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君を見つめて。

作者: odayaka



 見上げても先の見えない木々が、無限の枝葉で星の瞬きを遮る森の中、私と彼は薪を前に向かい合っていた。

 光に照らされた彼は、無精ひげをわずわらしげに触って、私の不躾な質問に苦笑で返した。

 世間一般のエルフの印象は、耳が長く、やたらと容姿が優れていて、排外的で人を寄せ付けず、…まぁ、気に食わない人種、と思われているらしく、それは正鵠を射ていると言えた。空の果てにも、ここまでの漆黒の闇は存在しないだろう、私の故郷の道への途上で、彼は彼の郷里の事をぽつりぽつりと語り出す。


 「きっと、来れば驚くだろうな。こんな木のような建物が、人間の手で無数に建てられているんだ」 

 「嘘。どんな魔法だって、こんなもの作れっこないわ」

 「ま、当然の反応だな」


 彼は苦笑する。薪が弾ける音に少し驚いて、薪を足す。

 そして、傍らに置いた剣を鞘から出して、手入れを始める。

 彼はいつものように唇を歪める――それはまるで道化師が冗談を言う時のように皮肉な形で――、


 「鉄の箱が独りでに動き出すんだ。勿論、人が操っているんだが」

 「想像もつかないんだけど」

 「今となっては俺にとっても夢みたいなもんさ。ここに来た頃には、それを当たり前のものとして考えていたけど」


 ――ここに来た頃。


 「あなたが私と一緒にいなかった。そんな時間もあるのよね」


 何だか不思議な気分になって、彼を見る。

 彼は目をぱちくりとさせ、唇を尖らせた。


 「睨むなよ」

 「睨んでるように見えた?」

 「…いや、その、ごめん」


 目が切れ長な所為で、良く勘違いされる。

 怖い顔をしている、と言われる度に、落ち込む。


 「そう。そう見えたのね」

 「誤解だってば」

 「こんなに長い時間、一緒にいるのに」

 「…そうね」


 彼は炎を眺め、目を閉じた。


 「そろそろ、眠ろうか」

 「誤魔化すつもり?」

 「話は尽きないけれど、いつでも出来るさ…。見張り番をしてる彼らに申し訳ないだろう?」

 「…そうね」


 周囲に目を向ける。松明の光が心細く煌めいている。

 目を閉じる。眠りの精は、すぐにでも訪れそうだった。


 「ディー」

 「何?」


 彼が私を呼ぶ。


 「俺の傍にいてくれて、ありがとう」


 目を開くこともないまま、唇は緩やかに綻んだ。


 「あなたがいてくれて、本当に良かった」






―――――




 「あんたさ、あの坊やの言うこと、全部信じてるわけ?」

 「坊や? ん、シンのことかい」

 「そうよ。こことは違う世界からやって来た…、ってさ。ばっかみたいなこと言ってたじゃん」


 ん――鉄鎧を全身に纏った男は、樹の天井を確かめるように顎を上げた。そして、諦めたように下ろして、首を摩る(そこもやはり、鉄で覆われている)。


 「疑う必要がないからな」


 鉄兜の下の鉄の仮面の向こうから洩れる、間延びした声に、銀色の髪の女が溜息を返す。二メートルはあるであろう男から見ると、自分の腰ほどしかない、子供のような女である。顔も相応の幼さだった。けれども、自分よりもずっと年を経ているらしい。具体的な年齢は尋ねていないが、彼女の唇からすると、二回りは違うのかもしれない。

 その彼女は目を細めて、睨むように見つめている。先ほどの会話から察するに、彼の友人に対して、何か思うところがあるようだった。


 「あれは災厄を齎すものだわ」

 「災厄」


 ぼんやりと考える。地震雷火事親父…。シンと出会ってからかちあったのは、性質の悪い親父位なものな気がするが。


 「親父は面倒臭いな」

 「何の話をしとるか…」

 

 何の話をしているのか、と聞きたいのは彼の方だったが。


 「災厄と言われてもな。俺はあいつの御蔭で退屈な里から抜け出せたんだし、つまらないことは言ってくれるなよ」

 「あんたの里は、巨人の里だったっけ?」

 「血もすっかりと薄れてしまっているから、少し大きな人が住んでるだけさ。ただ、俺は少し特殊だったから」

 「ディーも、あんたも、私も。皆、先祖返りらしい」


 先祖返り。その言葉は知ってる。種族の血がたまたま濃く継がれた存在――とされる。その里の長がそれを判定するらしい。どのようにしてみて、それが解るのかは知らないが、その為にあの場所に縛り付けられるところだった。


