第80話「戯れに隠れた心」(1)【挿絵あり】
アイザックの妙案により、ナイトの夢の世界へ飛ばされたベルたち。夢の世界で目覚めたベルは、さっそくナイトからトレーニングの説明を受けるのだが……
改稿(2020/10/06)
目を覚ましたベルは、辺りを見回した。
そこに広がるのは先ほどまでと、何ら変わらないアーチェス教会の礼拝堂。朝日の差し込むステンドグラスが美しく輝いている。
しかしすぐにここが、それまでと違う空間であることをベルは思い知る。今ベルがいるこの空間は、ナイトによって導かれた夢の世界。現実のようであって、決して現実でない。
礼拝堂の中心には、見たことのない巨大な扉が堂々と佇んでいた。それはこれまで見たどの扉よりも荘厳で、威厳に満ちている。これが鬼宿の扉なのだろうか。偽物だとしても、そこには圧倒的な存在感があった。それは、視界に入っていなくとも感じるほど。
扉は灰色だった。それは2つの世界を隔てる扉。光と闇。白と黒。その中間である灰色。白と黒を分かつ扉。
扉全体には、天体図のような彫刻が施されていた。そのひとつひとつを覗いてみれば、動物のような形をしていることが確認出来る。それらは全部で72個存在した。72の星たちが扉に刻まれている。
扉から視線を外してしばらく辺りを見回していると、ナイトとアイザックの姿も確認出来た。それだけではなく、その隣には見たことのない男が立っていた。
「お前は誰だ?」
「この状況で、ここにいる。普通に考えれば分かることではないか?小僧」
その声にベルは聞き覚えがあった。そして“小僧”という言葉。ベルには心当たりがあった。
男は赤毛のオールバックで、髭を生やしていて、ワイルドなく印象を受ける。その目つきは悪く、瞳は真っ赤に燃えている。身にまとっているのは、黒いパンツに、黒いベストに、灰色のシャツという至ってシンプルな服装だ。
「まさか……」
「私だって、好んでこんな格好をしているわけじゃない。この夢の世界が勝手に私の見た目を決めたのだ」
「……アローシャなのか?」
ベルは自分の目を疑う。以前別々の存在として言葉を交わしたのは、11年前のこと。姿あるアローシャと対面するのは、ベルにとってこれが初めてのことだった。不思議なことに、今のアローシャにベルは一切の恐怖を感じていない。
「そうだ、私はアローシャ。お前の中に棲んでいる悪魔だ」
この時、11年前には感じられなかった凛々しさを、業火の悪魔はベルに感じていた。
「それでは、これからやることを説明するよ。まずベル君にはその扉を破壊してもらう。黒魔術抜きでね。この世界では、アローシャでさえ魔法が使えない。2人で協力して扉を破壊してもうらう」
「アローシャと協力⁉︎何で俺を騙した悪魔と今さら仲良くしなきゃいけないんですか⁉︎」
ナイトの口から語られたトレーニングの内容は、到底ベルには受け入れ難いものだった。悪いのはヨハン・ファウストと言えど、業火の悪魔アローシャはベルの身体を使って幾度となく殺戮を繰り広げて来た。今さらアローシャを赦すことなど出来ない。
「アローシャを赦す必要なんてどこにも無いんだよ、ベル君。ただ、炎の黒魔術をコントロールするには、アローシャと協力することが不可欠なんだ。だから、そこは割り切ってくれないかな」
ナイトは動揺するベルを説得する。自分を苦しめて来た悪魔と突然仲良くしろと言われても、それは無理な話。ただ、黒魔術の力をコントロールし、さらに強くなるためには避けては通れない道でもある。
「ひとつ言っておきたいことがある。確かに私はお前の身体を使って、多くの魂を奪って来た。だが、ヴァルダーザの大火。あれだけは私の意思でやったことではない」
「悪魔の言い訳か……見苦しいな。今さらそんなこと言って、俺にどうしろって言うんだ⁉︎」
アローシャの言い訳は、事態をさらに拗らせてしまう。憎い敵の言い訳ほど見苦しいものはない。ベルは著しく気分を害していた。少年は今、自分を不幸のどん底に陥れた敵の1人と対峙しているのだ。
「どうもしなくて良い。ただ勘違いされたままでいるのが心外なだけだ。私が自分の意思でその身体を使って魂を奪ったのは、ラビトニーとルナトの件だけだ。それ以外は断じて違う」
「だからどうしたんだよ⁉︎この俺の身体が人の命を奪った。その事実は消えずに残る……もう言い訳なんか聞きたくねえ」
アローシャの弁明はベルを苛立たせるばかり。仮にアローシャの言っていることが事実だったとしても、ベルの手で殺人が行われたことに変わりは無い。
「だが、その結果お前はこうして今も無事でいる。お前には私が不可欠だ。私がいなければ、お前はたちまち死んでしまう。いい加減宿命を受け入れろ。追手から逃げることは出来ても、この宿命からは逃れられない」
ベルにとってアローシャは、ヨハン・ファウストに並ぶほど憎い敵だが、彼の言うことは正しかった。現時点では、ベルは業火の悪魔から逃れられない。
「黙れ……そんなこと分かってんだよ‼︎」
「ひとまずそこにいる2人の黒魔術士の言うことに従ったらどうだ?私の力が欲しいのだろう?」
激昂するベルに対し、アローシャは一切感情の起伏を見せない。やはり、悪魔に感情は無いのだろうか。
「ワケ分かんねーよ‼︎お前は一体何がしたいんだ⁉︎散々俺を陥れといて、今さら手のひら返しか?お前の目的な何なんだよ‼︎」
アローシャの言葉は、ベルの心を掻き乱す。黒魔術士騎士団に加入してからと言うものの、アローシャはベルに協力的な態度を取り続けている。悪魔の言葉の裏には何か別の真意が隠されているのではないか。そう言った疑念が、より一層ベルを混乱させるのだった。
「私の目的は、到底お前には理解出来ない。無力は罪。力が無ければ、何も果たすことは出来ん。それでも良いと言うのなら、私は喜んでこのトレーニングから離脱する」
「ベル。アローシャの言う通りだ。これまでアローシャに散々苦しめられて来たのかもしれないが、その力は必ずお前の助けになる。力は、弱った心を補ってくれる。目的を果たすために、強くなれ!」
アイザックはふざけるのを一切止めて、真っ直ぐで真摯な言葉をベルに投げかけた。ベルはアイザックをほとんど知らないが、その言葉には否定出来ない説得力があった。
「………調子乗ってんじゃねえよ、ハッピーグラサン野郎…」
さっきまで激しく感情を爆発させていたベルは、突然おとなしくなった。おとなしくなったベルは、アイザックに顔を見せないように俯いている。
「何だ?泣いてんのか?もぉ〜可愛いでちゅね〜!」
ベルが自分の言葉に動かされて涙していると思ったアイザックは、力一杯抱きしめる。弟子が出来て、心底嬉しいらしい。
「やめろっ‼︎」
アイザックの腕の中で、もがきながら顔を上げたベルの瞳からは、涙が溢れていた。アイザックの想像通りベルは泣いていたが、その原因はアイザックの言葉によるものだけではなかった。喜び、苦しみ、悲しみ、悔やみ。この時ベルの中では、色んな感情が渦巻いていた。
「やめねー‼︎それ以上文句言うんなら、俺がお前を叩き直してやる」
アイザックのその言葉は、どこまでも真っ直ぐだった。師匠として、弟子を導くその責任を、アイザックは痛烈に感じていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
トレーニングの条件は、アローシャと協力すること!?無理難題をこなすため、アイザックはベルを導く。




