第96話「禿鷹の鉤爪」(2)【挿絵あり】
「ちぇっ……最後の最後くらいは、手応えのある特訓させてくれるんだろうな?」
「最後の最後は俺が相手だ。これまでとは何もかも、格が違うぞ。四肢から血を流す程度で済むと思わない事だな」
ロビンの抱える事情を知ったベルは、それ以上文句は言わなかった。丸太は自分の意思では動かないが、今度の相手は生身の人間。当然これまでのように、単調で簡単なものにはならない。
「へぇ、随分と自信があるんだな。俺だってこの数日で強くなってるぜ?」
「笑わせるな。たかが数日の特訓で、この禿鷹様に敵うと思ったら大間違いだ」
「お前、その名前カッコいいって思ってるのか?」
「……悪いか?」
さっそく2人は、戦闘を前に火花を散らす。ベルはブラック・サーティーン。ロビンは禿鷹。二つ名に酔いしれる2人は、同じ穴の狢だった。
「………………まあいいや。そんで?なんか勝ち負けとかルールとか決めるのか?」
「そうだな……先に3本取った方の勝ち。黒魔術は一切使用不可。これでどうだ?」
「よし!それで良い。やってやるぜ!」
「よろしい。俺が勝てば、この特訓はそれで終わりだ。良いな?」
「な⁉︎………………分かったよ!絶対勝ってやる!」
これから始まるのは、黒魔術士同士の肉弾戦。1番の武器である黒魔術を使用する事は許されない。拳と拳のぶつかり合いだ。
「……行くぞ」
「来いよ」
ここに、黒魔術士騎士同士の戦いの火蓋が切って落とされた。
ロビンは開戦の合図をした途端、瞬く間にベルとの距離を詰める。その速さはレイリーの比では無いものの、ベルの身体はそのスピードに対応出来ていなかった。
「なっ……‼︎」
動こうとしたその瞬間、ロビンの強烈な横蹴りがベルを襲う。ベルはそのまま唾を吐き出して、少し離れた地面に倒れ込んでしまった。
「……1本。後2本だ。この分だと、楽勝だな」
地面に這いつくばるベルを見て、ロビンは余裕の笑みを浮かべている。ロビンは黒魔術のみならず、体術にも長けていた。ベルには到底追いつけないほど、ロビンは経験を積んでいるに違いない。
「調子乗んなよ、ハゲ……」
「…………」
挑発されたベルが闘志を燃え上がらせる一方で、ロビンはその姿を冷静に見つめている。すでに2人の実力差は明らかになった。それでも、ベルはまだまだ諦めていない。これは勝負ではあるが、特訓でもある。勝ち負け以上に、この戦闘を通してのベルの成長も重要だ。
「少しは楽しませてくれ」
そう言って、ロビンは再びベルに向かって突進する。
ベルは黙って、ロビンの動きの観察に集中していた。さっきは身体が反応する前に1本入れられてしまったが、今度は違う。
ベルはロビンの動きを予測して、早めに身体を動かし始めていた。ロビンは左脚を大きく振り上げようとしている。それを察知したベルは、振り上げられる脚を避けて、反撃しようと考えていた。
「いっ⁉︎」
しかし、ベルの予想は裏切られる事となる。ロビンの動きを完全に見切って、ベルは確実に攻撃を避けたはずだった。
もしロビンがベルの予測通りに動いていれば作戦は上手くいっていたかもしれないが、そう甘くはない。ロビンには、ベルの考えている事はお見通しだった。
ロビンはベルの予想の上を行っていた。彼は常に、ベルの考える数手先を読んでいる。
それからロビンは蹴り上げた左脚を一気に振り落として、ベルに踵落としを浴びせた。踵落としを受けたベルは、そのまま地面に顔面を強打した。
「考えが単調なんだよ、お前は。俺は自らの意思では動かない丸太とは違う。敵の動きを数手先まで予測する人間だ。これで2本。もう後は無いぞ」
試合が始まって1分も経たないうちに、ロビンが2本先制した。その戦闘経験の差は明らかだった。幼稚で単調なベルの考え方では、到底ロビンから1本取る事は出来ない。
「分かってるさ……お前みたいなハゲに負けてたまるか。じゃないと、ジュディの言う通り、俺までハゲになっちまう」
「……何の話だ?」
ベルは立ち上がりながら、ジュディとの口論を思い出していた。ハゲに負けるとハゲになる。全くもって意味の分からない理論だが、これはベルにとって負けられない戦いだった。
「さっきから、お前ばっかり先攻でズルいぞ。たまには俺から攻撃させろよ」
ロビンが呆れているうちにベルは立ちあがり、鼻から垂れている血を拭った。次ベルが1本入れられてしまえば、決着がついてしまう。もう後が無いベルは、それを痛感していた。
「いいだろう……どうせ、先攻だろうと後攻だろうと結果は変わらない」
ベルの提案を、ロビンはすんなり受け入れた。ロビンにとって、これは結果の見えた戦い。順番が変わったところで、その結果は変わりはしない。1本どころか、ベルはまだ攻撃するチャンスすら与えられていない。これまでは、ベルが攻撃に移る前に、ロビンが1本取っていた。
「行くぜ‼︎」
体勢を立て直したベルは、ロビンに向かって走って行く。崖っぷちのベルの瞳には、闘志が燃え上がっていた。ロビンは片時もベルから目を逸らさず、注意深く観察していた。ベルがどんな攻撃手段を選ぼうと、それはロビンの想像の域を超える事はないだろう。
一気にロビンとの距離を詰めたベルは、大きく左の拳を振りかぶって襲い掛かる。
