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7 うちにおいで(夜会2/2)

 赤いシルクのドレスに包まれた淑女。

 40前半のアスコット伯爵夫人は30代ともとれる肌のハリを維持しながらもその年齢に見合う貫禄を纏っている。

 物理的な力ではない、何かもっと大きな力をもって潰される恐怖。

 無意識に浅くなっていた呼吸を整え、サラはアスコット伯爵夫人と対峙する。


「このような形でご挨拶する無礼をお許しください、伯爵夫人」


 腰を落とすサラに夫人は悠然と微笑んだまま続ける。


「良くってよ。ご存知でして? わたくし、あなたを気に入っていますのよ」


 私とあなたは初対面のはずですが、と小首をかしげるサラ。

 仕事中はあまりしない可愛らしい仕草だ。


「愚息が農林水産大臣のもとで書記官をしておりますの。宰相補佐官の秘書は仕事が早いと有名だそうですね」


 農林水産大臣付の書記官は3人。

 しかし絞込みは簡単だ。

 目の前の夫人によく似た目元、そして父親譲りの筋肉質な体躯をもつ青年は1人だけ。

 ロイス・ハイジ。

 爵位を継いでいないためアスコットを名乗らないのだろう。

 普段トーリという爵位と名字が一致する人間を前にしていたせいでサラは爵位と名字が一致しない家の存在を完全に失念していた。


「ロイス様には主共々お世話になっております。そのお人柄と美貌は王城でも評判にございます」


「あら、あなた自身はどうお思いなのかは教えてくださらないの? 愚息で良ければうちにいらっしゃいな」


 はて。

 これが噂に聞くヘッドハンティングというやつだろうか。

 トーリとロイス、どちらが金払いが良いか考えそうになり、いかんいかんと邪念を払うように目を閉じる。

 自分はなぜ彼の屋敷に勤めようと思ったのか。

 なんのためにここにいるのか。

 サラの頭の中に怪物のような黒い影が過ぎる。

 悲鳴。馬の蹄の音。赤色。現れる金色。大きな手。

 サラがトーリのもとで仕える理由はーー


「私の主はトーリ・L・ディファイン様です。主の許可無く決断することが出来ないこと、お許しください」


 アスコット伯爵夫人を真っ直ぐに見つめるサラに迷いはない。

 夫人はその姿をしばらく観察し「許可、ね」と呟く。


「またお会い出来る日を楽しみにしていますわ」


 近寄ってくる招待客に目をやり、夫人はサラのもとを離れてゆく。

 サラは取っていた礼を解除して仕事に戻ろうとし、やけに肩が凝っていることに気付いて苦笑した。

 あたかも飲み物を求めに来たかのように寄ってきたトーリが「そろそろ戻るよ」と視線を合わさずに囁く。

 頷くサラは銀盆にグラスを乗せると調理場へ下がり、そのまま広間に戻ることはなかった。



「トーリ様があんなに人気があるって知りませんでした。びっくりです」


 街歩き用の服装に着替えたサラ。

 熱いストレートティーを片手に伯爵家から拝借したショートブレッドを咀嚼する姿は完全にリラックスムードだ。

 夜会服から着替えてきたトーリもソファに座り紅茶に口をつける。

 伯爵家から馬車で同乗したサラとトーリは着替えのために王城ではなくトーリの王都の家に来ていた。


「僕は雇い主の家に来て自分の家のように寛いでるサラの方に驚いてるけどね」


「失礼しました、坊っちゃま」


 カップを片手に立ち上がろうとするサラ。

 それを制止したトーリは控えているメイドに紅茶のお代わりとお茶菓子を頼む。


「領にいるときの呼び方はやめようか」


「はい、トーリ様」


 トーリはメイドが出ていくのを確認して夜会での戦果を話し始める。

 それらは予定通りのもので、サラを安心させるものだった。


「そんなわけで予算案は昼に作った修整版で決議されることが確定したよ。アスコット伯の周りがなんていうか心配したけど……あのちぐはぐな空気はなんだい? 僕の優秀なメイド殿は何をしてくれたのかな?」