 「そんな人間だけを選んで、自分の仲間にしている。おかしいとは思わないか?」

 「たまたまだろ」

 「そんな偶然があり得るわけないだろ」

 「少なくとも、あれが…。望んでそうしているようには思えないな」


 出逢ったころの事を思い出す――座敷牢の中に閉じ込められた俺をしり目に、がつがつと小屋の中の食べ物を漁り口の中に入れていた、野生の獣のような匂いを放つ少年。血と汗と土と泥と垢に塗れ、人であることすら判別が出来ないほどだった。





 「目的が見えないんだよ。何をしに、ここに来たのか」

 「単純に、ディーの故郷を見に来たってだけじゃないのか?」

 「危険を顧みず? ディーも連れ戻されるかもしれない」


 周囲を見回す。夜闇の中を何かが動く気配がする。

 虫か、獣か、魔物か、それとも――エルフか。


 「もしもエルフが敵対しようと思うなら、とっくに矢の雨が降って来てるよな」

 「油断させようとしているのかもしれない。奥深くまでくれば、逃げられない」

 「ここまでくれば、同じことさ」

 「油断はするべきじゃない。エルフにも、シンにも。…ザク」


 呼ばれた鉄鎧の男――ザクは、背負っていた鞘から剣を抜き放った。

 そして、二度、三度、空を切る。聞く者の身をすくませるような、鋭い音だった。


 「ミルカ」

 「何?」

 「どうにも解せないことがある」

 「何か?」

 「何故、こんなに静かなんだ――」


 小首を傾げる仕草をすると、同時を大きな何かが羽ばたく気配がした。

 何故、それを感じ取られたのかは解らない。それはそれほど静かに動き、静かに飛び去った。

 けれども、その存在がいなくなったことは紛れもなく確かなことだった。


 「ドラゴン?」

 「解らない。巨大な鳥かもしれない。ただ…」


 人と言う括りの中にいる存在では、絶対に勝つことが出来ない存在であることは間違いなかった。

 挑む、と言う選択肢すら許されない、強大な力を持つ存在。

 『竜殺し』と呼ばれる連中ですら、避けて通らざるは得ないだろう。


 「災厄」


 ザクは何となしに言葉にした。けれども、その言葉には、何の意味もない。

 ただ、すっと自分の中に降りて来たものがある。自分の腰に縋った女の言葉は、やはり、酷く不確かで、また虚しいものだった。


 「シンが何者でも、やはり、どうでもいいな」


 彼は剣を掲げ、また、周囲を見回した。

 そして、鞘に納める。先ほどまで息をひそめていた森の中の生き物たちの気配が、夜闇の中に充満した。


 「戻ろう。エルフたちが襲ってくる可能性がある」

 「この喧噪に紛れて?」

 「あり得ない話じゃない。彼らは夜目が利く」


 友人が気がかりだった。それに、自分たちとて危うい状況だった。


―――――――――――





 「ザク、ミルカ」


 シンは抜き身を傍らに置き、一方を睨んでいた。どうやら、そこに、色濃い気配があるらしい。

 ディーは緊張感もなく横になっている。その姿にミルカは腹立たしさを覚えたが、安堵もする。彼女の里の人間は、こちらを殺す気で掛かることは無い。


 「ミルカ、悪いけど、連中はそこまで甘くはないわ」


 ――無いわけでは、ないらしい。

 勝手に楽観視していたことが気恥ずかしい。


 「人の心を勝手に読むな」

 「あんたが分かりやすいだけよ」


 ふぁっ、と大きな欠伸を一つして、ディーは、シンの向いた方を同じように睨んだ。


 「さっきのは、ドラゴン?」

 「解らない。鳥かもしれない。でも、去っていったのは間違いない」

 「あれが牽制してたのかしら」

 「あれがいたから、森の中が静かだった。多分、動きにくかったんだろう」


 獣とは違う動きをする何かの気配は感じていた。けれども、今は、それを意識することは出来ない。生気を取り戻したように、森に気配が満ちた。間断ない『声』が、彼らの息遣いと足音を消している。シンを見ると、彼は一定間隔毎に、その視線の先を変えていた。


