第74話「戦利品」(2)
「一体………」
ふと顔を上げたベルの目の前には、端正な顔立ちをした青年が立っていた。彼の黒髪は、優雅なウェーブがかかっている。
そんな彼は、黒魔術士騎士団の制服に身を包んでいた。燃え盛る腐炎に囲まれても、彼は涼しい顔をしていた。彼の青い瞳からは、辺りに広がる腐炎を鎮めてしまいそうなほどの冷静さが見て取れた。
「なぜ自分が死んでいないのか、気になるよね。その人を見てごらん」
ベルはその男に言われるがまま、ベンジャミンの姿を振り返る。
そこにあったのは、信じられない光景だった。二股に分かれたネック・イーターを突き出したベンジャミンは、まるで時間が止まってしまったかのようにぴたりと動きを止めている。全身を真っ赤な火傷に覆われたベンジャミンは、表情すら1ミリも動かすことがない。
よく見てみると、彼の握っているネック・イーターの刃はベル首を挟んでいた時よりも確実に、わずかに開いていた。さっきベルの耳に響いた金属音は、ネック・イーターがベルの首を切断するために一旦大きく開いた音だったのかもしれない。
勢いをつけるために開いた状態で、ネック・イーターもベンジャミンも完全に動きを止めていた。ベルには、その光景が信じられなかった。
「どういうことなんですか?」
ベンジャミンが完全に動きを止めていることは理解出来たが、なぜこの様な状況になっているのか、ベルには理解出来ない。
「これは僕の幻想の黒魔術。僕はこの人を夢の世界で縛り付けているんだ。言い換えれば、彼の精神を縛っているってこと」
「精神を縛る?そんなことが出来るのか……」
「危なかったね。僕が見つけなきゃ君死んでたところだったよ。僕には君が必要なんだ。死ぬ前に見つけることが出来て良かったよ」
「………………」
「あ、別に変な意味じゃないよ。僕は黒魔術士騎士団の騎士団長直轄部隊M-12の隊長ナイト・ディッセンバー。騎士団長、グレゴリオ様が君を必要としている」
ようやく謎の男ナイトはその正体を明かす。彼はベルが探していた黒魔術士騎士団の一員、それもかなり偉い人物のようだ。
「え?それって……」
「事情は後でゆっくり説明する。取り敢えず君はこの路地から出て待っててくれ。僕は少しここで用があるから」
「ちょっと待ってください。この腐炎を吸収してからでいいですか?」
「構わないよ」
腐炎の吸収を許可されたベルは、路地の隅々まで歩いて次々に腐炎を吸収する。
「さ、もういいかな?」
「はい」
ほぼすべての腐炎を吸収し終えたベルはナイトに言われた通り、素直にこの路地を後にした。 今は気が動転していて、ベルは言われた通りにすることしか出来なかった。
燃え盛る腐炎が綺麗さっぱり消えた路地はすっかり見晴らしがよくなり、気絶しているジムと静止したベンジャミンの姿がよく見える。
「さて、彼らの後始末はどうしようか……」
ひとり路地に残ったナイトは、怪しげな笑みを浮かべていた。
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ナイトに言われるがまま路地を出たベルだったが、いざ路地を出てみると、そこで何が行われているのか気になって仕方がない。
ベルは後戻りして、ナイトがベンジャミンたちに何をしているのか知ろうとする。
「あれ?」
しかし、そこには何もなかった。おそらくナイトが何らかの魔法を使ったのだろう。ベルが戻ったその場所には、誰もいなかった。なぜナイトは、ベルから姿を眩ませたのだろうか。
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その頃、ベルには見えていなかったが、路地の行き止まりにはナイト、ベンジャミン、そしてジムの姿があった。ナイト以外は自由に身動きを取る事が出来ない状況が続いている。
「……………」
そんな状況の中、完全に動きを止めていたはずのベンジャミンだったが、ネック・イーターを持つその指がピクリと動いたような気がした。
「…………わ…私……は……復讐を果たして…ルナトに…帰ったはず」