しかし、それはロビンに完全に見切られていた。ベルが全力で拳を叩き込もうとしているのを察知したロビンは、一瞬で身を反らせて回避した。
「貰った‼︎」
その次の瞬間、ベルは満面の笑みを浮かべた。攻撃はそれで終わりではなかった。間髪入れず、ベルはロビンの頭を狙って右脚を蹴り上げた。これこそがベルの本当の狙いであり、さっきの動作はロビンを騙すためのフェイントだった。
「甘い‼︎」
しかし、それもロビンの想定の域を出ていなかった。ロビンはベルの身体のわずかな動きの変化から、ベルが次に取る行動を完全に予測し切っていた。
ロビンは身を反らせたまま右脚を蹴り上げて、ベルの右脚を迎え打った。2本の右脚は、2人の頭の高さで激突した。鈍い音を立てて、2本の右脚がぶつかり合う。どちらが打ち負けると言う事はなく、直後に2人は右脚を引いた。
「格の違いを思い知れ‼︎」
ロビンは、そのまま身体を時計回りに一回転させてベルに後ろ回し蹴りを浴びせようとする。ベルはすぐ反応して、それを回避した。
しかし、それは回避すると言うより、仰向けに地面に倒れ込んだと言った方が正しかった。
それからベルは下からロビンの腹部を蹴り上げて、ようやく1本取った。
「何が格の違いだ!1本取られてやんの!」
「お前、自分に後が無いのを分かっているのか?」
「分かってるさ。お前だって、後2本取られたら負けなんだからな!」
「俺がお前に負けるわけがないだろう」
「そんなに余裕ぶっこいてられんなら、次も俺から行かせてもらうぜ?」
「構わん」
後1本取られたらこの試合は終わり。それは事実なのだが、ベルはそう捉えてはいなかった。ロビンから後2本取れば、この試合に勝てる。それがベルの頭を支配する考えだった。
再びベルが先攻。
先ほどと同様に、ベルはロビンとの距離を一気に詰め、またしても拳を振りかざそうとしている。今度は右の拳でロビンから1本取ろうと言うのだ。対するロビンはベルの動きを冷静に観察し、余計な事はせず、静かにベルを待ち受けている。
さっきのベルの拳打はただのフェイントだったが、今回は違う。ベルは振りかぶって、右の拳を全力でロビンに向かって突き出していた。
ロビンはそれを屈んで避けるのだが、避けた先にはベルの前蹴りが待っていた。ベルは1つ先の手を見据えて行動していた。
「くっ!」
ところが、ロビンは咄嗟にバック転をしてベルとの距離を取り、攻撃を回避した。
この短時間で、確実にベルは成長している。これまでベルは目先の事しか考える事が出来ず、まんまとロビンの策にハマっていた。だが、今は違う。
「やるじゃねぇか」
ベルは何度も立ち上がり、ロビンに立ち向かう。
ロビンとの距離を詰め、彼を自分の間合いに捉えたベルは、右脚で回し蹴りを繰り出した。この時ベルは複雑な事は一切考えていなかった。姑息なフェイントを使う事もせず、馬鹿正直に攻撃していた。ベルは真向勝負に出たのだ。
しかし、ベルの回し蹴りに即座に反応したロビンは、上方に高く跳ね上がり、迫り来るベルの回し蹴りを回避した。それからロビンは空中で縦に一回転すると、ベルの頭上を飛び越えた。
「⁉︎」
ロビンは、ただベルの攻撃を避けただけではなかった。ベルの頭上に飛んだロビンは、そのままベルの背後まで移動した。
その瞬間にロビンはベルのフードを掴んだ。フードを掴む事で体勢を整えたロビンは、ベルの背面にドロップキックを浴びせた。フードを掴まれたベルは逃げる事も出来ず、そのままダイレクトにドロップキックを受けてしまった。
「かはっ‼︎」
ベルは口から唾を吐き出し、そのまま地面に倒れ込む。
これがベルとロビンの経験の差。たった数日間の特訓では、ベルには熟練のロビンを超える事は出来なかった。それでも、圧倒的な実力差のある相手から1本取ったのは、大きな功績なのかもしれない。
「これで3本。俺の勝ちだ」
上空から着地したロビンは、澄ました顔でベルを見下ろしている。
「ズルいぞお前…………一瞬鳥にならなかったか?」
気を失いそうになっていたベルだったが、辛うじて意識を保っていた。ベルはロビンを疑惑の目で見ていた。ロビンは一瞬だけ獣化を使ったのではないか。でなければ、あれほど高くジャンプ出来るはずがない。ベルはそう思っていた。
「自分で決めたルールを破るわけが無いだろう。単なる格の違いだ」
さっきのは決して黒魔術などではなく、あくまで経験の差。それは都会の外れの緑の中で長年身体を鍛えて来たロビンだからこそ出来た離れ業。ベルがロビンのレベルまで到達するには、一体どれほどの年月が掛かるのだろうか。
「ちぇっ……」
「何はともあれ、これで特訓は終わりだ。お前も、少しはマシになったんじゃないか?」
悔しがるベルを見て、ロビンは心なしか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「うるせぇハゲ」
「ハゲではない」
ロビンを罵倒するベルの言葉は、なぜだかいつもと違っていた。この時は、その言葉に感謝の意が隠れているような感じがした。それがベルなりの“ありがとう”だと捉えたロビンは、いつもよりは少しだけ穏やかに、ベルの言葉を否定するのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
次回からは、いよいよサーカスが始まります!




