第120話「侵蝕」(2)【挿絵あり】
ジュディがエースを足止めしている頃、ベルはアローシャと侵蝕について話していた。
「その侵蝕を第2段階に進めてくれ」
“本当に良いのか?”
さっそく侵蝕を次の段階へと進めようとするベルだが、アローシャは慎重だった。
「良いも何も、第2段階にしなきゃ勝てないんだろ?」
早く侵蝕を進めようとしないアローシャに、ベルは苛立っていた。侵蝕を進める事による影響をベルは知らないが、進めなければ何も始まらない。
“さっきも言ったが、侵蝕を進めれば、確実にお前の身体に負担を掛ける。本来 憑依の契約者は、契約後すぐにその身体を完全に悪魔に乗っ取られる。故に侵蝕の加減も自由自在だ。だが、お前は違う。人間の身体を悪魔が動かすのと、人間自身が動かすのとでは、わけが違うのだ”
“タイムリミットは10分。それ以上 侵蝕第2段階の状態で過ごせば、第1段階に戻れなくなる。そして、侵蝕を第2段階から第1段階に戻した時、お前の身体には想像を超える負荷が掛かる。それを理解した上でしか、侵蝕を次の段階に進める事は出来ない”
侵蝕は悪魔が人間の身体を使いやすくするために、文字通り人間の身体を“侵蝕”するもの。侵蝕が進めば進むほど、悪魔と人間の身体がシンクロし、本来に近い力を使う事が出来るようになる。
その代償として、侵蝕を進めると、タイムリミットを迎える前に解除しなければ、元の姿には2度と戻れない。
「ベル‼︎侵蝕ってやつ早くしてくれない?」
「良いからやれ‼︎第2段階になったら、さっさと氷野郎倒して元に戻ってやる!」
この時もエースに応戦していたジュディは、ベルが早くパワーアップする事を望んでいた。侵蝕を進めた事によるリスクをベルも考えはしたが、戦いに勝つには他の手段は残されていなかった。
“良いだろう。後で文句言うなよ”
「アイツ倒したら、ちゃんと元に戻せよ」
“フン……”
ついに侵蝕が第1段階から第2段階へと移される。これはアローシャの巧妙な策略である可能性もあったが、ベルは悪魔の提案を受け入れた。
「何だ?」
ベルが侵蝕の進行を受け入れた途端、暗かった夜の景色が赤く照らし出される。ジュディとの戦闘に集中していたエースは、思わずその赤い光に目を奪われた。エースを足止めするために戦っていたジュディも、ベルの変化を見届けようとしている。
渦巻く業火に包まれたベルは、やがてその中から姿を現す。渦巻く炎が巻き起こす風に前髪が吹き上げられ、侵蝕を進行させたベルの姿が露わになった。
これまで顔の右半分だけ赤く染まっていたベルの顔は、大きく変化していた。今のベルは、顔の上半分が赤く染まってしまっている。両目を覆うように広がった赤い“印”は、生まれ変わった少年の瞳の鋭さを強調していた。オッドアイだった瞳も、今では2つともに赤く染まっていた。
それから、ベルの耳は悪魔のように尖っていた。それだけに留まらず、顔以外にも変化が起きていた。ベルの両手の爪は鋭く尖り、凶暴な印象を与えている。
ベルの右手を覆っていた氷も、威力を増した炎によって瞬時に溶かされた。氷が溶けて生まれた水滴さえも、アローシャの地獄の業火によって焼き尽くされた。
侵蝕を第2段階まで進めた事によって、ベルが使えるアローシャの業火は格段にパワーアップしていた。
「さぁ、ここからが本番だぜ‼︎」
みなぎる魔力を全身で感じたベルは、エースに向かって宣戦布告する。さっきまで感じていた絶望は、もうどこにも無い。今度こそ、ベルはエースに勝つ自信を確かに持っている。
「やりぃ‼︎これなら勝てるわ!」
明らかにパワーアップしたベルを見て、ジュディも勝利を確信していた。もうアローシャの業火がエースに凍らされてしまう事はない。後は、圧倒的な力でエースを打ち負かすのみだ。
「調子に乗るな‼︎」
窮地に立たされているはずのエースだったが、それでも彼が怯む事は無かった。それどころか、ようやくまともな戦いが出来るまでにパワーアップしたベルを見て、彼の顔は喜んでいるようにも見えた。
キュイーン‼︎
ベルのパワーアップに応えるかのように、エースの鎧はこれまで以上に輝きを増した。まさか、まだ氷の黒魔術をパワーアップさせる事が出来ると言うのだろうか。
「悪足掻きはよせよ。お前じゃ、今の俺には勝てねぇ」
ベルは澄ました瞳で、エースの姿を見つめているが、彼に残された時間は少なかった。10分以内にエースを倒さなければ、ベルはこれまでの姿に戻れない。すでにこの時点で、1分が経過していた。
「貴様の墓場はここだ‼︎死ねぇっ‼︎」
エースは狂気に満ちた眼を見開き、両手を広げた。
