。
それさえ、無音の世界に呑み込まれてしまった。この夢の世界には、もう誰も存在していない。これによって、帝王暗殺事件は幕を閉じたのであろうか。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
「お前、さっきエルバ大戦と言っていたな?」
「はい。帝国軍と反乱軍の間で、国民を巻き込む大きな戦争が勃発した。その壮絶な争いの末、帝王は命を落としたと聞いています」
「フン…笑わせる。一体誰が、そんな話をでっち上げたんだ」
「まさか……今の話が、エルバ大戦の真相だと言うんですか?」
「そうだ。史実は現実とは異なる。所詮歴史は、後世に生き残った勝者が記すもの。それが真実とは限らん。アイツは帝王暗殺をドラマティックに仕立てたかったんだろう。
そこにあったのは、帝王である私と悪魔との戦いのみだ。私が当時行っていた独裁政治は確かに国民を苦しめていた。だが、ギギが行った憑依の実験は、実際に“国民を巻き込んだ”。形こそ違えど、彼女も犠牲を出した。残した結果こそ正しかったのかもしれないが、やり方は危険極まりないものだった」
歴史は勝者のみが記す事が出来る。それが、エルバが伝えたい事の1つだった。
現代を生きる多くの人間が知る“エルバ大戦”と言う戦争は、本当は存在していなかった。現在の世界の礎を築いたギギと言う人物が、話を盛大にでっち上げたのだろう。
「ちょっと待って下さい。それが、信じられないような真実なんですか?」
「まだ話は終わっちゃいない。それどころか、実はまだあの戦いについても話し終えたわけじゃない。そう焦るな、まだまだ話は始まったばかりなのだから」
エルバ大戦は存在しなかった。確かにその真実は衝撃的なのかもしれないが、ナイトにとって、それは信じられないと言うほどではなかった。
エルバ大戦は存在していなかったのかもしれないが、反乱軍によってエルバ帝国が終わりを迎えたのは事実なのだ。
当然“信じられないような真実”とは、エルバ大戦の真相ではなかった。さっきの話でエルバは敗北したはずだが、戦いが終わっていないとは、どう言う事なのだろうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!!
今回で一旦146年前の物語は中断して、次回から現代の話に戻ります。




