第74話「戦利品」(1)【挿絵あり】
その首を狙われたベルの運命やいかに⁉︎
改稿(2020/10/01)
第3章「黒の月」編(Chapter 3 : The Dark Side Of The Moon)
Episode 1 : The Knight In the Night/夜の騎士
相も変わらず、長い夜に包まれるルナトの町。そこには町へ通づる高い崖を降りて、中心部に聳える塔を目指す2人組の姿があった。
今夜の空は、心なしか澄み渡っているようだ。この穢れたルナトの町に戻って来たのは、月衛隊の2人。ベンジャミンとジムだ。
大きな犠牲の上に果たされた復讐。ベンジャミンはすでに、多くのものを失っていた。彼には、もう失うものは何もない。月の塔を目指すベンジャミンの身体はボロボロだった。全身が焼けただれ、満身創痍の身体を無理やり動かしている。それでも、復讐を果たした彼の顔は穏やかだ。
視力を完全に失ったベンジャミンは、ジムに手を引かれて歩いている。もう片方の手には、布に包まれた丸いものがあった。
よく見てみると、その布はベルが着用していた砂色のローブのようにも見える。その中には、何が包まれているのだろうか。
血だらけ、煤だらけのベンジャミンの姿を見て、外に出ていた町民たちは目を丸くしている。彼らは教皇がすでに死んでいることも、ベンジャミンがベルと死闘を繰り広げたことも知らない。
やがて、2人は月の塔にたどり着いた。ベンジャミンは感覚すら無くなっている身体を無理矢理動かしながら、上を目指す。
傷を負い、視力を失い、全身を焼かれたベンジャミンは、痛みを感じていなかった。彼の抱えた痛みは、限界を超えていた。もう、いつ死んでもおかしくない。
彼を動かしているのは、教皇への想いのみ。塔の上には、黒焦げになった教皇が待っている。ベンジャミンは右手に抱えていものを、教皇に献上したい気持ちで一杯だった。
ようやく塔の上にたどり着いた2人を待っていたのは、言わずもがな黒焦げになった教皇だった。
ルナト教教祖コーネリア・マグダス・ジョカルトは、悪魔アローシャによってその身を焼かれて息絶えた。
悪魔アローシャに殺されたまま、教皇の亡骸は手付かずの状態だった。町民は誰ひとりとして教皇の死を知らないし、月衛隊は無神論者たちを追うので忙しくて、その亡骸を供養する者はいなかった。
ベンジャミンは、月衛隊の中でいち早くルナトの町に舞い戻った。
彼は教皇を供養しようと、ジムに連れられながらその亡骸に近づく。レイリーとライリーがそうだったように、ベンジャミンもまた、教皇に救われた1人なのだろう。
「教皇様……ようやく仇が取れました。あなたの命を奪った男の首を捧げます」
目の前に教皇を感じ取ったベンジャミンは片膝をついて、黒焦げになってしまった教皇を拝む。
そして、右手に抱えていたものを差し出した。
ゆっくりと剥かれた砂色の布から姿を現したのは、血で紅く染まったベル・クイール・ファウストの生首だった。今や、ベルの顔は全体が赤く染まっている。辛うじて血で染まった中に金髪が見えるため、それがベルだと断定出来る。
エリクセスの路地での死闘の末、ベルはベンジャミンのネック・イーターに首を挟まれ、そのまま首を取られたのだ。
これが、ベル・クイール・ファウストの最期だった。“ブラック・ムーン”に巻き込まれ、壮絶な人生を送って来た17歳の少年の人生はついに幕を閉じた。それは、最も悲惨な最期だった。仇打ちとして首を取られたのだから。
黒魔術士騎士団本部にたどり着くことも出来ず、父親への復讐を果たすことも出来ず、リリの母の呪いを解く鍵を探すことも出来ず、アレンをアドフォードへと帰してやることさえ出来ずに、少年の人生は幕を閉じた。
これが無実の少年が迎える最期であって良いのだろうか。それはあまりにも非情なものだった。逃亡を助けてくれたジェイクにハメルにセドナ、そして最後の力を振り絞って助けてくれたレイリー。そのすべての人々の想いが無駄になった。夜のエリクセスでベルと逸れたリリとアレンは、今後どうなってしまうのだろうか。
得体の知れない悪魔が体内に潜んでいる以上、ベルはこうなることをどこかで覚悟していたのかもしれない。
全く身に覚えのない罪がベルを殺した。教皇を殺したのは悪魔であり、人間ではなかった。だが、その報復は人間に返って来た。全く信じ難い非情な摂理だ。
ベンジャミンは、苦痛に悶えた表情で息絶えているベルの顔を、教皇の方へ向けて置いた。
すると、教皇を慕う月衛隊の気持ちが晴れるかのように、月の塔の上を朝日が照らし始めた。どこの誰が命を奪われようと、今日も変わらず夜は明ける。非情であっても、世界とはそういうものだ。
エリクセスのどこにいるかも分からないリリとアレンは、ベルが絶命したことすら知らないだろうが、同じように朝を迎えている。死んでいる者にも生きている者にも、平等に朝は訪れる。
朝日に照らされる月の塔は、喜びと虚しさの輝きを放っていた。
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ガチャン……
死を覚悟して目をぎゅっと瞑っていたベルは、暗闇の中に意識を残していた。
“俺は死んだのか……?”