一切動くことが出来ず、声も出せないはずのベンジャミンが、突然声を発した。それだけでなく、静止している身体が小刻みに揺れ始めたではないか。
ベンジャミンは今置かれている状況が全く理解出来ていなかった。彼はベルの首を切断し、ルナトに帰って教皇にその首を献上したと思い込んでいる。
意識を取り戻したベンジャミンは、高難度の幻想の黒魔術による呪縛さえも振り解こうとする。これが復讐鬼の執念の強さなのだろうか。
「これは驚きました。僕の黒魔術で縛っても口が聞けるとは。僕があなたに夢を見せていたんですよ。あなたの望む未来の夢を」
ナイトはここで驚愕の真実を伝える。ベンジャミンがベルの首を討ち取り、教皇にその首を献上したというのは、すべてナイトが見せた夢だった。ナイトの使う幻想の力は、現実と錯覚するほどの夢を見せることが出来るらしい。
「な…………に……?」
「そう言えば……あなた方、ベル君に復讐しようとしているのですよね?」
未だに状況を理解していないベンジャミンを見て、ナイトは話題を変える。
そしてベンジャミンが無理なく口が聞けるように、幻想による拘束を少しだけ弱めた。
「しようとしている?何を言うか、もう復讐は果たされた。ファウストの首はルナトに持ち帰っている」
未だに夢を現実だと思い込んでいるベンジャミンはナイトを笑い飛ばす。
「だから、それは夢なんですよ」
「何?貴様何をした?」
「ちょっとあなたを拘束して夢を見せただけです」
「…………お前が来なければ、私はとっくにあの男を殺していた。今すぐにでもこの忌々しい呪縛を破って殺しに行きたいくらいだ」
しばらく時間を置いてようやくナイトの言っていることを理解したベンジャミンは、まだベルの首を討ち取れていないことを思い知らされる。ナイトさえ現れなければ、ベンジャミンの復讐は果たされていた。
「それも良いでしょう。ただ、あなた方が本当に殺したいのはベル君ではなく、悪魔アローシャだ。教皇を殺したのはアローシャです」
「な、なぜそれを知っている?」
ベンジャミンは驚きを隠せない。誰にも知らせていないはずの教皇の死を、なぜかこの男は知っている。ベンジャミンは心の内を見透かされている気分になった。
「………………」
「彼はこれから我々にとって必要な存在。絶対に殺させやしない。ただ、近いうちに悪魔アローシャがベル君の身体から解き放たれる時が来るでしょう。その時に復讐を果たせばいい」
「そんなことはどうでも良い!私は今すぐに復讐を果たして、教皇様にあの男の首を捧げたいだけだ‼︎」
「はぁ〜……仕方ないですね」
ナイトが残念そうに溜め息をつくと、その少し後にベンジャミンは力なく地面に倒れてしまった。
その手に握られていたネック・イーターは、ベンジャミンの手から離れると、すぐにその口を閉じた。
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ベルが路地から出た場所でナイトを待っていると、路地とは反対側から、ナイトと同じ格好をした人物が4名、行き止まりの方へ駆け込んで行くのが見えた。この時ベルは知らないが、ベルが見かけたのは黒魔術士騎士団のメンバーだった。
「君たち、この方々をルナトまで運んでくれ」
「かしこまりました‼︎」
路地の行き止まりに駆け込んだ4名の黒魔術士騎士はナイトに敬礼すると、さっそく倒れたベンジャミンとジムの身体を持ち上げ始めた。
それを確認したナイトはようやくこの場を去り、ベルの待つ場所に歩き出す。
「やあ、待たせたね」
ナイトはまるで何事もなかったかのようにベルの前に現れると、いつも通り笑顔を見せた。
「あの……」
「取り敢えず移動しようか」
ベルにはナイトに聞きたいことが山ほどあった。
しかしナイトはベルの言葉を遮って、ひとまずこの場を去ろうとしている。無視されたも同然のナイトの態度に、ベルはヘソを曲げた。
最後まで読んでいただき、ありがとうござます!!
ようやく第3章を始めることが出来ました!第3章では、ベルを取り巻く環境も大きく変わることになります。そして、物語の根幹に関わってくるエピソードが増えてきます!お楽しみに!!