 「殺意?」

 「歓迎しよう、と言う風には見えないな」

 「こんな物騒な森からは出ていった方が良い」


 ミルカはザクの腰に縋りついている。ザクは彼女の頭を撫ぜた後、シンに頷いた。


 「俺もそう思う。命を賭ける程の意味はないだろう? シン」

 「エルフの里には、外界では手に入らないようなアイテムが無数にあるらしい」


 片目を閉じ、爪を噛む。ディーは苦笑を浮かべた。


 「商売の話?」

 「体力回復の水や、魔法力回復の水が溢れる泉があるらしい。彼らと誼を結べば、どれだけの金になるか」


 シンの目はすっかりと金のマークに変わっている。三者はため息を吐いた。彼の事は、断じて嫌いではない。寧ろ、好意を持っていると言っても良い(ミルカも含めて…)が、しかし、こういうところは、頂けない。


 「ザク、ミルカ。ここから出ましょう。まだ森の入り口で助かったわ」

 「そうだな」

 「そうね」


 四人パーティーの内の三人が決めたことである。多数決の論理で言って、これは決定事項だった。

 しかし、シンは、いやいやいやいや、と頭を振った。


 「待て待て待て待て。今回の商談が巧く行けば、どれだけの利になるか解らないんだぞ! いや、一生働かなくても良くなるどころか、国一番の富豪になることだってあり得るんだ! ディー、お前、欲しがってた魔法書やマジックアイテムがあったろう!? 幾らでも買えるぞ! ザクだって、どんな高価な武器も防具も、幾らでも手に入れることが出来るんだ! ミルカも…」


 シンはミルカに半笑いの笑みを向けた。


 「私にとってのメリットは?」

 「…美味しいお肉が無限に食べられるぞ」


 そう。

 ミルカは眉間に青筋を立てながら、微笑んだ。


 「リーダー(ディー)、さっさと脱出しましょう。ここに得るものは何一つないわ」

 「ま、待ってくれッ、皆、少し、考え直…」


 ザクが恐ろしい早さで繰り出した手刀が、彼の友人の意識をあっさりと刈り取った。


 「ディー(リーダー)、乱暴な手段にはなったが、皆の命を救うためだ。ご理解いただきたい」

 「分かっているわ。ありがとう、ザク。シンもお金に目を眩んだだけだから。…はぁ、里の両親に挨拶がしたい、って言葉を簡単に信じた私が馬鹿だったわ」


 空を仰ぐ。夜闇に紛れ、無数の気配がする。


―――――――――――――――



 「ザク、下ろしてくれ」


 目を醒ましたシンが、ザクの肩を叩いた。ザクは頷き、彼の身体を丁重に地面に預けた。


 「今度眠れない時があったら頼む」

 「癖がついたらなかなか利かなくなりそうだなあ」


 大きく伸びをして、屈伸をする。ディーとミルカは呆れたように彼らの会話を聞いていたが、そんな彼女らの表情を、彼らが気づくことは無かった。


 「どれくらい寝てた?」

 「五分程度だよ」

 「その間、襲われなかったのか。悠長だな」

 「そろそろ動くと思う。シンも、そう思ったんだろう?」

 「寝てたのに分かるわけないだろ。…でも、まぁ、良いタイミングで、起きれたかな」


 降り注いだ矢は、大きく弧を描いていた。

 しかし、それを目にすることは叶わない。鏃は黒く塗られており、ただ、音だけがその存在を伝えていた。

 反応をしたのはシン、次いで、ザクだった。シンは不愉快極まりない――歪めた唇から下卑た愚痴を垂れ流しながら、刀を揺らしていた。矢はその軌道上に吸い込まれるようにぶつかり、弾けた。ザクは、彼の友人と比べると、ずっと過激な動きではあった。降り注ぐ矢を片っ端から殴りつけ、そして、矢を降らせる者たちに向かって突進していった。巨体、そして、身に纏う鉄の重量からは考えられぬ程に俊敏な動きだった。足元の木の根、それらが生み出す凹凸など気にもしないで、飛ぶように、駆ける。仮面の隙間から洩れる愉悦の声が、にわかに騒がしくなった森の音にかき消される中、男の殺気は濃厚だった。