ベルには自分が生きているのか死んでいるのか、判断がつかなかった。金属音が聞こえてから、ベルは目を開けていない。彼は全く痛みを感じていなかったが、それは痛みを感じる間も無く死んでしまったと言うことなのかもしれない。
いずれにせよ、このままではいつまで経っても自分の状態を確認することは出来ない。
「……………」
意を決したベルは、勢いよく目を見開いた。
すると、目の前にはベンジャミンの鬼の形相が未だに存在していた。なぜか、彼の身体は微動だにしていない。ベンジャミンの姿がそこにあるように、彼の手に握られたネック・イーターも当然さっきまでと同じ場所にあった。
ふと左右に目を向けてみれば、なぜだかネック・イーターのジグザグした刃はさっきよりも首から遠ざかっているかのように見えた。
今なら多少身体を動かして抜け出すことさえ出来そうだ。ベルは何が起こったのか理解することが出来ず、その場を動かなかった。と言うか、これが今までで1番死を身近に感じた出来事だったため、身体に残る恐怖で動けないのだ。
「君、ベル・クイール・ファウスト君だよね」
すると、混乱して何も考えることが出来ないベルに、何者かが声をかける。その声は確実にベンジャミンのものではない。
その声がベンジャミンのものでも、ジムのものでもないとすれば、その人物はどうやってこの腐炎の中に侵入出来たのだろうか。
「誰だ?」
ベルが振り向いてその人物の顔を見ようとすると、首筋に尖ったものが当たる。このままではその声の主を確認することは出来ない。
「まずはそこから抜け出してください」
「でも………」
ベルは反論しようとしたが、今は彼の言う通りにネック・イーターの刃から逃れるのが先だ。
左右にあまり動けないベルは屈んで、迫る対の刃から抜け出した。こうしている間もベンジャミンが動くことはなく、ネック・イーターもぴたりと動きを止めていた。
「一体………」
ふと顔を上げたベルの目の前には、端正な顔立ちをした青年が立っていた。彼の黒髪は、優雅なウェーブがかかっている。
そんな彼は、黒魔術士騎士団の制服に身を包んでいた。燃え盛る腐炎に囲まれても、彼は涼しい顔をしていた。彼の青い瞳からは、辺りに広がる腐炎を鎮めてしまいそうなほどの冷静さが見て取れた。
「なぜ自分が死んでいないのか、気になるよね。その人を見てごらん」
ベルはその男に言われるがまま、ベンジャミンの姿を振り返る。
そこにあったのは、信じられない光景だった。二股に分かれたネック・イーターを突き出したベンジャミンは、まるで時間が止まってしまったかのようにぴたりと動きを止めている。全身を真っ赤な火傷に覆われたベンジャミンは、表情すら1ミリも動かすことがない。
よく見てみると、彼の握っているネック・イーターの刃はベル首を挟んでいた時よりも確実に、わずかに開いていた。さっきベルの耳に響いた金属音は、ネック・イーターがベルの首を切断するために一旦大きく開いた音だったのかもしれない。
勢いをつけるために開いた状態で、ネック・イーターもベンジャミンも完全に動きを止めていた。ベルには、その光景が信じられなかった。
「どういうことなんですか?」
ベンジャミンが完全に動きを止めていることは理解出来たが、なぜこの様な状況になっているのか、ベルには理解出来ない。
「これは僕の幻想の黒魔術。僕はこの人を夢の世界で縛り付けているんだ。言い換えれば、彼の精神を縛っているってこと」
「精神を縛る?そんなことが出来るのか……」
「危なかったね。僕が見つけなきゃ君死んでたところだったよ。僕には君が必要なんだ。死ぬ前に見つけることが出来て良かったよ」
「………………」
「あ、別に変な意味じゃないよ。僕は黒魔術士騎士団の騎士団長直轄部隊M-12の隊長ナイト・ディッセンバー。騎士団長、グレゴリオ様が君を必要としている」
ようやく謎の男ナイトはその正体を明かす。彼はベルが探していた黒魔術士騎士団の一員、それもかなり偉い人物のようだ。
「え?それって……」
「事情は後でゆっくり説明する。取り敢えず君はこの路地から出て待っててくれ。僕は少しここで用があるから」
「ちょっと待ってください。この腐炎を吸収してからでいいですか?」
「構わないよ」
腐炎の吸収を許可されたベルは、路地の隅々まで歩いて次々に腐炎を吸収する。
「さ、もういいかな?」
「はい」
ほぼすべての腐炎を吸収し終えたベルはナイトに言われた通り、素直にこの路地を後にした。 今は気が動転していて、ベルは言われた通りにすることしか出来なかった。
燃え盛る腐炎が綺麗さっぱり消えた路地はすっかり見晴らしがよくなり、気絶しているジムと静止したベンジャミンの姿がよく見える。
「さて、彼らの後始末はどうしようか……」
ひとり路地に残ったナイトは、怪しげな笑みを浮かべていた。
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ナイトに言われるがまま路地を出たベルだったが、いざ路地を出てみると、そこで何が行われているのか気になって仕方がない。