すると、これまで以上に周囲の気温が下がり、地面だけでなく空気中の水分までもが徐々に凍り始める。エースは冷気の刃での攻撃を止め、新たな魔術を繰り出そうとしていた。
“小僧、油断は禁物だぞ”
「分かってるよ!ジュディ、俺の後ろに隠れてろ」
「う、うん」
ベルのみならずアローシャまでもが、異様な魔力をまとったエースを警戒していた。ジュディの身を案じたベルは、彼女を背後に隠す。ジュディもエースと戦える実力は持ち合わせているが、これからエースが放とうとしている魔術を、彼女が退けられるとは限らない。
「これで終わりだ‼︎」
ついにエースの奥義が発動する。鎧に組み込まれた丸いパーツが一斉に光を放ち、ベルたちの視界を奪った。
そしてどこからともなく、凍てつく吹雪がベルたちに吹きつける。最大限まで上昇したエースの魔力が、空気中の水分から微細な氷塊を大量に作り上げていた。
辺りを覆い尽くすように発生した微細な氷塊が、群れを成してベルたちに襲い掛かっているのだ。これこそが、全てを凍りつかせるエース・ド・スペードの奥の手だった。
「まだ終わらねぇーっ‼︎」
全ての力を解放して規格外の黒魔術を放つエースに、ベルは恐怖を抱いていた。パワーアップした状態でも、恐れを感じてしまうほど強大な氷の黒魔術。ベルはまとっていた赤い業火を全て、“死を呼ぶ嵐”にぶつけた。
凍える狂気と、燃える闘志が激突する。真っ白な吹雪と、真っ赤な業火がぶつかり合い、紅白の美しいコントラストが夜の闇を照らし出す。
恐ろしくも美しい、強大な黒魔術の激突。ジュディはベルの背後から、高次元の黒魔術バトルを目撃していた。
そこにいる全員が、焼きつくような熱気と、凍えるような冷気を肌で感じていた。
侵蝕を第2段階まで進めたベルの魔力を以ってしても、簡単にエースの黒魔術を打ち破る事は出来ない。エースの驚異的なパワーアップには、必ず彼の着用している鎧が関係しているはずだった。ベルと違い、彼は人工的に魔力を増幅させているように見える。
“奴の黒魔術、並みじゃないぞ”
「それも分かってる‼︎力で押し倒すしかねえだろ!」
悪魔であるアローシャでさえ、エースの黒魔術に感心していた。熱気と冷気は完全に拮抗していて、互いに譲らない。
炎の黒魔術と氷の黒魔術の威力が同等だとすれば、どちらか魔力が先に尽きた方の負けだ。
その頃、エースの鎧からは火花が散り始めていた。全身に散りばめられた光るパーツから、激しく火の粉が飛び散っている。吹雪を吹かせ続けるエースの表情は、次第に歪んで行った。
“時間が無いぞ‼︎あと1分でケリをつけろ”
「言われなくても、そのつもりだ!クソ悪魔‼︎」
アローシャを宿すベルには無尽蔵の魔力が存在しているが、エースの魔力切れを悠長に待っている暇は無かった。ベルに残された時間は、残り約1分。1分以内に決着をつけなければ、ベルは永久に今のままの姿になってしまう。
鬼の形相でエースを睨みつけるベルは、全神経を業火の黒魔術に集中していた。燃え上がる闘志に比例するように、ベルが放つ業火も激しさを増して行く。少年の気持ちに応えるようにさらに増大した炎は、やがて白い吹雪を呑み込んでいく。
「終わるのは、お前だ‼︎」
そしてついに、ベルの業火がエースの吹雪を完全に呑み込んだ。ベルには知る由も無かったが、ベルの魔力増大に反比例するかのように、エースの魔力は次第に小さくなっていた。
エースはアーマーの限界を超えて魔力を増大させていた。時間が経てば経つほど、エースの鎧は悲鳴をあげ、徐々に魔力が失われて行ったのだ。
「ぐあぁぁっ‼︎」
ベルに打ち負けたエースは、大きく膨れ上がった業火に包み込まれてしまった。
“残り10秒。危なかったな”
炎と氷の戦いに決着がついた時、アローシャが口を開く。
そして、一瞬にしてベルは元の姿に戻った。侵蝕が第2段階から、第1段階へと引き戻されたのだ。侵蝕はアローシャの罠ではなく、本当にベルに力を使わせるための手段だった。
侵蝕が第1段階に戻ると共に、エースの身体を包んでいた業火も消え去った。
「やるじゃん‼︎見直したわ〜」
「ニヤニヤしてんじゃねぇよ。大体お前が捕まったから、こうなったんだぞ……」
ドサッ!!
凄まじい魔力を見せつけたベルに向かって、ジュディは笑顔で拍手を送った。
対するベルは、トラブルの種を撒いたジュディに嫌味を言いながら、突然その場に倒れ込んでしまった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回はイロージョン第2段階が初お披露目となりました!
いよいよサーカス編も大詰め、体力を使い果たしたベルに待ち受けているものとは…⁉︎




