第104話「スノーエンジェル」(1)【挿絵あり】
ババ・ファンガスのテントの中に現れた赤毛の少年少女。彼らは何者で、何の目的があってここに来たのだろうか……
改稿(2020/10/18)
ババ・ファンガスの目前まで押されて来たアビーは、俯いていて、一切表情を変えない。彼女自身がここに来る事を望んでいたはずなのに、これでは少年が無理矢理彼女を連れて来たようにしか見えない。何が彼女の気持ちをそこまで沈めるのだろうか。
「こんな小さい子どもからお金を巻き揚げるなんて‼︎やっぱりあなたはインチキ占い師ね!」
「失敬な‼︎お客の前で変な事言うんじゃないよ!分かったよ………代金は貰わない」
ようやく商売としての占いを再開しようとしていたババ・ファンガスに、リリが水を差す。ババへの疑心を拭えないリリからすれば当たり前の事だが、ババからすれば、それはただの営業妨害でしか無い。
ただ、流石に小さい子どもから料金を貰うのは気が引けたのか、ババ・ファンガスは代金の要求を撤回した。
「いいえ、払わせてください。お金ならあります」
しかし、少年の返答は2人の予想を裏切るものだった。屈指の的中率を誇るババ・ファンガスの占いの料金は、決して安くはない。普通の子どもに支払える額ではないのだが、彼らは裕福な家庭に生まれたようだ。
「ちょっと、こんなインチキに払う事ないよ?」
「この尼!商売の邪魔するんじゃないよ‼︎」
このままリリをテントの中に入れておけば、商売上がったりだ。
「お姉さんは誰?」
「私?私はリリ・ウォレス。あなたたちと同じで、このサーカスを楽しむために来たの」
少年は、ババ・ファンガスが口を開く度に商売を妨害しようとするリリに興味を持った。サーカスや騎士団との関わりの無い少年に嘘をつく必要など無いが、リリは咄嗟に嘘をついた。
「僕はダミアン・サマーベル。こっちは僕の妹アビー・サマーベル。じゃあ、もう大テントのサーカス・ショーは観たんですか?」
「え?あ、それは……」
「……観れてないんですか?僕たちもです。アビーがとても楽しみにしていたんですが、大テントに着いた頃にはもう満席になってしまっていて」
リリが口ごもっていると、彼女の代わりにダミアンが沈黙を破った。
実は、リリはサーカス・ショーの後半をちゃっかり鑑賞していた。ネクロマンサーを追ってベルとジュディが出て行った後に、入れ替わったのだ。
ダミアンによって、アビーが浮かない表情をしている理由が説明された。
しかし、ショーが観れなかっただけで、幼い少女はずっと表情を変えずにいるだろうか。彼女の表情が暗いのにも、ここに来たのにも、何か別の理由があるはずだ。
「ショーは明日も開かれる。その時に観ると良いさ」
「そうですね……」
ババ・ファンガスはダミアンとアビーを励ますつもりでそう言ったが、ダミアンは悲しそうに答えた。当たり障りのない今の発言が、彼を何らかの形で傷つけてしまったとでも言うのだろうか。
ダミアンが代金を支払うと、ついに偉大な占い師による占いが始まる。
「それじゃあ、さっそく占いを始めよう。お嬢ちゃん、前においで」
ババから促されると、アビーはダミアンに押されて前に進む。ババはリリにしたように両手を少女にかざすと、しばらく俯いてじっとしていた。
その様子を、リリは懐疑的な目で見つめている。ダミアンとアビーはリリにとって赤の他人。占いや予言が当たっていようが外れていようが、確かめる術など無い。
「見える……アビー・サマーベル。お前は苦しみを抱えているね」
ババは見えない瞳を見開くと、ひと言そう言った。話しかけられたアビーは、それに反応するように微かに顔を動かした。
「あの…何でアビーちゃんは…なんて言うか…」
「何でアビーが魂の無い人形みたいなのかって聞きたいんですよね?」
リリは、初めて見た時からアビーのことが気になっていた。いつも無表情で、この世の全てのものに楽しみを見出せないでいるような感じがする。リリが表現に悩んでいると、ダミアンが助け舟を出した。
「う、うん……」
「アビーも昔は僕と同じように自分の脚で、外を駆け回っていました。あの頃のアビーはいつも笑顔で、駆けっこしたり、雪合戦したり。毎日が本当に楽しかった…」
ダミアンはさっそく車椅子の少女アビーの過去を語り始める。
「雪合戦?」
「僕たち、この国の北部にあるロッテルバニアに住んでるんですよ。ロッテルバニアは1年中冬みたいなものですから」
「ロッテルバニアのサマーベル……ちょっと待って、何か聞いた事あるような…」
ロッテルバニアはセルトリアの北部に位置する山岳地帯。そこは豪炎のロックが収容されている刑務所もある極寒の地。地名とサマーベル兄妹の名前を聞いて、リリは何かを思い出そうとしていた。
「アビーの事を話すためには言っておかなくちゃいけませんね。サマーベル家は、代々ロッテルバニアの大部分の土地を所有している地主です」
「そうそう!だからお金持ってるのね」
