第1話「運命の夜」【挿絵あり】
静寂に包まれた夜、事件は起こった…
改稿(2020/03/27)
Chapter1:The Demon In West/西の悪魔
Episode 1: Black Moon/ブラック・ムーン事件
夜空はどこまでも深く漆黒に染まり、その中に薄暗い色をした雲たちがせわしなく流れていく。流れ行く暗雲に、たびたび満月が顔を出しながら町を照らしている。
陽月歴1513年、6月24日。
この世界の人々は、深き闇に包まれし夜の空を照らす月を、神と崇めて信仰する。故に人々は、そんな月が見えなくなる夜のことをひどく恐れた。人々はその夜を、黒き月夜と呼ぶ。
この日の夜空には、いつものように月の姿があった。
リオーズ大陸の西方に位置する、“水の国”リミア連邦。ここは他の国と比べ水と接する面が多く、川や水路などの水を取り入れた町の風景が多くみられる。
そんなリミア連邦の小さな港町リオルグで事件は起きた。
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海辺の塀で囲まれた歩道を1人の少年が歩いている。そのすぐ傍らには、月に怪しく照らされた邸宅が佇んでいた。おそらくこの少年の家であろう。
少年は、月明かりに照らされた仄暗いレンガの道を1人で歩いている。まだ幼い彼は、怯えたような表情をしているように見える。彼の歩みはもう少し続く。
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「これで間違いはなかろう」
紳士は独り言を言うと、立ち上がった。その紳士の後ろには12人の影。
彼の目の前には、何やら分厚い書物が広げられていた。紳士が捲ったページには、何やら見慣れない単語が連なっている。
“Zodiac”、“Diabolos”、“Deva”
そんな単語の他に、見たこともない言語が記されている。一体この言葉は何を指し示しているのだろうか。
「本当にそんなことが可能なのですね、ヨハン・ファウスト博士」
「早くしてくれ。待ちきれない‼︎」
「そんな夢のようなことが実現しようとは…信じられんな」
影の中の12人は、それぞれ思い思いの言葉を紳士ヨハン・ファウストに向けて発している。
ヨハンはその12人と向かい合うように、椅子から立ち上がった。そして、謎めいた笑みを浮かべる。
「もちろんですとも。私が嘘をつくような人間ではないことを、皆様よくお分かりかと」
ヨハンは冷静で感情を伴わない口調で、そう言った。
「もう待ちくたびれた。まだなのか!」
12人のうちの1人が、待ちきれぬ様子で、1歩踏み出した。
「どうか焦らないでいただきたい。儀式において最も重要なのは、冷静沈着であること。そしてご安心ください。儀式はすでに始まっているのですから」
ヨハンがそう言うと、ちょうど雲に隠れていた月が顔を出して部屋の中を照らす。
12人が立っている足元にはっきりと現れたのは複雑に書き込まれた魔法陣のようなもの。月の光を受けて輝き出すその魔法陣に、誰もが釘付けになった。
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その頃、少年は港町リオルグの海を見渡せる平原にある墓地にたどり着いていた。この墓地には穏やかな潮風が吹いていて、潮の香が漂っていた。
墓地に来た少年は、迷う事なくある暮石を目指して歩いた。
“Helen Quill/1465-1511”
「母ちゃん。何でなんだ。どうして、どうして……どうしていなくなっちゃったんだよ!」
この日、6月24日は少年の母ヘレン・クイールの命日だった。少年は1人、失われた母親の姿を、彼女の幻影を墓石に重ねていた。彼はその場で泣き崩れる。
まだ幼い彼は1年が経った今でも、まだ気持ちの整理がつかずにいた。幼くして母親を亡くしたのだ、無理もない。少年の足元の草は、彼の大粒の涙で濡れていた。
「少年よ、母親に逢いたいか。もう1度優しい笑顔をその目で見たいか?」
すると突如、少年の耳に届く声があった。その時心なしか吹く潮風が強くなった気がした。
「誰?」
少年は恐る恐る声のする方へ振り返る。そこには誰の姿もない。ただ声が聞こえるだけだ。
「私が何者であるか、そんなことはどうでもいい。私の問いに答えよ」
その声は低く、冷たく、感情がこもっていなかった。
「会いたいけど…そんなこと出来るわけない。母ちゃんはもう死んじゃったんだ。もう会えないんだよ。会いたいか、会いたくないかの前に…もう会えないんだ…」
少年は力なく喋った。彼は幼くしてしっかりと現実に向き合おうとしていた。
「その母親に、もし逢えるとしたらどうする?生き返ったらどうするかな?」
その声はさらにそう問いかける。
「だから、そんなのは無理なんだって!」
「少年よ。“もし”逢えたなら、逢いたいのか逢いたくないのか。そう聞いているのだ」