ベルは後戻りして、ナイトがベンジャミンたちに何をしているのか知ろうとする。
「あれ?」
しかし、そこには何もなかった。おそらくナイトが何らかの魔法を使ったのだろう。ベルが戻ったその場所には、誰もいなかった。なぜナイトは、ベルから姿を眩ませたのだろうか。
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その頃、ベルには見えていなかったが、路地の行き止まりにはナイト、ベンジャミン、そしてジムの姿があった。ナイト以外は自由に身動きを取る事が出来ない状況が続いている。
「……………」
そんな状況の中、完全に動きを止めていたはずのベンジャミンだったが、ネック・イーターを持つその指がピクリと動いたような気がした。
「…………わ…私……は……復讐を果たして…ルナトに…帰ったはず」
一切動くことが出来ず、声も出せないはずのベンジャミンが、突然声を発した。それだけでなく、静止している身体が小刻みに揺れ始めたではないか。
ベンジャミンは今置かれている状況が全く理解出来ていなかった。彼はベルの首を切断し、ルナトに帰って教皇にその首を献上したと思い込んでいる。
意識を取り戻したベンジャミンは、高難度の幻想の黒魔術による呪縛さえも振り解こうとする。これが復讐鬼の執念の強さなのだろうか。
「これは驚きました。僕の黒魔術で縛っても口が聞けるとは。僕があなたに夢を見せていたんですよ。あなたの望む未来の夢を」
ナイトはここで驚愕の真実を伝える。ベンジャミンがベルの首を討ち取り、教皇にその首を献上したというのは、すべてナイトが見せた夢だった。ナイトの使う幻想の力は、現実と錯覚するほどの夢を見せることが出来るらしい。
「な…………に……?」
「そう言えば……あなた方、ベル君に復讐しようとしているのですよね?」
未だに状況を理解していないベンジャミンを見て、ナイトは話題を変える。
そしてベンジャミンが無理なく口が聞けるように、幻想による拘束を少しだけ弱めた。
「しようとしている?何を言うか、もう復讐は果たされた。ファウストの首はルナトに持ち帰っている」
未だに夢を現実だと思い込んでいるベンジャミンはナイトを笑い飛ばす。
「だから、それは夢なんですよ」
「何?貴様何をした?」
「ちょっとあなたを拘束して夢を見せただけです」
「…………お前が来なければ、私はとっくにあの男を殺していた。今すぐにでもこの忌々しい呪縛を破って殺しに行きたいくらいだ」
しばらく時間を置いてようやくナイトの言っていることを理解したベンジャミンは、まだベルの首を討ち取れていないことを思い知らされる。ナイトさえ現れなければ、ベンジャミンの復讐は果たされていた。
「それも良いでしょう。ただ、あなた方が本当に殺したいのはベル君ではなく、悪魔アローシャだ。教皇を殺したのはアローシャです」
「な、なぜそれを知っている?」
ベンジャミンは驚きを隠せない。誰にも知らせていないはずの教皇の死を、なぜかこの男は知っている。ベンジャミンは心の内を見透かされている気分になった。
「………………」
「彼はこれから我々にとって必要な存在。絶対に殺させやしない。ただ、近いうちに悪魔アローシャがベル君の身体から解き放たれる時が来るでしょう。その時に復讐を果たせばいい」
「そんなことはどうでも良い!私は今すぐに復讐を果たして、教皇様にあの男の首を捧げたいだけだ‼︎」
「はぁ〜……仕方ないですね」
ナイトが残念そうに溜め息をつくと、その少し後にベンジャミンは力なく地面に倒れてしまった。
その手に握られていたネック・イーターは、ベンジャミンの手から離れると、すぐにその口を閉じた。
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ベルが路地から出た場所でナイトを待っていると、路地とは反対側から、ナイトと同じ格好をした人物が4名、行き止まりの方へ駆け込んで行くのが見えた。この時ベルは知らないが、ベルが見かけたのは黒魔術士騎士団のメンバーだった。
「君たち、この方々をルナトまで運んでくれ」
「かしこまりました‼︎」
路地の行き止まりに駆け込んだ4名の黒魔術士騎士はナイトに敬礼すると、さっそく倒れたベンジャミンとジムの身体を持ち上げ始めた。
それを確認したナイトはようやくこの場を去り、ベルの待つ場所に歩き出す。
「やあ、待たせたね」
ナイトはまるで何事もなかったかのようにベルの前に現れると、いつも通り笑顔を見せた。
「あの……」
「取り敢えず移動しようか」
ベルにはナイトに聞きたいことが山ほどあった。
しかしナイトはベルの言葉を遮って、ひとまずこの場を去ろうとしている。無視されたも同然のナイトの態度に、ベルはヘソを曲げた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
死の危機を救ったのは誰なのか。この出会いが、ベルの運命を大きく変えていく!!




