第118話「赤い瞳と青い光」(2)【挿絵あり】
「それは貴方が、ただ間抜けだったと言うだけの事でしょう?恨むべきはメフィスト・フェレスではなく、易々と騙されてしまった自分自身だと思いますが」
「黙れ‼︎メフィスト・フェレスはそうやって、いつでも俺を見下していた。俺様が上だと言う事を見せつけてやる‼︎今度こそな」
グラシャラボラスは、他を見下すメフィスト・フェレスの高圧的な態度が嫌いだった。目の前にいる人間は、そんなメフィスト・フェレスにそっくりだった。メフィストにそっくりなジョーカーを殺せば、グラシャラボラスの気も晴れるのだろう。殺戮の悪魔の赤い瞳は、確かにジョーカーの姿を捉えている。
「グラシャラボラス如きが、メフィスト・フェレスに敵うはずもないでしょう?そこまで言うのでしたら、私が貴方に最も屈辱的な最期を与えてあげましょう。もう2度と、刃向かったりしないように」
狂気的な表情を浮かべるグラシャラボラスに一切怯むことなく、ジョーカーはさらに高圧的な言葉を浴びせた。しばらく戦闘して、グラシャラボラスの黒魔術を分析したジョーカーは、いよいよ決着を付けようとしていた。
「屈辱的な最期を迎えるのは、お前の方だ!」
「ほざけ」
威勢良く吠えるグラシャラボラスだったが、そんな悪魔をジョーカーは鼻で笑った。
そして、彼は両手を開いて微笑する。その直後、ジョーカーの背中に発生した黒い触手が、グラシャラボラスに向かって飛び掛かる。それは、グラシャラボラスと全く同じ、8本の触手だった。
ジョーカーの言う“最も屈辱的な最期”とは、この事だった。自分と全く同じ黒魔術でトドメを刺される事。それが最も屈辱的だと、彼は考えたのだ。
グサッ!グサッ!グサッ‼︎
ふいを突かれたグラシャラボラスは、抵抗する間も無く、8本の触手による攻撃を、全身に浴びてしまった。グラシャラボラスが動かしているのは、アビーの身体。在ろう事か、少女の身体は8つの穴が空いた無惨な姿となってしまった。
「……‼︎」
その惨たらしい光景を目の当たりにしてしまったリリは、思わず言葉を失った。“アビーちゃん!”彼女はそう叫びたかったが、強すぎるショックが、彼女の声を奪っていた。
「くっ‼︎」
同じくその光景を見たベルは歯を食いしばる。アビーは犠牲になるべき存在ではなかった。今繰り広げられているのは、グラシャラボラスとジョーカーの戦い。
グラシャラボラスでもジョーカーでもなく、武器として使われたアビーが命を落としてしまった。彼女が命を落としても、グラシャラボラスが死ぬわけではない。その不条理に対し、ベルの中ではフツフツと怒りが込み上げていた。
「これで、我がサーカスに訪れた災厄は去った
……………………⁉︎」
誰もがジョーカーの勝利を確信していたその瞬間、勝者にある異変が起こる。ベルは残酷な勝者に、怒りに満ちた視線を送っていたが、なぜか次第に彼の怒りは収まった。青ざめていたリリの顔も、やがて血色を取り戻した。
「ぐっ…貴様‼︎」
「言っただろ?屈辱的な最期を迎えるのは、お前の方だ」
驚愕するジョーカーの視線の先にあったのは、グラシャラボラスの姿だった。さっき黒い触手に貫かれたはずの少女の身体には、傷ひとつ付いていない。
グラシャラボラスの言う“屈辱的な最期”が、ジョーカーが考えたものと同じだとすれば、グラシャラボラスは幻想を使ってジョーカーを欺いたと言う事になる。
この時、すでにジョーカーの身体は3本の触手に貫かれていた。
「俺だって、幻想くらい使えるんだぜ?」
…グサッ!グサッ!グサッ‼︎
