第114話「クローバー」(2)【挿絵あり】
「待ちやがれ‼︎」
突然逃げ出したクローバーを、ベルは追い掛ける。未来が分かっている彼女に、逃げる必要などあるのだろうか。
ただ、その口ぶりからして彼女は逃げたのではなく、何かを取りに、もしくは誰かを迎えに行ったのかもしれない。
ベルは何度も業火を投げ飛ばすが、それが3人のクローバーに命中する事は無かった。少し先までの展開を読む彼女にとって、ベルの攻撃を回避するのは容易い事なのだろう。
やがて、クローバーの姿はベルの視界から消えてしまった。
「クッソ……」
クローバーの姿を見失ったベルは、取り敢えず大テントの入り口の方へと急ぐ。これから何が起ころうとしているのか知る由も無いベルは、すでに彼女に翻弄されていた。
「⁉︎」
大テントの入り口付近まで移動したベルは、そこから現れた人物を見て、目を丸くする。それと同時に、ベルは完全に動きを止めてしまった。
「ベル……黒魔術書は見つかったの?」
そこに現れたのは、サマーベル兄妹と一緒にいるはずのリリだった。
「ベル!騙されちゃダメ‼︎この人は私じゃないわ!」
「その人こそ私じゃないわ!本物は私よ」
「信じて!私以外みんな偽物よ‼︎」
ベルの前に現れたのは、リリ1人では無かった。そこにいたのは、合計4人のリリ・ウォレスだった。
恐らく、リリが来る事を予知していたクローバーがベルを錯乱するためにリリの姿に変身したのだろう。リリが4人いると言う事は、そのどれかが本物だと言う事。
「……卑怯だぞ」
目の前にいる4人は、どこからどう見ても全員リリだった。見た目と声だけでは全く区別が付かない。無闇にリリを傷付けるわけにもいかないベルは、炎を拳に灯す事さえ出来ずにいた。
「ホントに卑怯よ!こんなのズルい‼︎」
「何よ!偽物のくせに」
「どうやって本物だって証明すれば良いの……」
「もう皆黙って‼︎私が本物よ」
4人のリリたちは、口々に自分が本物だと主張する。全員の喋り方や仕草までもがリリそのもの。
クローバーの完璧なまでの観察眼により、4人は誰も偽物には見えない。リリは1度ババ・ファンガスと顔を合わせている。クローバーにとって、リリを観察する時間は十分にあったはずだ。
「あ〜‼︎どうすりゃいんだ……」
ベルは八方塞がりの状況に陥っていた。4人のうち誰がリリなのか特定しない限り、攻撃を仕掛ける事は出来ない。
かと言って何もしなければ、状況は変わらない。それどころか、クローバーが増援を呼ぶ可能性だってあった。
“奴の予知した未来を超える行動を取るしかないだろうな”
その時、どこからか声が聞こえる。4人のリリたちには聞こえていない様子を見ると、その声の主はアローシャのものなのだろう。
「は?超えるって……どうすりゃ良いんだよ」
“未来は見るもんじゃない。作るもんだ……じゃなかったのか?”
「うるせえ。そうだよ……未来は決まってなんかいない」
“その通りだ”
「……でも、未来を作るったって、何すりゃいいんだよ」
“未来は常に移ろうもの。お前が考えを変える度に、未来は変わる。あの女だって全ての未来が見えているわけではないはずだ”
時が経てば、未来も変わる。例えば、クローバーが1秒前に予知した未来と、1秒後に予知した未来とでは、全く違う可能性があると言う事だ。
「つまり……?」
“お前が絶対に取らないような行動を取れ。あの女の見た未来を超えていくのだ”
クローバーでさえ、頻繁に未来を見る事は出来ないはずだった。クローバーが1度ベルの行動を予知していたとしても、その時予知された未来とは違う未来を作る事は、十分に可能だ。
「…………よし、未来を超えてやる」
「?」
4人のリリは、ベルを見て首を傾げていた。側から見れば、ベルは1人でブツブツと喋っているようにしか見えない。
「悪い。ちょっとだけ耐えてくれ」
本物のリリに届いたか定かではないが、ベルは覚悟を決めたようにそう言った。
ベルは4人のリリを視界に捉えながら、両手を広げる。
それから息つく間もなく、ベルの全身から赤々と燃える業火が、全方位に解き放たれた。それは、ベルが扉の試練を乗り越えた直後、アーチェス教会で力を解放した時の光景が呼び起こされるかのようでもあった。
「うわぁっ‼︎」
