第89話「禿鷹の翼」(1)【挿絵あり】
突如としてベルたちの前に現れ、行く手を塞ぐ盗賊王イシャール・ババリ。なぜ彼はベルの邪魔をするのか……
改稿(2020/10/12)
黒魔術士騎士は、そんじゃそこらの黒魔術士とはわけが違う。もしかしたら、イシャールは目の前にいるのが一体何者なのか分かっていないのかもしれない。
「ババリ。俺たちは黒魔術士騎士だ。襲う相手を間違えてはいないか?」
「いいや、何も間違えてなどいない。そこにいるのは、私の可愛い息子の故郷を奪い去った悪魔だ」
そのロビンの言葉に、イシャールの声色が変わった。彼はここで初めて顔を覆う分厚い布を取り外し、その素顔を露わにする。
そこに現れたのはアイザックのような褐色の肌に、流れるような黒い髪。他所者の王は端正な顔立ちをしていた。エキゾチックなその顔には、黒い髭が整えられていて、耳にはガランと同じようなピアスが刺さっている。
「あ、アイツの家族は皆死んだんじゃなかったのか⁉︎」
それを聞いたベルは動揺を隠せない。今の台詞だけでイシャールはガランと関わりの強い人物である事が明らかになった。ベルの知るところでは、ガランの家族は皆死んだはずだった。
「貴様!余計なトラブルを持ち込みおって‼︎」
イシャールの言葉を聞いたロビンは、ベルに怒鳴りつける。彼の言う事が真実ならば、この任務の難易度を上げた要因はベルにある。任務が始まって早々、ベルはロビンの足を引っ張っている。
「確かに、ガランは私の血の繋がった息子ではない。だが、息子も同然だ。アイツが幼い頃から、私はずっとその成長を見守って来た。ガランの全てを奪ったお前を、私は絶対に許さない。ここから生きて帰れると思うな‼︎」
イシャールは次第に声のボリュームを上げて行った。彼の声が大きくなるほど、辺りに舞う砂塵が激しく渦を巻く。荒れ狂う砂塵は、まるでイシャール専用の防護壁のようになっていた。
「そんなの知るか‼︎って言いたいところだが、俺はもう逃げない。俺がやった事だろうがアローシャがやった事だろうが、全部まとめて背負ってやる‼︎掛かってこいよ、髭面」
覚悟を決めたベルはホーンド・キャメルの背から降りて、主従の輪を元々つけていた右手首から左手首に付け替えた。
すると、ベルの傍にいたホーンド・キャメルはたちまち消え去ってしまった。
この時、これまでのようにベルが弁明する事はなかった。ベルは背負っている宿命を受け入れた。ヴァルダーザの大火も、脱獄も、白い少年との戦いも、教皇殺害も、全てベルの意思でやったことではない。
しかし、それら全てを実行した者はベルの姿をしていた。被害者にとって、ベルがアローシャに操られていたかどうかはどうでも良い。彼らにとって憎むべきはベル・クイール・ファウストという1人の人間。悲しいことに、それは否定できない事実だった。
「言うじゃないか。だが、果たして実力は口ほどかな?せめて殺し甲斐のある男であってくれよ」
イシャールがそう言うと、渦巻く砂塵が彼の右手に集まり始めた。どうやら、さっきからベルたちが感じていた強大な力は、イシャールのものだったようだ。見たところ、イシャール・ババリは砂塵を操る黒魔術を持っている様子。ここは広大なアムニス砂漠。地の利は彼にある。
「アイツの本当の父親みたいに焼け死にたくなかったら、とっとと逃げろ。まだこの力が十分に抑えきれないんだ。アンタが無事で帰れる保証はないぜ」
解放されたアローシャの力を手にしたベルは、自信たっぷりにそう言った。ここでベルが本気を出せば、ロビンもただでは済まないかもしれない。仲間と共に閉じ込められた状態で、ベルはどう戦おうと言うのだろうか。
「言ってくれるじゃないか。面白い、気に入ったぞ。お前がヴァルダーザの大火を起こした犯人でなければ、仲間に入れてやってたところだ」
ベルには、敵でさえ惹きつける魅力があるのかもしれない。アローシャが身体を奪わない理由も、そこにあるのだろうか。
「誰が汚ねえ盗賊になんかなるか!俺たちに、こんな場所で立ち止まってる暇はないんだ。さっさと道を空けてもらうぞ」
ベルは威勢の良い言葉を発し続ける。新たな力を手に入れたベルは、ジュディのように傲慢になってしまっているところもあった。確かにベルは大幅にパワーアップしてはいるが、目の前にいるイシャールの実力は未知数。実際に戦ってみるまでは何も分からない。