うすら笑みを浮かべたグラシャラボラスは、ジョーカーにトドメを刺した。残る5本の触手を全てを突き刺し、グラシャラボラスはジョーカーの息の根を止めた。
これが、数多くの力を抱え込み、慢心していた黒魔術士の最期だった。ジョーカーがトドメを刺したのは、グラシャラボラスが見せた幻だったのだ。
ジョーカーが絶命したのを確認したグラシャラボラスは、触手を身体に仕舞い込み、ベルたちには目もくれずにゆっくりと歩き出す。
「待て‼︎」
グラシャラボラスの圧倒的な戦術に、誰もが言葉を失っていたその時、ダミアンが叫ぶ。これまで正気を失って塞ぎ込んでいたダミアンが、ついに口を開いた。
突然声を掛けられたグラシャラボラスは、無意識に立ち止まる。
「妹を返せ‼︎お前、僕たちを苦しめて来た悪魔なんだろ?もう十分僕たちは苦しんだ。アビーは連れて行かせない‼︎」
ジョーカーとグラシャラボラスの会話を聞いていたダミアンは、グラシャラボラスこそがサマーベル邸に取り憑いていた悪魔だと見破っていた。
2年前に家族を苦しめた悪魔が、今でも家族を苦しめている。ダミアンはグラシャラボラスと、アビーの秘密に気づけなかった自分自身に怒っていた。
「……………」
ところが、グラシャラボラスはダミアンに言葉を返す事なく、背を向けたまま大テントを去ろうとする。アビーは、グラシャラボラスがダミアンやベルたちに手出ししない事を条件に、身体を明け渡した。傷つける事も出来ない人間には、彼は興味が無いのだろう。
「待てって言ってるだろ‼︎」
「笑わせるな‼︎黒魔術も使えない人間が、どうやって俺を止めると言うんだ?」
アビーを取り戻したいダミアンは、大テントを去ろうとするグラシャラボラスの前に立ちはだかった。これでは、グラシャラボラスもダミアンを無視する事は出来ない。
目の前に立ちはだかった非力な人間を、グラシャラボラスは鼻で笑った。
「僕にだって奥の手がある‼︎絶対にここは通さない!」
「そんなのはただのハッタリだ。さっさと退け。俺はお前を殺せないんだ」
ここぞとばかりに、ダミアンは隠し球がある事をほのめかす。そう言うダミアンは、右手で胸部に隠れた何かを握っていた。
だが、グラシャラボラスが彼にまともに取り合う事はなかった。ダミアンがシャツの下に何かを隠している事は明らかだが、悪魔はそれを微塵も気にしていない。
「ハッタリなんかじゃないさ!これがあれば、悪魔だって怖くない」
そう言って、ダミアンは襟からシャツの中に右手を突っ込んだ。
そして、シャツの中から首飾りを取り出した。少し前から彼がずっと触っていたのは、この首飾りだった。
ダミアンが右手に掴んでいるのは、三日月をモチーフにした首飾りだった。スクエア型のガラス瓶に、金属製の三日月が覆い被さるようなデザインになっている。
首にかける糸を通すため、三日月のパーツには、楕円形のパーツが取り付けられている。
ガラス瓶の中には、青い液体が少量入っていた。
「何だ?それは……何の魔力も感じられないぞ。そんなただの飾りが、力になるはずないだろ」
しかし、その首飾りを見たグラシャラボラスが臆する事はなかった。ダミアンはこの首飾りが“奥の手“だと言うが、魔力の塊であるグラシャラボラスは、そこに何の魔力も感じていなかった。
「そう。これは、お前に勘付かれないように両親が用意してくれた秘密兵器。まさかこれを使う時が来るなんて、僕も思っていなかった」
ダミアンは首飾りの楕円形のパーツを捻りながら、“秘密兵器“について語る。三日月型のパーツと一体化した楕円形のパーツは、栓の役割を果たしていた。ダミアンは、瓶の中の液体を使って何かしようとしている。