大テント内は隈なく真っ赤な業火に包み込まれてしまった。未来を予知して攻撃を回避するクローバー。そんなクローバーの逃げ道を無くすため、ベルはリリを傷付ける事を省みず攻撃を仕掛けたのだった。
4人全員を攻撃すれば、必ずクローバー本体にダメージを与える事が出来る。これが、ベルの思いついた未来を超える行動だった。それが常識外れで、危険極まりない考えであった事は言うまでも無い。
炎が一旦大テント全体に広がった事を確認すると、ベルはすぐさま広がった炎を自らの身体に引き戻した。これも、扉の試練を乗り越えたからこそ出来た芸当だった。
炎は1度大テントを覆い尽くしたが、大テント自体が炎上する事は無かった。
ベルの瞳に映るのは、4人のリリ……ではなかった。4人のうち2人は、すでに人の形を成していなかった。元リリだった2つの存在は、何度もベルの前に立ちはだかった花の怪物へと姿を変えていた。2体の怪物は未だに全身を燃え上がらせ、苦しんでいる。
「うぅぅぅ……」
そして残る2人のうち1人は、燃え盛る炎の中でクローバーへと姿を変えた。ダメージを受け続けている状態で、変身は持続出来ないようだ。
「ベル……助けて…………」
必然的に、残る1人がリリと言う事になる。炎に包まれたリリは地面に這いつくばりながら、ベルに助けを求めている。
本物のリリを確認したベルは、急いで彼女のもとへ駆け寄り、魔法陣を使って炎を吸収した。すでにリリは意識が朦朧としていて、早く助けなければ命の保証は無い。ベルの選択は、大きな危険を伴うものだった。
「ほら、飲め」
そう言ってベルが懐から取り出したのは、星空の雫。リリは薄れ行く意識の中、微かに口を開いた。
ベルは急いで瓶の栓を開け、リリの口に星空の雫を流し込む。リリの回復を最優先に考えていたベルは、星空の雫の残量など考えていなかった。
「はぁはぁ……」
星空の雫がリリの喉の奥まで落ちると、彼女の全身が青い光に包まれた。
そして、リリの身体を覆う火傷と煤は綺麗さっぱり取り除かれた。
「リボン‼︎」
意識を取り戻したリリが真っ先に案じたのは、大切なリボンの安否だった。リリは慌てて自らの頭上を触り、リボンが無事である事を確認する。
リリが回復した事を確認したベルは、炎に包まれたクローバーのもとに近づき、彼女の身体を覆う炎までも消し去った。
自らの手で人間の命を奪う事。それだけは絶対にあってはならない。クローバーの意識は無かったが、仰向けに横たわった彼女の胸が上下しているのを確認したベルは、そのままリリのもとへ戻った。
「あのね‼︎本物まで焼いちゃうってどう言うつもり⁉︎私は無事だったけど、もしリボンが燃えてたらどうしてくれるの⁉︎」
危険すぎるベルの作戦に、リリは怒り心頭に発していた。結果的にベルの作戦は上手く行ったが、失敗していた可能性だって十分にあり得るのだ。
それだけでなく、彼女の命よりも大切なリボンが損傷していた可能性だって十分にあった。
「うるせぇな‼︎無事だったんだから別に良いだろ!つーか、お前に使ったせいで星空の雫が無くなっちまったじゃねえか‼︎」
リリが全快になった事を確認したベルは、全く悪怯れる様子を見せなかった。それどころか、ベルは星空の雫が入っていた瓶がほとんど空っぽになってしまった事の方を気にしていた。これからは、さっきのように危険を省みない作戦に出る事は出来ない。
「無事だったけど、乱暴過ぎるでしょ‼︎」
「乱暴じゃねぇよ‼︎ちゃんと手加減してやったんだ。あの程度で死なれちゃ困るぜ!」
「めちゃくちゃ熱かったんですけど⁉︎ちゃんと人の痛みを考えてよね‼︎」
「そもそもお前がサーカスに来なきゃ良かったんだろ‼︎」
「はぁ?黒魔術書があるって聞いて来ないわけないでしょ‼︎」
クローバーとの戦いが終わり、ベルとリリはいつにも増して口論を激化させていた。もちろん、それが倒れたクローバーの耳に届く事は無かった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
クローバーはかなり厄介な黒魔術士でしたが、ベルが危険過ぎる方法で見事打ち勝ってみせました。
黒魔術書を盗み出そうとしたベルたちに牙を剥くトランプ・サーカス。次に襲い掛かるのは……