 「散開せよ」


 感情の無い声が響くと同時に、矢を使うエルフたちの気配は消えた。ザクは立ち止まり、周囲を眺め、肩を竦め、とぼとぼとシンたちの元へと戻った。


 「追えないか?」


 シンの問いに、ザクは頷いた。そうか、とだけ返し、シンは、深いため息を吐いた。それは、多分に絶望の色を載せていたが、三人は無視をした。


 「行きましょうか」


 ディーの声に、二人、頷き、一人はしばし、森の奥深く――エルフの隠れ里の方向に身体を向けていた。

 が、しぶしぶ、頷いた。


 「宝の山が、遠ざかっていく」

 「まだ言ってる」


 ミルカの溜息に、シンの嘆きが重なる。ザクは周囲を見回した後で、肩を竦め、ディーは微笑んだ。


―――――――――――――




 ――女が、神の像の前で手を組んで跪いている。きつく閉じた目、引き結んだ唇。

 確か、彼女は文盲の筈だった。出逢った日から、まだ左程に時を経ているわけではない。それでも、渡された分厚い書を読み解くのだ、と目を輝かせていた――思い出す。旅立ったのは二月前。考えてみれば、随分と無謀なことを考えていた。そして、得たものは殆どなかった。 

 暗澹とした思いを抱えつつ、シンは彼女の前に立つ自信が薄れていく自分に気づいた。縋るように仲間を見る。皆、世の中の理などどうでも良さそうな顔をしている。


 「無事で良かった」


 ぼそり、とザクが呟いた。この巨人は、心の底からそう思い、言葉に出来る。

 シンは、彼の言葉に口元がほころぶ自分が素直に嬉しかった。恐らく、自分もまた、彼と同じように思っていたのだ。ディーも微笑み、ミルカは少し複雑な目を、彼らの視線の先にいる女に向けていた。

 

 その呟きに気づいたのだろう。彼女は身を起こし、振り向いた。花のような笑顔が、可憐に揺れる。


 「みんな…。お帰りなさい」

 「ただいま。子供たちは…」


 ステンドグラスを通して差し込む光は、青い修道服に身を包むミライを人ならぬ存在であるかのように、美しく映している。シンは内心の動揺を隠そうと、殊更、無感情に応えた。彼女は彼の心の動きなど知らないまま、彼の問いに応えるように、教会の奥の扉を手の平で指した。


――――






 (´_ゝ`)

 孤児院。辞書を引けばそこがどんな施設かは分かると思うので、各々引けば良い。

 シンは目の前の光景を眺めて、所得税や社会保険料を差し引かれた自分の手取りを想像した。

 給与明細。自分の一月の奮闘の結果――この世界にはそんなものは存在しない――存在しないものを思い浮かべることに何の意味があるのだろうか。限りなくゼロに近いと言うのに。


 果たして、彼らを養うことは可能なのだろうか。反語。


 ザクは鉄仮面の向こうにのんびりとした微笑を浮かべているに違いない。本質的には呑気な男なのだ。彼の頭の中に彼らを養う為に何が必要なのかを考える余地はない。その発想すらない。

 ディーは無表情を決め込んでいる。が、隣に立つミルカと同じようなものだ。クールなふりをしているが、子供が好きなのだ。多くの例外は存在するにせよ(何で予防線を張らないといけねえんだよ(おこ))、母性を本質的に秘めるのが女性である。浮きたつ心を否定出来はしないだろう。


 可愛らしいのやら、生意気そうなのやら。皆、好き勝手に遊んでいるようである。そこは教会の裏手の広々とした内庭の中――数を数える。ちゃんと、皆、いるようだった。『誰かが行方不明になった。探さなければ!』的なイベントがなくて大変結構だ。そこだけだ。救いは。


 「皆、元気で良かった」

 「そうね。ちゃんとご飯も食べているようだし」

 「うむ。栄養失調の子はいないようだな」


 うふふ。腕組みしながら、三人は、目の前の光景を見て悦に浸っているようである。

 自分たちの過去を顧みて、思うところもあるのだろう。




 ――なら、お前ら、金を肯定しろよ…!