サマーベル家。それは、セルトリア王国でも有数の資産家だった。極寒の地ロッテルバニアは一見すると、買い手や借り手が付きづらいようにも見えるが、意外に用途は多い。
「脱線してしまいましたが、僕たちは何不自由ない幸せな生活を送っていました…………2年前までは」
「2年前に何があったの?」
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今から2年ほど前、サマーベル一家はロッテルバニアの人里離れた邸宅で生活していた。サマーベル邸の庭は、アドフォードのゴーファー邸とは比べものにならないくらい広かった。何世代にも渡り大地主として名を轟かせて来たサマーベル家は、何不自由ない幸せな生活を送っていた。
「お兄ちゃん!行くよ〜‼︎」
「うわっ‼︎やったな⁉︎」
白雪の降り積もる庭で、2人の子どもが丸めた雪を投げ合っている。真っ白な雪原に、赤い髪をした子どもたちの姿が映える。赤毛の少年と少女は、2人ともお揃いのダッフルコートに身を包んでいる。ダッフルコートは、2人の赤毛を引き立たせるような青色をしていた。
ダミアンとアビーは、寒さも気にせず雪合戦を続けていた。彼らは本当に仲のいい兄妹だった。彼らは毎日のように2人で遊び、どこへ行くにも一緒だった。
「ダミアン、アビー!そろそろ戻って来なさい」
しばらくすると、立派な佇まいの家の玄関から、2人が大好きな声が聞こえる。ダミアンとアビーが遊んでいるうちに、空は暗くなり始めていた。
そろそろ夕飯の時間だ。雪原に寝転んでいた2人は、すぐに起き上がって玄関の方へ駆けて行った。2人が去った雪原には、2つのスノーエンジェルが残されていた。
いつも通りに遊び、いつも通りに食事し、寝室に入る。それがどんなに幸せで、どんなに尊いものなのか。この頃のダミアンとアビーは知る由もなかった。恵まれた毎日が当たり前で、何もしなくても同じような幸せが待っている。この時、ダミアンはそう思っていた。
ダミアンはいつもの様にベッドに入り、目を瞑った。隣のベッドにはアビーがいる。毎日くだらない事で笑い合い、傍には大切な家族がいる。将来はダミアンも父と同じようにビジネスマンになる運命だが、今しかない少年時代を、彼は心から楽しんでいた。
ふと目を開けてみれば、そこにはアビーの顔がある。彼女はダミアンの方を向いてぐっすりと眠っていた。毎日くたくたになるまで遊んで、ベッドに入ったらすぐに寝る。それもいつもの事だったが、この時ダミアンは少しだけ長く目を開けていた。ただアビーの顔を見つめていただけだったが、ダミアンはこの幸せに無意識に浸っていたのかもしれない。
ギィィィ……
その時だった。アビーが隣で寝ている事を確認したダミアンは間も無く瞼を閉じようとしていたが、閉まっていたはずの扉が独りでに開く。開いた扉の立てた音は微かなものだったが、まだ意識のはっきりしていたダミアンはすぐそれに気づいた。
「…………」
ダミアンは開いた扉を見つめる。何かの拍子に扉が開いただけの事かもしれないが、ダミアンは鳥肌を立てていた。ただ怖がりだっただけの事かもしれないが、ダミアンは今起きた現象に何か意味がある気がしていた。
「……は……ず…………る」
ちょうどその時、何かこれまでと違う音がした。アビーを見てみると、彼女の口が微かに動いている。どうやら、彼女が何か呟いているようだ。
しかし、それはとても小さく、聞き取る事すらままならない。
普段とは違う現象の多発が、ダミアンを恐怖に陥れる。客観的に見れば、何の変哲も無い日常なのかもしれない。扉の閉め方が甘ければ、何かの拍子に開く事だって十分に有り得るし、アビーはただ寝言を言っていただけ。そう考える事も出来た。
少年がベッドで恐怖に震えている頃、上空を覆う鉛色の雲から出でる雪が勢いを増していた。
今宵、サマーベル邸の庭では豪雪が吹き荒れている。白い雪はサマーベル邸の屋根や庭、あらゆる所に降り積もって嵩を増した。
ダミアンとアビーが作った2人の雪の天使も、新たに降り積もる雪によって、古い雪の中に埋もれてしまう。今や天使も消え、ただひたすらに真っ白な地だけがサマーベル邸の周りに広がっていた。
それからと言うもの、サマーベル邸では不可思議な出来事が立て続けに起こるようになっていた。
はじめはダミアンだけが邸内で起こる怪奇現象に恐れおののいていたが、やがてアビーや両親もこの屋敷で何かが起こっている事に気づいていく。
最初は扉が勝手に開いたり、物が知らぬ間に移動していたと言った程度だったが、時間が経過するほど、事態は深刻になって行った。
1週間もすると、恐ろしい声が聞こえてきたり、いるはずのない人影が見えたり、家具が家族の目の前で動き出す事もあった。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
明るかった少女アビーに一体何が起こったのか…