楕円形のパーツを捻ると、その下に繋がっているガラス瓶の中の液体に、煌めく粉末が放たれる。どうやら、楕円形のパーツは栓の役割だけでなく、液体と粉末を隔離する役割も果たしていたらしい。
「?」
青い液体が謎の粉末と混ざると、ダミアンの首飾りは眩いばかりの青い光を放った。間も無く大テント内は隈なく青い光に満たされた。
ようやくダミアンの言葉がハッタリではなかった事を悟ったグラシャラボラスは、慌てて大テントから脱出しようとする。この首飾りに入っていた液体と粉末は、お互いが混ざる事で初めて力を発揮する仕掛けになっていた。
「星空の雫か?」
光を放つ青い液体を見て、ベルはその正体を予測した。だが、星空の雫は大テントを包むほどの光は発さない。
それに、星空の雫を浴びた所で、憑依された人間の身体から悪魔を追い出す事は出来ないように思われる。ただ、その液体が何らかの星の力を有している事は明らかだった。
「妹から、出て行け‼︎」
その言葉と共にダミアンは首飾りの栓を開け、中身の液体をグラシャラボラスに打ちまける。慌てて走っていた悪魔の動きは非常に直線的で、飛んで来た青い液体をまともに浴びてしまった。
「ぐっ…これは……」
青い液体を浴びたアビーの身体は、たちまち青い光に包まれた。それは星空の雫を飲んだ時に放たれるものより、ずっと眩いものだった。アビーの身体が見えなくなってしまうほど、謎の液体は輝きを放っていた。
「祓魔薬だ!」
「まさか……‼︎」
ダミアンが液体の正体を明かすと、グラシャラボラスは絶望に満ちた声を上げた。
それからしばらくして、アビーの身体を包んでいた青い光はスッと消えた。光から解放されたアビーの身体は、力なく地面に倒れ込んだ。
「アビー‼︎」
ダミアンはすぐさまアビーのもとに駆けつける。まだ祓魔薬の効果は明らかになっていないが、少なくとも彼は、アビーの身体からグラシャラボラスが出て行ったものだと思っている。
ダミアンはすぐに屈んで、アビーの安否を確かめる。2年前にサマーベル邸の事件が起きてから、彼はずっと妹のために生きて来た。もしここでアビーを護れなかったのだとしたら、ダミアンはその事を一生後悔する事になるだろう。
「……………」
正座する形で座ったダミアンは、片膝にアビーの頭を乗せる。ちょうどその時、アビーが目を開いた。彼女はひと言も発する事なく、宙を見つめている。
「⁉︎」
次の瞬間、アビーは貫くような鋭い視線を、実兄に向ける。まさか、まだアビーの身体からグラシャラボラスを追い出せていないとでも言うのか。その目が持つあまりの迫力に、ダミアンはたじろぐ。祓魔薬の効果は無かったのだろうか。
「…………お兄ちゃん?」
ダミアンが不安そうな顔で見つめていると、アビーが口を開いた。その声は、グラシャラボラスに憑依されていた時の低い声ではなく、柔らかくて儚い、アビー自身の声だった。
「アビー‼︎……良かった‼︎」
「お兄ちゃん‼︎」
無事にアビーの身体からグラシャラボラスを退治出来た事を確認したダミアンは、大事な妹を強く抱きしめた。抱きしめられた彼女もまた、兄を強く抱きしめ返す。
そんな2人の瞳からは、大粒の涙が溢れていた。
これにて、サマーベル兄妹を苦しめるものは完全に無くなった。フィニアス・テイラー・ジョーカーと言う1人の人間の犠牲を払って。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ジョーカー団長は倒され、無事にグラシャラボラスを退治する事も出来ました。ダミアンが持っていた強力なアイテム。これからの戦いの鍵になりそうな予感…