その声は、少年1人しかいない広い墓地に響き渡る。
「そりゃ…そりゃ会いたいに決まってるだろ!大体父ちゃんが、父ちゃんが研究ばっかりしてたから悪いんだ。父ちゃんがちゃんと、ちゃんと母ちゃんと一緒にいてくれれば、母ちゃんは出て行くことはなかった…」
少年は再び涙を抑えきれなくなり、跪いた。彼は死の瞬間に立ち会ったわけではないが、大切な母を亡くしていた。彼女の死の瞬間を見た者はいないが、亡骸もちゃんと墓の下に埋まっている。家を出たヘレンは、誤って崖から落ちて命を落としてしまったらしい。
「お前の想いは届いた。そんなに父親が憎いのならば、いっそのこと母親のもとへ行くがよい」
その声を聞いた途端、少年の顔色が変わった。
「嫌だ、死ぬなんて…」
そこにあったのは畏怖の表情。母には逢いたいが、死にたくはない。
「何を言っている。誰もお前が死ぬとは言っていない。お前が死なずとも、母親に逢うことは可能だ」
その声を聞いた少年の顔には、再び希望の光が灯る。
「うそ……会わせて、会わせてよ!」
少年はその声の主を探そうと、一生懸命周りを見回している。
しかし声の主の姿はどこにも見当たらない。声がする方へ行っても、墓地にいるのは少年ただ1人。他には誰もいない。
「まぁそう焦るな。すぐに逢わせてやろう」
その声が聞こえた直後、少年の足元に怪しい光とともに、奇妙な魔法陣が出現した。その魔法陣は、円を六芒星が囲み、更にそれを大きな円が囲んだものであった。この魔法陣が出現した直後、少年の視界は一変する。
今まで周りにあったたくさんの墓石は姿を消し、ヘレンの墓石だけが少年から遠く離れた位置に佇んでいた。
すると、遠くにある墓標のあたりから眩いばかりの光が溢れ出した。溢れ出た光の粒子は集合し、やがて人の形を形成し始めた。その姿はみるみるうちに少年にとって見覚えのある女性の姿へと変わっていく。
「……母ちゃん?」
到底信じられない現象を前に、口をポカンと開ける。
そして少しずつ、ゆっくりと歩み寄る。信じられないが、そこには懐かしい大好きな母親の姿が見えるのだ。
「………ベル」
ヘレンと思われるその人物は、少年の名前を呼ぶ。
少年の歩みはゆっくりと、着実にヘレンの元へと近づいていた。
「母ちゃん、信じられないよ。また会えるなんて…」
ようやく母の元へたどり着いたベルの頬には、涙が伝っていた。これほど思いが溢れることは、今まで経験したことがなかった。
ヘレンはゆっくりとベルの右手を取り、しっかりと握りしめた。そして両手で優しく包み込む。その手は優しく、温かかった。
久しぶりに感じる母の温もり。ベルはただただ感動し、涙を流し続けた。もう会えなかったはずの母に会えた。ベルは安心し、彼は目を閉じた。
このまま、この時間が永遠に続けばいいのに。ベルはそう思っていた。ヘレンがいなくなってからと言うもの、今この時が1番幸せな時間だった。
しかし次の瞬間、ヘレンの優しい笑顔は引きつった。その顔は確かに笑っているが、さっきまであったはずの優しさが、表情から感じ取れない。さらにヘレンの手の温もりに安心していたベルは顔を歪める。
温かさが、徐々に熱へと変わって行った。
熱い。
ベルは思わずその手を離そうとするが、気づいたときにはヘレンの手は燃え盛る炎となり、ベルの右手を包み込んでいた。
「うわぁー‼︎」
ベルはもう1度手を離そうとする。
しかし手遅れだった。その炎は右手からベルを包み込み、肩に到達する。そして首元に到達し、やがては右目までも包み込んでしまったのだ。
「くそっ、やっぱ死んだ人に会えるなんて嘘だったんだな!どこだ!どこにいるんだ‼︎」
ベルは灼熱の炎に苦しみながらも、怒りに任せて声の限りに怒鳴っている。ベルの心の中では、怒りの炎が燃え盛っていた。人の弱みを餌にし、陥れるなんてことはあってはならない。
こんな事をするのは一体誰だ。絶対に許さない。
ベルはそんな強い思いを抱いていた。
「少年よ、そこに私の姿はない。今お前を包んでいるのが私だ。お前は青いな。これでお前は…」
そんな声が聞こえた直後、すぐに炎はおさまった。ベルを包む炎も、綺麗さっぱり消えた。
しかし、ベルはそこで気を失ってしまうのだった。この先ベルがどうなったのか、本人は何も覚えていない。
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その頃邸宅では、ヨハン・ファウストが表情のない顔で窓から夜空を眺めていた。
すると月はみるみる光を失い、黒き月となり夜空に溶け込んでしまった。その様子を確認した紳士の顔には、不気味な笑みが浮かんでいた。
開かれていた謎の書物は、今閉じられた。
読んでいただき、ありがとうございます!!
忌わしき事件“ブラック・ムーン”が、少年ベルの人生を変えてしまった…。次回は“ブラック・ムーン”により変わってしまったベルの人生の話です。