第111話「サーカスの黒魔術書」(2)【挿絵あり】
「ロブ⁉︎」
そこにいたのは、間違い無くロブだった。昨日ジョーカーが言っていた通り、彼は本当に無事だったのだ。ロブは昨日と何ら変わらない様子で、風船の束を持って佇んでいる。
「ベル。寄り道はしないんだろ?」
アビーと同様、ロブに釘付けになっているベルを見て、ジュディは冷静にそう言った。今日こそは寄り道をせずに、朝1番に大テントにたどり着く。そう決めていたはずだ。
「…………そうだ。絶対寄り道なんかするもんか」
思わずロブに向かって足を動かそうとしていたベルは、首を強く振って小さなピエロへの想いを掻き消した。きっとロブが昨日のように遠くへ飛んで行ってしまう事は、よくある事なのだろう。ベルはそう思い込む事にした。
「……………」
ロブは、離れていくベルたちを見つめていた。そんな彼の表情は、いつもより悲しんでいるかのようにも見えた。
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それからベルたちは特に何の問題も無く、大テント前に到着していた。昨日より時間が早いため、大テントの周りにはまだ数人しか人がいない。今度こそ、大テントに入る事が出来る。それを予感したダミアンは、思わず笑顔になっていた。
大テントの入り口付近には、昨日と同じ人物であろう道化師が立っていた。今日こそサマーベル兄妹の願いを叶える事が出来る。そう思ったベルは、笑顔で道化師に近づいた。
「よぉ!昨日は来るの遅かったけど、今日は問題なく入れるだろ?」
ベルはさっそく道化師に声をかけた。昨日は来場客への対応で大わらわだった道化師だったが、今は何もする事がなく暇を持て余しているようにも見える。
「あなたは昨日の!はい‼︎今からお並びいただければ、間違い無くご入場いただけると思いますよ!それもステージに近い良いお席で!」
昨日はクレーマーと化したベルに困り顔の道化師だったが、今日は打って変わって笑顔になっていた。
彼の言葉を聞いたアビーとダミアンは、たちまち笑顔になった。サマーベル兄妹がサーカスに来て3日目。彼らはようやく目的のショーを見る事が出来る。
「良かった〜‼︎良かったね!アビーちゃん!」
それを聞いたリリは、まるで自分の事のように笑顔になった。リリが笑顔で話しかけると、アビーは笑顔でそれに答えた。それを見たダミアンや、ジュディまでもが笑顔になった。
サマーベル兄妹の願いはもうすぐ叶えられるし、トランプ・サーカスにとって何か悪い事態が起きるような予兆も無い。これで、ベルたちは心置きなくミッションに専念出来る。
「これはこれは、騎士団の方々」
その直後、大テントの中からある人物が姿を現した。
「ジョーカー団長。何か御用でも?」
「はい。ただ、あなた方の声が聞こえたから出て来たわけではありません。サーカスにとって、非常事態が発生してしまいました」
「⁉︎」
ベルたちの前に姿を現したのは、ジョーカー団長だった。非常事態とは一体何なのか。それを知る由もないベルたちは、ただ驚く事しか出来ない。
だが、今のトランプ・サーカスの景色からは、とても非常事態が起こっているような感じはしない。
「世界中で実しやかに囁かれているトランプ・サーカスにまつわる噂を、あなた方もご存知でしょう?」
トランプ・サーカスにまつわる噂。ベルたちが知っているトランプ・サーカスに関係する噂はたった一つ。それは、ベルたちの今回の本当の目的でもある。
「トランプ・サーカスは黒魔術書の一部を保管し、独占している。この噂は本当です。もう隠すような真似はしません。召喚、超化、獣化、自然、幻想、治癒に関する黒魔術書は多数発見されていて、その大部分が解明されている。
しかし、我々が所有するのは、まだ世界中のどの黒魔術研究機関も詳しい研究を進められていない霊魂の魔法に関する黒魔術書です」
「霊魂の魔法⁉︎」
聞いてもいないのに、ジョーカー団長は自らトランプ・サーカス所有の黒魔術書について明かした。
まだ世界中の黒魔術研究機関が、着手出来ていない幻の黒魔術“霊魂”。霊魂の魔法と言われてベルが思い当たるのは、アドフォードで出会った白い少年、そして最近出会ったネクロマンサーだ。彼らは霊魂の黒魔術士なのだろうか。
「霊魂の魔法に関する黒魔術書の断片が、今朝盗み出されました」
「盗まれた⁉︎」
ジョーカー団長の言葉を聞いて、ベルは思わず大きな声を出した。今から盗み出そうとしていたものが、既に盗まれていた。これでは、ミッションを遂行する事は不可能だ。本当の目的を失ったベルは、動揺している。
「どうかされましたか?」
「いいえ、コイツは気にしないで。それで、何か手掛かりは無い?」
ベルの様子を不審に思ったジョーカー団長だったが、そこから注意を逸らすようにジュディが話を続けた。
「それが……困った事に、犯人を示す情報はどれも曖昧なものばかりで困っています」
「と言いますと?」
「確かに黒魔術書を盗んだ犯人を目撃した人間はいるのですが、はっきりと見た者はいないのです。犯人は背が高く、長髪。黒っぽい服を着ていた。情報はそれだけです」
トランプ・サーカスにとっても、騎士団にとっても重要な黒魔術書を盗んだ犯人を特定するための情報は、実に曖昧なものだった。髪の長さ、身長、そして服の色。ヒントはこれだけしか無い。
「男か女かも分からないの?」
「犯人を正面から見た者はいないようで、性別を特定する事も出来ません」
ジョーカー団長は残念そうに言った。希少性の高い黒魔術書の断片を何者かが盗み出した。これは騎士団にとっても由々しき事態だが、それを解決するための情報があまりにも少な過ぎる。
「それで……まだ聞いてないけど、ウチらに頼みたいのって、その黒魔術書の事なんでしょ?」
「その通り。人々を魅了するサーカスを開き続けるためには、あの黒魔術書は不可欠。我々の命の次に大事な黒魔術書を取り返していただきたいのです」
ジョーカー団長がベルたちに依頼する新たな仕事。それは、盗まれた黒魔術書を取り戻す事だった。本来ベルたちが盗み出すはずだった黒魔術書。ジョーカー団長はそれを取り返せと言う。
「おい、これって中々マズいんじゃないのか?」
想定外の事態に見舞われたベルは、小声でジュディに相談する。確かに、黒魔術書を取り戻してジョーカー団長に返せば、以前より黒魔術書を盗み出す事は難しくなるだろう。
「いいえ。これは却ってチャンスかもしれないよ」
ジュディの答えは、ベルにとって予想外だった。ベルは単純な考え方しか出来ていないが、ジュディはこのピンチをチャンスに変える方法を知っているようだ。
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サマーベル兄妹の願いを叶えようとしていたベルとジュディに、課せられた新たな任務。果たして、貴重な黒魔術書の断片を盗んだのは誰なのか!?




