第85話「ヴァルチャー」(2)【挿絵あり】
「くっそ……こうなったら絶対そのうち襲ってやる……簡単に寝れると思うなよ〜」
そしてジュディは小声で何やら呟いていた。どうやら、彼女はまだ“あの事”を諦めていないらしい。それは彼女の本心なのか、それともただふざけているだけなのかは分からない。
「ん?何か言ったか?」
そんな事を知らないベルの耳に、彼女の囁きは届いていた。
しかし、肝心なその内容は聞こえていなかった模様。
「は?何も言ってないし。耳鳴りじゃね?」
ベルに声を掛けられてジュディの心拍数は急上昇した。聞かれないように小声で言ったのに、聞かれてしまっていた。それから、ジュディは嘘をつくのが下手だった。このリアクションがまた、彼女の本意を不明瞭にする。
「うふ……」
そんなジュディを見て、ロコは思わず笑みをこぼす。常にツンツンしていて強気な態度を崩さないジュディだが、たまにこう言った可愛い面を垣間見る事が出来る。そんな一面が、ロコは大好きなのだ。
「さて、これから彼らをよろしくね。アージンさんにパラディさん」
ようやく話が落ち着いた事に一安心したナイトは、この件に関して話を終わらせる。上司から“よろしくね”と言われたジュディとロコは、嫌でも背筋が伸びた。
「まだ色々あったばかりだけど、明日さっそくベル君には任務に就いてもらう。そう言うことだから、明朝に騎士団本部談話室に来てもらいたい」
ベルに与えられた憩いの時間は決して長くはなかった。騎士団に入ってから、もう逃亡しなくて良いと言う安心感にベルは浸っていた。
しかし、早く気持ちを切り替えて騎士団に貢献する必要がある。
「初ミッションってことは、バディ組まされるわ」
話を聞いていたジュディが口を挟む。
「バディ?」
「新人1人に最初から仕事任せられないってこと。それなりのエリート騎士がアンタに付き添うことになる。ハゲには気をつけな」
どうやら、新人騎士団員がバディつまり2人組になってミッションを行うのは通例になっているようだ。
「ハゲ?」
ジュディが発したその言葉が、ベルの頭から離れない。ハゲとは名前なのだろうか、それともあだ名なのだろうか。どちらにしても可哀相な名前だ。
「そうハゲ。アイツは厄介だ。新人なら絶対いびられる。ハゲと組まされた時は覚悟しといて」
ハゲと呼ばれる人物はかなり厄介な人物であるようだ。いつも傲慢で強気なジュディが注意を促すほど厄介らしい。
「お姐様、ハゲじゃなくてハゲタカでしょ?」
話を聞いていたロコが、ジュディの間違いを訂正する。その人物はハゲと呼ばれているのではなく、ハゲタカと呼ばれているようだ。
「ハゲはハゲだろ。そんなカッコつけた名前で呼んでやる必要なんてないよ。皆もハゲって呼んでるんだし」
ジュディは意見を曲げなかった。彼女はどうしてもその人物をハゲと呼びたいらしい。もしかして、その人物はその名の通り本当にハゲているのだろうか。
「何の話かと思ったら禿鷹のことだったんだね。ご想像通り、ベル君の最初のバディはヴァルチャーだ。もうアージンさんが説明してくれたけど、しばらくはベル君には他の団員とバディを組んでミッションに赴いてもらう」
はじめはジュディが誰の話をしているのか分かっていなかったナイトだったが、ロコの言葉を聞いた途端にその人物に検討をつけた。
その人物は禿鷹を意味する“ヴァルチャー”と言う名前で呼ばれているようだ。それから、ちょうど会話に出ていたヴァルチャーがベルの最初のバディとなる事が明らかになった。
「ありゃりゃ、ベルはとんでもなくツいてないね。最悪の初ミッションになるよ〜」
ジュディは大げさに頭を抱えるジェスチャーをして見せる。彼女は相当ヴァルチャーを嫌っているようだが、過去に何かあったのだろうか。
そして、彼女はいつのまにかベルを呼び捨てするようになっていた。
「そのハゲって、そんなにヤバい奴なんですか?」