 と、シンは叫びたくなった。いや、一攫千金の思考になったことは確かに自分が悪い。悪いが…。美味い話があるのであれば、それに乗っかるのが当然ではないだろうか。彼らを養うだけの金を手に入れる――何の伝手も元手もない人間が、だ。賊風情に身を落とせばそれも出来るだろう。出来るだろうさ。戦闘能力だけならば揃っているのだ。シンは目の前の光景に頭を抱えたくなった。


――――――――――






 「金が要る」

 「また、シンはそんなことを言う」


 ブー垂れたのはミルカである。黙殺しても良いのだが――。


 「子供たちを養う金を稼ぐことが私欲と言うのなら、勝手に言ってろ」


 シンは極めて冷然と答えた。ミルカはいささか怯えたようである。ザクは何かを言いかけて、それが無意味なことであると悟ったのだろう。押し黙り、身を引いた。


 「…」


 ディーは何か考えているようだったが、どれだけ深く考えても、どうも、反論の余地もないようである。あるのならば、言って欲しかった。とは言え、感情で物を言われても困る。――ミルカは憤懣をため込むように頬を膨らませているが…。建設的な意見は、期待出来そうもない。


 「どなたかに支援を求めるのはいかがでしょう?」


 おずおずと修道女――ミライが手を挙げた。数人の支援者の名を挙げた。中堅の商人と貴族。悪い提案だとは思わない。


 「こちらが提供するのは?」

 「私です」

 「却下だな」


 そうだな。そうね。と、三人も続く。

 ミライ――と名付けたのはそうだ、自分だった。と、困ったように俯く彼女を見つめ、シンは目を離せなくなりそうな自分を必死で律した。商人も貴族も、何も彼女を害しようと思っているわけでもないだろう。ただ、彼女が望むことをしたい、と思っただけの話だ。――彼女と迎える朝を、当然の権利として与えられることを夢見て。

 けれども、それは、彼女自身の意志を無視した話だ。何よりも、それは、自分の意志を無視した話だ。ようやくに、自然な微笑みを浮かべられるようになってやっと、彼は彼女に頭を振った。


 「金は作る。だから、誰かに貸しをつくるつもりはない」

 「でも、どうやって…」


 屹然と答えると、彼女は食い下がるように顔をあげた。

 (それを今から…)

 考える。その言葉を心の内で呑み込む。


 「当てはある」


 言い切ると、ミライの表情は晴れた。

 ――この様子なら、彼女が自分の身体を売るような真似を望んではしないだろう。



―――――――――――――




 「シン。当てって…」

 「ない。そんなもん、あるわけねーだろ」


 教会の外に出、溜らず尋ねたミルカの問いに、シンは頭を抱えた。

 ないことはない。エルフの森だ。しかし、あの対応を見る限り、交渉がうまくいく可能性はゼロに近い。…と言うか、ゼロだ。あそこまで排外的な種族だとは思わなかったのだ。こちらにはディーと言う里の人間がいるのに、全く見視して矢を射かけてきた。それも、殺す気で、だ。