「では、お前たちが1歩も動けんうちに殺してやろう」
イシャールがそう言うと、彼の周りを渦巻いていた砂塵がぴたりと動きを止めた。彼の右腕に渦巻く砂塵だけが、音を立てて動いている。
イシャールが右手をベルたちの方へ突き出すと、まとわれていた砂塵の渦が、勢いよくベルの方へと飛ばされた。
「あんまり舐めんじゃねえ‼︎」
対するベルは、イシャールと同じように右手を前方に突き出した。そこからは赤々と燃え盛る地獄の業火が放たれるのだが、アーチェス教会の時のようにその力が暴走する事はなかった。時間が経つにつれて、その力がベルに馴染んでいるのだろうか。
「熱っ……‼︎」
ロビンは、そのあまりの熱さに思わず声を上げる。真っ直ぐに伸びた紅い閃光は、イシャールただ1人を狙っている。地獄の業火は、たとえ触れていなくても周囲を焼き尽くすような熱を持っていたが、辛うじてロビンに被害が及ぶ事はなかった。
ただでさえ焼きつくような暑さが支配するアムニス砂漠だが、この小さな空間はそれとは比べものにならないほど熱かった。
やがて吹きつける砂塵と、地獄の業火が衝突する。激突する紅い閃光と黄色い風。その2つはしばらくその場で均衡を保っていたが、次第にイシャールの攻撃が押し負け始める。
「へっ!そんな砂で俺に勝てるわけねえだろ‼︎」
この時ベルは勝利を確信していた。どう考えても、攻撃の威力はベルの業火の方が何枚も上だ。どれだけ砂の粒子を操ったところで、ベルの業火に燃やされてしまえば、たちまち勢いを失ってしまう。目の前に現れたのは所詮盗賊。ベルの持つ憑依の力に敵いはしない。
「⁉︎」
しかし、その直後にベルが考えを改めなければならない事態が発生してしまう。イシャールは、ベルに向けて放出する砂塵の方向を突然変えた。盗賊王が操る砂塵の流れは、大きく曲がった。
一見するとそれは単なるミスのようにも見えたが、真相は違った。ベルの業火も、砂塵のその流れに沿ってイシャールの左側、つまりベルから見て右側に逸れてしまったのだ。それはイシャールの戦略だった。
「確かにお前の炎は強力だ。だが、状況が悪かったな。この砂漠で私が負けることはない」
ベルの強烈な一撃を防いだイシャールは、静かに笑みを浮かべた。彼は砂漠でくすぶる静かな火種。砂漠で燃える冷たい炎。砂漠を知り尽くし、到底人間が暮らしていけるはずのないこの過酷な環境に適応した種。それがイシャール・ババリだった。
「場所がどうとか関係ねぇ。この砂漠全部焼き尽くしちまえば俺の勝ちだ!」
ベルの右目は赤々と燃えていた。イシャールはこれまで出会って来た黒魔術士とはレベルが違う。飛躍的にパワーアップしたベルでも、歯が立たないのだ。イシャールは強いと言うより賢かった。確実に能力的な事を言えばベルの方が上なのだが、どうすれば自分より強い敵に勝てるのか。それをこの盗賊王は知っていた。
賢く強い敵との遭遇が、ベルの気持ちを高ぶらせていた。
しかしながら、それは一歩間違えば命を落とす事を意味していた。目の前にいる盗賊はガランのためにベルを殺そうとしている。それが分かっているはずなのに、確かにベルの気持ちは高ぶっていた。飛躍したその力、そして背後にいる仲間の存在に、ベルはある種の安心感を抱いているのかもしれない。
「フ……そんな事をすれば、そこにいるお仲間がただでは済まんぞ」
イシャールは、ベルの言葉がハッタリだとすぐに見抜いた。ベルの実力はまだまだこんなものではない。そんな事は、イシャールにも分かっていた。もしもベルが全ての力を解放したら、彼の仲間であるロビンも無事では済まない。
イシャールの落ち着きを表すかのように、彼の周囲の砂塵は穏やかだった。
「……………」
賢い盗賊の言葉を聞いて、ベルは冷静になった。ほんの一瞬だけ、ベルはロビンの存在を忘れていた。イシャールとの戦いにのめり込んでいたのだ。
ベルの背後にはロビンがいる。この盗賊が言う通り、持てる力を全て今ここで発揮してしまえば、きっと無事ではいられない。ベルが1番避けたいのは、仲間を傷つける事。目の前の敵を倒すために仲間を傷つける事はあってはならない。
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盗賊王イシャールは、ベルの宿命が呼び込んだ刺客。早くも波乱のマンライオン討伐ミッション。砂塵を操るイシャールの実力は…