 楽しげに聞くトーリに破顔するサラ。

 まるで二人でいたずらを仕掛けたような気持ちで顔を見合わせてクスクスと笑う。


「私は皆様にお願いのお手紙をお渡ししただけですよ。内容は一人一人違いますが……たとえばツァイス伯爵は二重カツラで、シャロン子爵は鬼嫁に浮気がバレて大騒動。ノーリ侯爵は先王の暗殺未遂のしゅぼ」


「待って。それ以上言っちゃダメだよサラ」


 トーリが焦ったように人差し指をサラの口元に当てる。

 サラが完全に黙ったことを確認するとトーリは長く息を吐いた。


「はぁー、そんな情報どこから取ってきたの」


「お茶会です」


「お茶会ぃいいいいい?! 物騒すぎるだろう!」


 しれっと答えるサラにトーリの絶叫が響き、サラの「トーリ様うるさいです」とメイドの「どうなさいましたか?!」が重なる。


「あ、お代わり有り難うございます。もう夜も遅いですしあとは私が」


 立ち上がるサラにメイドは「お客様にそんな」と固辞していたが、自分もディファイン家のメイドであることを伝えて下がらせる。

 高級な茶葉から放たれる重厚な香りを胸に吸い込み、適切なタイミングでお代わりを注いでいく。


「落ち着きましたか」


「ああ、すまない。それよりそのお茶会はどこで催されてるものか聞いてもいいかな」


 今にも頭を抱え出しそうなトーリにサラは一言で答える。


「嫌です」


「なぜ」


「トーリ様が再び絶叫されることがわかっているからです」


 開催場所、王家専用隠し通路。

 メンバー、王家専属諜報・暗殺集団幹部。

 こんなことを聞いたらトーリは白目を剥き、最悪意識を失うかもしれない。

 主の心身の健康のために秘密にしておくのはメイドの義務だ。


「そういえば、アスコット伯爵夫人に私の正体がバレていました。『愚息で良ければうちに来い』と言われました」


「ん?」


「お断りするのにトーリ様のお名前を出させていただきました」


 ぴたり。トーリの動きが止まる。

 メイドが持ってきたサンドイッチを味わうサラ。

 黙ってティーカップをのぞきこんでいるトーリ。

 二つめのサンドイッチを口に入れるサラ。

 固まったままのトーリ。

 三つめのサンドイッチを手に取るサラ。

 瞬き一つしないトーリ。

 無言の時間がしばらく続き、トーリは静かにティーカップを置いた。


「その……サラは、僕のことが好きなのか……?」


「敬愛しておりますよ」


 平然と答えるサラにトーリは首を横に振る。


「違う、そうじゃない。僕のことを男として見ているのかと聞いてるんだ」


「トーリ様は女性だったのですか?」


「だからなんでそうなるんだ!」


「トーリ様落ち着いてください。もう夜ですし、あまり興奮なさると眠れなくなってしまいます」


 立ち上がりトーリの肩に手を置くサラ。

 伝わるぬくもりがやけにトーリの心を波立たせ、気づくとトーリはサラの手を掴んでいた。


「僕は」


「トーリ様、薬草園で調合士の女性と触れ合っていたそうですね。あまり女性に触れるものではございませんよ」


 サラを見上げるトーリの目はなぜか傷ついたように揺れていて、サラの胸がちくりと痛む。


「あれは彼女が立つのに手を貸しただけだ。それに僕は彼女の名前すら知らない」


 すまなかった、とトーリがサラの手を離す。

 サラは解放された右手を左手で包むと眉根を寄せてトーリを見る。

 二人の視線が交差し、しかし噛み合わずに雲散した。


「私は王城に戻ります。トーリ様はこちらでお休みなさいませ」


「……ああ。朝食の時間までには登城する。執務室に来てくれ」


 視線をテーブルに戻すトーリにサラはゆっくりとお辞儀をする。


「おやすみなさいませ、トーリ様」


「今日もありがとう。おやすみ」


 サラが部屋を出て行き、空っぽになったサンドイッチの皿とティーセットが残される。

 全部食べるなんてひどいじゃないか、と苦笑したトーリがサラに馬車の手配をしなかったことに気づいたのは、それからしばらく経ってからだった。

 王城まで歩けば1時間の距離、それを夜遅くに女性をたった1人で行かせたことにその晩トーリは罪悪感に苛まれたのだが、実際のところサラの足で五秒もかかっておらず、そんな速度で移動する彼女を襲うことは事実上不可能であることをトーリは知らなかった。



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