 あの巨大な鳥が羽ばたくことがなければ――いや、里で殺されていた可能性は十分にある。あの時点で撤退する判断を下せたことは、やはり誤りではなかったのだ。

 それでも、そこまで足を運んだ行為が誤りであった、とは思わない。宝くじは買わなければ絶対に当たらない。


 「こつこつと真面目に働けば…」

 「真面目に何をする気だ? 商人の丁稚でもする気か? 自分たちの食い扶持を稼ぐのが精々だろうな」

 「腕が立てばキャラバンの護衛も出来るとは聞くが」

 「見ず知らずの腕の立つ用心棒、誰が雇い入れる? 盗賊の手引きと思われるのがオチだろ」

 「身体を売るか?」

 「売らせるか。馬鹿」


 ――三者の意見を切り捨てて、シンはいよいよ天を仰いだ。


 「…ザク。キャラバンの護衛。伝手はあるのか?」

 「ある。巨人族の里に出入りをしていた隊商はかなり大きな規模のキャラバンだった」

 「…報酬はどれだけ期待出来る?」


 「命を張った仕事だからな。それなりの金額は期待出来ると思うが、具体的なところは…。そこは交渉次第じゃないか、と思う」

 「…。例えば、俺たちが、何か売り物になる商品を持ち込むと言う事も、許してもらえるかな?」


 この世界では、何かを売るにはその土地の支配者の許可証が必要となる。

 大規模なキャラバンとなれば、それなりの金を払い、キャラバン一つで纏めて許可を得ていることだろう。その傘の下に入ることが出来れば…。


 「解らない。ただ、そこは商人の領分だし、認められる可能性は低いと思う」

 「それでも、やってみる価値はあるか…」


 ―――



 「申し訳ありませんが、皆さんを雇い入れることは出来かねます」

 「そうですか」


 あっさりとした担当者の答えに、シンも酷くあっさり応えた。それは担当者が困惑する程の聞き分けの良さだった。隣に座るザクも、思わず、シンに尋ねる。


 「良いのか?」

 「良いも悪いも、正直、駄目元だったしな。時間を割いて頂いただけ感謝すべきだ」

 「いえ。巨人族の里の皆さまには懇意にさせていただいておりますので」


 頭を下げるシンに、慌てる担当者に、ザクは眉根を寄せた(今は鉄兜も被ってはいない)。

 ――考えてみると、駄目元って発言もいい加減相手様に失礼なのではなかろうか――シンは更に深く頭を下げる。


 「シンはこう言っているが、何とかならないものだろうか…。こう見えても腕は立つのだ」

 「こちらも長らく一緒に働いてきた護衛の者がおりますので…。申し訳ありませんが、護衛を増やす予定もないのです」


 顔を上げたシンが見たのは、担当者の薄くなった頭頂部だった――、どうか頭をお上げください、と思わず声にする。


 「隊商の規模を大きくするような話もありませんか?」


 尋ねた言葉に、担当者は頭を振った。


 「ございません。取引量を増やすのも相手があってのことですので」

 「それもまぁ、そうですね」


 需要がなければ供給を幾ら増やしても赤字になるばかりだ。新規開拓、なんて隊商相手に言うのは余りにも軽薄

だった。


 「取引相手を見つければ良いのかな?」


 ザクは簡単に口にする。


 「心当たりがあるのか?」

 「ない」


 そして、ザクは簡単に応えた。恐る恐る担当者を見ると、そこには、初めから何の期待もしていなかったのだろう笑顔があった。


――――――――――――


 「そもそも、そんな相手がいたら、俺が窓口になるわ」


 店――と言うよりは、運輸事業所と言うべきだろう。馬代わりとなる何かが住むのであろう遠くにある畜舎を眺める。薄まった匂いが漂って来る。近くに寄れば刺激的な香りを堪能出来ることだろう。シンは隣に立つザクを見つめた。ザクはすっかりと小さくなっている。力になれなかったことが堪えているのだろうか。


 「すまない、シン」

 「謝ることはない。期待していなかったことはないが、駄目元だったことは、確かだ」


 ザクは何も答えなかった。シンは肩を竦めつつ、期待が裏切られたことに内心絶望していた。


 「シン」

 「何だ?」

 「俺は、お前の言うことなら何でも聞く。俺はお前の事を信じている。だから…」


 だから?

 と、シンは流石に聞き返したい衝動を必死で堪えた。

 だから、の続きは分かり切っている。それは目の前のバカでかい友人が言いたくてもとてもではないが言えない。そんな分かり切ったことなのだ。


 『世間様に迷惑を掛けない、つまり、泣く人間の生まれるような犯罪行為――具体的には、山賊や海賊的な行為を行わないで金を手に入れる方法を提案してくれ』


 だから、の続きはそんな言葉なのだろう。


 …それが無いから困ってるんだろうが!


 と、それだけならツッコまれそうな話である。それを口にすれば、だ。


 「ザク、俺は卑怯者は嫌いだ」

 「すまん」


 だが、それでも、ザクはシンを信じている、と言いたいのだろう。

 そんなことは、分かっているのだ。

 しかし、全知全能の神でもなければ――。


 腕組みをし、俯き、深い、深い思考の檻の中に閉じこもりながら、シンは考える。

 何か名案があるのではないか、と。


 ――待てよ。

 逆転の発想。

 シンは顔をあげた。


 「ザク」

 「シン」


 二人は見つめ合った。ザクは目の前の親友が、打開策を閃いたのだと、表情を明るくした。


 「こうなったら、偽札作りに手を染めるか」


 そして、その表情を暗くした。



―――――――




 金と言うものは、あるところにはあるものである。

 が、ないところにはない。当たり前のことだ。


 では、あるところから吐き出させれば良い。

 究極的には、奪えば良い。だまし取るのも良い。刑法に触れない限りは、それは犯罪とはならない。だが、犯罪にならないことならば、何でもやって良い、と言うわけでは、勿論、無い。良心の呵責は永遠に心を苛み続けるだろう。

 それでも、必要とあればこの手を汚すこともやむを得ない。そうしなければ、それ以上の痛みを受容しなければならない羽目になるのだから。




 「…では、犯罪にならない程度にあるところから金を引き出す方法とは何だろうか」

 「何を物騒なことを言ってるのよ…」

 「」

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