第87話「飛べない禿鷹」(2)
それからしばらくして、ロビンはベルに手を引かれて飛空艇に乗り込んだ。なぜだかロビンは飛空艇の外にいる時よりは落ち着いているが、やはり普段と様子が違う。すでに2人が艇内に入った頃には、マリス艇長の姿はなかった。艇長室にいるのだ。
「無事カフカも乗り込んだようだな。これでようやく出発出来る」
その時、搭乗口の扉が閉まる。ロビンが艇内に乗り込んだ事を知ったマリス艇長が、艇長室からボタンか何かを押したのだろう。
ようやく出港の準備が整った艇内では、外の景色がよく見える右方の窓側席にベルが座っていた。初めて空飛ぶ乗り物に乗るベルは、期待で胸を躍らせている。このオズの世界では魔法が当たり前になっているとは言えど、空を飛ぶ人間をベルはまだ見た事がない。恐らく、こんな世界でも空を飛ぶのは至難の業なのだろう。
一方のロビンは、左右の窓から1番遠い中央の座席でうずくまっていた。ベルと違って一切外の景色を見たくはないらしい。飛空艇の中でうずくまるロビンに、それまであった威厳は一切存在しなかった。もはや子どもである。
「間も無く離陸する」
“目的地が設定されました。目的地: アムニス砂漠。1時間後の到着予定です。”
マリス艇長がアナウンスすると、それに続いて機械音声が艇内に流された。どうやら、飛空艇には機械的な要素も多いようだ。飛空艇のシステムは、機械と魔法を融合した効率的なものだった。
ガタガタ…
すると間も無く、3人を乗せた飛空艇は大きく音を立てながら浮上する。
「ひぃっ………‼︎」
まだ飛空艇はほんの少し浮いただけなのに、ロビンはうずくまって喚いている。何がそんなに怖いと言うのか。
しばらくすると、飛空艇はシップ・ポートを完全に離れ、セルトリア王国首都エリクセスの上空を飛行していた。
主翼に取り付けられたプロペラが回転し、飛空艇は優雅に空を泳いでいる。窓を覗けば、眼下に広大な都会の景色が広がっている。ベルは以前も高い所からこの街を見下ろした事があったが、今回はそれとは全然違う。大空に浮かび、真上から街を見下ろしているのだ。
「スゲェ……やっぱこの街デカいんだな……俺空飛んでる。空飛んでるぞ!ハゲ‼︎」
ベルはこの上なく興奮していた。これはベルにとって初めての飛行体験。生身では決して味わう事の出来ない光景が眼下に広がっていた。
「……………」
「おいハゲ‼︎聞いてんのか⁉︎」
ベルはこの高揚感を誰かと分かち合いたかったが、ロビンは一向に返事をする気配がない。痺れを切らしたベルは叫んでロビンの方を見やる。
そこにいたのは、先ほどと変わらずうずくまっている男。今度は身体がぶるぶる震えているようにも見える。彼のこの姿を見て、禿鷹の異名をつける者など誰1人としていないであろう。
「……子どもみたいに騒ぐな。大人しく座っていろ……」
ロビンは精一杯ベルにきつく当たろうとしていたが、もうそんな気力も残っていないようだ。もしかして、任務に赴く度にこのように彼は具合を悪くしているのだろうか。
「お前、マジで飛べないハゲなんだな」
ベルは退屈そうにそう言った。平常なロビンでもベルに同調する事はまずないが、今の彼もベルに同調する事はなかった。飛べない禿鷹。そんな情けない人間に騎士団の任務が遂行出来るのだろうか。
「ハゲじゃない………ハゲタカだ」
脂汗をかいて苦しみながらも、ロビンは“ハゲ”と言う呼び名を否定する。彼は断じてハゲではなかった。ポニーテールの長髪は決してカツラなどではない。ただハゲタカの“ハゲ”の言葉のインパクトだけが独り歩きして、皆に広がってしまったのだ。
「うぉぉぉぉ‼︎雲が掴めそうだ!」