ジュディの話をずっと聞いていたベルは、段々と不安な気持ちになっていった。
「ベル君、ハゲじゃなくてせめてハゲタカって言ってあげようよ。確かにちょっと性格に難があるみたいだけど、実力は確かなものだよ。彼と組めば、まず失敗は有り得ない」
ナイトはベルの不安を払拭するつもりだったが、その発言は返ってベルを不安にさせた。ベルにとってはヴァルチャーの実力はどうでも良かった。バディが多少弱かろうと、今のベルは実力に自信がある。1番大事なのは、その人物の人柄だ。
「性格に難はあるんですね……」
思い返せば、ベルが騎士団に入ってから関わって来たのは皆何かしら性格に難のある人物ばかり。アイザック然り、ジュディ然り。また面倒くさい人間との関わりを増やさなければならないのかと思ったベルは、宙を仰いだ。
「まあ大丈夫だよ。ベル君、明日に備えて今日はしっかり休んでくれ。明日は朝の9時に談話室に来ること。遅刻厳禁だよ」
一刻も早くベルに休息を与えたかったナイトはもう1度明日の事について確認すると、そのままDr.ブルクセン宅を後にした。
ようやくベルはゆっくり休めると思っていたが、そう簡単にはいかなかった。ナイトの去った室内ではジュディの態度が急激に大きくなっていたのだ。さっきまで抑え付けられていた反発だろうか。ベルがほんの少しでもジュディのスペースに足を踏み入れようものなら、思い切りぶたれる。それだけではない。ベルがうたた寝して目を覚ました時には、必ずジュディが目の前に顔を近づけている。その近さはマグカップ1つ分ほど。
目を開ける度に、ジュディはベルに近づいて来る。ベルはロコのソファーに横になっているのだが、ベルが目を開く度に彼女の体勢は変わっていた。ソファーの下から顔を近づけて来たり、時にはベルの上に覆い被さるように近づいて来た。
「何やってんだよ⁉︎」
「別に、何もしてないけど……早く寝れば?」
「こんな状況で寝れるか‼︎早くあっち行けよ‼︎」
ベルが目を閉じて再び開くと、そこには変わらずジュディの顔があった。
「早く寝ないと、明日ハゲにたっぷりシゴかれるよ〜」
「だから早くあっち行けって!」
ジュディはその言葉通り、本気でベルの寝込みを襲おうとしているのかもしれないが、それはベルを一刻も早くこの家から追い出すための作戦なのかもしれない。なぜなら、彼女は顔を近づけているだけで、1度も実際に襲ってはいないのだから。
初日から早速ベルを襲う気満々のジュディのせいで、ベルは迂闊に眠る事が出来なかった。今のベルにとっては、ヴァルチャーと言う人物よりジュディの方が遥かに厄介な存在だった。ジュディの思惑通り、ベルは初日からすでにこの家から抜け出したくなっていた。
不運なことに、ベルはそのまま朝を迎えてしまう。初任務に向けてゆっくりと身体を休ませるつもりだったが、ジュディの奇妙な行動によってベルは一睡もする事が出来なかった。このまま任務に赴けば、何か重大な失態を犯してしまいそうだ。果たして、これから眠れる夜はベルに訪れるのだろうか。
ベルは一抹の不安を抱えたまま外に足を踏み出す。
空は青く晴れ渡り、そよ風が気持ち良いのだが、ベルの気持ちは全く晴れていない。目の下に深いクマを作ったベルは、うなだれたまま歩き出す。
ふと上空を見上げると、そこには大空を舞う1羽の禿鷹の姿があった。禿鷹は太陽を背にして自由に羽ばたいている。太陽を背にしているため、その姿の詳細を見る事は出来ない。そんな禿鷹の鳴き声は街中に響き渡っていた。
何だかその禿鷹が自分を監視しているような気がして、ベルの不安はより一層強くなる。今日この日、ベルは嫌な事が起こりそうな予感しかしていなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回の会話に出て来たヴァルチャーが、次回登場します。ジュディが言うように、彼もまた難のある人物なのでしょうか⁉︎




