第134話「月の花」(1)
幾多の試練を乗り越えて、ベルたちは雪の頂に近づいていた…
改稿(2020/10/31)
Episode 18: The Moonlight Bloom /月の花
月に最も近い場所に咲く花…それが月の花。
遠い遠い昔、天にも届くほど高い山の頂上で、ある老夫婦が暮らしていた。彼らには日課があった。それは一輪の花に水を与え、話しかける事。
老夫婦は、その花を実の子どものように大切に育てていた。彼らは、日々起きた事を、その花の前で語り合っていた。彼らにとってその花はただの植物ではなく、家族の一員だった。
大切に育て上げられた花は美しかった。老夫婦の愛情に応えるかのように、その花は日に日に鮮やかさを増して行った。老夫婦は、毎日その花の変化を見るのを楽しみにしていた。いつでも、その花は老夫婦の心の支えとなっていた。
ある日の晩、老夫婦は望まないその花の変化を目撃する事になる。老夫婦がその日の昼に花を眺めていた時は大きな変化はなかったが、夜になると花の姿は一変してしまっていた。
何者かによって、美しい花は踏み荒らされてしまったのだ。何度も踏み付けられた花は茎から折れてしまった。こうなってしまっては、もうこの花が鮮やかさを増す事はない。
結局老夫婦はその犯人を見つけ出す事が出来なかった。ここは天にも届くほどの高い山。物好きな登山家以外、まず人が来る事はない。たまたまこの山を訪れた登山家が、憂さ晴らしのためにあの花を踏み荒らしたのかもしれないが、老夫婦がその真相を知る事はなかった。
老夫婦は悲しみに暮れていた。誰かがあの花を殺した事は明白な事実だが、老夫婦にはその犯人を探す事が出来ない。仮に犯人を探し出す事が出来ても、あの花が帰って来るわけではない。
その翌日の晩、老夫婦は涙を流しながら、死んでしまった花に語りかけていた。これまでの後悔や、これから話したかった事、そしてその花をどれだけ大切に思っていたかを。
老夫婦の言葉と涙は、永遠に続くようにも思われた。
ずっと花を見つめていた老夫婦は、しばらくすると足元が微かに明るくなった事に気がついた。最初彼らはそれが単なる気のせいだと思っていたが、時間が経つほど、足元を照らす光は強くなっていった。不思議に思った老夫婦は、ゆっくりと頭上を見上げる。
見上げてみると、暗雲立ち込めていた夜空が不自然に晴れていた。死んでしまった花の上空だけ、星空が顔を出していた。そこから、ちょうど明るい月が顔を出している。老夫婦の足元が照らされた理由はこれだった。
夜はいつも山頂は分厚い雲に覆われていて、老夫婦はこれまであまり星空を見た事がなかった。彼らは、この世界で神として崇められている月を拝んだ回数も少なかった。普段はあり得ない出来事が、今この山頂に起こっている。老夫婦は、久しく目にしていなかった月に目を奪われる。
いつも明るく輝いている月が、その時一際美しい光を放つ。その光は山頂を真昼のように明るく照らし出した。
やがて光は一筋の光線となり、死んでしまった花目掛けて照射される。一際美しい光を浴びた花は、瞬く間に失った輝きを取り戻し始めた。
花が一定時間月の光に晒されると、分厚い雲海の中に空いた穴は閉じてしまった。さっきの出来事が嘘だったかのように、これまでの何も変わらない光景が広がっている。ただ唯一、“あの花”を除いては。
死んではしまったはずの花は、自ら光を放っていた。無残に折られてしまった茎の部分が青く輝き出し、断たれてしまった繊維を結び付ける。
やがて死んでしまったはずの花は、再び立ち上がる。これまでより輝きと美しさを増して、その花は命を取り戻した。
まさに魔法のようなその光景を、老夫婦は息を呑んで見守っていた。我が子のように大切にしていた花が、死んでしまったはずの花が再び笑顔を見せてくれたのだ。この世のものとは思えないほどの美しさを手に入れたその花を見て、老夫婦の顔も自然と笑顔になっていた。
老夫婦が育てたその花が、やがて世界で伝説として語り継がれる“月の花”となった。
月の花の種子はそれから世界中に広がり、今でも“月に最も近い場所”で咲くという。月から洗礼を受けた花は、不思議な力を宿し、幾度となく人々を救って来たそうだ。
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「以上が、“月の花”にまつわる伝説だ。真相は定かではないが、この御伽噺のような物語が世界中で語り継がれている」
「へ〜」
「俺それ知ってる〜‼︎」
雪の頂を目指して歩いている間、レオンはベルに月の花の伝説を語っていた。セルトリア王国内で“月に最も近い場所”の近くで暮らすキリアンは、当然ながらその伝説を知っていた。
「でも雪男にまつわる噂がデタラメだったから、その伝説も本当かどうか…」
「それは確かに…」