しかし、そんなロビンの渾身のツッコミも儚く散った。ベルはロビンの言葉には一切耳を貸す事なく、窓の外の景色に目を奪われていた。すでに飛空艇はかなりの高度まで上昇しており、雲海の中を飛行していた。
「………………」
そんなベルの様子を知ったロビンは、さらに気を落とす。もうベルがロビンの事をハゲタカやヴァルチャーと呼ぶ事は期待出来ない。彼はジュディと同じくロビンの事をハゲと呼び続けるだろう。
それからと言うもの、艇内はずっと同じような状態が続いていた。窓から外を眺めてはしゃぐベルに、死にそうなほど顔を真っ青にしているロビン。ベルは移り変わる景色を眺めて楽しんでいるが、ロビンは今自分がどこの上空を飛んでいるのかさえ知らない。
そんなこんなで、飛空艇は1時間ほど飛行を続けていた。
「……………」
降下を始めた飛空艇の窓から見えたのは、西の町アドフォードの姿。ベルは久しぶりにその町を目にして、黙り込んでしまった。 そこはベルゼバブが潜んでいた町。もしかしたら、今でもあの悪魔はここに潜んでいるのかもしれない。
そして、その暴食の悪魔により燃やされた町はまだ元の姿を取り戻していなかった。
それでもアドフォードには王軍の再建部隊が派遣されていて、復興の兆しが見られた。町中のほとんどの建物は工事用のテントに覆われていて、ベルがいた頃とは全く景色が違っていた。テントのおかげで、今は痛々しい建物を目の当たりにする事はない。焼けてしまった建物を見れば、嫌でもあの時の記憶が蘇る。
アドフォードの町には多くの王軍兵士の姿が確認出来た。それだけでなく、今となっては町民も町に戻っていた。
緑色の軍服の群れの中に、緑色の服を着た保安官の姿も見えた。この町の人々を率いる保安官ハメルは、復興活動に尽力していた。ジェイクはテントで覆われた建物の中で、診療を再開しているのだろうか。ベルは復興の兆しを見せるアドフォードを目にして、ほんの少し明るい気持ちになった。
「間も無くアムニス砂漠だ。セルトリアの主要都市には飛空艇を発着出来る空港が存在するが、当然砂漠に空港はない。少々手荒な着陸になる。辛抱してくれ」
そんな中、飛空艇内にマリス艇長のアナウンスが響き渡る。どうやらもうすぐ着陸の準備が整うようだ。だが、この飛空艇が着陸しようとしているのは、過酷な砂漠の中。何事もなく着陸は成功するのだろうか。
「おい!いつまでも塞ぎ込んでんじゃねえよ。もうミッション始まるんだぞ!」
着陸を間近にして、ベルの視界に飛び込んで来たのはロビンの姿。彼は出発した時から一切体勢を変えずにうずくまっている。こんな状態でロビンは砂漠のマンライオンを退治する事が出来るのだろうか。
「……分かっている。お前に指図される筋合いはない。散々偉そうな口を叩いておいて、足を引っ張ったら承知しないぞ‼︎」
この頃になるとベルの予想に反して、ロビンはいつもの調子を取り戻していた。そこには飛ぶ事を怖がって狼狽える、羽をもがれた禿鷹の姿はもうない。
そしてその直後。
ガタガタガタ……ドシーン‼︎
飛空艇が艇体を大きく揺らしながら着陸した。ちょうど着陸の瞬間につむじ風に巻き込まれたようで、飛空艇は、一際大きな音を立てて激しく揺れた。
「うっ…………」
この出来事が、ロビンを再び腰抜けに戻してしまう。さっきまでの威勢の良さはどこへやら。もうロビンがベルに口答えする事は出来ない。再び情けない姿に逆戻りしたロビンを見て、ベルは大きな溜め息をつくのだった。
「ダメだこりゃ……」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
砂漠に到着する前なのに既にロビンはフラフラ。果たしてこんな状態で任務をこなす事など出来るのでしょうか?