雪の頂に近づいていると言うのに、エルナは懐疑的になっていた。当初は月の花と雪男が密接に関係していると噂されていたが、それはただの作り話だった。
「雪男は騎士団が生み出したものだが、月の花は違う。雪男と違って月の花の伝説は世界中で語り継がれているしな」
レオンは雪男の噂と、月の花の伝説の違いを説いた。雪男と違い、月の花の伝説は遥か昔から語り継がれている。
「でも、スノウ・クリフの上に騎士団が研究所を持ってるなら、とっくに月の花は騎士団に取られてるんじゃないですか?」
「それも心配ない。月の花は、騎士団の眼中にないらしい」
それでもエルナの心配は尽きなかった。エルナたちよりずっと前に騎士団がスノウ・クリフにいたのなら、すでに月の花は奪われている可能性があったが、レオンはそれも否定した。
「え?それってどう…」
「あ‼︎」
レオンの説明にエルナが困惑していると、リリが突然大きな声を出した。それがきっかけで、一行は目の前に現れたものに目を奪われる事になる。
「何?」
エルナが前方を見やると、そこにはこれまでとは違う景色が広がっていた。今までずっとエルナたちは、雪の降りしきる白い急勾配を登り続けて来た。
だが、目の前に広がっている場所には、一切雪が降っていないではないか。
彼らの前に広がる空間にだけ、雪は降っていなかった。それ以外の場所では激しく雪が降りしきり、景色を確認する事が出来ない。
まるで、この場所だけ何かに守られているかのようだった。目の前に広がる穏やかで真っ白な景色に、ベルたちは不思議と目を奪われた。ここが雪の頂なのだろうか。
「あれは?」
「祠みたいだな…」
そして、ベルはさらなる高みにとあるものを発見する。それはレオンの言うように、祠のようなものだった。
ベルたちから見える1番高い場所には、透き通った氷で出来たお社のようなものが確認出来た。氷のお社に続くように、氷の回廊がベルたちの前に待ち受けている。
「なんか、見るからに怪しくないか?」
「確かに不自然ではあるが、あの祠に月の花があると見て、まず間違いないだろう」
険しい雪道を越えた先に存在する氷の祠と氷の回廊。前人未到のこの地に、人工物があること自体がまず不自然極まりない事だった。ただ、そこに月の花がある事は間違いないだろう。
「……行くしかねえか」
「あそこに、月の花があるのね」
月の花を目前にし、ベルとリリは固唾を吞んだ。もちろんエルナとキリアンがこの時誰よりも緊張していた事は言うまでもない。ここにいる誰よりも、彼らが月の花を求めて来たのだから。
「何が仕掛けられているか、何が潜んでいるか分からん。常に気を抜くな」
ついにエルナたちは、氷の回廊に足を踏み入れる。ほぼ確実にこの先に月の花が存在しているが、それまでの道のりに何が待っているかは誰にも分からない。
「何でも来やがれ」
「お嬢のため!」
氷の回廊に入ったベルは、すぐさま右手に炎を灯す。ベルに続くエルナはブレイズの息から炎の刃を作り上げ、周囲を警戒していたち。
これまでも様々な試練がベルたちを襲ったが、そのほとんどは騎士団によって仕掛けられたもの。この先にも試練が残されている可能性は、十二分に考えられる。
「……………」
ベルたちは気を張ったまま、氷の回廊を進んで行く。周囲を警戒するあまり、彼らは1人残らず黙り込んでいた。氷の回廊の中には、ベルたちの足音だけが響き渡る。
「これで終わりか…?」
「まだ気を抜いちゃダメよ」
数分もすると、ベルたちは氷の回廊を無事に抜けていた。氷の回廊の中では、特に何か変わった事は起きなかった。何か起こると警戒していた分、ベルは拍子抜けしていた。
しかし、用心深いエルナはまだ気を張っていた。氷の回廊は抜けたが、まだ月の花を手にしたわけではないからだ。
「彼女の言う通り、まだ気は抜けないぞ。氷の回廊はただの虚仮威しだったようだが」
すっかり警戒を解いてしまったベルに、レオンは忠告する。月の花を手に入れるまでは、気を抜く事は出来ない。
「あそこに月の花がある…」
エルナは目の前にある氷の祠をまっすぐに見ていた。ようやくたどり着いた“月に最も近い場所”。伝説が本当なら、確かにそこに月の花が待っているはずだ。月の花の眠る祠に向けて、エルナは1歩踏み出した。
するとその瞬間、立ち込める分厚い雲が開けて、祠の上空に月が顔を出す。
今この瞬間、伝説と同じ現象がこの場に起きていた。月から祠に向けて青い光が放たれると、氷は鏡のように光を反射させ、祠と回廊を青く輝かせる。
「実に美しい…」
レオンはその青い輝きに見惚れていた。
氷の祠は今この瞬間も変化し続けていた。全体に青い光が広がると、祠の先にある雪原が音を立てて動き始めたではないか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
着々と雪の頂へと近づいていくベルたち。そこにあるという幻の花を発見することは出来るのか!?




